きわめて異例な短調楽章
ベートーヴェンの交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《エロイカ(英雄)》。
今回は第2楽章を聴きます。
第2楽章は『葬送行進曲』と題されています。
当然、調性は暗い短調(ハ短調)。
古典派シンフォニーで、緩徐楽章の第2楽章が短調というのは、極めて珍しいことです。
モーツァルトのシンフォニーでは、ごく若い頃の、K.96(111b)の1曲のみ。
ハイドンも、第103番《太鼓連打》の1曲のみ。
《太鼓連打》の第2楽章は、葬送とは題されていないものの、ハイドンらしからぬ、どこか不吉で不気味な感じを受ける音楽です。
そもそもこのシンフォニーは《エロイカ》と同じ変ホ長調で、ハイドンの中でも特にスケールの大きい曲ですから、もしかすると、ベートーヴェンに何らかのインスピレーションを与えたかもしれません。
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シンフォニーの第2楽章が葬送行進曲というのは、さらにさらに異例ということになりますが、ピアノソナタ 第12番 《葬送行進曲つき》で既に同じことを試していますから、ベートーヴェンとしては、満を持してシンフォニーに導入したわけです。
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誰の葬送か?
では、この葬送行進曲は、誰の死を悼んで作られたのか、ということが疑問となり、古来、さまざまな説が飛び交いました。
一番の珍説は、他ならぬ弟子のチェルニーで、英国のアバークロンビー将軍か、同じく英国のネルソン提督を悼んだものだ、としています。
ふたりともナポレオンの好敵手として活躍、指揮官先頭で勇敢に戦い、自軍に勝利をもたらしたものの、自身は戦死を遂げた英雄です。
サー・ラルフ・アバークロンビー将軍(1734-1801)は、ナポレオンのエジプト遠征に際し、英国陸軍史上語り継がれる果敢な敵前上陸を果たし、アレクサンドリアの戦いで敵を打ち破りましたが、勝利の瞬間に流れ弾に当たり、弾の摘出ができないまま、7日後に死去しました。
《エロイカ》作曲の2、3年前、1801年のことです。
一方、英国海軍のホレーショ・ネルソン提督(1758-1805)も、ナポレオンに対抗して各地を転戦、特に、ナイル河口アブキール湾の海戦では、フランス海軍を壊滅させ、エジプト遠征に出ていたナポレオンの退路を絶ち、ヨーロッパの英雄となりました。
そして、トラファルガーの海戦でフランス・スペイン連合艦隊を打ち破り、ナポレオンの英国上陸の夢を最終的に打ち砕きましたが、彼もまた弾に当たり、苦痛の中、自軍大勝利の報を聞いて、『神に感謝する、私は義務を果たした。』とつぶやきつつ、旗艦ヴィクトリー号上で息を引き取りました。
しかし、ネルソン提督の死は1805年ですから、《エロイカ》作曲後の出来事です。
チェルニーは、『ネルソンの死を悼んだものだからこそ、第1楽章は陸軍的ではなく海軍的なのだ』とまで言っていますが、時系列的にまったくあり得ないことになります。
ただ、私はこのチェルニーの説を知る前から、第1楽章に、アウステルリッツの三帝会戦の勝利者ナポレオンを、第2楽章に、トラファルガー海戦の勝利者ネルソンをイメージしていました。
第2楽章は、悲壮な沈鬱の中に、勝利の輝かしさを秘めていて、深い海の底から湧き上がるかのような情念に、〝海〟を感じます。
まさに、祖国を守りながら、自身は壮絶な死を遂げたネルソン提督を思い起こさせる音楽と思うのです。
チェルニーの説同様、時系列としては合わないのですが。
〝英雄の世紀〟
第2楽章については、ベートーヴェン自身が、1821年に、ナポレオンが流刑先のセントヘレナ島で病死した、との報を聞いたとき、『私は彼の死をシンフォニーに書いておいた』と述べていますから、〝ナポレオンの死〟を表しているのは明白です。
