ジャジャジャジャーンの謎
ベートーヴェンの交響曲 第6番 ヘ長調『田園』は、1808年12月22日、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演されましたが、ベートーヴェンといえば、というより、クラシックといえば、というくらいポピュラーな、交響曲 第5番 ハ短調〝運命〟も同じ演奏会のプログラムとして同時に初演されました。
今年、ベートーヴェンの生誕250周年を迎えるにあたって、あらためて聴き直してみようという人もおられると思うので、ここで取り上げてみたいと思います。
まず、〝運命〟という呼び名は、ベートーヴェン自身がつけたものでないことは知られていますが、そう呼んでいる国は日本くらいで、欧米ではそれほどポピュラーではありません。
それは、冒頭の有名なジャジャジャジャーン、いわゆる「運命動機」について、ベートーヴェンが〝運命が扉を叩く音だ〟と言ったという有名なエピソードに、捏造の疑いが濃いからです。
ベートーヴェンを没後、食い物にした大ウソつき
その話を記録しているのは、アントン・フェリクス・シンドラー(1795-1864)という人物、ただひとり。
彼は、1822年秋頃から晩年のベートーヴェンのところに出入りするようになり、自称〝無給の秘書〟として、その頃全聾、独身で病がちの作曲家の身の回りの世話や、マネージャー的役割をかってでていました。
ベートーヴェンにとっては、便利屋として役に立ったこともありましたが、あまり信用はされていなかったようです。
1825年には一度関係が悪化し、出入り禁止となりますが、後に舞い戻り、その死に立ち会って葬儀や墓地の手配もしています。
ベートーヴェンのところに出入りしていたのは都合、5年ほどでした。
しかし、彼はベートーヴェンの死後、大作曲家の秘書だったとして、その伝記を3度にわたって出版し、大いに金儲けをします。
ベートーヴェンは晩年、耳がまったく聞こえなくなった頃から、コミュニケーション手段として会話帳を使っていました。
ベートーヴェンの遺産は遺族に相続されたり、競売にかけられたりしましたが、会話帳に書かれているのは、ベートーヴェンの言葉ではなく、彼に話しかけた人たちの記録です。
そのため、価値はないと思われていたのをよいことに、シンドラーは400冊ほどあった会話帳を全部、勝手に持ち出し、自分のものにしてしまったのです。
そのうち、ベートーヴェンの名声が高まるにつれ、それを上手く利用することを思いつきました。
会話帳の余白に自分の言葉を書き入れれば、ベートーヴェンと親密な会話をしていたように見せかけることができるのです。
さらに、ベートーヴェンとの付き合いは5年程度だったのに、10年以上懇意にしているようにするため、自分と関係ない時期の会話帳を、あろうことか捨ててしまいました。
それは全体の半分くらいにあたるとされています。
残った会話帳はベルリン図書館に大金で売りつけ、年金までせしめたのですから、この人物は、ベートーヴェンとのわずかな出会いだけで、それを糧に一生食ったわけです。
そして、ベートーヴェンの伝記を3回にわたって出版しました。
その伝記は、ベートーヴェンを神聖化し、自分をそのまたとない友であるという風に演出するため、大いに改ざんした内容でした。
ベートーヴェンの本当の親友だったヴェーゲラーや、弟子のリース、ツェルニーたちからは抗議されたり無視されたりしましたが、名プロデューサーを自任していただけあって、その改ざんは手が込んでいて、多くの人々は信用してしまいました。
話を盛るくらいなら許せるのですが、全くの嘘八百も多かったのです。
こういう人はえてして長生きしますので、生前のベートーヴェンを知る人がいなくなるほどに、その嘘はエスカレートしていきました。
本職の作家であるロマン・ロラン(1866-1944)も、シンドラーの著作を全面的に信じて『ベートーヴェンの生涯』を著しましたので、ベートーヴェンの〝楽聖〟像は定着してしまったのです。
この話は、かげはら史帆著『ベートーヴェン捏造ー名プロデューサーは嘘をつくー』に興味深く取り上げられています。
同書から、ベートーヴェンがシンドラーについて他者への手紙に記していたコメントを引用します。
あのしょうもないろくでなしのシンドラー
(1823年8月19日付、弟ヨハン宛)
神のつくりたもうたこの世界でこれまでお目にかかったことがないくらいにしょうもない男
(1823年9月5日付、弟子リース宛)
シンドラーというこの押し付けがましい盲腸野郎は、あなたもヘッツェンドルフでお気づきだったでしょうが、もうずっと私には鼻つまみものなのです。
(1823年冬頃、劇作家フランツ・グリルパルツァー宛)
ベートーヴェンは、シンドラーが私利私欲から、下心たっぷりに自分に近づいてきたことをお見通しだったのです。
運命はドアを叩かない?
