孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

若きロシア皇帝に捧げた〝アレクサンダー・ソナタ〟。ベートーヴェン『3つのヴァイオリン・ソナタ 作品30(第6番~第8番)』

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ロシア皇帝アレクサンドル1世

ナポレオンをやっつけたロシア皇帝

ベートーヴェンは、『春』を完成したあと、さっそく新しいヴァイオリン・ソナタの作曲に取り掛かります。

1801年から翌1802年にかけてのことです。

1802年10月には、あの『ハイリゲンシュタットの遺書』が書かれていますから、耳の病に悩み抜き、苦しんでいる最中に作曲されたことになります。

この頃から、ベートーヴェンの作品に、さらに繊細さと力強さが増しているように感じます。

深く悩み傷ついた心。

芸術への使命感からその克服。

人間の弱さと強さ、その両方を表現しているベートーヴェンの音楽が、さらに深くなってきている思いがします。

1802年春に完成したヴァイオリンは3曲セットで、1年後の1803年5月にピアノフォルテのための、ヴァイオリンを伴う3つのソナタ 作品30』として出版されました。

まだタイトルとしてはピアノが主、ヴァイオリンが従になっていますが、内容としては両者がより対等に扱われているのは言うまでもありません。

出版にあたって献呈されたのは、ロシア皇帝アレクサンドル1世(1777年~1825年)。

とてつもない大物です。

ナポレオンと互角に渡り合い、そのロシア遠征を受けて立ち、国土を焦土にしながらも撃退し、没落に追いやって、新しいヨーロッパの秩序作りをリードした英主です。

のちに〝会議は踊る〟で有名なウィーン会議(1814~1815年)で主役を演じ、ベートーヴェンの音楽も楽しんでいますが、このときは、ロマノフ朝第10代皇帝(ツァーリとして1801年に即位したばかりでした。

遠いロシアの皇帝とベートーヴェンに当時どんなつながりがあったか不明ですが、おそらくパトロンのひとり、在オーストリアのロシア全権大使、アンドレイ・ラズモフスキー伯爵( 1752年~1836年)が仲介したのではないかと思われます。

