孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

パクッてないぞ!とベートーヴェン。『ピアノ三重奏曲 第4番 変ロ長調 作品11《街の歌》』

f:id:suganne:20210228175634j:plain

ヨーゼフ・ヴァイグル(1766~1846)

旅で成長したベートーヴェン

1796年夏、5ヵ月にわたり、プラハからベルリンに至る生涯で最初で最後の大旅行からウィーンに戻ってきた25歳のベートーヴェン

友人たちの目には、ひと回りもふた回りも大人になり、自信に満ち溢れて見えたといいます。

モーツァルトの〝旅は人を成長させる〟という信念の通りです。

そして、ますます盛んに作曲活動と演奏活動に打ち込みます。

この時期の作品は〝サロン向けの軽いもの〟と見なされがちですが、決してさにあらず。

確かに後年のベートーヴェンの作品と比べるとそんな印象も受けますが、常に保守層を驚かせ、眉を顰めさせてきた、野心作ばかりです。

しかし、大衆受け、という点も、ベートーヴェンは生涯、十分意識をしていました。

芸術性と娯楽性。

それは決して相容れないものではないのです。

今回取り上げる『ピアノ・トリオ 第4番 変ロ長調 作品11』も、当時かなり人気を博した曲で、そんなことを考えさせてくれるいい例です。

〝街の歌〟とは?

この曲は、クラリネットピアノチェロ、という変わった編成です。

弟子のチェルニーによれば、この曲は、あるクラリネット奏者に依頼されて作曲された、ということですが、特にクラリネットの特性を活かすような目的はなく、初版の楽譜にも、クラリネットのパートをヴァイオリンに置き換えた楽譜も付録としてついていました。

前回のピアノと管楽のための五重奏曲と同じように、クラリネットの無い家でも演奏できるように、という配慮です。

そのため、今でもこの曲はピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオとして演奏されることの方が多いです。

楽譜にはほとんど差異はありませんが、ヴァイオリン版にはわずかに重音奏法が用いられています。

また、この曲には〝街の歌〟というニックネームがついています。

ドイツ語で「ガッセンハウアー Gassenhauert」ですが、これは〝流行曲〟〝ちまたで流行っている曲〟というような意味です。

第3楽章の変奏曲のテーマが、当時人気のオペラの歌から取られていることによります。

そのオペラは、1797年10月5日にブルク劇場で上演された、ヨーゼフ・ヴァイグル(1766~1846)作曲のオペラ『海賊、または船乗りの愛』で、歌は劇中の三重唱『私が約束する前に』です。

ヴァイグルは、当時宮廷劇場の楽長を務めていました。

この歌はヒットし、ウィーンの街中で、よく歌われたのです。

モーツァルトの『フィガロの結婚』の『もう飛ぶまいぞこの蝶々』が、プラハの町で大ヒットし、人々が鼻歌や口笛で鳴らしたり、居酒屋で歌われたりしたのと同じ状況です。

ベートーヴェンは騙された?

ベートーヴェンは、そのようなテーマを変奏曲にすることはありましたが、ソナタなどのしっかりした作品の一部を構成する楽章として取り上げることは普通ありません。

それもそのはず、ベートーヴェンは知らなかったのです。

この旋律を元に曲を作ってほしい、とベートーヴェンに依頼したのは、クラリネット奏者のヨーゼフ・ベールという説と、出版社のアルタリアという説があります。

いずれにしても、これがヴァイグルの旋律だということを知ったとき、大いに怒ったということです。

チェルニーによれば、ベートーヴェンはこの最終楽章を書き直すつもりでいて、ついに果たさずにそのままになってしまった、ということです。

確かに他人の旋律をそのまま借用したような形になってしまい、ベートーヴェンとしてはプライドが許さなかったのでしょう。

でも、さすが当時のヒット・ソングだけあって、親しみやすく、楽しい曲になっています。

このテーマは、フンメルやパガニーニをはじめ、多くの作曲家が変奏曲のテーマとして利用しているのです。

初版の楽譜には『大三重奏曲 Grand Trio』と題され、モーツァルトハイドングルックの大後援者だったトゥーン伯爵夫人マリア・ヴィオヘルミーネに献呈されました。

それだけ気合を入れて書いた作品にケチがついてしまい、ベートーヴェンの怒りも理解できますが、人気の旋律が盛り込まれたこの曲自体もヒット曲となったのですから、皮肉な結果です。

