祝!!反田恭平さん、小林愛実さん
第18回ショパン・コンクール、反田恭平さん2位!、小林愛実さん4位!の快挙、おめでとうございます!!
ヨーロッパの音楽に対する日本人の表現が、ここまで評価されるのは本当にうれしいことです。
クラシック音楽は民族の歴史や精神を背負っていますから、それを外国人が表現するのは並大抵のことではないはずです。
ヨーロッパ人が能や歌舞伎を演じるようなものですから。
パリの最新ピアノを手に入れて
さて、このブログは引き続きベートーヴェンです。
ハイリゲンシュタットの苦悩を乗り越えたベートーヴェンは、再びピアノソナタの創作に打ち込みます。
ピアノコンチェルト 第3番のところでも触れましたが、パリのエラール社から、最新のピアノをプレゼントされたので、勇躍、このピアノの広い音域を最大限に活かした作品を作ったのです。
ウィーンのピアノの音域は5オクターヴ+2度でしたが、それが5オクターヴ+5度まで広がりました。
そして、これまでは低音域では二重だった弦が、全音域で三重になりました。
また、4本のペダルが備えられていました。
この楽器によって、古今の名曲、〝ワルトシュタイン〟と〝アパッショナータ(熱情)〟の2大ソナタが誕生したのです。
旧友の粋な計らい
ベートーヴェンにこのピアノが贈られるよう計らったのが、ボンの宮廷楽団時代の親友、アントン・ライヒャ(アントニーン・レイハ)(1770-1836)でした。
ふたりは同い年でしたが、ボンの宮廷が崩壊したあと、ベートーヴェンはウィーンへ、ライヒャはパリへ行って、それぞれ成功したのです。
ライヒャはコンセルヴァトワール(パリ音楽院)の作曲科教授となり、リスト、ベルリオーズ、グノー、フランクら、錚々たる生徒を育てました。
ハイリゲンシュタットからウィーンに戻ったベートーヴェンのところに、ライヒャが訪ねてきて、彼が古いピアノしか持っていないのを残念がり、パリに戻って、最新のピアノが手に入るよう奔走してくれたのです。
工業化と大都市化が進んだパリやロンドンに比べると、ウィーンはまだまだ地方都市だったわけです。
ボンの旧友ライヒャのお陰で、新しい世界が広がったベートーヴェンは、その果実であるこのハ長調の大ソナタを、同じくボンでとてもお世話になったワルトシュタイン伯爵に献呈しました。
伯爵は自身もピアノの腕前はかなりのもので、作曲もしました。
ドイツ騎士団入団にあたって、ウィーンから騎士団長であるボンの選帝侯のもとにやってきて、若きベートーヴェンに出会い、その才能に惚れ込んだのです。
そして、チェンバロとクラヴィコードしか弾いたことのなかったベートーヴェンに、高価なシュタイン製のピアノを与えました。
そして、ウィーン行きにあたっては、『ハイドンの手からモーツァルトの精神を受け取りたまえ』という有名な言葉を贈ったのです。
このソナタは、その言葉通り、ハイドンやモーツァルトの作品をしっかり学び、その上で、全く新しい自分の芸術を創り上げた成果を示すもので、まさに恩返しといえるのです。
ただ、この時期にワルトシュタイン伯爵はロンドンに住んでいて、ベートーヴェンとは一別以来10年ほど没交渉でした。
出版譜には『ヴィルンスブルクのドイツ騎士団の騎士団長、ムッシュー・ワルトシュタイン伯爵に捧ぐ』と書かれていましたが、当時伯爵はなぜか英国海軍に身を投じていて、これは過去の肩書なのです。
唐突にこの時期に献呈したのは謎であり、伯爵自身も献呈出版を知らなかった可能性さえあるのです。
記念碑的作品を仕上げて、恩人のことを思い出したのでしょうか。
www.classic-suganne.com
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ピアノのための英雄交響曲
このソナタは、1803年から翌年にかけて、『クロイツェル・ソナタ』や『エロイカ(英雄)』と並行して作曲されました。ベートーヴェンの伝記を書いた研究家、ヴィルヘルム・フォン・レンツは、この曲を『ピアノのための英雄交響曲』と呼びました。
レンツは、ベートーヴェンの作風を、前期、中期、後期に分けて分析しましたが、傑作ぞろいの中期の代表的な作品のひとつです。
第1楽章は、和音の長い連打から始まるという、まさに破天荒な曲。
完成した作品は、あまりに長大になってしまい、これでは弾く方も聴く方も大変、と友人たちに忠告され、ベートーヴェンもそれを受け入れて、出版の際には第2楽章は短いものに差し替えられ、バランスが取られました。
