18世紀のフランスの政治、文化に絶対的権力を振るったルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人。
極度の好色家だった王の寵愛をつなぎとめるため、肉体的魅力に乏しいといわれていた夫人は、その方面は別の女たちにまかせつつ、フランス文化の振興や、王が苦手とした政治を補佐するなどして、その全幅の信頼を勝ち取っていました。
その努力を示すエピソードのひとつが、世界一高値のワイン『ロマネ・コンティ』をめぐる争いです。
ブルゴーニュに、2000年前から極上のワインを生み出す畑がありました。
その素晴らしさから、古代ローマ人によって〝ロマネ〟と名付けられたほどです。
太陽王ルイ14世も、持病に効くと信じて、毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを飲んでいたといわれています。
ルイ15世の時代に、その畑が競売にかけられることになりました。
ポンパドゥール夫人は、王に思う存分ロマネ・コンティを飲んでもらおうと、そのオークションに莫大な投資をしますが、僅差で、王族のコンティ公ルイ・フランソワ1世に競り負けてしまったのです。
そのため、後世、このワインには〝コンティ〟の名が冠せられることになりました。
もしポンパドゥール夫人が畑を競り落としていたら、〝ロマネ・ポンパドゥール〟と呼ばれることになったに違いありません。
そんなわけで、ロマネ・コンティは以後、コンティ公の館に招待されない限り、飲むことができなくなってしまいました。
軍功もあったコンティ公ですが、その経緯もあって、ポンパドゥール夫人にうとまれてヴェルサイユ宮殿に出入り禁止となりました。
そこで、自邸であるパリのタンプル宮殿にサロンを開き、貴族や文化人を集めて夜会や茶会を催しました。そこに招かれるのは大変な名誉とされたのです。
今や、ポンパドゥール夫人への抵抗勢力の牙城となったタンプル宮でふるまわれるロマネ・コンティ。
まさにこの銘醸ワインは政治の道具でもあったのです。〝飲むよりも語られることが多い〟といわれるゆえんです。
1763年、当時7歳のモーツァルトは、父レオポルトに連れられて、姉ナンネルとともに〝天才姉弟〟としてヨーロッパ興行の旅の途中、パリを訪れました。
パリでは〝神童(アンファン・プロディージュ)きたる!!〟と大変な話題となり、新聞も書き立てたので、モーツァルト一家は引っ張りダコとなって、あちこちの貴族の館に招かれました。
翌1764年の元旦には、ヴェルサイユ宮殿の新年の宴に招かれ、ルイ15世に謁見したほか、モーツァルトは王妃の側にずっといて話し相手になったり、ご馳走をもらったりしていました。
ちょうど、ラモーが80歳でその生涯を閉じる年のことです。
そんな中、タンプル宮殿のコンティ公のお茶会にも招かれ、クラヴサンを演奏している光景が、オリヴィエルによる大作『パリ、タンプル宮の四面鏡の間でのイギリス風茶会』、いわゆる『コンティ公のお茶会』という絵画に残されています。
画面左手で、クラヴサンを弾く天才少年モーツァルトに一同びっくりしている場面です。
後年、フランス革命のさなか、ヴァレンヌ逃亡から連れ戻されたルイ16世とマリー・アントワネット一家は、王権を停止され、タンプル宮の塔に幽閉されましたが、その壁には『コンティ公のお茶会』が掲げられていたといいます。
幼いモーツァルトは、パリでこの絵に描かれる前、ウィーンのシェーンブルン宮殿にマリア・テレジア一家を表敬訪問した際、つるつるした床で滑って転びました。
それを助け起こしてくれた1歳年上の皇女マリー・アントワネット(当時はマリア・アントニア)に、『お礼にお嫁さんにしてあげる』とマセたことを言ったのは有名な逸話です。
マリー・アントワネットがこの時そんなことを覚えていたかどうかは分かりませんが、どんな感慨でこの絵を見上げていたことでしょうか。
ラモーの味わい方
さて、奇跡のテロワール、ロマネ・コンティの畑を何としても手に入れたくて果たせなかったポンパドゥール夫人は、音楽ではラモーに傾倒し、オペラ座ではラモー以外の演目の上演を禁止したのは前回触れました。
文化、芸術の目利き、ポンパドゥール夫人が愛したラモーを、現代人はどのように味わったらよいでしょうか。
1本200万円といわれるロマネ・コンティはまず一生飲むことはできないでしょうが、ラモーは誰でも堪能できます。
ラモーの作曲したジャンルは限られていて、ほぼ、クラヴサン曲とオペラのふたつです。
ラモーのオペラではバレエが不可欠の要素なので、耳で聴くだけではなく、ダンスを目で見なければその真髄を味わったとはいえません。
