演劇に感動して書いた曲
今回は、シンフォニー第4番とともに、1807年3月にロプコヴィッツ伯爵邸で初演された序曲『コリオラン』を聴きます。
この曲は、作曲当時から現代に至るまで、ベートーヴェンのオーケストラ小品として人気を博しています。
作られた時期は〝運命〟の作曲中でもあり、同じハ短調をとっていて、そのドラマティックな展開には共通した精神性を感じます。
序曲というとオペラのはじまりの曲のことですが、これはオペラとは関係ありません。
『コリオラン』という劇のために作曲されたのですが、劇本体にはベートーヴェンは曲を書いていません。
それどころか、劇の作者から作曲を頼まれてもいないのです。
『コリオラン』は、ウィーンの秘書官で、詩人、劇作家であったハインリヒ・フォン・コリン(1771-1811)が1802年に書き下ろした悲劇で、宮廷劇場で上演され、大好評を得ていました。
1805年になっても続演されており、ベートーヴェンはこれを観て大いに感動し、劇が何の音楽もつけずに上演されているのを残念に思って、勝手に序曲を作曲してコリンに捧げたのです。
英雄コリオラヌスの物語
『コリオラン』の主人公は、古代ローマの英雄コリオラヌス(BC519? - 没年不詳)です。
プルタルコス(プルターク)(46?-127)の歴史書『対比列伝』にその伝記が収められていて、シェイクスピアも戯曲化をしています。
コリオラヌスは、本名をグナエウス・マルキウス・コリオラヌスといい、共和政ローマの初期の人物です。
ローマは伝説では狼に育てられた兄弟、ロムルスとレムスによって紀元前753年に建国され、その後は王政が続きます。
しかし、最後の王タルクィニウス・スペルブスが横暴だったため追放され、紀元前509年に共和政に移ります。
しかし、共和政といっても今でいう民主主義になったわけではなく、貴族(パトリキ)から選ばれた議員によって構成される元老院と、交替で選出される2名の執政官(コンスル)が政治を主導していました。
これに対し、重装歩兵としてローマの勢力拡大に貢献し、生産を担っていた平民(パトリキ)の不満が高まり、身分闘争が勃発します。
平民たちは、自分たちの力を示すため、兵役と労働を拒否して聖なる山(モンテ・サクロ)に立て籠ります。
聖山事件といわれる、史上初のストライキです。
貴族たちはさすがに困り、平民に譲歩して、平民の集まりである平民会に議決権を与え、民衆の権利を保護する2名の護民官の設置を認めました。
護民官の体は神聖不可侵とされ、はるか後世、帝政に移行したときにはその神聖性は皇帝に引き継がれます。
親孝行の英雄
コリオランはこのような身分闘争のさなか、貴族の家に生まれます。
父は早くに亡くなり、母ウェトリアに女手ひとつで育てられましたが、かなりのわんぱく者で強情だったようです。
成人してからは軍人として活躍し、数々の武勲を立てローマの勢力拡大に貢献し、英雄となりました。
親孝行の彼は、母が自分の出世を喜んでくれるのを生きがいにしていました。
特に、ローマと対立していたウォルスキ族の都市コリオリを陥落させたときは、その武勇めざましく、またその褒賞も辞退したため、名声は高まりました。
コリオリ陥落の功績を讃えて、彼はコリオランという名を授けられたのです。
しかし護民官は彼を敵視し、平民を圧迫するようになるのではないか、と疑いました。
そしてコリオランが執政官選挙に推挙されると、それを妨害しました。
コリオランは屈辱を受け、聖山事件で生産が落ちて穀物が少なくなったとき、平民たちは貴族のせいにして配分を多くしようとしたことにブチ切れ、護民官を激しく非難し、その解任を要求しました。
しかし、護民官の権限は強く、裁判で彼を国外追放としたのです。
祖国への復讐と、家族の懇願の板挟み
追放されたコリオランは復讐に燃え、かつて自分がやっつけたウォルスキ族のもとにゆき、その将軍となって、ローマ側の都市を次々に落としました。
そして、ついにローマに攻め寄せたのです。
ローマはパニックになって上へ下への大騒ぎ。
そんな中、コリオランの母ウェトリアと、妻ウォルムニア、そして息子たちは、コリオランに兵を退いてもらうよう、城外の陣を尋ねます。
家族から涙ながらに説得されても彼は折れませんでしたが、母ウェトリアの『私は敵の元に来たのか、それとも息子の元に来たのか?』という叱責に、親孝行のコリオランはついに屈し、ローマから兵を退きます。
その後のコリオランは、消息不明となります。
祖国にも受け入れられず、ウォルスキ族からも裏切り者とされ、一説には殺されたとされます。
コリンの悲劇でも、男の意地、復讐の念と、肉親への情の板挟みになり、葛藤の末に破滅していく姿が描かれていました。
その苦悩に、ベートーヴェンは耳疾に苦しめられている自分を重ね合わせたのかもしれません。
この序曲は、感動の冷めやらぬなか、極めて短期間に書かれたと言われています。
実際の劇でこの曲が演奏されることはついにありませんでしたが、ベートーヴェンの内面のドラマが凝縮された珠玉の作品となっているのです。
ベートーヴェン:序曲『コリオラン』Op.62
Ludwig Van Beethoven:Ouverture zu “Coriolan”, Op.62
演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・デ・ナシオン
Jordi Savall & Le Concert des Nations
ハ短調のアレグロ・コン・ブリオです。弦によるフォルテッシモの引き伸ばされた主音のユニゾンが、劇的な効果を上げる和音によって3回にわたって激しく断ち切られます。逃れられない運命を示しているかのようです。その後、第1ヴァイオリンとヴィオラが、風雲を急を告げるかのような緊張感あふれるパッセージを奏します。これがコリオランの怒りを示した第1主題です。
続く第2主題は、切なくも優しく、コリオランに哀願する女たちを表しています。
それからの音楽は、第1主題と第2主題がせめぎ合い、まさに復讐に燃えた男の意地と、平和と和解を求める女たちの情との間を、激しい葛藤となって展開していきます。
第1主題はだんだんと力を弱め、崩されていき、最後には、ピアニッシモのピチカート3音で悲劇は閉じられます。
この曲にはスケッチも残されておらず、即興的に作曲されたようです。
短いですが、オペラ1曲分のドラマに匹敵する作品といってよいでしょう。
今でも演奏会用序曲として頻繁に演奏される名曲です。
コリオランの葛藤は、戦時中のときに、御国のため死んできます、といって出征した男たちの、胸の奥深くに封じ込めた肉親、愛する人へ思いと同じかもしれません。女たちは、ウェトリアやウォルムニアのように、止めることさえできませんでした。
現代に置き換えれば、仕事をとるか、家庭をとるか、の悩みでしょうか。
まだまだワークライフバランスが実現できていない日本の昨今では、女性の方がその苦悩が深いかもしれません。
この曲の、第1主題と第2主題のせめぎ合いを聴くと、そんな思いにも駆られてしまうのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村
クラシックランキング