1803年4月に2回目の自主コンサートを、準備はドタバタ、賛否両論は渦巻きましたが、まがりなりにも大きな収益を得て成功させたベートーヴェンは、さらなるステージへと創作活動に邁進します。
輝かしい〝中期〟のはじまりです。
次のテーマは〝フランス〟でした。
ちょうどその頃、フランス大革命は恐怖政治の混乱に陥って行き詰まり、せっかく具現化した自由・平等・博愛の精神が失われかねないところ、若き将軍ナポレオン・ボナパルトが現れて、諸外国の干渉をはねのけ、フランス共和国を安定へと導いていました。
オーストリア・ハプスブルク家にとっては不俱戴天の敵でしたが、ベートーヴェンの出身地ボンはフランスに近く、彼が若い頃フランス革命に共感し、心躍らせたのは、これまで彼の人生を辿ってきた中で見てきました。
その革命が〝残念な結果〟になりそうなのを、一挙に救ったナポレオン。
古代ギリシャ・ローマ文化の復興を目指した古典主義時代にあっては、その姿は共和政ローマの英雄たちに重なりました。
フランスへの思い
ベートーヴェンがなぜ祖国ドイツの敵、フランスの英雄に憧れたのか、不思議に思う向きもありますが、当時はまだ国民国家は成立しておらず、特に君主国の集まりに過ぎなかったドイツにあっては、国の違いというのはそれほど意識されていなかったはずです。
彼の中では、ドイツ VS フランス、という構図よりも、君主政 VS 共和政という方が重要だったと思われます。
しかし、ベートーヴェン自身は、自分が共和主義者だと公言したことはなく、君主や貴族の保護のもとに活動していたので、矛盾も感じられますが、それこそ、時代の変わり目ゆえといえます。
ベートーヴェンはナポレオンに大シンフォニーを献呈しようと志し、『エロイカ(英雄)』の作曲に取り掛かります。
そして、同じ頃に書き始められたのが、今回取り上げるトリプル・コンチェルト(三重協奏曲)です。
低い評価だった名曲
この曲は、ベートーヴェンのメジャーな作品には数えられておらず、演奏の機会も少ないです。
最近はその魅力が見直されてきましたが、長年、不当に低い評価だったことは否めません。
そのわけを探ってみたいと思います。
このコンチェルトは、独奏楽器が3つで、ピアノ、ヴァイオリン、チェロという珍しい編成です。
不当な評価になってしまったのには、まずはまた、〝嘘つきシンドラー〟がかかわっています。
シンドラーはベートーヴェンの伝記に、『この曲のピアノパートはルドルフ大公のために書かれた。』と記しました。
実際、この曲のピアノとヴァイオリンは比較的容易に演奏できるよう書かれており、ヴィルトゥオーゾ(名人)が演奏するには物足りない、とする向きがあります。
それゆえ、アマチュアの弟子ルドルフ大公のためにあえて平易に書かれたということで、ベートーヴェンがパトロンに〝忖度〟して作曲した曲、として、他の作品より軽んじられる結果となりました。
しかし、作曲された頃はまだルドルフ大公は弟子になっておらず、付き合いがあった証拠もありません。
ルドルフ大公のために書かれた、というのは真っ赤なウソなのです。
また、この珍しい編成は、ベートーヴェンが得意だったピアノトリオ(ピアノ三重奏曲)をコンチェルトと融合させようという意図だったが、イマイチうまくいかなかった、という評価もあります。
これもまた、根拠がありません。
この編成は、別に特異なものではなく、まさにパリで流行っていた『サンフォニー・コンセルタント(イタリア語でシンフォニア・コンチェルタンテ、協奏交響曲)』といえるのです。
サンフォニー・コンセルタントは、複数の独奏楽器がオーケストラと協演するもので、18世紀後半にパリの公開コンサート『コンセール・スピリチュエル』で大いにもてはやされました。
モーツァルトが若い頃、パリで就職活動をして、満を持してこの楽曲を書きますが、ライバルの陰謀にあって演奏できなかったことは、以前、このブログの最初の頃に書きました。
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ベートーヴェンは、この頃、パリ行きを計画していました。
この頃作曲した『クロイツェル・ソナタ』を、演奏者のブリッジタワーでなく、無関係のパリのヴァイオリニストに献呈したのも、パリへのラブコールです。
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パリ側でも、エラール社が最新のピアノをベートーヴェンに贈り、その結果ピアノコンチェルト 第3番が生まれたのは前々回取り上げました。
そして、ナポレオンに捧げる大シンフォニーを作曲し、この『サンフォニー・コンセルタント』とともに引っ提げて、パリに乗り込む計画だったのです。
この曲は、1803年から1804年にかけて作曲されたあと、ずいぶん寝かされて、初演はウィーンのアウガルテン・コンサートで1805年にようやく行われました。
独奏者を念頭に置いて作曲されたはずのコンチェルトが、すぐに演奏されなかったというのは大いに謎とされてきたのですが、それはパリ行きが延期されたから、とすれば説明がつきます。
ベートーヴェンのパリ公演はついに実現しませんでした。
