当時流行した〝自然描写音楽〟
前回まで、ベートーヴェンの交響曲 第6番 ヘ長調『田園』を聴きましたが、この不朽の名曲のテーマは、ベートーヴェンのオリジナルではなく、〝元ネタ〟があることにも触れました。
今回はその曲を聴いてみます。
ベートーヴェンは自然をこよなく愛し、夏には街の喧噪を離れ、郊外の田舎に家を借りて作曲をしました。
そこで生まれた『田園』は、まさにベートーヴェンの独創に思えます。
しかし、自然を音楽で描写した作品は、当時わりとありふれた、流行りのものだったのです。
18世紀後半、啓蒙思想の時代は、ジャン=ジャック・ルソーが〝自然に帰れ〟と唱えるなど、自然の良さが見直された時代でもありました。
教会に支配され、人間は罪深い存在だとされて抑圧された中世から、人間らしさを見直そうと始まった15世紀のルネサンス。
それから数世紀が経ち、神ならぬ人間の知恵によって科学、産業が発展しましたが、逆に人間の欲から悲惨な戦争が増え、人の心は荒廃し、都市にも農村にも社会的矛盾が満ちたのが18世紀でした。
その中で、貴族の中にも田園での生活に憧れる者が出てきました。
フランス王妃マリー・アントワネットさえも、田舎暮らしに憧れてプチ・トリアノンに「王妃の村里」を造って〝ロハスな暮らし〟を楽しみました。
ただしそれには莫大な国家予算がつぎ込まれたため、フランス革命の直接的な原因のひとつになりましたが。
さらに産業革命が進んだ19世紀には、都会がいよいよ公害が人口増で住みにくくなり、世紀末には英国人ハワードにより「田園都市構想」が提唱されます。
日本でも、小林一三による阪急沿線の開発がその初の実践となり、続く渋沢栄一による東京での田園都市開発が、現在の東急多摩田園都市へとつながっていきます。
いずれも、18世紀後半から始まった田園生活への憧れの延長にあるといってもよいでしょう。
クネヒトの大交響曲とは
自然を描写した音楽がいくつも作曲されましたが、中でも当時人気を博したのが、今回取り上げるクネヒトの『音楽による自然の描写 または 大交響曲』ト長調です。
ユスティン・ハインリヒ・クネヒト(1752-1817)は、ベートーヴェンの18才年上で、ドイツ南部の自由都市ビーベラハ・アン・デア・リス出身の作曲家、オルガニストで、音楽理論家でもありました。
ドイツ語オペラであるジングシュピール作曲家として人気で、『ドン・ジュアン』『後宮からの誘拐』など、モーツァルトと同じ題材でも作曲しています。
本職としては地元の聖マルティン教会のオルガニストであり、音楽学校で音楽理論や音響学の教鞭をとっており、シュトゥットガルトの楽長を目指して叶わないなど、職歴としては地道でした。
劇作品のほか、オルガン曲、声楽から室内楽まで幅広く作曲しましたが、現在演奏されるのは、ベートーヴェンとのからみでほとんどこの曲だけです。
この曲の成立は古く、1780年ということで、モーツァルトがザルツブルク大司教のもとを飛び出してウィーンにデビューする前年。
ベートーヴェンはわずか10才のときです。
ベートーヴェンがこの曲を知っていたという直接の証拠はありませんが、この曲が出版されたシュパイヤーの出版社ボスラーから、3年後の1783年に13才のベートーヴェンは『選帝侯ソナタ』を出版していますから、知らないということは考えにくいです。
全5楽章からなっているのも『田園』と同じですが、曲の内容からすると、そこはベートーヴェンは特に意識していないと思われます。
それぞれの楽章には、次のような、けっこう長い、解説的な標題が付せられています。
第1楽章『ある美しい田舎。そこでは太陽が輝き、穏やかな西風がそよいで、小川のせせらぎが谷を下ってゆく。鳥のさえずりが聞こえ、渓流が音を立てる。羊飼いが笛を吹くと、羊たちは跳ね回り、娘たちは愛らしい歌声を響かせる』
第2楽章『突然空が暗くなり、あたりの自然は不安に息をのむ。黒雲が集まり、風が吹きはじめ、雷が鳴り響いて、嵐がゆっくりと近づいてくる。』
