モーツァルトには珍しい、短調の暗い曲と、バランスをとるかのような明るい曲を聴いていますが、ピアノ・ソナタの短調曲は、シンフォニーと同様、2曲だけです。
1曲は先に取り上げた第8番 イ短調 K.310ですが、もう1曲がこの第14番 ハ短調 K.457です。
前曲は1778年、マンハイム・パリ求職旅行の最中、22歳の時にパリで作曲され、その悲劇的な曲調はパリにおける同行の母の死に結び付けられてきました。
第14番 ハ短調 K.457は、後年の1784年、28歳の時にウィーンで作曲されました。
こちらも悲劇的な性格をもっていますが、円熟期といっていい時代の作品であり、さらに深遠な内容で、これまでのソナタには見られない構想と表現を持ち、モーツァルトのピアノ・ソナタの中でも最高傑作といわれています。
この曲を超える内容のソナタは、後年のモーツァルトにも見当たりません。
モーツァルトの宿命的な調性はト短調といわれていますが、残念ながらピアノ・ソナタにはト短調の曲は書かれていません。モーツァルトのト短調は疾走する悲しみと言われて、軽快な調子の中に秘められた哀愁の魅力がたまらなく、そのソナタがないのは残念でなりません。
しかし、ハ短調はベートーヴェンに宿命的な〝運命〟の調であり、ストレートな悲劇性と深みを感じますが、モーツァルトのハ短調も素晴らしく、私が愛してやまないピアノ・コンチェルト 第24番 K.491もハ短調です。このソナタも、ハ短調コンチェルトに通ずる運命的な曲調をもっています。
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ベートーヴェンはこのコンチェルトに惚れ込み、自分でもモーツァルトのテーマを使ってピアノ・コンチェルト 第3番 ハ短調を試作していますが、このソナタにも当然のように喰いつき、研究し、その工夫を自作に取り入れています。まさにベートーヴェンは、モーツァルトがたまーに示すダークサイドに、これこそ自分が進む道、と言わんばかりに飛び込んでいくのです。
このソナタは、モーツァルトがザルツブルク大司教のもとを飛び出し、ウィーンでフリーの音楽家として活動を初めて3年目、弟子のテレーゼ・トラットナー夫人のために書かれました。
夫人は、モーツァルトの楽譜の写譜を請け負っており、一時期モーツァルトの家主でもあったフォン・トラットナー氏の妻でした。
これだけの曲を捧げられただけあって、相当な名手であったと言われています。
ファンタジー(幻想曲)とは
さて、このソナタが演奏される際には、その前に、ファンタジー ハ短調 K.475
が奏されるのが通例です。
「ファンタジー(ファンタジア)」は「幻想曲」と訳されますが、特定の形式にとらわれない自由な攻勢をもった曲です。
もともとは、本番の曲の前に、指ならしや音合わせとして演奏者が即興で演奏したものが由来とされています。
バッハの曲で、フーガの前によく置かれている「トッカータ」や「プレリュード」も同じ性格といえます。
実はこのファンタジーは、ソナタより後に書かれたのですが、1785年にはセットで出版されているので、モーツァルトの意図も一体であったことは間違いないです。
実際、ファンタジーの冒頭はソナタのテーマに呼応しており、素晴らしく有機的に結合されています。
しかし、4年後にモーツァルトはライプツィヒのゲヴァントハウスで、このファンタジーだけを演奏した記録が残っているので、単なる前座ではなく、独立した芸術性をもった曲としても捉えていたようです。
ショパンの有名な『幻想即興曲』もこの延長上にあるといえます。
ともあれ、このファンタジーからソナタを続けてじっくり聴くと、ひとつの完結したドラマを観るかのような充実感にひたることができるのです。
W.A.Mozart : Fantasia in C minor, K.475
演奏:アーサー・スクーンダーエルド(アルテュール・スホーンデルフルト)(フォルテピアノ:モーツァルトがウィーンで愛用していた、アントン・ヴァルターが1790年に製作したものの複製。革張りハンマー。)
Arthur Schoonderwoerd(Fortepiano)
