アリア、コンチェルト...音楽の饗宴は続く
前回に続き、1783年3月23日にウィーン・ブルク劇場で行われた、 オール・モーツァルト・プログラムのコンサートの後半です。
曲名の前の題は、モーツァルト自身が手紙に書いた紹介文です。
第4曲 バウムガルテンのために書いた場面の歌をアダムベルガー夫人が歌って
モーツァルト:レチタティーヴォとアリア『憐れな私よ、ここはどこ~ああ、語っているのは私ではないの』K.369
ハルトムート・ヘンヒェン指揮カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ管弦楽団
ソプラノ:クリスティアーネ・エルツェ Christiane Oelze
Hartmut Haenchen & Kammerorchester C.P.E. Bach
歌詞はメタスタージオのオペラ『エツィオ』から取られていますが、独立して作曲されたコンサート用アリアです。先のオペラ『クレタの王イドメネオ』を作曲したミュンヘン滞在の折、バイエルン選帝侯の愛人だったバウムガルテン伯爵夫人に献呈されたものです。ローマ皇帝に恋人を殺されたヒロインが錯乱して歌うアリアです。素人が歌うのを意識したのか、音域もあまり広くなく、技巧も控えめなアリアです。このコンサートでは、『後宮からの誘拐』でベルモンテを歌ったアダムベルガーの夫人が歌ったということです。
第5曲 私の最近のフィナルムジークの中の小さな協奏交響曲
モーツァルト『セレナード 第9番 ニ長調 K.320〝ポストホルン〟より第3楽章』
Mozart:Serenade no.9 in D major , K.320 “Posthorn”
演奏:マイケル・アレクサンザー・ウィレンズ指揮 ケルナー・アカデミー
Michael Alexander Willens & Die Kölner Akademie
第3楽章 コンチェルタンテ:アンダンテ・グラツィオーソ
ザルツブルク時代に書かれた有名な『ポストホルン・セレナード』の中の1楽章です。あの『ハフナー・セレナード』より後に書かれ、ザルツブルク時代の最後の大きな作品となりました。フィナルムジークとは、終幕音楽ということで、ザルツブルク大学の学生たちが、2年間の義務過程を修了したあと、感謝のために大司教や教授たちに捧げて演奏した音楽のことです。旅立つ学生もいたことから、郵便馬車のホルンの音が出てくる楽章があることからこの名がつきました。音楽が素人のはずの学生が、こんな本格的な演奏ができるなんて信じられませんが、当時は楽器演奏は知識階級の必須科目だったということでしょう。
モーツァルトがこのコンサートで取り上げたのは、第3楽章だけで、モーツァルトの言うように、これは小さな協奏交響曲になっていて、2本ずつのフルートとオーボエが競い合う、典雅な楽章です。同じく管楽器が活躍する第2曲のイドメネオのアリアといい、モーツァルトが自分を管楽器のうまい使い手としてもアピールしたい狙いがあるように思えます。
第6曲 私の演奏で、当地で好まれるニ長調のコンチェルトに変奏曲のロンドをつけて
モーツァルト『ピアノ協奏曲 第5番 ニ長調 K.175』 『ロンド ニ長調 K.382』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.5 in D major , K.175
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
John Eliot Gardiner , Malcolm Bilson & English Baroque Soloists
ベートーヴェンでピアノ・コンチェルト5番といえば最後の曲ですが、モーツァルトでは最初の曲になります。1番から4番は?というと、これは他人のソナタをコンチェルトに編曲したもので、いわば習作になります。17歳のときの作品ですが、ピアノ・コンチェルトは遅めのスタートだといえます。しかし、この曲は大人気となり、ミュンヘン・パリ旅行にも携えてきましたし、ここでもわざわざ〝当地で好まれる〟と書いています。ティンパニやトランペットを伴った堂々たる曲で、先に演奏された新作の第13番と並べても遜色はありません。むしろ、ああ、この曲知っている!と聴衆は喜んだかもしれません。モーツァルト自身も気に入っていて、何種かのカデンツァが残されています。今回は、ただ旧作を演るのでは芸がないと思ったのか、終楽章に新しくロンドを作曲しています。
第2楽章 アンダンテ・マ・ウン・ポコ・アダージョ
クラヴィーアが流れるような旋律を抒情豊かに奏でます。作曲当時はチェンバロで弾かれることも多かったかもしれません。実際、チェンバロによる録音もあります。