この曲は、ベートーヴェン自身も、弟カールも、出版社への手紙にドイツ語で『コンツェルタント』と呼んでいますので、三重協奏曲、というより協奏交響曲、と呼ぶべきなのです。
そうすればこの曲の本質が見え、正当な評価になると思われます。
モーツァルトの2曲の協奏交響曲、ハイドンがロンドンで作曲した、交響曲第105番とも呼ばれる協奏交響曲と聞き比べるのがふさわしい曲なのです。
謎は残る
ただ、パリでの演奏を念頭に書かれたとすると、演奏者は誰を想定していたのか、という疑問は残ります。
この曲は、ピアノとヴァイオリンは比較的平易ですが、チェロが主役を務めており、演奏は大変難しいといわれています。
実質的はチェロ・コンチェルトで、ピアノとヴァイオリンはその引き立て役に回っていると見ることもできます。
シンドラーは、このパートはウィーンの名チェリストで、ハイドンもチェロ・コンチェルト第2番を書いたアントン・クラフト(1749-1820)のため、としていますが、確かにそれは妥当です。
しかし、パリに目当てのチェリストがいた可能性もありますし、そこはしばらく謎となるでしょう。
いずれにしても、ベートーヴェンにはチェロ・コンチェルトはありませんから、チェリストにとっては貴重なレパートリーとなっています。
今年出たフライブルク・バロック・オーケストラの新録音で聴きましょう。
このアルバムには、ベートーヴェン自身が編曲したシンフォニー第2番の室内楽ヴァージョンも収録されていて、当時の音楽の楽しまれ方をしのぶことができます。
ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲 ハ長調 Op.56
Ludwig Van Beethoven:Triple Concerto in C major, Op.56
演奏:イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/ストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティ」)、ジャン=ギアン・ケラス(チェロ/ジョフレド・カッパ1696年)
アレクサンドル・メルニコフ(フォルテピアノ/Lagrassa 1815年頃、エドウィン・ボインクのコレクションより)
パブロ・エラス=カサド指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ(古楽器使用)
Freiburger Barockorchester, Jean-Guihen Queyras, Alexander Melnikov, Pablo Heras-Casado and Isabelle Faust
チェロとコントラバスだけで、第1主題が歌い出される、独創的な始まりです。だんだんオーケストラがクレッシェンドして盛り上げていきますが、このあたりもパリ風と言えるかもしれません。音楽は実にのびやかでおおらか、各楽器の対立感もなく、ベートーヴェンにしてはおとなしいので、物足りないとする向きもあるでしょうが、聴くほどにその独特な世界に引き込まれていきます。楽器たちの技巧が華々しく繰り広げられ、展開部に入ると、チェロが穏やかにリードし、実に癒されます。3つの楽器がトリルを重ね、クライマックスにもっていく場面は特に見事です。コーダは、テンポをピウ・アレグロに上げて、壮大に曲を閉じます。
第2楽章 ラルゴ
わずか53小節の、間奏曲的な楽章ですが、珠玉の美しさを秘めています。ヴァイオリンが弱音器をつけて、優しく導入し、ここでも独奏チェロがメインを務めます。ピアノがそれを細やかなアルペジオで彩り、独奏ヴァイオリンがそれに和し、変奏していきます。やがて独奏楽器たちはカデンツァ風にそれぞれ歌い、ヴァイオリンとチェロが消え入るような上行和音を奏し、アタッカで切れ目なく終楽章に入っていきます。
この演奏の録音風景です。
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第3楽章 ロンド・アラ・ポラッカ
ポーランド風のロンド、と題されています。フランスでは、エキゾチックな民族音楽としてポーランド風が好まれましたから、これもパリ行きを意識したのかもしれません。テーマは例によってチェロから歌い出され、ヴァイオリンが受け継ぎます。ピアノがそれに和し、新しい楽想を加えながら、オーケストラが盛り上げていきます。ピアノに弦のピチカートが呼応するのも実に楽しい!
中間部では、まず独奏ヴァイオリンが、そして独奏チェロ、ピアノと続いて、ポーランド風のテーマを高らかに歌います。スラブ風の、草原での民族舞踊が彷彿とします。モーツァルトのヴァイオリン・コンチェルト 第5番〝トルコ風〟の最終楽章を思い出します。
再びオーケストラが力強くロンドテーマに戻すと、独奏楽器たちもさらにパワーアップして戻ってきます。そしてテンポを上げて盛り上がり、オーケストラと激しい掛け合いを繰り広げ、幕を閉じます。
動画はズービン・メータ指揮 イスラエルフィルの演奏です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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