2曲連続、20分間歌い続ける!
モーツァルトのオペラ『後宮よりの誘拐』、あらすじと対訳の6回目です。
いよいよ、このオペラのクライマックス、ハイライトの場面です。
主役コンスタンツェが、大きなアリアを、それも2つ続けて歌うのです。ほとんど20分もの間、独りで歌い続けることになります。
同一歌手のアリアが連続するのは極めて異例で、モーツァルトの作品にも他に例がありません。
当時のオペラは、いわば歌番組にストーリーがついているようなもので、歌手たちには均等に歌が割り振られました。
もちろん、人気に応じて回数は違いましたが、それぞれの歌手に固定ファンがいますので、不公平だと観客から容赦ないブーイングを浴びることになります。
そんな中で、2曲連続というのは、〝滑らかな喉〟をもつ、初演プリマ・ドンナのカテリーナ・カヴァリエリ嬢を、モーツァルトがどれだけ贔屓していたのかが分かるというものです。
悲しみが私の定め・・・
前場でオスミンを追っ払ったブロンデは、遠くからコンスタンツェがやってくるのを見つけます。
その物思いに深く沈んだ姿に、ブロンデは、まだ私はマシ、会うのはままならないけれど、ペドリロが近くにいるんだもの…と、別部屋に去り、コンスタンツェをそっとしておきます。
やがて現れたコンスタンツェは、レチタティーヴォ・アコンパニャートつきのアリアで、自分の悲しい運命を嘆きます。
このアリアは、これまで軽妙愉快に進んできたこのお芝居の調子からは、まるでうって変わったシリアスなもので、正歌劇、オペラ・セリアにあるような大アリアです。
これぞまさに、モーツァルトが、ドイツ語の歌芝居、ジングシュピールを、イタリア・オペラの水準まで高めるという、皇帝ヨーゼフ2世の御心に応えるべく作った曲なのです。
モーツァルト宿命の調、ト短調で、オペラ・セリアにあるような、ギリシア悲劇による人間の運命の辛さを歌ったものにほかなりません。
これまで騒ぎ、笑っていた当時の観衆が、この歌を前にどんな反応を示したのか、知りたいものです。
W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384
演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir
第10曲 コンスタンツェのレチタティーヴォとアリア『運命が私たちを引き離した日から~悲しみは私の定め』
ソプラノ:ルーバ・オルガノソーヴァ
ブロンテ
(せりふ)
コンスタンツェ様がなんて悲しげにやってくるのかしら!
コンスタンツェ
(レチタティーヴォ)
運命が私たちを引き離した日から
私の心にはなんという変化が起きたことでしょう
ああベルモンテ!
あなたの側にいたころの喜びは去ってしまった
今では不安と悲しみが重苦しく胸の中を満たしている
(アリア)
あなたと別れ、悲しみが私の定めとなった
しぼみゆく薔薇のように
冬の沼地の草のように
不幸な私の命はしおれていく
私の胸の苦しい思いは
風にさえ語ることはできない
空気に留めておくこともできず
私の胸に吹き戻してしまうことでしょうから
歌い終わったコンスタンツェを見かねて、ブロンデが、希望を持つよういろいろと慰めますが、コンスタンツェはもう物事を悲観的にしか考えることができません。
そうこうするうち、太守セリムが入ってきたので、ブロンデは慌てて立ち去ります。
コンスタンツェの拷問アリア
太守セリムはコンスタンツェに『きょうももう暮れゆく、明日にはわしを愛さなければならぬぞ』と言い渡します。
コンスタンツェはこれに対し、『まあ、愛に強制があるのでございますか?私はあなたを尊敬していますが、決して、決して、愛することはできません』と毅然として言います。
さすがの寛容なセリムもいら立って『お前は私の権力が怖くはないのか?』と脅しますが、
コンスタンツェは『私の望みは死ですので、何も怖くありません』と言い放ちます。
セリムはついにブチ切れて『そう簡単に死なせてなどやるものか、ありとあらゆる拷問にかけてやる!』と叫びます。
かつて、この時代からちょうど100年前、オスマン・トルコによる第2次ウィーン包囲の際、トルコ皇帝(スルタン)メフメト4世は、神聖ローマ皇帝レオポルト1世に手紙を送り、『捕虜は全員、油で揚げてやる』と脅しました。この恐ろしい書簡は今もウィーン古文書館に残されています。
そういう歴史がありますから、ウィーン人にとってトルコ人の残虐ぶりは恐怖として植え付けられていたのです。
ところが、コンスタンツェは動じることなく、『愛する人に誓った操を失うくらいなら、どんな拷問にも耐えてみせる!』と、凄まじい迫力のアリアを歌います。
〝コンスタンツェ〟の名は、英語でコンスタンス、つまり変わらぬ操の固さを意味しているのです。
このアリアは何から何まで異例で、まずは長い前奏がついており、ソロ楽器たちが、まるでシンフォニア・コンチェルタンテ(協奏交響曲)のように、華麗な技を競い合うのです。
まるで場面の緊迫さに似つかわしくない、優雅な時間ですが、その間、太守セリムとコンスタンツェは、お互いの葛藤の中で、生き生きとした演技を繰り広げなくてはなりません。
コンスタンツェの歌はヒステリックな感情を示しており、ソロ楽器がコンチェルトのようにオブリガートを務める華麗なコロラトゥーラは、危険を冒して恋人を助けにいくヒーロー、ベルモンテのものより、遥かに英雄的です。
セリムはこれを聞いているだけになりますが、つらいのは彼も同様で、愛する女性が苦しんでいる姿を、ずっと見つづけなければならないのです。
太守にとっても拷問に近い時間といえるでしょう。
第11曲 コンスタンツェのアリア『ありとあらゆる拷問が』
コンスタンツェ
ありとあらゆる拷問が私を待ち受けていようとも
私は苦痛も拷問もものとはしません
私を恐れさせるものは何もありません
私が恐れるのは、ただ、愛する人への操を破ること
どうか私の心を察してお赦しください!