元気いっぱいの弦の高音から始まり、力強いオーケストラの間を玉を転がすように駆け回るピアノが絶妙で、興奮します。このコンサートでは、この楽章を省いて、次の新作のロンドに差し替えた、というのが定説で、後年の出版でもそのようになっています。しかし、モーツァルトの手紙には差し替えたとは書いてありません。この素敵なフィナーレをわざわざ省いたとは、私にはどうしても思えないのです。次のロンドはあまりフィナーレにはふさわしくありません。ロンドを含めて4楽章にすれば、バッハのブランデンブルク・コンチェルト 第1番と同じ構成となり、効果的です。そんな思いを込めて、第3楽章をここに入れておきました。
ロンド ニ長調 K.382
このコンサートのためにわざわざ書いたロンドです。幼稚園のお遊戯のような平易なテーマですが、これこそ、モーツァルトがウィーンの聴衆の好みに合わせたものです。また、平易なロンドの間のピアノは高度なテクニックを縦横無尽に使っており、このバランス感覚がモーツァルトならではです。対位法的な処理をした、第3楽章をこのロンドに取り替えたとすれば、モーツァルトはウィーンの聴衆のレベルは、マンハイムやミュンヘンなどの音楽都市に比べて低いと思っていた可能性があります。コンサートでは、まさに狙い通りウィーン人には大喝采で、アンコールされました。
第7曲 タイバー嬢の歌で、私のミラノの最後のオペラの中の『発とう、急いで』
モーツァルト:オペラ『ルーチョ・シッラ』K.135よりアリア『発とう、急いで』
レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ
ソプラノ:ジョディ・デヴォス Jodie Devos
このコンサートの中では一番古い曲で、16歳のときの作品です。若き日のモーツァルトは3度にわたって父レオポルトとイタリアに旅行し、大喝采を浴びます。音楽の本場での名声は、モーツァルトに明るい未来を約束したようにみえました。モーツァルトはイタリアでいくつかのオペラを上演しますが、これは最後の作品で、1772年にミラノで上演されたオペラ・セリアです。〝ルーチョ・シッラ〟とは、古代ローマの独裁官ルキウス・スッラのことです。モーツァルト父子は、特に、マリア・テレジアの四男でヨーゼフ2世の弟、ロンバルディア総督としてミラノに宮廷をかまえるフェルディナント大公に、宮廷音楽家として雇われることを期待して、オペラを上演し、アピールをしていました。実際にオペラは大評判で、大公もモーツァルトを雇用しようと思い、母帝にお伺いを立てます。これに対し、マリア・テレジアの返事ははっきりとNO!でした。大公宛の手紙を引用します。
あなたは若いザルツブルク人を自分のために雇うのを求めていますね。私にはどうしてだか分からないし、あなたが作曲家とか無用の人間を必要としているとは信じられません。けれど、もしこれがあなたを喜ばせることになるのなら、私は邪魔したくはないのです。あなたに無用な人間を養わないように、そして決してあなたのもとで働くようなこうした人たちに肩書など与えてはなりません。乞食のように世の中を渡り歩いているような人たちは、奉公人たちに悪影響を及ぼすことになります。彼はそのうえ大家族です。(1771年12月12日 マリア・テレジアよりフェルディナント大公宛)*1
母帝にここまで言われたら、それに逆らうことなどできません。乞食とはずいぶんな言われようですが、マリア・テレジアは決してモーツァルトを評価していないわけではなく、オペラ作曲の依頼もしています。しかし、仕事の発注をするのと、雇用して養うのは、女帝にとって全く別問題でした。経営者が正社員を雇うのではなく、非正規雇用やアウトソーシングで済ましたい、と考えるのと同じです。まして、数々の戦争を切り抜け、大帝国を統治した女傑ですから、まったく甘くありませんでした。マリア・テレジアは、後継ぎのヨーゼフ2世の甘さにも心配しつづけ、ふたりの間には、モーツァルト父子以上の確執があったのです。
ミラノ就職を目論んで全力を注いだオペラの歌が、今、それを拒んだ女帝の息子の前で演じられているわけです。モーツァルトは、音楽の本場イタリアでの華麗な実績を披露するためにこの曲を選びました。イタリア人をもうならせた、本場のオペラが書けることを示すために。歌うのは、『後宮からの誘拐』のブロンテを初演したタイバー嬢です。
第8曲の1 私の独奏で小さなフーガ(これは皇帝がいたから)
モーツァルト『ファンタジアとフーガ ハ長調 K394(383a)』よりフーガ
Mozart : Fantasia and Fuga in C major , K.394 (383a)
フーガ:アンダンテ・マエストーソ ハ長調
ピアノ:グレン・グールド Glenn Gould
ここから、モーツァルトのピアノ独奏コーナーとなり、彼は3曲弾きました。1曲目はフーガで〝これは皇帝がいるから〟とのことです。ヨーゼフ2世はフーガがお好みだったということでしょうか。以前触れたように、新妻コンスタンツェもフーガを作って、と夫にせがみ、何曲か手掛けますが、なぜか未完に終わっているものが多いのです。これは珍しく完成したもので、ヴァン・スヴィーテン男爵の邸でバッハ・ヘンデル体験をした成果といえます。ただし、このコンサートで弾いたものはどの曲か分かりません。即興だったという説もありますが、モーツァルトといえどもフーガには苦吟しているので、この曲だった可能性もあります。私の独断でここに掲げています。