ラズモフスキー伯爵は、ベートーヴェンを自宅に住まわせていたリヒノフスキー侯爵の姉を夫人にしており、同じく大の音楽、芸術好きでした。

ベートーヴェンはその依頼で1806年に『ラズモフスキー弦楽四重奏曲3曲を捧げており、彼の名前はその曲で有名になっています。

大使である伯爵は、即位まもない新帝への贈り物としてベートーヴェンに献呈を勧めたのでしょう。

悲運の先帝、パーヴェル1世

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パーヴェル1世

ところで、アレクサンドル1世の即位の経緯は血生臭いものでした。

父帝パーヴェル1世(1754年~1801年)の暗殺によって即位したのです。

パーヴェル1世は、皇太子時代から母である女帝エカチェリーナ2世と不和でした。

女帝は、息子の資質が皇帝にはとてもふさわしくないとして、パーヴェルを飛ばし、孫のアレクサンドルを後継ぎにすることを考えていたといわれます。

女帝が急逝した際、パーヴェルは宮殿に駆けつけ、腹心の大臣と部屋に鍵をかけてこもって遺言状を読み、それを焼き捨てて即位したのです。

それもあって、パーヴェルの政策は母帝のやったことの全否定でした。

ロシアを強国にした偉大な女帝の路線を覆すわけですから、国内は大混乱です。

また、性格はいい加減で粗暴、母が見抜いた通り思慮も浅く、たちまち皇帝への不満が広がりました。

そのため、治世5年目で廷臣たちのクーデターに遭い、寝込みを襲われて殺されたのです。

この暗殺事件に、息子である皇太子アレクサンドルがどこまで関与したかは謎ですが、あらかじめ知っていた、あるいは決行日を決めた、という説も有力です。

実際、皇帝を殺した実行犯は誰も罰せられていないのです。

おそロシア〜なんて言うと、日本史も殺し合いばっかじゃないか、と怒られそうですが。

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パーヴェル1世の暗殺

名曲誕生のきっかけとなったパーヴェル帝

名君といわれる母、息子と比較され、暴君、暗君といわれているパーヴェル1世ですが、音楽には少なからず関わりがあります。

皇太子時代、パーヴェル大公と呼ばれていた頃、1781年にウィーンを訪問しています。

ちょうどモーツァルトがウィーンで活動をし始めた頃で、当初大公は9月頃に来訪予定でした。

モーツァルトは、大公歓迎行事に自分のオペラを取り上げてもらい、一挙に評判を高めようと画策、突貫工事でオペラ作曲に取り掛かります。

しかし、ヨーロッパ旅行は母帝からなかなか許可が下りなかったようで、訪問は11月に延期になりました。

モーツァルトは作曲にじっくり時間をかけることができるようになりましたが、歓迎オペラはグルックの旧作『アルチェステ』に決まってしまいました。

やはり、この大事な行事には、駆け出しの新人の作より、無難に大家の作品が選ばれたわけです。

モーツァルトのオペラの完成はそんなわけでさらに遅れ、上演は翌夏になってしまいました。

これが後宮からの誘拐です。

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また、ハイドンもこの機会に、弦楽四重奏曲6曲セットをパーヴェル大公に献呈しました。

これは、『ロシア四重奏曲』として名高い作品で、ハイドンいわく〝全く新しい特別の方法で〟作曲され、この曲によって「古典派ソナタ形式が完成されたとされています。

ハイドンソナタ形式の父〟〝弦楽四重奏曲の父〟と呼ばれるのもこの曲によります。

この作品が音楽界に与えた影響は大きく、モーツァルトもこれに大いに衝撃と感銘を受けて、自分でも6つの四重奏曲を作曲してハイドンにうやうやしく捧げています。

これがハイドンセット(ハイドン四重奏曲)』です。

ハイドンモーツァルト出世作はいずれもパーヴェル1世に関係している、というわけです。

英雄たちに捧げた芸術

一方、若きベートーヴェンは、次世代の若き新帝に野心作を捧げました。

しかし、献呈に対し皇帝からは特に返礼はなかったようです。

ただ後年、ナポレオンを打倒したあとのウィーン会議の際、アレクサンドル1世の皇后エリザヴェータ・アレクセーエヴナは、献呈を覚えていて、ベートーヴェンに100ドゥカーテンを贈りました。

夫に捧げられた曲でしたが、皇后の方が気に入っていたのかもしれません。

それにしても、ベートーヴェンの作品の献呈先は、初期のものでも、プロイセン王、神聖ローマ皇后、ロシア皇帝と、錚々たるビッグネーム揃いで驚かされます。

さらにまもなくベートーヴェンは、彼らの敵となるフランスの英雄、ナポレオン・ボナパルトへの献呈を思い立つことになります。

時は、18世紀から19世紀へ。

近世から近代への時代の変わり目。

英雄たちが輩出した時代。

ベートーヴェンは彼ら時代を切り拓くヒーローたちに、時には自分自身も重ねながら、敵味方にこだわらず、自らの芸術を捧げていったのです。

古代の英雄の名をとった若き皇帝に捧げたこの「作品30」は、まさにそんな作品の嚆矢といえます。 

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調 Op.30-1

Ludwig Van Beethoven:Sonata for Violin & Piano no.6 in A manor, Op.30-1 

演奏:ヤープ・シュレーダー(ヴァイオリン)、ジョス・ファン・インマゼールフォルテピアノ

Jaap Schroeder (Violin), Jos Van Immerseel (Fortepiano)

第1楽章 アレグロ

耳の病に悩んだベートーヴェンの精神的危機の中で書かれた作品30の3曲は、サロン音楽の領域から、ドラマティックな英雄的様式へと進んでいく過渡期の作品でもあります。その第1曲の第6番は、いちばんロココ風で優雅です。モーツァルトソナタよりも楽器の対等さが進んでいますが、雰囲気は先輩の世界を残しています。何という優しい語り口でしょう。3拍子のスイングの中に揺れる思いが静かにあふれるかのようです。展開部での短調の緊張感も、さほど深刻ではありません。