ベートーヴェンがナポレオンに心酔していた頃の〝英雄様式〟と呼ばれる、まさに鍵盤上のシンフォニーです。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.21 in C-major, Op.53 "Waldstein"
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
ピアニッシモによる8分音符の低い主和音の連打で始まります。これはまったく前代未聞の開始で、当時の人は何が始まったのやら、目を白黒させたことでしょう。しかし、今聴いても実に斬新で、血沸き肉躍る思いがします。このリズムとコード進行は現代のロックに通じるものを感じます。まるでオーケストラの低弦のトレモロのような連打に乗って、高音部がまぶしく煌めきます。まさに、ピアノでフル・オーケストラと同じ効果を出そうとしているのです。第2主題は、無骨な第1主題とは対照的に、優しく柔らかいものです。激しい緊張と、ホッとするような安息が目まぐるしく交代し、壮大な叙事詩を紡ぎ出していきます。
第2楽章といっても、第3楽章のイントロダクションという位置づけになっています。しかし、単なるつなぎの楽章ではなく、前楽章の興奮を冷ますかのような位置づけです。終楽章とは調性も拍子も違いますので、独立した楽章としての性格が強いです。このテンションの低さには戸惑う人もいるでしょうが、『天使の微笑みがにわかに雲におおわれたよう(エルターライン)』と言われました。テーマは高音が途切れ途切れに何かを訴え、それを低弦が否定するかのように対話していきます。何とも意味深な楽章です。
第3楽章 ロンド:アレグレット・モデラート―プレスティッシモ
前楽章の導入を受けて、静かにロンドのテーマが流れ出します。素朴な旋律ですが、山から湧いた水が、やがて大河になってゆくように音楽は広がっていきます。このテーマはボンのあるライン地方の民謡から取られた、という説もあります。故郷に錦を飾る意図もあったのでしょうか。スケールは543小節。終楽章をメインに持ってくること、またロンド形式の中にソナタ形式の要素を入れて、大規模にすることは、これまでのベートーヴェンの取り組みの集大成といった趣きです。ここで現れる3点イの音はウィーンのピアノでは出せず、エラールだけが出せる高音でした。また、エラールの4つのペダルを活かし、ペダルの指示が細かく書かれていて、転調しても踏み続けるような指示もあり、音の持続が長い現代のピアノでそのまま演奏すると、音が濁ってしまいます。昔のピアノでも、未来のピアノでもダメで、まさにエラールのピアノのために作られた曲なのです。コーダは、シンフォニーのフィナーレのように雄大です。突如、テンポがプレスティッシモに上がる部分は、あまりに唐突で、最初に聴いたときはやけくそ?と感じましたが、人を圧倒する効果があります。
ベートーヴェンの頂点のひとつがここにあります。
動画は、私がベートーヴェンのフォルテピアノ演奏でおすすめしているロナルド・ブラウティハムの、エラールによる演奏です。彼の風貌もベートーヴェンを感じさせます。
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お気に入りのアンダンテ
曲全体が長大になりすぎる、ということで友人の忠告を受け入れて差し替えらえれた、元の第2楽章は、ワルトシュタイン・ソナタとは別に出版されました。作品番号はつけられていませんが、1807年の再出版の際に《アンダンテ・ファボリ(お気に入りのアンダンテ)》と名付けられました。ベートーヴェン自身がつけたのではなく、出版社がつけたのですが、ベートーヴェンがこの曲を好んであちこちで弾いていたことによるとのことです。彼が作品について友人の批判を素直に?受け入れたのは珍しいことですが、この曲は独立した小品にした方がいいかも、と思っていたのかもしれません。
アンダンテ・ファボリ ヘ長調 WoO57
Andante favori in F major, WoO57
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
ロンド形式ですが、テーマは変奏されて戻ってきますので、ロンドと変奏曲を合体させた形式です。とても愛らしく、夢見るような曲ですが、後半には、後期のピアノソナタを思わせるような深淵も垣間見えます。この曲が第2楽章だったとすると、ワルトシュタイン・ソナタの性格もかなり変わるということになります。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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