そのシンドラーは、ジャジャジャジャーンという「運命動機」について、次のように伝記に記しています。
作曲家はこの作品の深みを理解する手助けとなる言葉を与えてくれた。ある日、著者の前で第1楽章の楽譜の冒頭を指差して、「このようにして運命は扉を開くのだ」という言葉をもってこの作品の真髄を説明して見せた。
これを否定する史料もないのですが、これほど信用していなかった男に、ベートーヴェンが曲の真髄を語るはずがない、というのが今の主流の見方です。
しかし、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」に記されたように、ベートーヴェンが非情な運命に悩み苦しんだのはまぎれもない事実です。
音楽家にとって最も大事な器官である聴覚の病に襲われる。
それも音楽家としてのキャリアが軌道にのり、名声が高まりつつあった時期に。
それを、運命という招かれざる客が、ドアをドンドンと叩いて迫ってくるさまにたとえて、あの切迫感あふれるテーマを作曲したという話は、ストンと胸に落ちるストーリーです。
さすが、作り話の天才というほかありません。
小学生のときに読んだベートーヴェンの伝記にも書いてあったように思います。
では、「運命動機」は何を表しているのでしょうか。
弟子カール・ツェルニーは、『キアオジという鳥の鳴き声を模したのだ』とあっさり証言しています。
その鳥の鳴き声を聴いてみてください。
キアオジ(3)さえずり - Yellowhammer - Wild Bird - 野鳥 動画図鑑
英語ではイエロー・ハンマーと呼ばれており、伸ばすところなど、確かに「運命動機」そっくりに思えます。
「運命動機」は、ベートーヴェンがかなり若い頃から気に入っており、実際に10曲あまりに使われています。
代表的な曲にはピアノソナタ第18番、ピアノソナタ第23番『熱情』、ピアノ協奏曲第4番、弦楽四重奏曲第10番『ハープ』などがありますが、顕著なのは、ベートーヴェン27才、ウィーンで名ピアニストとして活躍していた1797年に出版した次の曲です。
演奏:エイミー・ハマン、サラ・ハマン(フォルテピアノ)
この明るい調子には、運命が扉を叩く、などというおどろおどろしさは皆無です。
むしろ、鳥の面白い鳴き声を鍵盤に移して楽しんでいる感じです。
ベートーヴェンは、ひとつのテーマで有機的に統一されたシンフォニーを創る、という画期的で新しい試みに、愛する自然から採ったこのお気に入りのテーマを、満を持して使った、と考えるのが自然と思われます。
この音楽に込められたものとは何か
とはいえ、この魂を揺さぶるような音楽が、単に鳥の鳴き声を模しただけのものではないことも明白です。
同時に初演された『田園』にストーリーがあるように、このシンフォニーにもなんらかのストーリーが込められていると考えられます。
その証としては、まず、シンプルな「運命動機」を、第1楽章で徹底的に展開したのみならず、後続の楽章でも用いていること。
さらに、第3楽章から第4楽章への移行も、『田園』のようにアタッカで途切れなく続いて演奏されますが、そこでも「運命動機」が使われています。
また、第4楽章の中で、第3楽章が回帰する部分があります。
この手法は『第九』でも使われますが、それまでのシンフォニーでは各楽章は独立し、むしろその対比の妙がハイドンやモーツァルトの目指した真髄であって、ほかの楽章のテーマを混ぜこぜに入れ込むなど考えられませんでした。
しかし、オペラやオラトリオなど、ストーリーがある作品であればありえたので、ベートーヴェンはシンフォニーに物語性を盛り込むという、革新的な試みをしたということは、十分考えられます。
では、そのストーリーとは何か。
悲壮極まりない第1楽章。
穏やかな諦念と、思い直したようなファンファーレが交錯する第2楽章。
不気味な地下のうごめきから抜け出すかのような行進曲の第3楽章。
そして、天が開き、輝かしい光に包まれる第4楽章。
ここには、やはりベートーヴェンの信条が反映されていると考えられます。
それはベートーヴェンは誰にも語っていませんので(もちろんシンドラーにも)、彼の言行から察するしかありませんが、作曲から7年後、1815年にパトロンのエルデーディ伯爵夫人への手紙に語られている有名な言葉があります。
無限の霊魂をもちながら有限の存在であるわれわれは、ひたすら悩みのために、そしてまた歓喜のために生まれてきているのです。また、優れた人々は苦悩を突きぬけて歓喜をかち得るのだ、と言っても間違いないでしょう。*1
