帰りたい、帰れない
いよいよ年も押し迫り、帰省ラッシュが始まりました。
みな、さまざまな思いを胸に、実家に、あるいは離れた家族のもとに帰っていきます。
クラシックで帰省といえば、思い浮かぶ曲があります。
それは、ハイドンの〝告別シンフォニー〟です。
この曲の成り立ちには有名なエピソードがあります。
ハイドンが、困窮した下積み時代の末に、ハンガリーの大貴族、エステルハージ家の楽長になったことは前述しました。
www.classic-suganne.com
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音楽好きの主君ニコラウス侯爵から絶対の信頼を受け、30年にわたって、その才能を思う存分発揮することができました。
ハンガリー王位は当時はハプスブルク家のものになっており、皇帝が兼ねていましたが、実質的なハンガリー王はエステルハージ侯だといってもいいかもしれません。
〝壮大侯〟といわれたニコラウス侯は、ヴェルサイユ宮殿を模した宮殿を、本拠地アイゼンシュタットの郊外に建設し、エステルハーザと名付けて夏の離宮としました。
当時の王侯貴族は、冬は都市に住み、夏は郊外の離宮で暮らしましたが、スペースがあるだけに、離宮は贅を尽くした豪奢なものになりました。それだけに居心地もよく、別荘の域を超えて長期滞在したのです。
長居する侯爵・・・
ニコラウス侯は、離宮が完成しないうちから、ハイドン率いるお気に入りの楽団を引き連れて、春先から秋にかけて、6ヵ月も滞在しました。
まだ建設途中ですから、十分な人数を収容することはできず、楽団員たちは家族と離れて、ずっと単身赴任を強いられたのです。
みな若い夫たちだったので、妻が恋しくて、あと何ヵ月、あと何日・・・と指折り数えて耐えていました。
もうあと少しで帰れる、というときに、侯爵が、滞在をあと2ヵ月延ばす、と布告したからたまりません。
楽団員たちはハイドンのもとに詰め寄り、何とかしてください!!と訴えました。
後年、ハイドンはインタビュアーに『正直、自分も若かったので、帰りたかった』と笑いながら当時を語っています。
ハイドンは思案します。楽団員連名で侯爵に嘆願書を出そうか、いや、そんなことをしたら間違いなくお怒りになるだろうな・・・。信頼関係があるとしても、相手は絶対専制君主です。
そこで一計を案じ、特別なシンフォニーを作曲し、音楽で、侯爵に自分たちの思いを伝えてみよう、ということになったのが、この曲です。
ふつう4楽章なのですが、この曲にはおまけの第5楽章があって、それだけでも侯爵はえっ?と思ったでしょうが、この楽章では、曲が進むにつれて、楽団員が自分のパートを順に弾き終えて、ひとり、ふたりと、楽譜を照らしていたろうそくを吹き消して退場していくのです。
最後にはハイドンも退場し、第2ヴァイオリンと、侯爵お気に入りのコンサートマスター、トマッシーニだけになり、静かに曲を終えるのです。
まさに〝さよなら〟という感じで。
Haydn : Symphony in F sharp minor, Hob.Ⅰ: 45 “Farewell”
演奏:演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 ジャルディーノ・アルモニコ
第1楽章 アレグロ・アッサイ
嬰ヘ短調というのは、通常シンフォニーでは用いられない珍しい調性です。最も悲しく響くといわれており、音楽に詳しいニコラウス侯は、これだけでもこの曲にただならぬものを感じたに違いありません。以前ご紹介したシンフォニー〝悲しみ〟と同様、疾風怒濤期のハイドンならではの、悲劇的な激しいシンコペーションで始まります。恋慕の情に身を焦がした楽団員たちの気持ちを表現したように感じます。
弱音器つきのヴァイオリンが、穏やかな中にも哀愁を漂わせて歌います。
嬰ヘ長調という、シャープが6つもつく異例の調性の曲です。トリオはホルンが鄙びた調子で奏でられ、癒されます。
第4楽章 フィナーレ(プレスト)
一転、冒頭の悲劇的な調子に戻り、激情あふれるドラマチックなフィナーレとなります。最後は、切羽詰まった感じになり、終わったような、終わらないような、微妙な終止で、次の〝告別楽章〟につなぎます。
有名な告別楽章です。全部で107小節ありますが、第31小節で第1オーボエと第2ホルンが、第46小節でファゴットが、第54小節で第2オーボエが、第55小節で第1ホルンが、第67小節でヴィオローネ(コントラバス)が退場します。
そして弦だけが残り、第77小節でチェロが、第85小節で第3、4ヴァイオリンが、第93小節でヴィオラが抜け、最後に第2ヴァイオリンと、コンサートマスターだけになり、消え入るように曲を終えます。
さて、ハイドンの創意工夫と楽団員たちの思いは侯爵に伝わったでしょうか?
曲が終わり、誰もいなくなって真っ暗になったオーケストラ席を見ながら、侯爵は立ち上がり、周囲にこう言ったといいます。
『彼らはみな立ち去った。したがって、我々もまた去らねばなるまい。』
そして、控室に集まっていた楽団員のところに、侯爵が入ってきて、笑いながらこう言いました。
『ハイドン、分かったよ。明日、諸君はみな出発してよろしい。』
家族のもとに帰れることになった楽団員たちの歓声が聞こえるようです。
そして、侯爵は帰還の命令を下しました。
ハイドンは、楽団員たちから〝パパ・ハイドン〟と呼ばれ、公私ともに慕われていたのです。
動画は、アントニーニ指揮、ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。退出の演出をお楽しみください!
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帰省される方はどうかお気をつけて。良いお正月をお迎えください。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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