あなたに神の祝福がありましょう
でもあなたの心は変わらない
喜んで、ひるむことなく、
私はどんな苦しみもお受けします
命令し、罵り、騒ぎ、怒り、吠えてください!
最後には死が私を解放してくれましょう
映画『アマデウス』でも、以前の記事でも取り上げましたが、この場面は重要なものとなっています。
歌手カヴァリエリ嬢は、モーツァルトをライバル視していたサリエリの愛した歌手でした。それを、モーツァルトは主役に抜擢してしまったのです。
しかもその歌は、当時の常識からは考えられないような、あきれるような派手な曲。音階練習のように、まるで花火のように上がったり下がったり。
サリエリは、モーツァルトがカヴァリエリと関係を持っていることを悟り、嫉妬にふるえます。
音楽のライバルというだけでなく、恋敵という要素を加えたわけです。
ただ、史実では、カヴァリエリ嬢は後にサリエリの愛人になります。当時のモーツァルトは婚約者コンスタンツェに夢中でしたし、カヴァリエリ嬢と関係があったとは思えません。
しかし、このオペラでのコンスタンツェ役への思い入れは、リアルのコンスタンツェに向けられたのか、カヴァリエリ嬢へなのか、考えさせられてしまいます。
なお、映画では、舞台に満足した皇帝ヨーゼフ2世が、モーツァルトに対し、『よかったけれど、ちょっと音符が多すぎた。それを直せばもっとよくなる』と言って、モーツァルトがムカッとして反論する場面があります。
これは史実を反映したもので、次のようなやりとりだったと伝えられています。
皇帝『しかし親愛なるモーツァルト君、この曲は美しいが、我々には音符が多すぎる。』
モーツァルト『いいえ陛下、音符は適量でございます。』
映画『アマデウス』よりコンスタンツェのアリア
トルコ大帝を尻に敷いたヨーロッパ女性
さて、女奴隷としてトルコの太守に売られたコンスタンツェは、太守の愛を拒否しつづけますが、史実では、同じような境遇でトルコ皇帝(スルタン)に売られたものの、逆にスルタンの愛を受け入れるどころか独占し、皇后にまで昇り詰めたヨーロッパ女性が実在したのです。
トルコではヒュッレム・スルタン、ヨーロッパではロクセラーナ(1502-1558)と呼ばれます。
相手は、オスマン・トルコ帝国第10代スルタンで、帝国の最盛期を築いたことで世界史に名高いスレイマン1世(1494-1566)です。
オスマン・トルコは14世紀に勃興し、周辺諸国を併呑、1453年には、メフメト2世が古代以来連綿と続いていた東ローマ帝国、すなわちビザンティン帝国を滅ぼし、その首都コンスタンティノープルをイスタンブールと改称して新たに首都とします。
そして、スレイマン1世の時代にはロードス島を攻略、聖ヨハネ騎士団を追い出して占領、プレヴェザの海戦ではヨーロッパ連合軍(ヴェネツィア、スペイン、ローマ教皇、ジェノヴァ、聖ヨハネ騎士団)を破って地中海の制海権を握りました。
さらに、ハンガリーのベオグラードを陥とし、1529年には第1次ウィーン包囲を行いました。
ウィーンを陥落させることはできませんでしたが、神聖ローマ帝国の帝都が包囲されたことは、全ヨーロッパを震撼させたのです。
スレイマン1世は〝大帝〟〝壮麗帝〟また法律を整備したことから〝立法帝〟と讃えられ、名君といわれています。
そんな大帝が、ひとりのヨーロッパ女性に操られていたとは、信じられるでしょうか?