第2楽章 アダージョモルトエスプレッシーヴォ

出版後の新聞評では、触れられているのは3曲のうちこの第6番だけで、それも、称賛されているのはこの第2楽章だけでした。付点リズムのたゆたう伴奏のもと、ゆったりとした詩情豊かな旋律が、ピアノとヴァイオリンで歌い交わされます。小さなロンド形式になっていて、テーマは2小節ごとに3度ずつ下に転調してゆき、それが心に沁みるメランコリックな効果を上げています。大切な人と聴いても、独りで聴いても、切なくも心満たされる音楽です。

第3楽章 アレグロ・コン・ヴァリアツィオーニ

もともとこの第3楽章には、『クロイツェル・ソナタ』の第3楽章が充てられていました。しかし、それはヴァイオリン協奏曲のような壮大なものだったので、この室内的な曲にはバランスが悪い、として、この変奏曲に差し替えられました。弟子のリースによれば『このソナタにとってこのフィナーレはあまりに輝かしいものだったため』とのことです。結果、差し替えられたこの楽章は、例の出版時の新聞評では『独創性や卓抜さが見られず、彼の名に値せず、変奏曲も内容が豊かとはいえない』とされてしまいました。逆に言えば、既に有識者ベートーヴェンには『クロイツェル・ソナタ』のような強烈な個性を求めていたのかもしれません。それにしては、個性が爆発している次の第7番への言及がないのは不思議ですが。この差し替えのエピソードからも、ベートーヴェンはこの曲については、サロン的な性格の中で、表現を追究していたと考えられます。ベートーヴェンがこの曲を軽視していた、ということではありません。

テーマはゆったりとした民謡風の親しみやすいもので、6の変奏がついています。第1変奏はピアノ中心で、3連符のウキウキするような軽快なテイストです。第2変奏はヴァイオリン中心で、流れるような旋律にピアノがシンコペーションで伴奏していきます。第3変奏は再びピアノ中心に戻り、左手が奏でる3連符に右手が高音でシンコペートされた旋律を乗せ、それをヴァイオリンが支えます。第4変奏は、ヴァイオリンが重音奏法で鋭いナイフのように切り込んでいきます。第5変奏はこの楽章の核心で、イ短調に転じ、3声の対位法で書かれています。これにそっくりのフーガが、師ハイドンの不在中に聖シュテファン大聖堂楽長のアルブレヒツベルガーに対位法を伝授してもらったときの学習ノートに記されています。学習の成果といえるでしょう。第6変奏はイ長調に戻り、ピアノとヴァイオリンが対等に重なり合いながら終幕に向けて華やかに盛り上げていきます。そして切れ目なくコーダに突入し、優雅なテーマには似つかわしくないほど力強く曲を閉じます。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 Op.30-2

Ludwig Van Beethoven:Sonata for Violin & Piano no.7 in C minor, Op.30-2 

演奏:ヤープ・シュレーダー(ヴァイオリン)、ジョス・ファン・インマゼールフォルテピアノ

Jaap Schroeder (Violin), Jos Van Immerseel (Fortepiano)

第1楽章 アレグロ・コンブリオ

ベートーヴェンに宿命的なハ短調で書かれていて、『クロイツェル・ソナタ』『スプリング・ソナタ』に次いで人気があり、演奏の機会の多い名曲です。『アレクサンダー・ソナタ』は3曲セットですが、この曲だけ呼ばれることもあります。セットの中で唯一4楽章になっていますので、ベートーヴェンもこの曲をセットの核心と位置付けていたと思われます。

地の底からかすかに響いてくる不気味な胎動のような、ピアノの弱奏から始まります。ヴァイオリンが加わると一気に噴火し、フォルテッシモに至ります。唐突に、行進曲のような第2主題が始まり、ピアノは縦横無尽に駆け回ります。もはやどちらが主奏でも伴奏でもありません。この楽章には反復記号はなく、そのまま提示部から展開部へと進みます。同じフレーズが時には強音、時には弱音で奏され、その対比が強烈な印象を与えます。ここでは明るいフレーズさえ激しく奏され、聴く人の胸を熱くさせます。感情が赤裸々に表現され、とても皇帝陛下に捧げるような、よそ行きの佇まいの曲ではありませんが、即位したばかりの若き皇帝がこれからたどる波乱の生涯を思うと、感慨深いものがあります。

