〝いびつな真珠〟の意味とは
芸術史上、特定の時代の、特徴あるスタイル(様式)には、名前がついていますが、〝バロック〟もそのひとつです。
建築でいえば、ヴェルサイユ宮殿がバロック様式の見本とされています。
バロックの語源は、ポルトガル語でいびつな真珠を指す〝バロッコ〟からきているというのが一般的な説です。
なぜいびつかというと、それまでのルネサンス芸術で大切にされた「均整」「均衡」「秩序」「調和」といった概念を破り、新たに現れてきた「奇抜」「不規則」「不完全」などの要素を蔑視して呼んだから、とされています。
この新しい芸術は、ルイ14世の絶対的権力を示すためにはぴったりでした。
人を驚かし、圧倒し、屈服させるための芸術。
そこでは均整とは逆の、インパクトやドラマチックさがモノを言ったのです。
〝バロック〟はそんな芸術を〝おおげさ〟〝グロテスク〟という風に評した言葉でした。
音楽で〝バロック音楽〟といえば、17世紀初頭にイタリアでオペラが生まれてから、1750年にJ.S. バッハが亡くなるまでの150年間の音楽を指します。
バロック音楽という川は、最初はイタリアから、そしてフランス、ドイツからも流れ始め、最後はバッハという大海に注いで終焉を迎えたのです。
フランス人はバロックとは言わない?
しかし、前述のように〝バロック〟という言葉にはネガティブなニュアンスがあるため、フランス人はこの時代の音楽を〝フランス・バロック音楽〟とは言わず、〝フランス古典音楽〟と呼びます。
確かに、古典古代ギリシャ・ローマの復活、模倣という基本コンセプトは、前代のルネサンスから引き継がれているので、それも正しい呼び方です。
ただ、以前も触れましたが、それだとハイドンやモーツァルトを〝古典派〟と呼ぶのも「?」になってしまいますが。
リュリが確立したフランス・オペラとは
さて、今ご紹介しているリュリは、まさに〝フランス・バロック川〟の源流といえます。
いずれは、管弦楽組曲という形で〝バッハ海〟に注ぎますが、太陽王の庇護のもと、フランスの音楽総監督として権力を振るいながら、イタリア・オペラとは異なる「フランス・オペラ」を確立しました。
劇そのものであるオペラは、まさに劇的なものを表現したバロック芸術の申し子といえます。
しかし、歌をどこまでも重視したイタリアと異なり、フランスではダンスが重視されました。
ルイ14世がダンス好きだった、ということもありますが、視覚的要素をフランス人は大事にしたのです。
また、優雅で繊細なフランス語は、イタリア語のように朗々と歌うには適しておらず、そのあたりもダンスが重視された原因かもしれません。
リュリは、イタリア様式のオペラはフランスでは好まれないことを悟り、アリアとレチタティーヴォを融合させて、フランス人好みに新しく「抒情悲劇 tragédie lyrique」を生み出したのです。
この時代のフランス・オペラは現在のバレエの要素が強く、舞台を観ずに、耳で聴くだけではその魅力を十分に味わえない、ということになります。
そのため、フランスのバロック・オペラはクラシックの中でもマイナーで、リュリのオペラなども、歴史的興味以外で聴く人は少なかったのです。
しかし、昨今は、優れた録音もどんどん出てきて、今回ご紹介するようなオーケストラ曲だけの抜粋演奏は、親しみやすく、目の前に絢爛豪華な宮殿が見えるようで、またダンス曲だけに、そのキレッキレのリズムにすっかり引き込まれてしまうのです。
実は、バッハの「管弦楽組曲」や「クラヴィーア組曲」も親しみやすく、使い勝手良くフランス音楽を楽しむために、バレエ曲の抜粋という形で作られているわけです。
太陽神の息子の切ない物語
今回取り上げるのはリュリのオペラ(抒情悲劇)『ファエトン』の抜粋組曲です。
このオペラは、ギリシャ神話の『パエトン』が題材です。
ギリシャ神話における太陽神は、ヘリオスとアポロンのふたりがいますが、ヘリオスは太陽そのもので、4頭立ての馬の牽く戦車で朝に空に昇り、昼は中空を翔け、夕に地平に沈んでいきます。
アポロンは太陽の理性的な力を具現した神で、芸能、芸術、予言などを司り、人間的な振る舞いをみせます。