全体は5つの部分に分かれています。冒頭は、ゆっくりとした重々しいユニゾンで始まります、いったい、どんなドラマが始まるのか、ガヤガヤしていた聴衆も引き込まれてしまったことでしょう。3回繰り返されるうちに、1音ずつ下がるという不安感を増すかのような転調が行われます。やがて、ニ長調のやわらかく優しい旋律が、これまでの重苦しさから救ってくれます。癒しで胸がいっぱいになる部分です。
しかし、この平安もつかのま、嵐のようなアレグロになります。まるでショパンのように情熱的で現代的ですが、ショパンの方が学んだことでしょう。ここでも転調がドラマティックです。
やがて、また嵐の間の平穏が訪れますが、宮廷舞踊のように気品にあふれています。
それもつかのま、再び風雨が吹きすさびますが、今度は悲劇というより、しびれるようなカッコよさを感じます。
そして、冒頭のテーマが戻ってきて、ハ短調の重苦しさの中で、幻想の世界から現実に引き戻されるかのように終わるのです。
W.A.Mozart : Piano Sonata no.14 in C minor, K.457
演奏:アーサー・スクーンダーエルド(アルテュール・スホーンデルフルト)(フォルテピアノ)
ファンタジーの冒頭テーマが、ここでは軽快なテンポで奏されます。どこか、ピアノ・クァルテットト短調を思わせるような決然としたテーマです。第2テーマは、モーツァルトお得意の、右手と左手の呼応です。悲劇的な短調ではありますが、先のファンタジーを聴いた耳では、どこか明るさを感じるのが不思議です。切迫感と情熱が入り混じった、素晴らしい楽章です。ベートーヴェンはこの曲を真似て、同じハ短調のソナタ(第5番 作品10の1)を作曲しているのです。
前後の嵐の楽章に挟まれた、天国的なアダージョです。高音で優しく愛撫されているかのようにうっとりとしていると、突然の低音でいなされたりします。中間部も、ベートーヴェンは、ピアノ・ソナタ〝悲愴〟の有名な第2楽章で〝まるパクリ〟しているのです。こちらを初めて聴いた人は『悲愴を真似している』と思うでしょうが、逆なのです。
第3楽章 アレグロ・アッサイ
一転、モーツァルトとは思えないような、厳しい音楽になります。第1テーマには、何かを訴えているかのような切迫感があります。さらに曲が進み、後半になると、休止符で途切れ途切れになり、まるで何かにいらだっているかのようです。モーツァルトがこんなに感情を露わにしたかのような音楽を書くのは極めて異例と言えます。モーツァルトから曲を捧げられるなんて、最高の名誉ですが、それがこんな異色の曲だったトラットナー夫人は、いったいどんな感想を持ったのでしょうか。
この曲も、グレン・グールドの演奏も掲げておきます。彼の機械的なタッチと、自由な歌が絶妙にからみあった名演です。
W.A.Mozart : Fantasia in C minor, K.475 & Piano Sonata Sonata no.14 in C minor, K.457
演奏:グレン・グールド(ピアノ) Glenn Gould
第3楽章 アレグロ・アッサイ
また、グールドの演奏で、ベートーヴェンがモーツァルトのこのソナタをお手本に創ったソナタも掲げておきます。
1795年から98年にかけて作曲され、3曲セットでブラウン伯爵夫人アンナ・マルガレーテに献呈されたうちの1曲です。20代後半の若きベートーヴェンの情熱にあふれたソナタです。
ぜひ比較してお楽しみください!
L.V. Beethoven : Piano Sonata no.5 in C minor, op.10, no.1
演奏:グレン・グールド(ピアノ) Glenn Gould
第1楽章 アレグロ・モルト・エ・コン・ブリオ
上行する冒頭の激しい音型が、モーツァルトのソナタからとられています。続く激しさも、ベートーヴェンならでは、というところもありますが、モーツァルトのソナタのあとに聴くと、その影響の大きさを感じます。
モーツァルトの第2楽章同様、深い詩情をたたえた美しい楽章です。
第3楽章 プレスティッシモ
これはベートーヴェンならではの新しい構想、独創性に満ちた楽章です。あえて短く、盛り上がるように構想されています。サクッと終わるあっけなさが逆に印象的です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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