第2楽章 アダージョカンタービレ

一転、平和な調子になりますが、中身に熱い情念を秘めていて、それが時々表に飛び出してきます。半音階の不安がかすめるうち、ヴァイオリン、ピアノがスタッカートで穏やかさを中断し、驚かされます。しかし、それがアクセントとなり、抒情の穏やかさを引き立てています。余韻の深さはベートーヴェンの作品の中でも出色といえるでしょう。

第3楽章 スケルツォアレグロ

メヌエットの優雅さも帯びたスケルツォです。しかし、優雅さは最初だけで、ヴァイオリンは羽目を外すかのように暴れます。ユーモアをきかせたというところでしょうか。トリオ部分は同じハ長調で、ヴァイオリンとピアノが1小節遅れのカノンを奏でます。民謡風の親しみやすさも感じる楽章です。 

第4楽章 フィナーレ:アレグロ

大規模なロンド形式の充実したフィナーレです。第1楽章と同じようにピアノの胎動から始まりますが、すぐ爆発します。この急激なクレッシェンドとスピード感には一気に引き込まれてしまいます。ベートーヴェンならではのスケールの大きさに、ただただ圧倒されます。第2主題はヴァイオリンとピアノ低音の2小節遅れのカノンですが、追いつ、追われつの緊迫した音楽は〝逃走中〟とでも呼びたい趣きです。コーダはプレストとなり、高潮が絶頂に達して幕となります。まさに英雄様式の幕開けといえるソナタです。

 

動画はパトリシア・コパチンスカヤの迫力ある演奏です。まるで格闘技を観ているかのようです。


www.youtube.com

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ト長調 Op.30-3

Ludwig Van Beethoven:Sonata for Violin & Piano no.8 in G manor, Op.30-3

演奏:ヤープ・シュレーダー(ヴァイオリン)、ジョス・ファン・インマゼールフォルテピアノ

Jaap Schroeder (Violin), Jos Van Immerseel (Fortepiano)

第1楽章 アレグロ・アッサイ

第7番と第9番という巨人に挟まれた、両者に比べると小ぢんまりとしたソナタですが、人気のある佳作です。3曲の中では、雰囲気としては第6番に戻った印象がありますが、その軽妙洒脱な魅力は独創的です。

ぐるぐる、車が回るような冒頭テーマは、両楽器のユニゾンでいきなり奏されますが、実に斬新です。これで心をつかまれ、さらに次から次へと新しい楽想が登場して、引き込まれていきます。颯爽とした第2主題もかっこよく、しびれます。パトカーのサイレンのようなフレーズがピアノとヴァイオリンで呼び交わされます。活気にあふれた、元気のもらえる楽章です。

第2楽章 テンポ・ディ・メヌエット・マ・モルトモデラート・エ・グラツィオーソ

メヌエットですが、踊るというよりゆったりと歌う感じで、緩徐楽章として位置付けられています。メヌエット主題はピアノで優雅に歌い出され、ヴァイオリンが受け継ぎます。穏やかで優しいテーマです。後半はト短調に転じ、哀愁も漂わせながら、情感が豊かに広がります。トリオは、新しいテーマがピアノの伴奏でヴァイオリンが歌い出します。変ホ短調に転じてやや複雑な動きになります。

第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ

田園的な持続低音に支えられたロンドです。田舎の農民のダンスをイメージしているのかもしれません。実に楽し気で、どこか武骨さも感じるロンドのテーマは、どこか『田園シンフォニー』の第3楽章に通じるものを感じます。対位法的な工夫も施されながら、無窮動的な愉しさが続きます。たったふたつの楽器で奏でているとは思えない、充実したハーモニーと、躍動感が無窮動的に続き、喜びのうちに幕となります。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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