バッハという大海に注いだフランス音楽
ドイツ人の作ったフランス風序曲を、ヘンデル、テレマンと聴いてきましたが、最後は大バッハ、すなわちヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)の作品です。
ベートーヴェンは『バッハは、バッハでなくて、メーアという名であるべきだった。』という有名な言葉(というより洒落)を残していますが、それは〝バッハ〟がドイツ語で〝小川〟を、〝メーア〟は〝大海〟を表わしているからです。
これまで、フランス・ヴェルサイユ宮殿で花開いた〝フレンチ・バロック〟をベルばら音楽として時代順に聴いてきましたが、太陽王ルイ14世のお気に入りだったリュリを源流としたフランス風序曲が、ついにバッハという大海に注いだのです。
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バッハの管弦楽組曲(フランス風序曲)は、全部で次の4曲が残されています。
最もフランス様式に忠実な第1番 ハ短調、フルートの物悲しい響きで全曲中最も人気のある第2番 ロ短調、有名な〝G線上のアリア〟が含まれた第3番 ニ長調、ゲーテのお気に入りで野外的なスケールの第4番 ニ長調です。
昔は第5番まであったのですが、 後代の研究で長男フリーデマンの作ではないか、とされて外されています。
これらの管弦楽組曲は、イタリア風のブランデンブルク協奏曲と、バッハのオーケストラ音楽の双璧とされています。
まさにこの両者は、音楽の両大国の集大成といえます。
バッハのフランス体験はいつ?
では、ドイツから出たことのないバッハは、いつフランス音楽に触れたのでしょうか。
それは、いわば〝高校生時代〟ではないかといわれています。
バッハは15歳のとき、北ドイツのハンザ同盟都市リューネブルクの、聖ミカエル教会付属学校に、給付学生として入学します。
リューネブルクより南に80Km離れたところにツェレという町があり、そこの宮廷にはフランス人オーケストラが雇われていて、ヴェルサイユ直輸入のフランス音楽が鳴り響いていました。
バッハはおそらくそこに聴きに行ったのではないか、というわけです。
リューネブルク侯国の首都(宮廷)はツェレに置かれていましたので、十分ありうることです。
もちろん、フランス風序曲はヨーロッパ中の宮廷でスタンダードな曲目でしたから、バッハが演奏や楽譜で触れる機会はこれに留まらなかったことでしょう。
コーヒー・ハウスで響いた曲
しかし、これらの曲の初稿の自筆譜はひとつも残っていないのです。
バッハは、その最後のキャリアはライプツィヒ市の音楽監督、聖トーマス教会のカントルでしたが、教会の仕事とは別に、大学生による有志の音楽団体『コレギウム・ムジクム』の指揮者も務めていました。
『コレギウム・ムジクム』は、あのテレマンが創設した団体で、夏はグリンマ門の前のコーヒー・ガーデンで水曜の午後に、冬はツィンマーマンのコーヒー・ハウスで金曜の晩に、定期演奏会が開かれていました。
学生といっても、玄人はだしの腕前だったということです。
また、コーヒー・ハウスは18世紀にあっては、情報の集積地と発信地であり、〝文化のるつぼ〟といわれました。
コーヒーは、リュリの時代に、オスマン・トルコの尊大な使者がパリの街にもたらし、また、第2回ウィーン包囲に失敗したオスマン・トルゴ軍が敗走したあとに残されたコーヒー豆を使って、ウィーンにコーヒー店ができたことも、以前取り上げました。
ライプツィヒでも、コーヒーは大いにもてはやされていたのです。
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ドイツ市民たちが楽しんだ宮廷音楽
ここに集まる市民たちが、バッハの音楽を楽しみにしていました。
ライプツィヒでの公職は教会音楽家ですから、この時代のバッハの作品は宗教音楽が中心になりますが、この『コレギウム・ムジクム』では、肩の凝らない世俗音楽が演奏されます。
バッハが世俗音楽を盛んに作曲していたのは、音楽好きの主君、ケーテン侯に仕えていた頃でしたので、ライプツィヒ時代にここで演奏した曲は、ケーテン時代に作った旧作を多く取り上げました。
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バッハにしてみれば、田舎の宮廷で埋もれてしまう運命のかつての自信作を、大都会で再び広く世に問うことができるのですから、どれだけうれしかったことでしょう。
管弦楽組曲の楽譜はすべてこのライプツィヒ時代のものなのですが、どれが旧作で、どれが新作なのか、判別が難しくなっています。
おそらく、第1番と第4番が、オリジナルがケーテン時代で、第2番と第3番がライプツィヒ時代の新作なのではないか…?とされていますが、確たる証拠はまだ見つかっていません。
それでは、さっそく第1番から順番に聴いていきましょう!
