孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

〝引きこもり〟が生んだ新しい芸術。ベートーヴェン:15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 作品35《エロイカ変奏曲(プロメテウス変奏曲)》

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ハイリゲンシュタットの『遺書の家』

実現できなかった演奏会

ベートーヴェンバレエ『プロメテウスの創造物は、1801年3月に初演されて以来、ロングランを続けていました。

彼はこれに意を強くして、〝オール・ベートーヴェン・プログラム〟の自主コンサートの開催を企てます。

1800年4月に開いた初の〝自主アカデミー〟では、客寄せのためにモーツァルトのシンフォニーや、ハイドンの『天地創造』のアリアなども、プログラムに盛り込まなくてなりませんでしたが、いよいよ、自分だけの〝個展〟を開こう、と意気込みます。

そして、そのメインとなる作品として、シンフォニー第2番ピアノコンチェルト第3番などの作曲を進めます。

しかし、1802年4月を目途に準備を進めていたコンサートは、劇場の使用許可が得られず、流れてしまいます。

劇場支配人のブラウン男爵との間でいざこざがあったことが、ベートーヴェンのマネージャーを務めていた弟カールの書簡からうかがえます。

男爵夫人には何曲も曲を献呈しているのに、です。

芸術を深化させた〝引きこもり〟

さらに、これまでベートーヴェンを苦しめていた耳の病がさらに悪化し、医師から静養を勧められました。

そのため、おそらく1802年4月か5月あたりに、ウィーンを離れ、郊外のハイリゲンシュタットに移り住みます。

都会の喧騒や煩わしい人間関係から解放されて、ベートーヴェンが愛した田園の中で作曲に打ち込めた一方、自分に襲い掛かってきた過酷な運命と向き合うことにもなり、滞在の終盤、10月には、有名な『ハイリゲンシュタットの遺書』がしたためられることになります。

では、ハイリゲンシュタットでベートーヴェンはどんな曲を書いていたのでしょうか。

これまでは、シンフォニー第2番が主に作曲されたと考えられてきました。

その躍動的で快活な音楽は、〝遺書〟に記された絶望とは真逆のものなので、その葛藤を乗り越え、生きる決意に満ちたもの、と解釈されてきました。

しかし、近年のスケッチ帳の研究では、滞在中はあまり大作には取り組んでおらず、書きかけの『ヴァイオリンソナタ 作品30』ピアノソナタ 作品31』ピアノソナタ 第16番第17番《テンペストの仕上げが中心だったようです。

ハードワークは避けて、無理をせずに治療に専念していたのです。

田園の中で歩む新しい道

その中で、新しい試みとして、2曲のピアノ変奏曲が生み出されます。

それが、『6つの変奏曲 作品34』『15の変奏曲 作品35』の2曲です。

ベートーヴェンはこの2曲について、書簡で『2つの変奏曲作品を作りまして、うちひとつは8変奏で、他は30変奏です。両方ともまったく新しい手法で、またそれぞれが違ったやり方でしつらえられています。』と書いています。

ウィーンで作品のプロモーションを担っていた弟カールも、出版社に対して『私どもは現在、2変奏曲を持っており、それらは変奏曲をいままでまだ現れたことのないやり方で作ることによって作品の価値を維持しています。ひとつは8変奏で他は30変奏です。』と書き送っており、これらの変奏曲が斬新なものであることで一致しています。

この書簡が書かれた時点ではまだ作品は完成していないので、変奏の数はその後も変わり、出版社も送られてきた作品が何変奏か分からず、照会の返信を送っています。

変奏曲は、ベートーヴェンがウィーンでデビューして以来、最も得意とし、喝采をあびたジャンルです。

よく知られた、他の作曲家のテーマをもとに、変幻自在に展開し、聴く人を圧倒しました。

しかし、ハイリゲンシュタットで作った変奏曲は、テーマも自作であり、展開もこれまでのやり方とは全く違ったものでした。

まさに、この時期のベートーヴェンが模索していた〝新しい道〟の具現化です。

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『遺書の家』のフォルテピアノ

まったく新しい変奏曲

研究者は、これらの変奏曲をこれまでのものと区別するため〝性格変奏曲〟と呼びました。

『15の変奏曲 作品35』は、バレエ『プロメテウスの創造物』フィナーレ(第16曲)からテーマが取られました。

のちに、さらにこのテーマは第3シンフォニー《英雄(エロイカ)》の第4楽章でも取り上げられたので、この曲は一般的にはエロイカ変奏曲》と呼ばれています。

ただ、作曲の段階ではまだエロイカは作られていないので、《プロメテウス変奏曲》と呼ぶのが正しい、という人もいますが、どちらにしても後世の人が呼ぶ愛称ですから、《エロイカ変奏曲》でもいいと思います。

