ダークサイドのモーツァルトとして最も有名な曲が、このシンフォニー 第25番 ト短調 K.183(173dB)です。
モーツァルトが17歳のときにザルツブルクで作曲したシンフォニーで、モーツァルトの中でたった2曲しかない短調の曲のひとつです。
もうひとつの有名な第40番 ト短調 K.550と同じ調性のため、〝小ト短調〟の愛称で親しまれています。
そのドラマチックさで、映画『アマデウス』の冒頭に使われ〝アマデウスのテーマ〟としても知られるようになりました。
映画の冒頭、老人サリエリが部屋にとじこもって何やらつぶやき、従僕が菓子をもっていくが部屋に入れず、中から聞こえるただならぬ物音に、ドアを踏み破って入ると、そこにはカミソリで喉を掻き切って血まみれになった老サリエリが…というところでこの曲がはじまります。
冒頭のただならぬシンコペーションのあと、一気に音楽が陽転するところは、貴族たちがダンスに興じるシーンになり、たたみかけるようなところは、サリエリを乗せた救急馬車が病院へ急ぐところに充てられています。
映画『アマデウス』のBGMは全てモーツァルトの音楽が使われていますが、まったくよく当てはまっています。
主人公のアントニオ・サリエリ(1750-1825)は、イタリア生まれの作曲家で、神聖ローマ帝国の宮廷楽長として、当時の楽壇のトップにいました。
その作品は今ではほとんど忘れられ、演奏されるとすれば、モーツァルトとの関りで興味をもたれてのことです。
映画では、モーツァルトのことを芸術上のライバルとみなしています。神は自分に凡庸な才能しか与えなかったのに、あんな下品な男に神の意思を伝えさせるような恩寵を与えるなんて…と嫉妬し、モーツァルトを死に追いやります。
映画の原作となったのは1979年に初演された、ピーター・シェーファーによる戯曲『アマデウス』ですが、こちらではサリエリが砒素でモーツァルトを毒殺したことになっています。
映画では毒殺ではなく、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』を観て父レオポルトへのファーザー・コンプレックスを知り、父の亡霊に扮してレクイエム(鎮魂曲)をモーツァルトに注文し、精神的、肉体的に追い詰めていくことになっています。
しかし、サリエリがモーツァルトを毒殺したのではないか、という噂は実際にあり、サリエリもそれをやっきになって否定したため、かえって怪しい、といわれていました。
ロッシーニもズバリ本人を直撃したそうですが、それには冷静に反論していたそうです。
地位も名声もサリエリの方が格段に上で、モーツァルトに嫉妬する理由はなさそうなのですが、モーツァルトが死んだとき、次のように語っています。
『あんな大天才が死んだなんて、残念だが、われわれにとっちゃ大助かりだ。あんな男に長生きされた日には、われわれの作品に世間はパン一切れも恵んじゃくれなくなる!』
実はサリエリは故人に最大の讃辞を贈っているのですが、あまりにブラックな言い方をしたので、毒殺の噂が出たのも無理はありません。火のない所に煙は立たぬ、です。
しかし、やはり殺人罪で破滅するほどのリスクを負ってまでモーツァルトを殺す動機はまったく見当たりません。
サリエリはハイドンとも親交があり、また人材育成に熱心で、中でもシューベルトは彼の薫陶を大きく受けました。ほかにも、ベートーヴェン、リスト、ツェルニー、フンメル、マイアベーアなど、枚挙に暇ありません。モーツァルトの弟子ジュスマイヤーや、息子クサヴァー・モーツァルトの面倒も見ています。
ライバルの抹殺を意図する人間が、自分を超える恐れのある後進をこんなに育てるはずはありません。
ずっと容疑者にされて気の毒ですが、彼の名を有名にしているのはこの噂ゆえであるのも皮肉な限りです。
W.A.Mozart : Symphony no.25 in G minor, K.183 (173dB)
演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
切り込むようなシンコペーションで、ドラマチックに始まります。この激しさに、17歳のモーツァルトの青年的激情を読み取る人もいますが、当時の、時代精神としてのシュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の影響とする方が妥当です。つまり、モーツァルトは流行に乗ってみた、ということです。以前ご紹介したように、ゲーテやシラーに代表される疾風怒濤運動は、ハイドンの方に影響が大きく、モーツァルトはハイドンのシンフォニー 第39番 ト短調をお手本にしたと考えられています。ハイドンの曲は、ホルンが4本という異例の編成ですが、それは当時のナチュラル・ホルンが自然音しか出せないため、特に短調の曲を作ろうとすると音が限られてしまい。G管とB♭管の2種類を使うことで表現の幅を確保しようとするものでした。この曲もホルンは4本になっており、ハイドンの試みを自分でも試してみたことは間違いないでしょう。奔馬が走るかのような雄渾な表現はモーツァルトのシンフォニーでも画期を成すものです。コーダも劇的で、この曲はもはや、本来のシンフォニーの役目である、演奏会の序曲(脇役)の域を超えていることを示しています。
第2楽章 アンダンテ
弱音器をつけたヴァイオリンと2本のファゴットが呼び交わす第1主題、ややホッとするような明るい第2主題がたゆたいます。静かで黙考的な音楽です。
ユニゾンの厳しいメヌエットで、宮廷舞曲の趣きはありません。しかしトリオは管楽器だけの、非常に可愛らしいもので、つい微笑んでしまいます。
メインテーマは、前楽章のメヌエットを変形させたもので、ちょっとひねた、反抗期のような印象も受けます。しかしやがて、屈託のない表情も見せ、さすがモーツァルト!といった感じです。展開部も見事で、第1楽章から続く物語としての統一感も醸し出しています。
元ネタ、ハイドンのシンフォニー
それでは、比較のために、モーツァルトが影響を受け、お手本にしたと思われるハイドンのト短調シンフォニーもご紹介しておきます。1768年に作曲されました。
W.A.Mozart : Symphony no.39 in G minor, Hob.Ⅰ:39
演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート
第1楽章 アレグロ・アッサイ
ひそかに切迫したような弱音でのテーマから始まり、一気に盛り上げていくところはハイドンならではの職人技です。小休止が絶妙に入るところも緊張を高める効果があります。
第2楽章 アンダンテ
文字通り歩くような静かな音楽で、弦楽器だけで奏でられます。時々入る強弱の対比が面白いです。
メヌエットではヴァイオリンとオーボエがユニゾンで淡々と進めます。トリオはオーボエにホルンが加わり、田園的な雰囲気を醸し出します。
劇の終幕らしい、ドラマチックな音楽です。颯爽と入る下降音型、跳躍するリズムなど、手の込んだ楽章で、同時代の人が熱狂し、モーツァルトがお手本にしたのが分かります。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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