ベートーヴェンピアノ三重奏曲 第4番 変ロ長調 作品11《街の歌》

Ludwig Van Beethoven:Piano Trio No.4 in B flat major, Op. 11 "Gassenhauer"

トリオ・オリゴ:アスコ・ヘイスカネン(クラリネット1800年モデルの複製)、ユッシ・セッパネン(チェロ:18世紀製)、ジェリー・ヤントネン(フォルテピアノ:1784年シュタイン製の複製)

Trio Origo : Asko Heiskanen (clarinet), Jussi Seppänen (cello), Jerry Jantunen (fortepiano)

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

不安定な半音階のユニゾンで3音駆け上がる開始には、面食らいます。ベートーヴェンがまたケッタイな曲を作ったぞ、と当時の人も思ったでしょうが、すぐに安定した分散和音で下って第1主題を形作ります。この第1主題は例によって徹底的に形を変えて随所に現れ、この曲の骨格を形作っています。その間、ピアノは華麗に走り回ります。そのピアノがやや唐突に落ち着いたニ長調のテーマを奏で、これが第2主題かと思いきや、真の第2主題はチェロのスタッカートに乗ってクラリネットヘ長調で朗々と歌います。そのあとは、3つの楽器の掛け合いが実に面白く、引き込まれていってしまいます。展開部は、さっきの疑似第2主題から静かに始まりますが、低音部には巧みに第1主題が重ねられています。再現部では、第1主題も第2主題も変ロ長調で再登場。コーダは短いですが、フォルテとピアノが劇的に交替し、力強いフォルテッシモでサッとおわります。

第2楽章 アダージョ

ピアノの伴奏で、チェロが落ち着いた上品な歌を歌いはじめます。次いでクラリネットが引き継ぎ、チェロが主役の座を譲りつつ、控えめに和します。続いてピアノも典雅に奏でます。中間部では、3つの楽器が一緒に深い海に潜ってゆくかのように神秘的な雰囲気を醸し出します。再現部では第1主題が素敵に変奏され、実に美しい時間となります。

第3楽章 アレグレット

ヴァイグルの〝流行曲〟のテーマが楽しくピアノで奏でられます。ベートーヴェンは他人のテーマを元にした変奏曲が得意で、たくさん作っていますが、変奏曲は最初から〝テーマは誰のどの曲〟と明示しますから、当時は確立はしていなかったものの、著作権的にも問題はなく、むしろ、他人の発想をまったく違う世界に持っていくという、自らの独創を示すことのできるジャンルでした。しかし、この曲のようなオリジナル作品に他人の旋律をそのまま借用するというのは、ベートーヴェンのプライドが許しませんでした。でも、これだけウィーンの巷で流行っていた歌を彼が知らなかった、というのも不思議ではあります。

しかし、出来上がった曲はさすが変奏曲の名手ベートーヴェン、見事なもので、誰もこれをパクリだとは思わなかったでしょう。

テーマと9つの変奏とコーダ、という構成です。第1変奏はピアノ独奏で華麗に、第2変奏はクラリネットとチェロだけで静かに展開されます。第3変奏はいよいよ3楽器で激しく情熱的に盛り上げます。第4変奏は短調に転じ、ピアノと両楽器との対話のようになります。「装飾変奏」ではなく、ベートーヴェンの「性格変奏」といえます。第5変奏は長調に戻り、フォルテッシモの華麗な演奏です。第6変奏は特徴的なリズムで点描のような趣です。第7変奏はまた短調となり、付点リズムの行進曲風で意表を突きます。第8変奏は長調に戻り、ピアノはスタッカート、クラリネットとチェロはレガートという対比を示します。最後の第9変奏はテーマをカノンに仕立て、ピアノがびっくりするくらい長いトリルを奏し、コーダに突入。各楽器が面白く掛け合い、盛り上げて終わります。ベートーヴェンはこの楽章を書き直したかったわけですが、人気曲をこんなに面白い変奏曲にしたわけですから、その意に反して、大衆に受けないわけがありませんでした。

 

第3楽章のテーマとなったヴァイグルの歌はこちらです。これが〝街の歌〟というわけです。なるほど、ウィーンの名物居酒屋、ホイリゲで歌われていそうです。

 

f:id:suganne:20210307134130j:plain

ホイリゲでのシュランメル音楽(19世紀)

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

AppleMusicで聴く


にほんブログ村


クラシックランキング