第3楽章『轟々と鳴る風を伴う嵐がやってくる。雨は叩きつけ、木々の梢はざわめき、水は恐ろしい音を立てながら、激流となって流れていく。』
第4楽章『嵐は次第に収まり、雲が切れて、空が明るさを取り戻す。』
第5楽章『自然は喜びに満たされ、天に向かって声を上げ、愛らしく快い歌で創造主に感謝を捧げる。』
『田園』と比べると、農民たちの踊りはありませんが、田園風景の素晴らしさや小川の情景、雷雨の襲来、嵐が去ったあとの感謝の歌と、ほぼ同じストーリーになっており、音楽的にもベートーヴェンがヒントにしたと思われるフレーズが見受けられます。
クネヒトは、後年1794年にも『雷雨によって妨げられた牧人の喜びのとき』というオルガン曲を作曲していますが、それはフォーグラー(1749-1814)の『雷雨で中断されたラインの舟遊び』に基づいて書かれました。
フライシュッテットラー(1768-1841)やクレメンティ(1752-1832)も自然描写の音楽を作曲しており、当時の流行だったことがうかがえます。
このような曲の存在を知ると、少なからずショックを受けます。
モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』も、前年にヴェネツィアでヒットしたガッツァニーガという作曲家の同名の作品を元ネタにしています。
これを聴いたときの衝撃は忘れられません。
もちろん、曲の深みはモーツァルトに及ばないのですが、場面場面の曲想、雰囲気はそっくりで、モーツァルトはこれをさらにアップグレードしようとしたのか、と目から鱗が落ちる思いでした。
バロック期、ヘンデルやバッハが他人や自分の作品をパロディにした例をたくさん見てきましたが、さらに時代が下ってもその手法はずっと残っているのです。
それは今も、他の人が作ったものにインスピレーションを与えられる例は芸術に限らず多々あることです。
商品なども、どこかでヒットが出れば、ライバル会社が競ってさらに工夫を加えたものを開発します。
単なる模倣は著作権や特許、商標登録で制限されるものの、独自性が認められるものも多々あります。
まさにベートーヴェンの『田園』は、クネヒトの曲にインスパイアされた作品なのです。
そして、決して〝二番煎じ〟ではない、ということを強調しようとして、しつこいほどに『単なる自然の描写ではなく、感情の表出である』、と言い続けたのです。
指揮者なしの演奏
演奏は、ベートーヴェンの生誕250周年を記念して、ベルリン古楽アカデミーが『田園』とカップリングして今年発売した新譜です。
前回ご紹介したハーゼルベックの試みと同じように、ベートーヴェン当時の演奏を再現するべく、小さなホールの響きを理想とし、弦楽器の数を減らして少人数編成としています。
ベートーヴェンのパトロンのひとり、ロプコヴィッツ侯爵の私設オーケストラの運営に使われた会計書類の分析などで、人数が推測できたといいます。
初演当時の慣習に従い、指揮者は置かず、コンサートマスターを中心にコンタクトをとりながら演奏していますが、そのためにヴァイオリン群は左手に、管楽器は当時のハルモニームジークと同じ並べ方で右手に、チェロとヴィオラは中央、コントラバスはやや後方、トロンボーン、トランペット、ティンパニの横に置かれました。
これによって、楽員はお互いのコンタクトが取りやすくなったとのことです。
当時の演奏風景が描かれた絵では、楽器の配置は様々なので、当時も決まったパターンなどはなく、場所や機会に合わせてこのように工夫をしていたと考えられます。
これだけの大曲ではこのような室内楽的なアプローチはこれがギリギリでしょう。
専門の指揮者が必要になったのは、さらに編成が大きくなってからのことでした。
一緒に収録されている『田園』ともぜひ、聴き比べてみてください。
クネヒト:『音楽による自然の描写 または 大交響曲』ト長調
Justin Heinrich Knecht:Le portrait musical de la nature, ou Grande sinfonie
演奏:ベルリン古楽アカデミー、ベルンハルト・フォルク(コンサートマスター)