しかし、現代の上演環境では、バロック・バレエのダンサーは世界でも限られているため、クラシック・バレエや現代舞踊に置き換えざるを得ないのが実情です。
また、ひとつひとつのオペラは長いため、鑑賞には時間も根気も必要です。
そこで当時でも、気軽にラモーの音楽を楽しむために、オペラは管弦楽組曲に編曲されていました。
ひとつにはその組曲を聴くという方法がありますが、ラモーの作曲した多くの名オペラから名曲を抜粋し、再編した素晴らしいアルバムがいくつかあります。
ラモーの魅力を凝縮した4枚をご紹介して、フランスバロックを聴いてきた一連の〝ベルばら音楽〟の締めくくりとしたいと思います。
まずは、ラモーのオペラの序曲だけを集めたアルバムです。
緩急のフランス風序曲の枠を超えたものもあり、どれも交響的な充実した曲です。
ラモーの時代には、すでにパリでもコンセール・スピリチュエルでゴセックらのシンフォニー(交響曲)が盛んに演奏され始めていましたが、ラモーは1曲もシンフォニーは作曲していません。
でも、序曲を並べて聴いてみると、そのシンフォニックな迫力は、まさに大交響曲といっていいでしょう。
ぜひ、無人島に持っていくとしたら、選びたい1枚です。
ルセ指揮 レ・タラン・リリク:ラモー『序曲集』
Jean-Philippe Rameau:Ouvertures
演奏:クリストフ・ルセ指揮 レ・タラン・リリク
Christophe Rousset & Les Talens Lyriques
『詩神ポリムニーの祭典』序曲
1745年、フォントノワの戦いの勝利を祝う催しのために、宮廷から依頼されたオペラ=バレの序曲です。
冒頭、ゆっくりと積み重なっていく不協和音(属和音の転回形)が、実に神秘的で、まさに和音の大家ラモーの真骨頂です。
初めて聴いたときは、そのあまりの現代的な響きに、18世紀の音楽とは信じられませんでした。
続いてトランペットがファンファーレを鳴り響かせ、戦いの勝利を告げ、音楽は最高潮に盛り上がります。
フォントノワの戦いは、1745年に行われたオーストリア継承戦争の中の局地戦で、ルイ15世が王太子ルイ・フェルディナンとともに出陣しました。
敵は、カンバーランド公率いる英国、オランダ、オーストリアの連合軍。
戦いの前夜にはルイ15世は、『百年戦争のポワティエの戦い以来、フランス王が王太子とともに戦いに臨んだことはなく、英国軍を打ち破った王もいない。余はその最初の王となる!』と張り切っていたといいます。
戦いが始まると、戦局は連合軍優勢に進み、フランス軍の司令官サックス伯は王父子に、危険なので後方に退がるよう伝令をやって促したのですが、王は『君を信じている』と聞かなかったとされています。
しかしこれは脚色で、実際には逆にサックス伯が、王が退がることによる士気の低下を恐れて、側近たちに撤退を許さなかったようです。
その効果もあって、ピンチもありましたが、なんとかフランス軍は勝利を収めることができたのです。
ヘンデルが勝利記念の曲を書いたデッティンゲンの戦いでは、英国王ジョージ2世が出陣して英国が勝利していますので、やはり王がいると将兵のモチベーションがまるで違うようです。
ルイ15世は出陣中、毎日のようにポンパドゥール夫人に手紙を書いています。女性たちの手前も勝たずにはいられなかったわけで、さぞご満悦だったことでしょう。
それにしてもオーストリア継承戦争は、一進一退の戦況の中で、面白いことに英国が勝つたびにヘンデルが、フランスが勝つたびにラモーが祝いの曲を依頼されていますから、戦争というよりスポーツ、サッカーのワールドカップか何かを思わせます。
当時の戦争は、もちろん血なまぐさいものではありましたが、一般人が無差別に巻き込まれた20世紀の総力戦と比べれば、軍人同士の戦いですから、そんな余裕もあったのでしょう。
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『優雅なインドの国々』序曲
すでに取り上げた、1735年初演のオペラ=バレです。冒頭の旋律が親しみやすいので、台本を書いたフェズリエの息子が『なんと楽しいことか、私の隣人がワインを飲むときは…』という歌詞をつけ、ラモー自身がそれを二重唱にして雑誌に発表したということです。
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『ザイス』序曲
1748年初演の、英雄的牧歌劇(パストラル=エロイック)です。
