放蕩の権力者、リュリの最後
リュリ(1632-1687)は、ルイ14世の恩寵を一身に受け、フランスの音楽総監督として君臨しました。
王はリュリを数少ない親友と思っており、側近として貴族待遇にしていました。
リュリは自分の座を脅かしそうな音楽家の活動は、その絶大な権力を使って妨害したということです。
私生活も放蕩で、スキャンダルに満ち、男女を問わず関係を結ぶという噂が絶えませんでしたが、ある時、王の小姓、美少年のブリュネとの男色関係が王の耳に入ることになり、ついに不興を買ってしまいます。
そして、だんだん王から遠ざけられていく中、1687年に王の病気快癒祝いのための『テ・デウム』を演奏中、指揮をとっていた重い杖で足を傷つけてしまい、その傷が化膿、壊疽を起こして死んでしまうのです。
国家的な賛歌『テ・デウム』
『テ・デウム』は、カトリックの典礼で使われる讃美歌のひとつで、『Te deum laudamus 天主にまします御身をわれら讃え』で始まる、やや長文の感謝の賛歌です。
4世紀にミラノの司教、聖アンブロジウスが、弟子の聖アウグスティヌスに洗礼を与えたとき、霊感が降りてきて、ふたりで即興的に一句ずつ交互に歌ったものである、という伝説があります。
聖アンブロジウスは、ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教を国教にするのに一役買ったといわれています。
中世では『テ・デウム』は朝課(夜明けの祈り)で歌われてきましたが、この時代になると、その華やかな歌詞から、王宮での宗教行事に使われるようになりました。
神を讃える曲ながら、実質的には王の権力を誇示するのに使われたわけです。
リュリと同時代、あるいは後輩にあたる作曲家たちも、『テ・デウム』を作曲し、その華やかさを競っています。
今回は、ヴェルサイユを彩る音楽の〝華やかさ比べ〟をしてみましょう。
長いので、曲としては冒頭だけ取り上げます。
まずはリュリの作品です。
リュリ『テ・デウム』
J.B.Lully:Te Deum LWV55
演奏:ヴァンサン・デュメストル指揮 カペラ・クラコヴィエンシス、ル・ポエム・アルモニーク
Vincent Dumestre & Capella Cracoviensis, Le Poème Harmonique
気宇壮大なファンファーレではじまる大賛歌はどこまでも気高く、スキャンダルにまみれたリュリの人生を思うと、人間の行動と、生み出す芸術は無関係なのだ、と感じさせます。
彼自身の死をもたらした曲ですが、王の寵を取り戻そうと焦るあまりに、気合を入れ過ぎたのか…と思えます。
いずれにしても、フランス古典音楽を確立したリュリの功績は大きく、また〝フランス風〟の原点として、後のクラシック音楽に与えた影響ははかりしれないのです。
それでは、リュリの同時代の作曲家の『テ・デウム』を聴いていきます。
まずは、マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(1643-1704)です。
フランス盛期バロック音楽を代表する作曲家のひとりで、リュリと同時代人ですが、宮廷にはほとんど出入りしませんでした。
やはりリュリがいたために、近づけなかったのかもしれません。
貴族の楽長や、パリの教会、シャント・シャペルの楽長を務め、声楽曲を中心に数々の名曲を生み出しました。
日本ではあまり有名ではありませんが、『真夜中のミサ』など、欧米では愛されている作曲家です。
M.A.Charpentier:Te Deum H.146
演奏:ヴァンサン・デュメストル指揮 カペラ・クラコヴィエンシス、ル・ポエム・アルモニーク
Vincent Dumestre & Capella Cracoviensis, Le Poème Harmonique
プレリュード
単独で演奏されることも多い有名なプレリュードです。
轟くティンパニに続き、トランペットが華やかに、高らかにファンファーレを吹き鳴らします。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの放送で、毎年最初に奏でられます。
ド・ラランドの『テ・デウム』
ミシェル=リシャール・ド・ラランド(1657-1726)は、リュリの妨害に遭わず、その後輩格でルイ14世の宮廷音楽家として活躍しました。
(ラ・ラ・ランドとは違います!)