演奏は、名曲だけに数々の名演があって、取り上げるのに迷いますが、それぞれ私の好みで選ばせていただきます。
第1番はパウル・ドンブレヒト指揮イル・フォンダメントの演奏ですが、こちらは4曲ともケーテン時代に作曲されたとして、初期稿を再現しています。
バッハ『管弦楽組曲(序曲) 第1番 ハ長調 BWV1066』
Johann Sebastian Bach:Ouverture no.1 C-dur BWV1066
演奏:パウル・ドンブレヒト指揮 イル・フォンダメント
Paul Dombrecht & Il Fondamento
第1楽章 序曲
この曲の編成はオーボエ2、ファゴット、弦楽と通奏低音ですので、トランペットやティンパニの入らない、室内的な編成です。4曲のうち最も古いのは確かなのですが、作曲年代の推測は、1718年から1725年と幅広くなっています。
スタイルとしては、伝統的なフランス風序曲に最も近く、典雅な中にも、しっとりとした落ち着きがあります。
始めの「緩(グラーヴェ)」は、ゆっくりと深呼吸をするように伸びやかで、魅了されない人はいないでしょう。リュリやラモーの序曲の形式に則っていますが、彼らの、王の権威を示すような気高さはなく、心の深奥に染み入るような音楽なのは、さすがバッハと言うほかありません。
続く「急(ヴィヴァーチェ)」は2分の2拍子の軽妙なフーガですが、オーボエとファゴトが、トゥッティに加わりつつ、時にはソロで活躍するのは、まさにイタリアのリトルネッロ形式にほかなりません。テレマンもターフェルムジークの序曲で同じ手法を多用していますので、ドイツ人が作ると、このように国際的になるというわけです。
フランス起源の、2拍子と3拍子が混じり合った舞曲です。序曲の興奮を冷ますようにゆったりと、拍子をゆらがせながら優雅に奏でます。管楽器は弦をなぞっています。メロディは、まるで何かを語りかけてくるかようです。
第3楽章 ガヴォット
管楽器が弦と重複する第1ガヴォットと、管楽器がソロとして活躍する中間部の第2ガヴォットから成ります。この中間部が、まさにトリオの原型となります。トリオの背後で弦が鳴らすファンファーレが印象的です。きびきびとしたリズムがまさにバッハらしい佳曲です。
第4楽章 フォルラーヌ
あまり聞き慣れない曲名ですが、北イタリアのヴェネツィアの踊りが起源とされます。颯爽としていて、天空を駆けるかのようです。2つのオーボエと第1ヴァイオリンがユニゾンで歌う背後で、さざ波のように寄せては返す低弦の動きが聴きどころです。
背筋の伸びるような、凛とした第1メヌエットと、管楽器が沈黙して弦のみで、スラー的な動きで渋く語る第2メヌエットが、第3楽章のガヴォットと対照的です。
ヘンデルの序曲でも出てきた、軽快で楽しい舞曲です。ここでも、第2ブーレーで木管のトリオが活躍します。
ブルターニュ地方が起源の舞曲で、メヌエットよりもやや速いテンポで元気よく展開していきますが、どこか哀調も帯びています。聴きどころはここでも第2パスピエで、メロディは第1パスピエの変奏になっており、その上にオーボエが乗るという凝った作りです。再び第1パスピエが回帰して全曲を締めくくります。
次回は第2番 ロ短調を聴きます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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