
マリア・テレジアのために戦う、ハイドンの主君エステルハージ・パウル・アントン侯爵
ハイドンを雇った、偉大なる侯爵
ハイドンは1761年、ハンガリーの大貴族、エステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長として雇用されました。
これは、女帝マリア・テレジアの支配する、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、北イタリアにまたがる大帝国において、最も有力で、最も富裕な大領主の音楽活動一切の監督を任されたことになります。
ときにハイドン、29歳。
彼にこの大役を任せた、時の当主、エステルハージ・パウル・アントン侯は英邁な君主で、若き日には、父帝が崩御し、女の即位は認めないと諸国から攻められたマリア・テレジアを支持しました。
彼女を女王として認めるよう、ハンガリー諸侯のリーダーとして呼びかけたのが彼だったのです。
続くオーストリア継承戦争では、ハンガリーの勇猛な軽騎兵、ユサール連隊を編成し、自ら率いて、マリア・テレジアのために戦いました。
女帝の恩人のひとりです。
その功でオーストリア軍元帥に任じられ、ナポリ大使も務めました。
まだ無名のハイドンの才能を見抜いて、大抜擢したのですから、政治、軍事のみならず、芸術を観る目と耳も非凡だったのです。
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心を鬼にして、精鋭楽団を編成
ハイドンは副楽長に就任するに当たり、既存の楽団メンバーの能力をひとりひとりテストしました。
そして、実力不足と判断した楽団員は、オーデションをして、より優秀な者に入れ替えました。
非情なようではありますが、大きな権限を与えられた以上、主君の期待に応えられなければ自分の首もかかってきます。
ハイドンは、多くの芸術家がそうであるように、完璧を目指して妥協はしませんでした。
そして、厳選したメンバーを集めた、〝チーム・ハイドン〟が発足します。
侯爵から与えられた〝お題〟とは

ニコラ・プッサン『春または地上の楽園(連作「四季」)』
初仕事は、侯爵から〝お題〟を与えられました。
伝記作家ディースは次のように伝えています。
この君主は音楽作品の主題として、ハイドンに1日の4つの時間を与えた。彼はそれらを四重奏曲の形式の中に設定した。
〝1日の4つの時間〟とは、「朝」「昼」「晩」「夜」のことです。
これは、古くから西洋芸術のテーマとされていたもので、それは四季や人生、自然の移り変わりにも比喩されてきました。
つまり、次のような対比となります。
「朝」=「春」=「少年」=「発生」
「昼」=「夏」=「壮年」=「成長」
「晩」=「秋」=「熟年」=「成熟」
「夜」=「冬」=「老年」=「休眠」
四季については、ハイドンは後年オラトリオ『四季』で取り上げますし、先輩ヴィヴァルディのコンチェルトもありますが、1日の時間については、早い時期に取り組んだのです。
侯爵がなぜこのようなテーマを与えたのかというと、実は、1755年にウィーンでまさに『朝・昼・晩・夜』というバレエがヒットしていて、侯爵はこれを観劇し、楽譜まで買っていたのです。
ハイドンもこの頃はウィーンにいたので、観ていた可能性は高いです。
ただ、出来上がった作品は四重奏曲ではなくシンフォニーで、「夜」を除いた3部作となりました。
理由は分かっていませんが、「夜」は死を思わせるためか避けたのかもしれません。
楽団全員に与えられた、ソロの出番!