いずれにしても、この曲はピアノ変奏曲の最高峰とされています。

どこが画期的なのかは、聴きながら探っていきましょう。

ベートーヴェン:15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 作品35《エロイカ変奏曲(プロメテウス変奏曲)》

Ludwig Van Beethoven:Variations & Fuga in E flat major, Op.35 “Eroica”

演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ

Ronald Brautigam (Fortepiano) 

冒頭、「テーマの低音(バス)による序奏」が置かれています。バレエ『プロメテウスの創造物』第16曲のテーマの、低音だけが、変奏曲のテーマの前に置かれています。これは、《エロイカ》でも踏襲されます。まさに、スケルトンの骨組みから始める、という異例なことですが、実は、大バッハの『パッサカリアとフーガ』で使われているやり方です。この時期のベートーヴェンの手紙に、バッハを讃える言葉がありますが、この変奏曲の終わりにフーガが置かれていることからも、バッハに対するオマージュといえます。バロックの巨匠の技法を、最先端の曲に使ったわけです。

このテーマのバスだけ、は提示、2声、3声、4声と4回提示されます。そしていよいよ、そのバスの上にソプラノが歌いだしますが、これが「プロメテウス主題」で、第2のテーマ、といえます。

第1変奏から第4変奏は第1テーマ(バス)の変奏、第5変奏から第8変奏は第2テーマ(ソプラノ)の変奏になります。第2テーマが変奏される間にも、バスは目立たぬよう繰り返されます。このあたりもバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を思わせます。

第6変奏はこの曲ではじめて短調になります。

第10変奏以降になると、骨格はもうかなり見えなくなってしまい、自由でヴィルトゥオーゾ的な〝性格変奏〟になっていきます。

第14変奏は、2回目の短調です。ふつうの変奏曲では短調は1つだけですが、この曲では2つ出てきて、この曲の大きな特徴を成します。

第15変奏は、これまでの変奏曲にも見られたような大胆に拡大されたもので、幻想曲のような趣きです。変奏曲の一場面とは思えないラルゴの静謐な時間に、思わず別の世界に誘われていくようです。

最後に「フィナーレ、アラ・フーガ」と題された曲で終わります。〝フーガ風〟ということなので、厳密なフーガではありません。この曲は一般には「変奏曲とフーガ」と呼ばれていますが、当時の出版譜では単に変奏曲、とだけ題されていますので、正確な呼び名ではないのです。とはいえ、始まり方はまさにバッハのフーガ。バス主題が対位法的に展開していきます。中間部では、プロメテウス主題が回想のように入ってきて、もはやフーガではなくなります。そして、華麗かつ流麗にこの大曲を締めくくるのです。

印刷されなかったメッセージ

出版社に送ったこの曲の自筆譜には次のような文章が書かれ、楽譜に添付するよう指示しました。

私はこれらの変奏曲においてこれまでふつうであった方法から離れており、これらの変奏曲は私のこれまでの変奏曲とはあまりにはっきりと違うので、私はこれらを私のこれまでのすべての変奏曲と同じようにそれらの順列のなかで続けさせることを望まず、そしてそれらが、私の他のすべての変奏曲と同様にナンバーによってただ示されるのではなく、私はこれらを私の作品の本当の数に組み入れられました、テーマ自体が私のものであるのでなおさらです。

〝作品の本当の数〟とは、作品番号のことをいいます。

作品〇〇、Op.〇〇、といったもので、これは作曲者が満を持して世に問うた作品であることを示します。

ベートーヴェンの変奏曲にはほとんどこの番号は振られておらず、後世ではWoO番号が付されています。

しかし、ベートーヴェンはこの曲には「作品35」という正規の番号をつけたことにより、並みの変奏曲と違う、ということを示したかったようです。

しかし、文章がくどいと思ったのか、出版社はこの指示には従わず、印刷はされませんでした。

いずれにしても、ベートーヴェンのピアノ芸術の集大成といってもよい作品です。

そのテーマを自分の大ヒット作『プロメテウスの創造物』を採ったのも、ベートーヴェンの〝ヒロイズム〟へのこだわりですし、それが〝シンフォニアエロイカ〟へとさらなる発展を遂げていきます。

 

動画はグレン・グールドの1961年の貴重な演奏です。やはり悪魔的に引き込まれてしまいます。こちらは序奏です。 


www.youtube.com

変奏部分です。


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フィナーレです。


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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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