Akademie für Alte Musik Berlin
第1楽章 アレグレットーアンダンテ・パストラーレーアレグレットーヴィラネッラ・グラツィオーソ(ウン・ポコ・アダージョ)ーアレグレット
『ある美しい田舎。そこでは太陽が輝き、穏やかな西風がそよいで、小川のせせらぎが谷を下ってゆく。鳥のさえずりが聞こえ、渓流が音を立てる。羊飼いが笛を吹くと、羊たちは跳ね回り、娘たちは愛らしい歌声を響かせる』
のどかな田園風景が目の前に広がるかのような素敵な音楽です。鳥のさえずりは、ベートーヴェンの『田園』にも出てくるそっくりのフレーズです。フルートがカッコウの声を奏でますが、『田園』のようには目立たず、自然に溶け込んでいます。弦の16分音符の連なりが、小川の流れを表します。ベートーヴェンは、この楽章の情景を、第1楽章と第2楽章に分けたと思われます。 途中、テンポが変わり、羊飼いの楽し気な笛と、跳ね回る子羊たちが表現されます。冒頭のアレグレットが戻ってきたあと、可愛らしいコケティッシュなフレーズが出てきますが、羊飼いの娘たちの玉を転がすような歌声です。最後のアレグレットは、さらに冒頭の主題に装飾を加え、幸せな気分を盛り上げていきます。提示、再現といったソナタ形式ではなく、冒頭のアレグレットを3回出してきて、間に特徴的な情景をサンドイッチするという、ロンドのような形をとっています。
第2楽章 アレグレット・テンポ・メデモ
『突然空が暗くなり、あたりの自然は不安に息をのむ。黒雲が集まり、風が吹きはじめ、雷が鳴り響いて、嵐がゆっくりと近づいてくる。』
第1楽章のメインテーマの楽想が受け継がれますが、短調への転調を重ね、不安と近づいてくる雷を表現します。突然緊張感あふれる中断があり、万物が不安の極みに戦慄しています。やがて、不吉な低弦の8分音符が集まる黒雲を表します。
『轟々と鳴る風を伴う嵐がやってくる。雨は叩きつけ、木々の梢はざわめき、水は恐ろしい音を立てながら、激流となって流れていく。』
いよいよ嵐の襲来ですが、前楽章からアタッカでそのまま続けて演奏されます。意外なことに明るい長調で、ティンパニとトランペットの雷鳴、豪雨と激流を表して上行、下行と縦横無尽に駆け回る弦が、華やかでエキサイティングでさえあります。これが『田園』の第4楽章に発展していくのです。
第4楽章 アダージョ・テンポ・メデモ
『嵐は次第に収まり、雲が切れて、空が明るさを取り戻す。』
嵐が遠ざかるさまを、短調と長調の揺れる転調で表し、途中、ティンパニが遠雷を響かせるところも『田園』に共通します。このシンフォニーでは、嵐の直前と直後に重きが置かれ、それぞれ楽章に仕立てられているのです。平和が戻ってきたことを、第1楽章の回帰で表しましたが、そのやり方はベートーヴェンは採りませんでした。
第5楽章 リンノ・コン・ヴァリアツィオーニーコロ・アレグロ・コン・ブリオーアンダンティーノ
『自然は喜びに満たされ、天に向かって声を上げ、愛らしく快い歌で創造主に感謝を捧げる。』
感謝の歌ということで、教会のコラールのようなシンプルで平和なフレーズが、ヴァイオリン・ソロを交えつつ、変奏曲仕立てになっています。途中には力強く、ティンパニを伴ったトランペットが、天に届けとばかり歓喜の声を上げます。シンフォニーの最終楽章を変奏曲で締めるのは、ベートーヴェンは『エロイカ(英雄)』でやりましたが、『田園』では取り上げていません。しかし、この楽章の平和な気分は、ベートーヴェンの創作意欲を大いに掻き立てたものと思われます。
時代を変革したベートーヴェンですが、それは同時に時代の子であったことも意味します。
偉大な作曲家ですが、試行錯誤をしながら創作した泥臭いまでの努力家であり、単純な神聖視はその姿を見誤ります。
次回は『運命』でそのあたりをみていきたいと思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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