〝苦悩を乗り越えて歓喜に至る〟
これこそが第5シンフォニーに込められたストーリーだと、多くの人が考えており、それが妥当と思われます。
ベートーヴェンの歓喜への思いはさらに高まり、『第9』で全人類に呼びかけるまでになるのです。
では、〝運命〟という愛称が不適切か、というと、そうも言い切れません。
ベートーヴェンは晩年の一時期、日記をつけていましたが、そこには自分の言葉よりも、古今の人の名言や箴言が多く記されています。
そこには「運命」という言葉が入った句が度々書きつけられていますので、ベートーヴェンがその言葉に特別な意味を感じていたのは間違いありません。
過酷な運命に立ち向かい、それに勝利するという、この曲を聴いた人が誰しも受け取る強烈なメッセージは、シンドラーの語るエピソードが妄想だったとしても、揺るぎはしないのです。
では、超有名な第1楽章から古楽器演奏で聴いていきましょう。
Ludwig Van Beethoven:Symphony no.5 in C minor, Op.67
演奏:ホルディ・サヴァル指揮 ル・コンセール・ナシオン(古楽器使用)
Jordi Savall & Le Consert des Nations
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
冒頭の有名なジャジャジャジャーンというテーマ(運命動機)は、いきなり全ての弦とクラリネットのユニゾンで提示されます。4音から成るテーマの、2回目の最後の「ニ」音は、2分音符がタイされた最後にフェルマータされるので、5小節という不規則な構造になっています。この立ちすくむようなフェルマータには深い絶望感を与えられます。
その後はこのテーマが焦燥感を高めつつ展開されていきますが、実質的には同音連打ですから、リズム動機とも言われます。有名なホルン信号のあと、ヴァイオリンが第2主題を奏しますが、それはどこまでも穏やかで、第1主題との対比は鮮烈そのもの。やがてそこから輝かしくのぼりつめていく盛り上がりを初めて聞いたときの興奮は、今でも忘れません。
提示部が2回繰り返されたあと突入する展開部は、運命動機を中心に、焦燥感と激烈さを加えて、手に汗握るように進んでいきますが、だんだんと息切れしていくさまは、人生という闘いに負けそうになる人間の弱さを思わずにはいられません。そして、その弱さは、オーボエの絶望的な独奏カデンツァで、驚くほど赤裸々にさらけ出されます。
ほとんど降伏、というオーボエの音に、さらに運命動機が追い打ちをかけていきます。
再現部の導入となるホルン信号は、当時のホルンでは演奏できなかったので、ファゴットが担当します。ベートーヴェンは本来だったらホルンでやりたかったはず、という考え方で、現代のオーケストラではホルンに演奏させている例もありますが、ベートーヴェンの楽譜に従うならファゴットです。クリストファー・ホグウッドは折衷案で、最後の1音だけホルンにしていますが、それはちょっと不自然に思えます。
締めくくりに向けて、音楽は力強さを増していきますが、それは、人間の力の及ばない運命との闘いというより、自分の心の中の葛藤を現わしているように感じます。
ベートーヴェンはこの曲には、例のシンドラーの眉唾のエピソード以外、特に論評をしていませんが、ほぼ同時に書かれた『田園』に対する見解、〝自然の描写というより感情の表出〟はこの曲にも当てはまるように、私には思えるのです。
全く人智の及ばない〝運命〟との闘いというより、自らの心が織りなす感情の表出。
私はそんなふうにこのシンフォニーをとらえて聴いています。
動画は、古楽器の巨匠ジョン・エリオット・ガーディナーの演奏です。彼の手兵はイングリッシュ・バロック・ソロイスツですが、ベートーヴェン以降ロマン派の曲を演奏するときは、オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティックを使います。若き日に来日したときに彼のベートーヴェンを聴きました。お互い老いましたが、演奏は円熟味を増しています。
Beethoven Symphony No 5 C minor John Eliot Gardiner Orchestre Revolutionnaire et Romantique 2016
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村
クラシックランキング