
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)
バッハの複数台のチェンバロのためのコンチェルトの最後は、なんと4台のチェンバロのための曲です。
バッハの曲の中でも、ひときわ奇曲といえるでしょう。
なぜ?どうして?という疑問がいくつも湧いてきます。
こちらも、ライプツィヒのコレギウム・ムジークムでの演奏のために作曲されましたが、まずは、4台ものチェンバロを揃えることができたのか?ということ。
バッハ、持っていたんです。チェンバロを何台も。
遺産目録には、大型チェンバロ4台、小型チェンバロ2台が記されているのです。
ツィンマーマンのコーヒーハウスに運ぶのは大変だったでしょうが…。
バッハは、複数のチェンバロのによる演奏効果を、これらで実験していたのです。
次に、4人もの奏者を集められたのか?ということ。
前回取り上げた3台のチェンバロのためのコンチェルトは、バッハとふたりの息子、長男フリーデマン・バッハと、次男カール・フィリップ・エマニュエル・バッハで弾きましたが、当時のバッハには優秀な弟子たちもいました。
ヨハン・ルートヴィヒ・クレプス、ヨハン・ゴットフリード・ベルンハルト・バッハの名が残されています。
当時のライプツィヒの音楽生活は、バッハとその仲間たちに彩られていたのです。贅沢この上ありません。
むしろ現代の方が、この曲を演奏するハードルが高いといえるでしょう。4台ものチェンバロとその奏者を集めるなんて、とても難しいことです。
ヴィヴァルディの人気曲をアレンジ
さて、この曲の原曲は、これまでの曲と違って、バッハのものではありません。
ほかならぬ、ヴィヴァルディ(1678-1741)の作品です。
それも、有名なコンチェルト集『調和の霊感(L’estro armonico レストロ・アルモニコ) 作品3』の中の1曲(第10番 ロ短調 RV580)です。
『調和の霊感 作品3』は、ヴィヴァルディ初の協奏曲集で、1711年にアムステルダムのE.ロジェから出版されました。
〝調和の霊感〟はちょっと分かりづらい訳ですが、〝ハーモニーのインスピレーション〟といったような意味です。
そのタイトルに込めたように、ヴィヴァルディの斬新で野心的な試みに満ちていて、あっという間にヨーロッパ中に広まり、〝Op.3〟は大人気を博しました。
コレッリの古典的完成の極致〝Op.6〟に続く、イタリア音楽の聖典となったのです。
ヴィヴァルディといえば『四季』ですが、それはもっと後の作品で、『和声と創意への試み Op.8』に含まれています。
バッハが若き日、ワイマール公の宮廷に仕えていた頃、オランダに留学していたエルンスト公子が帰ってきました。
公子は、当時、世界中の情報が集まるアムステルダムで、ヴィヴァルディを始めとする最先端のイタリア音楽に触れ、大いに刺激を受けて帰郷してきたのです。
そして、バッハに『調和の霊感』をオルガン曲に編曲するよう依頼しました。
この経験で、バッハはイタリア音楽に深く触れ、研究することができ、後の作曲に決定的な影響を受けたのです。
それから10数年後、バッハはこのライプツィヒの地で、ヴィヴァルディの編曲に取り組むことになりました。
ヴィヴァルディの原曲は、4つのヴァイオリンと1つのチェロのためのコンチェルトで、そのヴァイオリン・ソロを、バッハはそのまま4つのチェンバロに置き換えました。(ロ短調からイ短調に移調)
基本単旋律のヴァイオリンが、10本の指で弾くチェンバロになったのですから、メロディもハーモニーも、より複雑になりました。
弦楽パートにもかなり加筆を行いましたが、それでも、原曲の性格はほとんどそのまま残されています。
最後の謎は、なぜバッハは、自作ではなくヴィヴァルディの曲を編曲したのか?ということ。
単純に、同じ4つのソロ楽器のコンチェルトを作っていなかった、ということもあるでしょうが、あえて、当時のヒット曲をアレンジした、ということではないかと思います。
4つのチェンバロを使う、という冒険的な実験をするのに、誰もが知っている人気曲を使った方が、聴衆はその効果を実感しやすかったことでしょう。
実際、この曲の自筆譜は残されていませんが、筆写譜はたくさん残っているのです。それは、これがバッハの作品の中でも人気があったことを示しています。
では、原曲と聴き比べてながら聴いていきましょう。
バッハ『4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065』
Johann Sebastian Bach:Konzert für Cembali und Streicher A-moll BWV1065
演奏:トレヴァー・ピノック指揮&チェンバロ、ケネス・ギルバート(チェンバロ)、ラルス・ウルリク・モールテンセン、ニコラス・クレーマー、イングリッシュ・コンサート
Trevor Pinnock, Kenneth Gilbert, Laus Ulrik Mortensen, Nicholas Kraemer & The English Concert
第1楽章 テンポ指示なし
明らかにバッハのものではない、ストレートなテーマを、第1チェンバロが孤独に歌いはじめ、トゥッティが続きます。ヴィヴァルディの原曲は、ソロ楽器(コンチェルティーノ)が4つのヴァイオリンと1つのチェロ、合奏(リピエーノ)がヴィオラ2部にチェロと通奏低音ですが、バッハは独奏はチェンバロ4台とし、合奏にヴァイオリン2部、ヴィオラ、通奏低音としています。いずれにしてもソロの存在感が高く、トゥッティの部分は、ソロが加わるからこそ強弱の対比が成り立っているといえます。ヴィヴァルディの確立した活気あふれるリトルネッロ形式で、繰り返される力強いリズムに思わず体が動いてしまいます。4台のチェンバロが同時に演奏されるのはトゥッティの部分だけですが、ソロ部分を代わりばんこに受け継いでいくチェンバロの超絶技巧に圧倒されます。このコンチェルトでは、独奏と合奏の掛け合いと、独奏同士の掛け合いの、両方が同時に楽しめるというわけです。
原曲はこちらで、演奏は同じく、ピノック指揮イングリッシュ・コンサートです。
【原曲】ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』協奏曲 第10番 ロ短調 第1楽章 アレグロ
第2楽章 ラルゴ
これもバッハのオリジナルではありえない、直截的な和音で始まります。両端楽章のつなぎ、といった趣ですが、やがて、チェンバロたちが、ざわめくようなアルペジオ(分散和音)を奏で始めます。原曲のヴァイオリンも、異なった運弓法とアーティキュレーションで変化を富ませていますが、チェンバロ版ではそれがより神秘的に聞こえます。再び、冒頭の和音を再現し、劇的に最終楽章につなげます。
【原曲】ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』協奏曲 第10番 ロ短調 第2楽章 ラルゴ
テーマはトゥッティで示され、リズム、拍子はジーグのものです。ソロは、4台のチェンバロが、時には単独で、時には全員で、時にはペアで、エキサイティングに奏でます。そのテーマは、リトルネッロと関連が強く、第1楽章より一体感が増しています。その緻密さは原曲に由来するもので、バッハはヴィヴァルディのこのような斬新な構成に大いに刺激されて、この曲を取り上げることになったのでしょう。
【原曲】ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』協奏曲 第10番 ロ短調 第3楽章 アレグロ
ヴィヴァルディの原曲の動画はこちらです。
Vivaldi Concerto for 4 violins in B minor, RV 580 Il Giardino Armonico
管弦楽組曲(フランス風序曲)ではフランス音楽を、協奏曲ではイタリア音楽を、大胆に利用しつつ、自家薬籠中の物として独自の世界を作り出したバッハは、まさに偉大というほかありません。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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