ロクセラーナは、ポーランド王国の、今のウクライナにあたる地方で生まれたと言われています。
そして、異民族の略奪に遭い、奴隷としてイスタンブールに売られ、大宰相に買われてスルタンに献上されたのです。
スレイマン大帝は一目でロクセラーナを気に入りました。
そして子供が生まれると、ライバルの側室たちやその後ろ盾の有力者は次々と追放、処刑に追い込まれます。
その陰にはロクセラーナの陰謀があったといわれています。
当時、トルコの後宮の側室は、皇帝の男子はひとりしか産むことが許されず、男子を産んだ者は皇帝から遠ざけられたのですが、ロクセラーナは5人もの男子を産みました。
また長い間、代々のスルタンは正式な皇后を立てなかったのですが、スレイマン大帝はその慣習を破り、ロクセラーナを奴隷身分から解放する手続きをして、さらに正式な皇后としたのです。
一般人でさえ一夫多妻制が当たり前のトルコにあって、なんと皇帝との事実上の一夫一婦制を勝ち取ったのです。
そして、自分の子を次の皇帝にするために権謀術数の限りを尽くし、成功します。
トルコ人からの評判はすこぶる悪く、名君を惑わしたロシアの魔女、とささやかれましたが、スレイマン大帝はずっとロクセラーナを愛し続け、彼女は没するまでその権勢が衰えることはありませんでした。
また彼女は外交でも力を発揮したらしく、彼女とポーランド王との書簡が残っています。
彼女が生きている間、彼女の祖国ポーランドとオスマン・トルコは同盟関係を維持したのです。
ヨーロッパ諸国を脅かしたオスマン・トルコを操ったヨーロッパ女性。
この史実は、その後のヨーロッパ人の想像をかき立て、様々な芸術作品にも取り上げられました。
皇帝の寵愛を一身に受けたロクセラーナの姿は、太守セリムに愛されたコンスタンツェに重なるのです。
ハイドンのシンフォニー〝ラ・ロクスラーヌ〟
ハイドンのシンフォニー第63番 ハ長調には〝ラ・ロクスラーヌ〟という題がついていますが、それはロクセラーナのことにほかなりません。
このシンフォニーは、ハイドンがエステルハージ侯爵家に仕えていた頃の作で、それまでに作っていた曲をつぎはぎ流用して作った、いわゆるパスティッチョ交響曲です。
第1楽章は人形劇オペラ『月の世界』の序曲から流用され、第2楽章に『ラ・ロクスラーヌ』という題名がついています。
それは、今は失われた『ソリマン2世、あるいは3人のスルタンの妻』という劇の挿入音楽から取られたとされています。
ソリマン2世、というのはスレイマン1世のことで、当時の数え方では2世だったようです。
スルタンの妻、ということで、おそらくロクセラーナが主人公だったのでしょう。そのため、全体がその愛称で呼ばれているのです。
では最後に、そのハイドンのシンフォニーを聴きましょう。
F.J.Haydn : Symphony no.63 in C major, Hob.Ⅰ:63 “La Roxelane”
ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 イル・ジャルディーノ・アルモニコ
オペラ『月の世界』の序曲の転用ですが、序曲のオリジナルも残っています。序曲からトランペットとティンパニ、ファゴット1本が外され、フルートが加えられています。弦楽から始まり、同じフレーズを管楽器が繰り返して、力強く展開していきます。元のオペラ『月の世界』は、何とも魅力的なタイトルですが、あらすじは、結婚に反対する頑固な恋人の父に、望遠鏡でうその月の世界を見せたり、眠り薬を飲ませてにせの月の皇帝に会わせたりして、結婚を承諾させる、というものです。
第2楽章 アレグレット『ラ・ロクスラーヌ』
ふたつの主題をもつ変奏曲ですが、かなり古い筆者譜にすでにこのタイトルが記されています。タイトルには前述の説のほか、ザルツブルクから訪れた一座が演じた『サルタンの3人の妻』と、『花嫁ロクスラーヌ』という、ふたつの演劇に関係する、という説もあります。いずれも、どのような場面でこの曲が使われたのかは謎です。
第3楽章 メヌエット:アレグレット
オーボエが活躍するトリオを持つ、ハイドンらしい明快なメヌエットです。
第4楽章 フィナーレ:プレスティッシモ
流れるように元気なフィナーレです。名前がついていることもあり、ハイドン中期のシンフォニーの中では演奏の機会も比較的多い作品です。
動画もアントニーニ指揮、ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。
www.youtube.com
ヨーロッパとトルコのかかわりはとても興味深いテーマです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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