第8曲の2『哲学者たち』というオペラの中のアリアによる変奏曲、これはアンコールされました
モーツァルト『パイジエッロのオペラ「哲学者気取り、または星占い師たち」の「主よ幸いあれ」による6つの変奏曲 へ長調 K.398 (416a)』
フォルテピアノ:クリスティアン・ベズイデンホウト
Fortepiano : Kristian Bezuidenhout
これは、当時の人気オペラ作家、パイジエッロのヒット曲をテーマにした変奏曲で、まったくの聴衆サービスです。パイジエッロは、ロッシーニの前に『セビリアの理髪師』をオペラにした作曲家で、以前の稿でも取り上げました。
www.classic-suganne.com
誰もが知っているポピュラーなメロディーを自在に展開していく変奏曲は、まさにピアニスト兼作曲家の腕の見せ所でした。コンサートでは即興で演奏され、これは後に楽譜起こしされたものなのですが、コンサートで演奏された通りかどうかは分かりません。
第8曲の3『メッカの巡礼』からアリア『愚民の思うは』の変奏曲
モーツァルト『グルックのジングシュピール「メッカの巡礼たち」のアリエッタ「愚民の思うは」による10の変奏曲 ト長調 K.455
フォルテピアノ:クリスティアン・ベズイデンホウト
ピアノ・ソロの3曲目は、グルックのオペラから取られています。このコンサートには老大家グルックも出席していましたので、大先輩に対するオマージュでもありました。グルックがモーツァルトを可愛がって、家に招待してくれたのは前述しましたが、このあと、またモーツァルトは食事に招かれています。グルックの『メッカの巡礼たち』は、1780年に上演された、トルコを舞台にしたドイツ語オペラのジングシュピールで、まさにモーツァルトが『後宮からの誘拐』のお手本にした作品でした。親しみやすいテーマは、ウィーンっ子たちがふだん口ずさんでいたものです。モーツァルトはこの曲も即興で演奏し、のちに楽譜起こしをして今に伝わっています。
第9曲 ランゲ夫人の歌で私の新しいロンド
モーツァルト『レチタティーヴォとロンド「わが憧れの希望よ!~ああ、あなたには苦しみがどんなには分からないでしょう」K.416』
レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ
ソプラノ:ジョディ・デヴォス Jodie Devos
いよいよ、メインディッシュの最後です。再び、ランゲ夫人アロイジアの登場です。このコンサートの前月に出来たばかりのコンサート用アリアです。モーツァルトは、かつて恋してやまなかった彼女の声を知り尽くしていますから、その良さを最大限発揮できる歌を作りました。歌詞は、前年のカーニバルでヴェネツィアのサン・ベネデット劇場で上演されたアンフォッシ作曲のオペラ『ゼミーラ』から取られています。モンゴルの王に、婚約者を、自分になびくよう説得せよ、と脅迫された主人公が、彼女の先行きを案じつつ身を引く場面で歌われます。アロイジアの得意とする高音域でのテクニックが存分に活かせるような曲に仕上げられています。
第10曲 この日最初にやったシンフォニーの終楽章
レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ
第4楽章 フィナーレ:プレスト
以上でメインプログラムは全て終了し、お開きの曲は、冒頭のハフナー・シンフォニーの最終楽章です。オスミンのアリアを思わせるこのフィナーレで、観客は『後宮からの誘拐』を思い出し、拍手喝采が鳴りやまなかったことでしょう。
以上で、3月23日のオール・モーツァルト・プログラムは幕となりました。
モーツァルト自身が書き残してくれたおかげで、当時の様子を生き生きとしのぶことができます。
プログラムも、これまで触れたように、これまでのモーツァルトの活動を集約して紹介するものであり、ウィーンっ子の期待に大いに自分が応えられることをアピールしたものでした。
ずいぶんと長いプログラムですが、皇帝ヨーゼフ2世は、慣例では途中で退出するのに、この日は最後まで席を離れなかったとのことです。
モーツァルトが、皇帝からのご祝儀が前金制ではなく、終わったあとだったらもっともらえたはずなのに、と嘆くのも無理はありません。
今のクラシック・コンサートとはかなり趣の違うプログラムですが、むしろ、現代のポピュラーミュージックのコンサートの方に共通点が見い出せるのではないでしょうか。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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