この3曲セットは、実に凝った、素晴らしい作品となりました。
ハイドンは、曲の中で、全ての楽器が目立つように、それぞれどこかでソロパートを与えたのです。
なかなか日の当たらない、ヴィオローネ(コントラバス)にまでです。
それは、新しい団員ひとりひとりの力を、侯爵に披露するためのものでした。
団員は晴れの場でスポットを当ててもらって、ハイドンに対する信頼は絶対的なものとなりました。
まさに、チーム・ビルディングを成し遂げた曲となったのです。
実は、この曲は4年前に3曲まとめてダイジェストに記事にしたのですが、私の大好きな、思い入れの深い曲たちですので、ここであらためて1曲ずつ取り上げたいと思います。

Joseph Haydn:Symphony no.6 in D major, Hob.I:6 "Le Matin"
演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
序奏は、言うまでもなく日の出の描写です。ヴァイオリンのピアニッシモから始まり、だんだんと楽器が加わり、クレッシェンドしてフォルテッシモに至ります。暗闇の中、東の空がしらじらと明けそめて、やがて光一閃、太陽が昇るさまが目に浮かびます。ハイドンは、夜明けの描写を晩年の二大オラトリオ、『天地創造』と『四季』の両方に取り入れていますが、この曲では荘厳な感じはなく、毎朝繰り返される大自然の営み、といった親しみやすい風情です。
序奏は軽く6小節で終わり、早朝にさえずる鳥のごとく、フルートが爽やかに歌い、オーボエが受け継ぎます。そして続く全合奏は、新しい1日の始まりに心躍る朝の情景を彷彿とさせてくれます。ロココ調の典雅さと、鄙びた田舎風の素朴さが、絶妙に組み合わされた音楽です、木管楽器たちが呼び交わす16分音符の音型は、楽員の見せ場のひとつでしょう。
展開部ではトレモロでの短調への移行で、にわかに翳る日のような場面もありますが、すぐに明るさが戻ります。弦楽器のピチカートの上を管楽器たちが歌うさまは、うっとりとするくらい美しく、初めて聴いた侯爵たちも心を奪われたことでしょう。再現部はホルンが先導して、賑々しく曲を閉じます。
アダージョからはじまり、アンダンテに移り、再びアダージョの美しい終結部のついた、凝った構成の楽章です。冒頭、ゆっくりと音階が上昇していきますが、ちょっと不安定になってきたところで、独奏ヴァイオリンが登場して引き取ります。初演の独奏は、エステルハージ家宮廷楽団コンサートマスターのルイジ・トマッシーニが務めました。彼は、4年前にパウル・アントン侯がイタリアに行った際、従僕として連れ帰った人物なのですが、ハイドンは、彼の異常なヴァイオリンの腕前を見抜き、従僕にしておくのはもったいないとして、コンマスに推挙したのです。そして、このソロがデビューでした。トマッシーニは、このあとずっと、ハイドンとコンビで楽団をリードしていきます。ハイドンは、自分の弦楽四重奏曲の第1ヴァイオリンを、彼ほどにうまく弾ける者はいない、と断言するほど信頼していました。
ひとしきり、ヴァイオリン・ソロが叙情的な歌を歌うと音楽は、テクテクとアンダンテで歩き始めます。ヴァイオリン・ソロはここでもついてきて、淡々として、しっとりと味わい深い旋律を奏でます。
朝の落ち着いたひとときを思わせますが、実は、この三部作のシンフォニーは、ハイドンのシンフォニーで唯一の標題音楽ではありますが、『朝』の日の出、『晩』の嵐以外は、具象的な描写はありません。あくまでも絶対音楽としての本質は譲っていないのです。
驚くべきは、アンダンテが終わったあとに訪れる、アダージョの静寂さです。『朝』ではありますが、夕暮れを思わせるような、美しい時間です。コレッリのコンチェルト・グロッソを思わせ、私がこよなく愛する箇所です。
これも実に凝ったメヌエットです。第1楽章と同じようにフルートがソロを奏で、また管楽器のみの6重奏、フルート、オーボエ2、ホルン2、ファゴットの〝ハルモニームジーク〟になる場面もあります。これはハイドンが日々の糧を求めて毎夜彷徨っていたウィーンの街角の音楽を思わせます。
さらに驚くべきはトリオで、ニ短調となり、独奏ファゴットと独奏コントラバスが哀愁をまとった憂いのこもった旋律を奏で、それを慰めるかのように独奏ヴィオラ、独奏チェロが呼応します。まさに一幅のドラマのようで、目立たない低音奏者にもスポットを当て、奥深い音楽にしています。
第4楽章 フィナーレ:アレグロ
フルートがいきなり思い切った上昇音階を吹き鳴らし、独奏ヴァイオリンがこれに負けじと続きます。チェロも活発に追いかけていきます。展開部に入ると、ヴァイオリン・ソロは、重音奏法まで繰り出し、さながらコンチェルトのように名人芸を繰り広げます。また、全ての楽器にソロの出番が与えられ、侯爵に自己紹介し、アピールしています。
このような、めくるめくような音楽は、少人数の室内オーケストラだからこそ可能ともいえ、第104番まであるハイドンのシンフォニーの中でも、この第6番は、すでにひとつの頂点として輝いているのです。
動画は、アントニーニ指揮ジャルディーノ・アルモニコです。
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シリーズ『マリア・テレジアの娘たち』は、残り末娘のマリア・アントニア(マリー・アントワネット)のみとなりましたが、彼女の生涯はフランス革命の流れの中で、別枠として取り上げます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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