ティンパニのおどろおどろしい打撃から始まり、人を驚かせますが、天地創造のはじめ、混沌とした世界から、四大元素(空気、水、土、火)が生まれる様子を描写しています。急激な調性の変化が、これも現代的に響きます。
続く急速な後半部では、各元素がそれぞれ独自のテーマをもって展開していきます。
まさに、世界が生まれ出る輝かしさです。天空を舞うかのようなフルートにしびれます。
オペラのテーマは、空気の精ザイスと、羊飼いの娘ゼリディの恋の物語です。
『カストールとポリュックス』序曲
1737年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)で、当時から高い評価を得た名作です。
星座の双子座になった、ゼウスのふたりの息子の物語です。序曲から劇へと音楽上の関連づけがなされています。
『ナイス』序曲
1749年に初演された、オーストリア継承戦争の終結、アーヘンの和約を記念して制作された英雄的牧歌劇(パストラル=エロイック)です。
こちらも前回取り上げました。
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『プラテー、または嫉妬深いジュノー』序曲
1745年に初演された、音楽喜劇(コメディ・リリック)という、ラモー初挑戦の新ジャンルの曲です。
妻ヘラ(ジュノー)の嫉妬に困った大神ゼウス(ジュピター)が、妻の心を改めさせるため、沼の女王、プラテーを口説きます。
プラテーはとても醜く、カエルの姿で表されますが、自分はモテると思い込んでおり、滑稽な場面が続きます。
ヘラは、ゼウスがまた浮気をしてると思って、プラテーに飛びかかりますが、その容姿を見てビックリ。
ゼウスは、こんな醜い奴を俺が相手にするわけがないじゃないか、嫉妬するだけ無駄だよ、と妻をさとし、ヘラも笑って、ほんとにそうですわね、と仲直り、天に戻っていきます。
収まらないのは、夫婦の間を修復するだけに使われ、さんざん弄ばれ、侮辱されたプラテー。悪態をつきながら沼に戻っていきます。
それをみんなで笑いものにするという喜劇ですが、かわいそうでとても笑えません。
どうにも不思議なこの作品は、なんと王太子ルイ・フェルディナンとスペイン王女マリー・テレーズ・ラファエルとの婚約を祝う祝典で演じられたのです。
しかも、その王女は美しくない、という評判だったので、人々はどんな思いでこのオペラを観ていたことやら。
しかし、結婚後のふたりは仲睦まじかったということです。王太子は道楽者の父に似ず、まじめで敬虔な性格だったと伝わっています。
ところが、王太子妃は結婚1年後に出産がもとで亡くなってしまいました。
王太子は再婚しますが、ずっと最初の王妃のことが忘れられなかったと伝えられています。
『ヘベの祭典、またはオペラの才能』序曲
1739年初演のオペラ=バレです。最初のゆっくりした部分はなく、いきなり心躍るような速いパッセージで始まり、魅了されます。
台本作家のモンドルジュはアマチュアで〝その詩に曲をつけるくらいなら、新聞記事につけた方がマシだ〟と酷評されていましたが、ラモーの曲は素晴らしく、初演の年だけでもなんと約80回、ラモーの生前では200回も演奏される人気作となりました。
『優雅なインドの国々』でも活躍した青春の女神ヘベ(エベ)が、セーヌ川の岸辺で「詩」「音楽」「ダンス」という、フランス・オペラの三要素をそれぞれ楽しむ祭典を開く、という筋です。
このオーケストラの名前、「タレン・リリック」もこのタイトルから採られました。
『ゾロアストル』序曲
1749年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)ですが、はじめて序幕であるプロローグが廃止された作品で、よりドラマの筋に重きが置かれるようになりました。
主人公はゾロアスター教の教祖ゾロアスターで、教義である善悪の戦いのドラマです。
序曲の前半は、残酷な支配者によって抑圧された人々のうめきを表現し、後半はゾロアスターの善の力と、それにより解放された人々の喜びを表しています。
モーツァルトのオペラ『魔笛』のザラストロも同じキャラクターから派生しています。
『ダルダニュス』序曲
1739年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)です。ゼウスの息子ダルダニュスの恋を軸とした物語で、何度も改訂されながら100回以上も演じられた作品です。
フランス風序曲の形式ですが、厳格なリュリのスタイルからはかなり自由になり、スケールの大きさを感じる名曲です。
『遍歴の騎士』序曲
