
現在のアン・デア・ウィーン劇場内部
1802年秋。ベートーヴェンは、イエスのオリーブ山での苦闘と重なる、ハイリゲンシュタットでの苦悩の日々から、ウィーンに〝生還〟し、自らの運命と使命を自覚して、さらなる活動に邁進します。
そして、その次の大きなステップが、翌年、1803年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場で開かれた、自主コンサートでした。
1800年の最初の自主コンサート以降、なかなか2回目の開催は難航し、ハイリゲンシュタットに行く前には延期を余儀なくされました。
いよいよ、満を持しての開催です。
曲目は、第2シンフォニーと、第3ピアノ・コンチェルトの初演、第1シンフォニーの再演、そしてメイン・プログラムはオラトリオ『オリーブ山上のキリスト』でした。
当時のプログラムやポスターは残っていないので、これらの曲目は新聞の批評や、周囲の人の証言からの類推です。
会場のアン・デア・ウィーン劇場は、前述したようにモーツァルトとオペラ『魔笛』で組んだ興行師エマニュエル・シカネーダーが劇場監督をしており、オペラも企画中で、ベートーヴェンは劇場内に缶詰部屋を与えられていました。
マネージャー役の弟カールも同居しています。
過酷な当日リハーサル
これも前述したように、弟子リースの証言では、コンサートの当日、朝5時にもベートーヴェンはベッドの中でオラトリオのトロンボーンのパートを書いていました。
そして、朝8時には劇場で最後のリハーサルが行われました。
同じくリースの証言です。
練習は朝8時に始まり、そして新しいもののうち、オラトリオのほかに、以下もまた初めて演奏された。すなわち、ベートーヴェンのシンフォニー第2番ニ長調、ピアノ・コンチェルトハ短調、そしてもう1曲、それを私はもう思い出すことができない。それはもう恐るべき練習で、2時半にはみんながくたびれ果てて、多かれ少なかれ不満であった。
カール・リヒノフスキー侯爵が、練習の最初から居合わせていたのであるが、大きなかごに入ったバターパン、コールド・ミート、ワインを取りに行かせた。気さくに彼はみんなにつまむように言い、それは歓迎され、再び上機嫌となる結果をもたらした。そうして侯爵はオラトリオをもういちど通し練習するよう頼んだ、夕べがうまくいくように、そしてこの種のベートーヴェンによる初めての作品がそれに相応しく公衆にもたらされるようにと。練習はこうして再開された。コンサートは6時に始まったが、長すぎて、いくつかの曲は上演されなかった。*1
例によって、段取りも何もあったものではない、無茶苦茶な直前のバタバタが演じられています。
オーケストラ団員は投げ出さんばかりに疲弊、暴発寸前、それをリヒノフスキー侯爵が差し入れで何とかなだめる…
なんという過酷なリハでしょう。
夜の本番を迎える頃には、オケはもう疲労困憊だったはずです。
仰天!空白の楽譜の譜めくり
では、このコンサートで初演された、ピアノ・コンチェルト 第3番 ハ短調から聴いていきましょう。
このコンチェルトは、ベートーヴェンが長く温めていたもので、スケッチからは1797年頃から着手されていたようです。
1800年に完成したかのような書き込みが自筆譜にありますが、その後も推敲が重ねられたようです。
有名なエピソードがあります。
コンサートでの上演時、ピアノはベートーヴェン自身が弾きましたが、新進の指揮者イグナーツ・フォン・ザイフリートは、譜めくりを頼まれました。
ところが、彼が目にしたピアノのパート譜はほとんど空白で、ところどころにエジプトの象形文字のような記号がついているだけだったのです。
いったいどこでめくったらいいのか、ベートーヴェンにしか分かりません。
ベートーヴェンは、めくるところで彼に目配せをするのですが、ザイフリートはそれを見逃すまいと、舞台上で大変な緊張を強いられた、というのです。
つまり、ピアノ・パートはまだベートーヴェンの頭の中にあって、記譜が間に合わなかったのです。
ベートーヴェンはそれを面白がっていたようで、演奏会終了後の打ち上げ夕食会で、ふたりは腹を抱えて笑いあったということです。
この曲は、翌年1804年に、弟子チェルニーによって再演されましたが、さすがに他人に弾かせるとなると、そんな記号ではだめですから、その時初めて楽譜に書き起こされました。
そして、同時に出版されました。
出版は、音楽好きのプロイセン王子、ルイ・フェルディナントに献呈されました。
王子とは、以前のベルリン旅行で知り合っていますから、構想はその時に育まれたのかもしれません。
ベートーヴェンはこの曲に特に思い入れがあったようで、出版社に対し、初演前には売らない、ということで、かなりもったいぶっていました。
ピアノ・コンチェルト第2番を安く叩き売ったのとはえらい違いです。
そして出版譜には〝大協奏曲〟と銘打ったのです。
この第3番は、ベートーヴェンの5曲のピアノコンチェルト(ヴァイオリンコンチェルトの編曲を含めれば6曲)のうち、唯一の短調です。
しかも、ベートーヴェンにとって宿命的といわれる、〝運命〟と同じハ短調。
名曲でないわけがないのですが、ただ、その割には、初期の作品とみなされてか、中期の作品に比べると幾分軽く評価されているきらいがあります。
モーツァルトのハ短調コンチェルトを明らかに意識しているのも、その一因かもしれません。
ピアノコンチェルトをジャンルとして確立したモーツァルトには、27曲ありますが、短調はたった2曲しかありません。
一番人気があって、ベートーヴェンもコンサートで演奏したのは第20番 二短調 K. 466。
しかし、最高傑作といえば、なんといっても第24番 ハ短調 K. 491と思います。
すすり泣くような暗さの中に、ほのかな灯りが見えるような、この幻想的なコンチェルトは、娯楽性からはほど遠く、当時としては難解で、モーツァルト人気を落とすことにつながった、と言われています。