そうなると、このシンフォニーはもともと『ボナパルト』と題され、ナポレオンに献呈するつもりで作曲されましたから、なぜ縁起の悪い葬送行進曲なんかを盛り込んだのか、という疑問が沸きます。
しかし、当時はまさに〝英雄の世紀〟でした。
軍人たちは、勇敢に戦い、名誉の戦死を遂げて、歴史に名を遺すことを望んでいたのです。
ナポレオンも、常に指揮官先頭を心掛け、アルコレ橋の戦いでは、無謀としか言いようのない、一人での突撃も敢行していますから、死は恐れていませんでした。
むしろ、華々しい戦死こそ望むところだったかもしれません。
英雄は、英雄的な死をもって、英雄になれると言っても過言ではないのです。
棺を贈るということ
ネルソン提督も、ナイルの海戦で撃沈させたフランスの旗艦オリアン号のマストで作った棺を、記念品として贈られ、とても喜んで、自宅に飾っていました。
そして、いつかは名誉の戦死を遂げて、英雄としてこの棺に納まることを願っていたのです。
それは実現し、今もロンドンのセントポール寺院の地下に、同じく英雄のウェリントン将軍の棺と並んで安置されています。
ベートーヴェンの葬送行進曲は、まさにこの、棺を贈る、という行為に等しいものなのです。
ナポレオンがこの曲を聴いたら、ベートーヴェンの意図を即座に理解し、満足したことでしょう。
アバークロンビー将軍の追悼式典で、上官のヨーク公が読んだ弔辞にも、その精神がうかがえます。
『その厳格な規律、兵士の健康や望みへの目配り、軍務において発揮した隠忍不抜の精神、戦場での華々しい働き、そして英雄的な死。それらは彼のように、英雄的に生き、栄光に包まれて死にたいと願っている誰もがあやかりたいと思うものであった。』
これが、ベートーヴェンがこの楽章に込めた心なのです。
実際のナポレオンは、名誉の戦死ではなく、絶海の孤島での、寂しいベッドの上の死でしたが。
一方、〝御国のために死ぬこそ名誉〟という思想が、20世紀になると、職業軍人だけでなく、一般市民にまで広がってしまったのは、つらい歴史です。
もともとは、ごく限られた、特別な人物にだけ許された価値観であり、だからこそ彼らは英雄たり得たのです。
Ludwig Van Beethoven:Symphony no. 3 in E flat major, Op.55 “Eroica”
演奏:ホルディ・サヴァル指揮 ル・コンセール・ナシオン(古楽器使用)
Jordi Savall & Le Consert des Nations
第2楽章 葬送行進曲:アダージョ・アッサイ
ベートーヴェンは、この楽章ではチェロとコントラバスのパートをはっきりと分け、とりわけコントラバスに重要な役割を与えています。このバスに乗って、しめやかな葬送行進曲が進んでいきます。コード進行は、バッハやモーツァルトが荘重な音楽でよく用いたものです。3連符のリズム動機が、全体を死の空気で覆います。オーボエの哀愁さ漂う音色、金管の悲痛な叫び。行進曲である以上、トリオがありますが、そこではオーボエが、それまでの沈痛さを和らげるような、暗闇で光を見るような、ほっとする旋律を歌い、それをカノンのように他の楽器が受け継ぎます。しかし、オーケストラはそれを打ち消すように激しい総奏を時折差し込み、緊張感を途切れさせません。トリオが終わると、行進曲が単なるダカーポではなく、展開部のようにより世界を広げていきます。ここはまさに深い海の底か、冥界に降りていくかのようで、胸が締め付けられます。しかし、何と高貴な輝かしさが秘められていることか!沈鬱と栄光が、ここまで見事に融合された芸術作品があり得るのでしょうか。英雄を讃えるのに、第1楽章よりもふさわしいと思えるのが、この葬送行進曲なのです。まさに英雄が死によって真の英雄となり、昇華していく姿であって、常人の葬儀で使えるような音楽ではありません。コーダも長大で、第1楽章と同様に壮大な4部構成となっているのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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