1760年初演の音楽喜劇(コメディ・リリック)、2作目です。ラモーの生前に上演された最後のオペラとなりました。
テーマはこれまでのように神話から採られたものではなく、中世のラ・フォンテーヌの物語による喜劇です。
しかし、オペラ座で喜劇はあまり受けなかったようで、15回で打ち切られ、『ダルダニュス』に差し替えとなりました。
序曲は3つの部分からなり、まず速い部分、そして遅いメヌエット、最後は陽気なエールという構成で、ひとつの組曲といえます。
『イポリートとアリシー』序曲
これまで取り上げてきました、1733年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)で、ラモー50歳のオペラ処女作です。
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『栄光の神殿』序曲
1745年初演のオペラ=バレで、『詩神ポリムニーの祭典』と同じく、フォントノワの戦いの勝利を祝うための作品です。
同年11月25日に、ヴェルサイユ宮殿のグランテュリ劇場で上演されました。
まさにタイトル通り、勝利者ルイ15世の栄光を讃えるべく、トランペット、ホルン、ティンパニがこれでもか、とばかりに華やかに盛り上げます。
ロイヤルボックスでご満悦の王とポンパドゥール夫人が目に浮かびます。
『愛の神の驚き』プロローグ〔アストレの帰還〕序曲
1748年初演のオペラ=バレで、ポンパドゥール夫人の個人的注文で作られた作品です。
夫人の住居に作られた舞台で、プロの歌手やダンサーではなく、宮廷の人々によって上演されたということですから、余興のようなものだったのでしょう。
そのせいか、学芸会のような素朴な趣きも感じられる楽しい曲です。
『愛の神の驚き』〔アドーニスの誘拐〕序曲
後の改作で加えられたアントレ『アドーニスの誘拐』の序曲です。
元気いっぱいの導入部分(できるだけ速く)から、悲劇的な趣きのアダージョに移り、最後は速度の指定はありませんが、広がりをもった壮大な音楽で締めくくられます。
『結婚の女神と愛の神の祭典』序曲
1747年初演のオペラ=バレです。
『プラテー』でその婚約を祝われた王太子ルイ・フェルディナンは、新妻をお産で亡くしてしまいましたので、ポーランド王兼ザクセン選帝侯の王女マリー=ジョゼフ・ド・サクスと再婚することになり、そのために急遽作られた作品です。
マリーは、ルイ16世、ルイ18世(プロヴァンス伯)、シャルル10世(アルトワ伯)を産むことになります。
もともと、『エジプトの神々』というタイトルで作曲されていましたが、転用されたのです。
ゆっくりした部分が終わると、オーボエとファゴットが華やかな名人芸を見せます。
『アカントとセフィーズ』序曲
1751年に初演された英雄的牧歌劇(パストラル=エロイック)です。
王太子ルイ・フェルディナンの初の男子、ブルゴーニュ公ルイの誕生を祝うために作曲されました。
この序曲には特に「国民の願い」というタイトルがつけられており、3部に分かれ、それぞれにも標題がつけられています。
第1部は「トスカーナ」で、ゆっくりと抒情的です。
第2部は「花火」で、大砲の発射音を表わす、と楽譜に指示があり、その通りにティンパニが打ち鳴らされます。ますで、チャイコフスキーの大序曲を予告するかのようです。
第3部は「ファンファーレ」で〝国王万歳〟という国民の叫びを模倣したリズムになっています。
後継ぎの男子が誕生し、ルイ王朝は安泰、という演出ですが、実際には長男と次男は夭折してしまいます。
王太子ルイ・フェルディナン自身も、王位に就くことなく、父ルイ15世に先立って亡くなってしまい、3男のルイ16世がいきなり王位を継ぐことになります。
ルイ16世は即位にあたって『何にも教えてもらっていないのに…』と嘆いたということですが、その後の悲劇はご承知の通りです。
このように、序曲を並べて聴いてみるだけで、50歳でオペラデビューしたラモーの精力的な創作活動に圧倒されます。
そして、ラモーの音楽は、ルイ王朝、ブルボン王家の慶事とともにあったことも分かります。
まもなく破滅を迎えるアンシャンレジーム(旧体制)の最後の輝き、ともいえるでしょう。
ラモー:序曲集
- アーティスト: レ・タラン・リリクルセ(クリストフ),ラモー,ルセ(クリストフ),レ・タラン・リリク
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2008/09/17
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