しかし両者は時に習合、つまりは混同されて神話に出てきます。
この話の主人公パエトンは、ヘリオスまたはアポロンと人間の女性との子で、太陽神の子であることを自慢していましたが、友人たちに疑われたため、母の助言で、遥か東の果てに赴き、父神に会うことができ、戦車を操縦させて欲しいと頼みます。
父神は、はるばる自分を訪ねてきた息子の健気さから、1日だけ、という条件で手綱を渡します。
しかし、神馬の操縦など子供には到底できるものではなく、太陽は暴走し、地上に近づきすぎて方々に大火災を起こします。
このとき北アフリカは焼けて砂漠になり、エチオピア人は焼けて肌が黒くなった、とされています。
この事態を止めるために、大神ゼウスはやむなく雷でパエトンを撃ち落とします。
『パエトンの墜落』は古来多くの名画に描かれています。
大物大臣の失脚
リュリはこの神話を元にオペラを書いたわけですが、〝太陽王〟の宮廷でこのテーマを取り上げたのも意味があったと言われています。
それは、ルイ14世の治世初期に、大蔵大臣として絶大な権力を握ったニコラ・フーケ(1615-1680)の事件がからんでいるということです。
フーケは、マザラン枢機卿の信任からフランス王国の財務を一手に握り、相当な私腹を肥やして栄華を極めました。
親政を始めたルイ14世にとって目の上のたんこぶでしたが、大物だけになかなか手を出せず、あれこれチャンスを窺い、1661年に三銃士に出てくる銃士隊長ダルタニャンによって逮捕、3年の裁判ののち、終身刑に処せられ、1680年に死去しました。
リュリがこのオペラを上演したのは、フーケの裁判中の1663年。
王をしのぐ存在になったフーケの末路が、パエトンの墜落になぞらえて王の興として供したのがこのオペラ、というわけです。
トルコの使者から受けた屈辱をオペラで晴らそうとしたり、自分をしのぐ権力を握った大臣の失脚を揶揄したり、ルイ14世にとってオペラは政治に直結していたのです。
リュリ:抒情悲劇『ファエトン』(抜粋組曲)
J.B.Lully:Phaeton
演奏:ドミニク・キーファー指揮 カプリッチョ・バーゼル・バロック
Dominik Kiefer & Capriccio Basel Baroque
序曲
リュリの確立したフランス風序曲の中でも素晴らしいもののひとつです。まさに絢爛豪華な王朝絵巻の開幕ですが、冒頭の付点リズムの部分が3回も回帰するのが、バッハの管弦楽組曲にも取り入れられています。
トリトーンのプレリュード
ファゴットの独奏が印象的な前奏曲です。トリトーンは海の神ですが、パエトンのせいで海の一部も干上がり、その手下であるイルカやアザラシも死んでしまいます。
ロンドー
前曲に引き続き、管楽器の歌が楽しいロンドーです。
プレリュード
一転、悲劇を予感させる、哀調を含んだ重々しい前奏曲です。
ラ・プランタン
「春」を意味するダンスですが、どこか物憂げなニュアンスを含んでいます。
プレリュードーコーラスープレリュード
間にコーラスを挟んだ前奏曲ですが、このフルートの音色こそ、フランス・ヴェルサイユの音楽の真骨頂ともいえるものです。
復讐の三女神のアントレ
激しいダンスで、パエトンの不吉な末路を暗示します。
2番目のエール
ツンとすましたような気品あふれる歌です。〝エール〟はイタリア語の〝アリア〟に当たります。ここでは管楽器が声の代わりを務めます。
パエトンは、エジプトに赴き、自分の母親は女神イシスだ、と主張します。季節はパエトンの破滅に向かって進んでいきます。
宮廷ダンスの王者、メヌエットです。ここでもフルートが活躍します。
マーチ
キリっとした気高い行進曲です。
優雅な旋律が揺らぐように展開していく、本場のシャコンヌです。バッハやヘンデルの素晴らしいシャコンヌにつながっていく源流をみる思いがします。
なかなか馴染みの薄い時代の音楽ですが、これらの曲を知ってからバッハを聴くと、その偉大さがひとしお理解できるのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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