死後も、どの程度演奏されたのか、定かではありません。
でも、ベートーヴェンが進むべき道と思って飛び込んだのは、この世界観だったのです。
ベートーヴェンが故郷を出るとき、ワルトシュタイン伯爵から贈られた『ハイドンの手からモーツァルトの精神を受けとれ』という言葉の実践に思えてなりません。
構成は古典的なものの、音楽は完全にモーツァルトから脱却して自分のものになっていますが、底流は、モーツァルトがあまり露わにしなかった、精神の奥の深いところに光を当てている気がするのです。
ぜひ、両曲を聴き比べてみていただきたいと思います。
www.classic-suganne.com
Ludwig Van Beethoven:Piano Concerto no. 3 in C minor, Op.37
演奏:ロナルド・ブラウティガム(フォルテピアノ)、マイケル・アレクサンダー・ウィレンス指揮ケルン・アカデミー(古楽器使用)
Ronald Brautigam (fortepiano), Kolner Akademie & Michael Alexander Willens
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
冒頭、弦が分散和音を上行させ、すぐに下行させるフレーズは、モーツァルトのハ短調コンチェルト冒頭の短縮形といえるほど似ています。しかし、モーツァルトの曲がそのあとすすり泣くように悲しみに暮れるのと比べると、ベートーヴェンは力強く進んでいきます。颯爽として、自信に満ち溢れているのです。第2主題は、第1ヴァイオリンとクラリネットで歌い出され、実にのびのびとしています。オーケストラの前奏が終わると、いよいよピアノが登場しますが、その叩きつけるような乱暴な調子には、度肝を抜かれます。続く独奏は華麗としか言いようがありませんが、右手トリルの上にクラリネットやホルンが乗る箇所は実に素敵で、しびれます。展開部は緊張感が高まり、サスペンスドラマのようにドキドキします。
カデンツァは、64小節のものと、145小節のものが残されており、一般的に演奏されるのは64小節の方ですが、これは1809年にルドルフ大公のために作曲されたとされています。初演のときよりさらに音楽的に彫琢がなされています。
カデンツァのあとは、ティンパニが第1主題の下行音型を奏でる中、大迫力で終わります。
第2楽章 ラルゴ
ハ短調の曲の中間楽章としては異例のホ長調の、どこまでも優しい旋律をピアノが呟いて始まります。無骨な第1楽章とは対照的な繊細さです。オーケストラはこの楽章では脇役に徹し、弱音器をつけて和しますが、うっとりするような愛の告白に満ち溢れています。全体として3部に分かれていますが、第2部は、ファゴットとフルートが歌う中、ピアノは宝石のような分散和音を奏で、夢想的な世界を作っていきます。まるで、海の底の神秘な世界にいるようです。第3部は、遠い日の思い出に思いを馳せるような、懐かしい響きとなります。終わり近くには、作り付けの短いカデンツァが置かれています。ベートーヴェンが創った曲の中でも、特にロマンティックな1ページです。
第3楽章 ロンド(アレグロ)
ベートーヴェンらしい、ちょっと突き放すようなテーマのロンドです。一度聴いたら忘れられないでしょう。オーケストラのズドンとした合いの手のあとは、ピアノは軽やかな明るさに転じ、オーケストラも慌ててそれに合わせます。ロンドのテーマの間にはクプレがふたつ挟まれていますが、第1クプレの素晴らしいこと!管とピアノが親しげに対話しますが、その高貴さにはすっかり魅了されます。第2クプレはよりユーモラスで、聴衆を引き付けてやみません。最後には速度をプレストに速め、ハ長調の明るい結末となります。モーツァルトのハ短調は暗いままで終わりますが、最後に陽転するベートーヴェンお気に入りのニ短調コンチェルトに合わせたのかもしれません。
なお、このコンチェルトにはピアノの発展が関わっています。コンサートの前年、1803年にベートーヴェンはイギリス式の新しいアクションを備えたエラール製のピアノを寄贈されます。このピアノは5オクターヴ半の音域を持ち、従来の二弦張りから全て三弦張りになり、音は格段に重量感を増すことになりました。ベートーヴェンのピアノ音楽は、常に楽器の改良の最先端を活用しており、このコンチェルトの第3楽章のフィナーレで何度も奏でる4点ハは、従来のピアノでは全く出せない音なのです。

サントリーホール所蔵のエラール(1867年製)
さて、初演でのこのコンチェルトの評価はあまり芳しいものではありませんでした。『上流階級新聞』は、オラトリオ『オリーブ山上のキリスト』を評価する一方、コンチェルトについては『普段だったら優れたピアノ奏者として知られるベートーヴェンだが、彼の演奏したハ短調の協奏曲はあまり成功ではなく、聴衆の十分な満足を得られなかった。』と報じています。やはりこの曲の前衛性にはなかなかついていけなかったようです。ただ、翌年チェルニーのソロで再演されたときは、『総合音楽新聞』は『ベートーヴェンの最も素晴らしい作品の一つに数えられる。』と絶賛しています。
動画は、古楽器使用のフライブルク・バロック・オーケストラと、クリスティアン・ベズイデンホウトのフォルテピアノとの共演です。
www.youtube.com
比較のため、モーツァルトのハ短調コンチェルトも載せておきます。古楽器演奏のいい動画がないので、BBCプロムスでのヴィキングル・オラフソンとパーヴォ・ヤルヴィの演奏です。
www.youtube.com
次回は同じコンサートで初演された、第2シンフォニーを聴きます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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