2人の息子と3人で演奏
前回まで、バッハの2台のチェンバロのためのコンチェルトを聴きましたが、今回はさらに1台増えて、3台のためのものです。
今残されているのは『ニ短調 BWV1063』と『ハ長調 BWV1064』の2曲です。
こちらも、2台のための作品と同様、ライプツィヒの大学生による音楽団体、コレギウム・ムジークムでの演奏のためにバッハが旧作を編曲し、演奏はバッハとそのふたりの息子、長男フリーデマン・バッハと、次男カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが担ったことが、ほぼ確実視されています。
2台の場合は、バッハとペアだったのがフリーデマンか、C.Ph.エマニュエルか分かりませんが、3台はこの3人だったのは間違いありません。
この作品が最初に出版されたのは19世紀も半ばとなっての1845年ですが、その初版の序文には『この作品の成り立ちは、おそらく、父が上の息子、W.フリーデマンとC.Ph.エマニュエルに、あらゆる種類の演奏に腕を磨く機会を与えようとした事情によっている』と書かれています。
この序文の情報源は、バッハの最初の伝記作家であるフォルケルと考えられ、彼は伝記作成にあたってバッハの息子たちに直接インタビューをしていますから、かなり信ぴょう性の高い話なのです。
『ニ短調 BWV1063』では、第1チェンバロがメインでリードしていき、第2、第3チェンバロはそれにからんで対等に対話を交わしていきますので、おそらく第1が父バッハ、第2、第3がふたりの息子だったのでしょう。
姉妹曲というべき『ハ長調 BWV1064』では、より3台は対等になりますが、それぞれにソロの見せ場が設けられ、第3楽章では、第1チェンバロが一番長く(34小節)、続いて第2(24小節)、第3(21小節)と短くなっていますから、それぞれ、父、長男、次男が受け持ったと考えられます。
原曲はどんな楽器だったのか
さて、これらの曲の原曲はどんなものだったのでしょうか。
いずれも完成度は高く、他の曲の焼き直しとはとても思えないのですが、チェンバロの低声部が通奏低音から独立していないなど、元はほかの旋律楽器のために作られたことが、様式上からも確実です。
しかし、『ニ短調 BWV1063』はかなり突っ込んだ改作が行われたようで、原曲の楽器を突き止めることは不可能となっています。
『ハ長調 BWV1064』は、前回取り上げた、『2台のヴァイオリンのためのコンチェルト ニ短調 BWV1043』が、『2台のチェンバロのためのコンチェルト ハ短調 BWV1062』に移調、編曲されたのと似た特徴がみられるため、原曲は『3台のヴァイオリンのためのコンチェルト ニ長調』だったと考えられています。
しかし、失われた原曲に後ろ髪を引かれる思いは捨てきれないものの、か細いチェンバロの音が、6本の手、30本の指によって、音のタペストリーを織りあげていくさまには、これ以上のものは望むべくもありません。
現代のコンサートホールでは、オーケストラの音に押されて、なかなか聴き取りづらいチェンバロですが、当時のコーヒーハウスの1室で3台が鳴らした音は、相当な迫力だったはずです。
1対1の〝対決〟のような2台のためのコンチェルトに対し、これらの曲は、3台のチェンバロがそれぞれの役割を果たしていく、素晴らしい〝協調〟の世界と言えます。
バッハ『3台のチェンバロのための協奏曲 ニ短調 BWV1063』
Johann Sebastian Bach:Konzert für Cembali und Streicher D-moll BWV1063
演奏:トレヴァー・ピノック指揮&チェンバロ、ケネス・ギルバート(チェンバロ)、ラルス・ウルリク・モールテンセン、イングリッシュ・コンサート
Trevor Pinnock, Kenneth Gilbert, Laus Ulrik Mortensen & The English Concert
第1楽章 テンポ指示なし
いきなりユニゾンで、ちょっと不気味なテーマで始まり、面食らいますが、その1本の太い紐は、みるみるほどけていき、3台のチェンバロと弦が変幻自在の世界を現出します。テーマは、凝った主題労作によって、複雑に展開していきます。第1チェンバロは優位に立ち、第2、第3チェンバロは沈黙して第1チェンバロのみがソロを奏でる場面もあります。しかし、第2、第3チェンバロがそれに続いて対話を重ねていき、まさに親子競演の観があります。