このテ・デウムのように華やかな音楽も多く作曲していますが、王室礼拝堂の楽長も務め、宗教曲に深い作品があります。
リュリとは一線を画したタイプの音楽を作れたので、太陽王に認められたのかもしれません。
ルイ14世は次から次へと愛人を代えたのは、これまで触れてきましたが、最後の愛人マントノン夫人(1635-1719)は信心深い人格者で、やりたい放題だった王は晩年に至り、この女性に大きな影響を受け、道徳や信仰に傾いていったのです。
王妃が亡くなった後、ルイ14世はマントノン夫人と秘密に再婚しました。
王族の出身ではなかったので王妃にはできませんでしたが、王はこの慎ましい女性の導きを必要としたのです。
ド・ラランドの音楽には、太陽王晩年の心境が窺えるような気がします。
ド・ラランド『テ・デウム』
Michel-Richard de Laland : Te Deum S.32
演奏:ヴァンサン・デュメストル指揮 アンサンブル・エデス、カペラ・クラコヴル・ポエム・アルモニーク
Vincent Dumestre & Ensemble Aedes, Le Poème Harmonique
戦勝や講和のお祝い曲として
このような華やかな『テ・デウム』のスタイルは諸国に広がり、戦勝や講和条約締結といった国家的祝典には欠かせない音楽になっていきました。
その例として、ヘンデルとハイドンの『テ・デウム』もここで取り上げておこうと思います。
いかに『テ・デウム』が派手な曲か、ということが分かります。
英国王、最後の出陣
1743年、オーストリア継承戦争に英国王ジョージ2世は自ら出陣し、大陸に渡りました。
そして、オーストリア軍と連合してフランス軍と戦いました。
戦場はドイツのデッティンゲン。
しかし、戦況は非常にまずく、ジョージ2世はフランス軍の名将ノアイユ公の巧みな策略にはまり、動きの取れない狭い土地に誘いこまれ、フランスの別動隊グラモン公が密かに先回りをしたのにも気づかず、まさしく袋のネズミになりました。
こちらから反撃できない川向うからも大砲をバンバン撃ち込まれるピンチ。
英国王が戦死か捕虜になるかもしれないという絶体絶命の危機を迎えます。
しかし、功を焦ったグラモン公が袋の中に突撃してきたので、フランス軍は味方に当たってしまうため大砲を撃てなくなり、英国軍は形勢逆転、勝利を収めることができました。
一説には、ジョージ2世の馬が大砲の音に驚いて、敵に向かって走り出したのを、兵士たちは王自ら突撃したのだと思って〝王に続け!〟となり、敵を破ったとのことです。
敵失や偶然でからくもつかんだ勝利でしたが、国王自ら敵を打ち破ったということで、英国民はお祭り騒ぎ。凱旋した王を英雄として迎えました。
そして、このデッティンゲンの戦いの勝利を祝うためにヘンデルが作曲したのが『デッティンゲン・テ・デウム』です。
英国王が自ら戦場に臨んだのは、史上これが最後となりました。
ヘンデル『デッティンゲン・テ・デウム』
G.F.Handel : Dettingen Te Deum
トレヴァー・ピノック、サイモン・プレストン指揮ウェストミンスター・アビー合唱団、イングリッシュ・コンサート
Trevor Pinnock, Simon Preston & Choir of Westminster Abbey, The English Concert
フランスの宮廷作曲家と同じように、ティンパニを伴った派手なファンファーレで始まります。
『テ・デウム』という曲の性格がイギリス、ドイツといった各国に広がっていたことがよく分かります。
この曲はヘンデルの中でも特に人気曲で、初演後も長く繰り返し演奏されたということです。
さらに時代は下がりますが、英国とフランスの戦いは〝第二次百年戦争〟といわれるほど断続的に続いていました。
フランス革命が起こり、ナポレオンが登場すると、さらに戦争は激化します。
1798年、ナポレオンは英国と植民地インドの連絡を断つべく、エジプトに遠征します。
当時、最強だった英国海軍の目をかすめての遠征でした。
ナポレオンはエジプトに上陸すると、ピラミッドの戦いで勝利を収め、さっそくに戦果を手にします。
一方、ナポレオンの行方を追っていた英国海軍のネルソン提督は、ナイル河口のアブキール湾に停泊していたフランス艦隊を奇襲し、これをさんざんに撃破します。
これが〝アブキールの戦い〟または〝ナイルの戦い〟といわれる海戦です。
向かうところ敵なしだったナポレオンの初の敗北で、オーストリアを始め、ナポレオンの脅威に脅かされていたヨーロッパ諸国はその勝利の報に沸き立ちました。
ナポレオンはこれしきで参ることはなかったのですが。
ネルソン提督は、戦勝後、英国に帰還する途上、アイゼンシュタットを訪ね、エステルハージ侯に大いに歓待されました。
そして、楽長ハイドンはネルソン提督のために『ネルソン・ミサ』と呼ばれるミサ曲と、『テ・デウム』を演奏しました。
ハイドンの時代になっても、『テ・デウム』は戦勝のときの祝いの曲だったのです。
J.Haydn : Te Deum in C major Hob.XXⅢe:2
トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート、合唱団
Trevor Pinnock & The English Concert, Choir
これが宗教曲?と思うような、世俗的なテイストに驚かされますが、元気がもらえるような、底抜けに明るい曲です。
ナポレオンとの死闘はまさにこれからなのですが、戦争に明け暮れた時代に、一勝一勝が平和につながってほしい、という人々の願い、希望が伝わってくるようです。
ネルソン提督の物語はまたあらためて触れたいと思っています。
ハイドンの後も、『テ・デウム』にはベルリオーズ、ブルックナーらが名曲を書いています。
『テ・デウム』は神への感謝をストレートに表した讃美歌として、仏教でいえば般若心経のように、ずっと親しまれ、人々の心の支えになってきたのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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