第1シンフォニーの評判は?
1800年4月2日にウィーンのブルク劇場で開催された、ベートーヴェン初のアカデミー(作曲家主催のコンサート)。
メインは、プログラム最後、大トリに持ってこられた記念すべき第1シンフォニー。
ベートーヴェンはすでに29歳になっていて、たくさんの名曲を作曲していましたが、シンフォニーについては長年構想を温め、推敲を重ねて、ようやく満を持して発表にこぎつけました。
モーツァルトが〝最後〟のシンフォニーを書いたのが32歳ですから、ベートーヴェンがいかにシンフォニーの作曲に慎重だったか、気合を入れたかが分かります。
〝不滅の9曲〟の一番目ですから、今から思えば別に不思議はないかもしれませんが、もともとオペラやコンサートのはじまりの曲、いわば前座に過ぎない〝軽い曲〟だったシンフォニーを、ベートーヴェンは初めから、自らの芸術の中核媒体として位置付けていたわけです。
〝軽い曲〟の芸術性を高めたのは、言うまでもなく〝シンフォニーの父〟ハイドンと、先輩モーツァルトの功績ですが、ベートーヴェンはさらにコンサートの主役にまで高める志を持って作曲しました。
さて、初めてこの世に鳴ったベートーヴェンのシンフォニーを、聴衆はどのように受け止めたのでしょうか。
初演の講評が『総合音楽新聞AMZ』に次のように掲載されました。
最後に演奏された交響曲はなかなかの芸術性を備え、新しさと技巧性に富み、楽想の豊かさでは注目されるものであった。(中略)しかし、演奏は難しく、欠点を言えば管楽器を使いすぎ、それが突出しすぎて管弦楽というより吹奏楽のようである。*1
これをもって、初演は不評、あるいは失敗、とする向きもありますが、初演の度に賛否両論を巻き起こしたベートーヴェンの作品にしては、好意的な批評ではないでしょうか。
確かに、ベートーヴェンのシンフォニーは、オーケストラに弦が多くないと管楽器が目立ちすぎる傾向はあるように思います。
CDで聴く分にはあまり感じないのですが、弦の少ない古楽器オーケストラでの演奏を生で聴くと、そのような印象を受けることがあります。
昔、ガーディナー&オルケストル・レヴォリューショネール・エ・ロマンティークの来日公演で第2シンフォニーを聴いたとき、金管楽器ばかりがうるさくて、あれ?と思った記憶があります。
ベートーヴェンはオーケストレーションが下手だ、という人もいますが、その真偽はともかく、確かにハイドンやモーツァルトでは感じない現象です。
私はそれでも古楽器の音色が好きなのですが、ベートーヴェンは現代の大オーケストラのバランスを先見して作曲したのかもしれません。
ともあれ、この曲より七重奏曲(セプテット)作品20の方が当時の聴衆の耳に優しく、親しみやすかったでしょう。
せっかくの第1シンフォニーはスルーされて、セプテットばかりもてはやされたのにベートーヴェン自身は大いに不満でしたが、当時としては無理からぬことです。
第1シンフォニーは、ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵(1733-1803)に献呈されました。
男爵はバッハ、ヘンデルを愛好し、以前から自宅では毎週その作品の演奏会を開いていて、招かれたモーツァルトに大きな影響を与えました。
男爵は貧窮のうちに早逝した彼の葬儀費用まで出したと言われています。
ハイドンとも密接な関わりがあり、晩年のオラトリオ『天地創造』と『四季』のテキストも自ら作成しました。
『四季』の制作に際してのハイドンとの対立は以前の記事でも取り上げました。
www.classic-suganne.com
音楽好きが嵩じ、口を出し過ぎて作曲家に煙たがられることもありましたが、クラシック音楽への貢献の大きさは計り知れません。
さすが男爵は、ウィーンに来たての若きベートーヴェンの才能も瞬時に見抜きました。
そして、彼に、リヒノフスキー侯爵と並ぶ保護を与えました。
モーツァルトも出入りした男爵邸の演奏会に招かれ、演奏を乞い、お客が帰ったあとも引き留めて、バッハのフーガを弾いてもらったことも度々あったということです。
また、コンサートが無い日にも、ベートーヴェンの演奏が聴きたくなると、使いを出して誘い出しました。
その時の手紙が残っています。
もし差し支えがなければ、今度の水曜日に私の家にいらっしゃいませんか?夜八時半に就寝用帽子など一切をもってお越しいただきたい。即答くだされるよう。1794年12月15日、月曜日、スヴィーテン
パジャマ持参で、お泊りで来てほしい、というわけです。
今私たちが聴けるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽には、男爵のお陰である部分も大きいのです。
第1シンフォニーにふさわしい献呈先といえるでしょう。
当時としては大編成のオーケストラ
この曲は、ベートーヴェンの第1作にふさわしく、革新的でした。
まず有名な開始の和音からして、当時の常識からすれば、素っ頓狂ともいえるものです。
当然ハ長調の主和音から始まるところ、ヘ長調の属七和音が鳴り、不思議な緊張感に包まれます。
編成もクラリネットを加えた完全な二管編成で、多くのハイドン、モーツァルトのシンフォニーより大編成です。
特に、クラリネットは他の楽器の旋律をなぞったり、信号音的に使うにとどまっていましたが、それでもモーツァルトは、クラリネットの入ったオーケストラの響きを高く評価していました。
しかしベートーヴェンは、珍しいハ長調の管を独自の動きで歌わせています。
このあたりが、当時の聴衆の耳には吹奏楽的に響いたわけですが、新しい試みでした。
それでも、その後のベートーヴェンのシンフォニーを聴いている我々の耳には、まだハイドン、モーツァルトの影響が大きい、と感じられます。