第1楽章以上に不気味なのが第2楽章です。ゆったりとした牧歌的なシチリアーナのテーマですが、なんと第1ヴァイオリンと3台のチェンバロがユニゾンなのです。いかにも気持ち悪いので、テーマはヴァイオリンにまかせ、チェンバロは通奏低音にまわるという形に「訂正」して演奏されることも少なくありません。しかしそうすると、第24小節で他の2つのチェンバロが16分音符を5つ加えないと構造上不完全になってしまう、という問題が発生します。この演奏でのトレヴァー・ピノックは、バッハの楽譜のまま演奏してみました。するとどうなったか。ピノックの言です。
それならばいっそ、スコアに忠実に演奏してみてはどうだろう。このやり方は、楽譜を眺めているだけではたしかにあまり有意義そうには見えなかったのだが、実践してみると、この上なく効果的であることが分かった。はじかれた弦の音と弓奏された弦の音が同時に響くことによって、まったく独特な、他に類例を見ない音色が生み出されたからである。しかもこの方法をとると、「訂正」稿のような声部間の大きなコントラストを避けることができる。従って、楽章の統一性も、よりよく保証されるのである。*1
同じ音でも、チェンバロの弦を〝はじく〟音と、ヴァイオリンの弦を〝こする〟音がブレンドされると、予想外の味わいが生まれた、ということです。やはり、バッハが間違ったり、誤って筆写されたりしたわけではなく、バッハの大いなる〝実験〟だったといえるでしょう。最後にはチェンバロがカデンツァ風に奏でたあと、不完全休止で終楽章につなげます。
どこか悪魔的な香りのするテーマが、フーガ的に展開していきますが、フーガをリトルネッロ形式に結び付けた斬新な構造です。冒頭のフーガは、第2ヴァイオリンと第2チェンバロのユニゾン、続いて第1ヴァイオリンと第1チェンバロ、そしてヴィオラと第3チェンバロが入っていきます。繰り返されるメインテーマの間に、時には3台のチェンバロがからみあい、時には第1チェンバロが華麗にソロを繰り広げ、最後まで手に汗を握るような緊張感あふれる展開となります。トゥッティのモノフォニーとフーガのポリフォニーが鮮やかに交替するのを聴くと、バッハがこの曲で狙った効果が分かる気がします。
3台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV1064
Johann Sebastian Bach:Konzert für Cembali und Streicher C-dur BWV1064
演奏:トレヴァー・ピノック指揮&チェンバロ、ケネス・ギルバート(チェンバロ)、ラルス・ウルリク・モールテンセン、イングリッシュ・コンサート
不気味なまでの緊張感にあふれた前曲とはうって変わって、明るい太陽の下にいるような、楽しく快活な曲です。3台のチェンバロは、コンチェルトらしく、スポットライトの当たったスターのような扱いで、3人組のアイドル・ユニットのショーを観ているかのようです。It's showtime!!
3台のチェンバロは、前述のように第1チェンバロの見せ場がやや多いものの、技術のレベルはほぼ同等で、息子たちの技量が相当上がってきたということがうかがえます。教育パパ、バッハの満足気な顔が浮かびます。
リトルネッロのテーマは、思わず体が動いてしまうようなウキウキするような楽しいリズムで、3台のチェンバロの息の合ったユニゾンで始まります。そして、展開するにつれ、チェンバロのリズミックな動きに、弦のメロディアスな流れが対照的に組み合わされ、音楽を盛り上げていきます。クライマックスでは、3台のチェンバロが1台ずつソロを披露し、そのカッコよさにしびれます。
バッハお得意の、バッソ・オスティナーソ(反復低音)の上に展開していく緩徐楽章ですが、低音は形を変えながら、弦や通奏低音、チェンバロの左手が受け継いでいきます。うっとりするようなチェンバロの右手の歌は、手の込んだ低音により、重層的な構造をもっているのです。この深みは、バッハならではといっていいでしょう。
天から下りてくるようなテーマがチェロと第3チェンバロの左手で始まり、すぐ第2ヴァイオリンと第2チェンバロの右手が加わり、さらにヴィオラと第3チェンバロの右手が対位旋律を奏します。まるで三重フーガのような複雑な構造が、リトルネッロ形式のコンチェルトに融合されているのです。前述のように、リトルネッロをはさんで、第3、第2、第1チェンバロの順で、ソロの見せ場が用意されています。クライマックスでは、弦が盛り上げた頂点で、3台のチェンバロが一体となり、その輝かしさに圧倒されます。最後には、3台のチェンバロがそれぞれ挨拶のようなパッセージを相次いで披露して終わります。まさに華麗なショーのフィナーレのようです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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