特に、ハイドンのシンフォニーの真髄である〝諧謔〟の精神を、ベートーヴェンなりに受け継ぎ、表現しているといえるでしょう。
この曲を師匠ハイドンはどう感じたのか、記録に残っていないのが残念です。
では、伝統への挑戦と革新に満ちた、ベートーヴェンの最初のシンフォニーを聴いていきましょう。
ティンパニの響きが癖になる、ホルディ・サヴァール指揮ル・コンセール・ナシオンの演奏です。
Ludwig Van Beethoven:Symphony no.1 in C manor, Op.21
演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・ナシオン
Jordi Savall & Le Consert des Nations
主部の前にゆっくりした序奏がついているのは、ハイドンが整えた形式と同じですが、その役割には新機軸が試みられています。ハイドンの序奏は、主部の輝かしさを引き立てるため、長調の曲であれば主調の短調がよく使われ、明暗の対比の効果が狙われています。あるいは、シンフォニー第98番のように主部のテーマの予告だったりもします。また序奏はある程度独立し、完結した形です。これに対し、ベートーヴェンは、序奏を主部に向けて緊張を高めていくように作りました。物語は既に最初から始まっているのです。冒頭の属七和音は、下属調のヘ長調の主和音で解決します。その後のコード進行も揺らぎ、主調のハ長調にたどり着くまでかなり焦らされます。緊張感を高めるこのやり方は批評家を驚かしましたが、バッハの平均律クラヴィーア曲やハイドンの弦楽四重奏曲でも試されたやり方でした。しかし、これだけ大きな規模の管弦楽でやるというのは極めて大胆なことです。序奏そのものに、強弱や明暗の対比が盛り込んだわけです。
主部のテーマは、モーツァルトの最後のシンフォニーで、この初演コンサートの最初に演奏されたかもしれない第41番 ハ長調〝ジュピター〟第1楽章のテーマに似ています。この〝ジュピター”のテーマは、さらにハイドンのシンフォニー 第82番 ハ長調〝熊〟にも共通点があります。ベートーヴェンは、師ハイドン、先輩モーツァルトのテーマをあえて使って革新性を示したのだとしたら、何とも野心的です。
ベートーヴェンの第1主題はやや抑え目に始まり、その後管楽器を伴いながらはしゃぎまわります。第2主題がオーボエとフルートが掛け合うようにして出てきて、優しさと影をまといながら進んでいきます。展開部は第1主題を管楽器が彩りながら、さらに明暗の世界を揺るがせて構築されます。再現部は、第1主題を今度は全楽器がトゥッティで奏し、大胆なハーモニーを響かせながら力強く結びます。
第2楽章 アンダンテ・カンタービレ・コン・モート
ここは古典的な伝統セオリー通り、ハ長調の下属調ヘ長調が選択されています。第1楽章での大胆さから、聴衆を安心されるかのようです。指示は複雑で、抒情深いアダージョではなく、「ゆっくり歌うように」というアンダンテ・カンタービレに、コン・モート「動きをもって」とわざわざ注釈がつけられています。抒情ではなく、ゆっくりした中にもドラマ性をもった歌を歌うように、とされているわけです。
第2ヴァイオリンから始まるテーマは、だんだんと他の楽器にポリフォニックに模倣されていきますが、旋律の性格や作りがモーツァルトのシンフォニー 第40番 ト短調の第2楽章に似ていると言われます。しかし、あの静謐な抒情性はなく、この楽章ではリズムが重視されていて、ふつう第2楽章では出てこないティンパニまでが刻みます。このリズムによる楽章の統一は、後に第7シンフォニーで頂点に達しますが、すでに第1シンフォニーから試みられているのです。この親しみやすい楽章は、ピアノの練習曲にも取り上げられています。
メヌエットとされていますが、優雅で舞踏的な要素は薄く、ドラマティックなスケルツォに近い内容です。独特な主部のテーマは、複雑な音型とリズムをとり、12度も上昇する音階です。レガートとスタッカートの対照がこの楽章を、優雅どころか荒ぶる印象にしています。トリオが主部と同じハ長調であるのも珍しいですが、木管で優しく奏でられる趣きは第9の第2楽章を思わせます。ハイドン、モーツァルトとは違うベートーヴェンの独創と個性を実感する楽章です。
実に奇想天外な導入です。属音のトゥッティのあと、第1ヴァイオリンが次々に単純な音階を奏します。ソ・ラ・シ~と3音。ソ・ラ・シ・ド~と4音。ソ・ラ・シ・ド・レ~と5音。ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ~と6音。ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ~と7音。ふざけているのか?とさえ思いますが、実はこれによって聴衆の耳に属七和音を植え付けているのです。そして、いよいよ主部が始まりますが、テンポは前楽章のメヌエットと同じ指示。間に導入が一息つくことによって、連続的な効果を狙っているのです。この楽章の元気さ、陽気さはずば抜けています。モーツァルトの音階マジックを取り入れながら、ハイドンの諧謔を自己流に発展させたといえます。コーダは長く、管楽器が活躍しますので、初演の〝吹奏楽みたい〟という感想を引き出したのでしょう。
この曲を、まだハイドンやモーツァルトの影響下にある、と見るのは一面的な見方です。両者の作品をスタートラインにして、新たなる世界を切り拓いた、というのがこの曲の正しい評価と思います。〝不滅の9曲〟がいま、始まったのです。
古楽器使用のハノーヴァー・バンドの演奏動画です。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村
クラシックランキング