孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

女帝を悦ばせた、最高の御前演奏。ハイドン『交響曲 第48番 ハ長調《マリア・テレジア》』

マリア・テレジア

女帝、侯爵の宮殿に行幸

ハンガリーに自分のヴェルサイユを〟という壮大な夢を実現すべく、莫大な費用をかけて大宮殿エステルハーザ」を造営した、ハイドンの主君、エステルハージ侯爵ニコラウス1世

庭の付属物も含めた最終的な完成は1784年でしたが、主要な建物が完成した1773年9月1日、侯爵は満を持して、ハンガリー女王兼オーストリア女帝(正式には神聖ローマ皇后、オーストリア女大公)マリア・テレジアを新造宮殿のお披露目に招待しました。

これは、ハプスブルク家第一の忠臣、エステルハージ家一世一代の盛儀でした。

日本史でいえば、豊臣秀吉が天下を取ったことを見せつけるために、天皇上皇を自邸に招いた「聚楽第行幸」にあたるでしょうか。

当然、贅を尽くしたおもてなしの大饗宴となりましたが、一番の目玉は、ハイドンの音楽でした。

当時の雑誌『ヴィーナー・ディアリウム』の記述から、その豪華が窺えます。

女王と従者たちが到着すると、一行は、庭園のなかを、侯爵の15台の壮麗な馬車に護られて進んだ。

驚異的なこの庭園は、シェーンブルン宮殿にフランス風の美しい庭園をもっていた女王にとっても、讃美しつくせないものであった。

夜には、ハイドン喜歌劇『裏切られたまこと』が上演された。これは宮廷からの賓客をいたく感動させ、女王は、『もし私がよいオペラを楽しみたいと思ったら、エステルハーザへ行きます』と言ったと伝えられているほどである。(この言葉は、まもなく、ウィーン中で繰り返されることになった。)

演奏にひきつづいて、城の豪奢な広間では、仮面舞踏会が催された。それから女王は、中国風のあずまやに招じ入れられた。鏡でおおわれたその壁面は、無数の照明やシャンデリアを反射して、部屋は光の洪水であった。

舞台では侯爵のオーケストラが、祭礼用の制服に身をかため、ハイドンの指揮のもとで、彼の新しい交響曲マリア・テレジアや、その他の音楽を演奏していた。

それから、女王は、豪華な続き部屋へ立ち去ったが、女王の従者たちは、夜明けまで、仮面舞踏会を楽しむのだった。

翌日、サラ・テレナで大宴会が開かれた。

その間、オーケストラの演奏家たちが、その技量を披露するのである。

午後になると、女王は、マリオネット劇場で催されたハイドンオペラ『フィレモンとバウチス』に臨席した。

女王はこのオペラにすっかり魅了され、その結果、4年後に、ある特別の祝典の際、衣装一式をそろえてウィーンに送らせることにしたのである。

晩餐ののち、賓客は、花火師ラーベルの企画による大がかりな花火の打ち上げを観賞した。その多様と華麗とは想像を絶するものであった。

その後、侯爵は、芸術的な設計によって形づくられた色とりどりの照明をつるした広大な広場へ女王を伴った。

すると、とつぜん、千人あまりもの農民たちが、美しいハンガリークロアチアの衣裳を着て現れ、魅力的な彼らの民謡のしらべにあわせて、民族舞踊を披露した。

翌朝、女王は、かずかずの高価な贈物を贈与したのち、出発した。

ハイドンには、金貨のつまった高価な嗅ぎ煙草入れが贈られた。

彼が女王を感嘆させたのは、音楽家としてばかりではなかった。女王の食卓に供せられた三羽の雷鳥を、彼は一発の弾丸でうちおとすのに成功したのである。*1

田舎の宮殿の、一流の舞台

エステルハーザ宮殿

前回見たように、エステルハーザ宮殿には、オペラ劇場マリオネット劇場が併設されていました。

まずオペラでは、ハイドン『裏切れたまこと』が上演され、それを観たマリア・テレジアの、『もし私がよいオペラを楽しみたいと思ったら、エステルハーザへ行きます』という言葉は流行語のようになりました。

建設後、オペラ劇場もマリオネット劇場も何度も火事に見舞われ、ハイドンの楽譜の多くが焼失してしまいましたが、オペラは比較的残っています。

しかし、多くの作品は現代では上演されておらず、モーツァルトと違ってハイドンにオペラ作曲家のイメージはないですが、当時としてはオペラ作曲家としての名声も高かったのです。

マリオネット劇場はエステルハーザの名物として、世界に名が轟きましたが、ハイドンの劇は多くが焼失し、残っているのは、今回マリア・テレジアが観た『フィレモンとバウチス』だけです。

女帝は、後にこれをウィーンでも演りたいと、衣装一式を取り寄せた、というのはよほどのことです。

人形劇といえば、子供の頃、NHKの『プリンプリン物語』や『人形劇 三国志』を夢中になって観たものですが、今ではなくなってしまいましたね。

古くは『ひょっこりひょうたん島』から一世を風靡した感がありますが、時代の流れなのでしょうか。

ハイドンは名スナイパー!?

マリア・テレジアの肖像が入った嗅ぎ煙草入れ

ハイドンマリア・テレジアから貰ったのは、王様が音楽家に下賜する定番、「金貨のつまった嗅ぎ煙草入れ」です。

モーツァルトもフランス王ルイ15世から、ベートーヴェンプロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世から貰っています。

凄い品物に思えますが、その後、彼らが急に裕福になったわけではありませんから、それで一生食える、といった価値でもなかったようです。

それにしても、ハイドンが一発の弾丸で3羽の雷鳥を仕留め、女帝の食卓に供したのいうのは、なかなかすごい余興です。

ハイドンがそんな銃の腕前を持っていたなんて、他の伝記からは読み取れません。

それにしても女帝は、ハイドンが幼い頃、聖シュテファン寺院の合唱隊でソロを歌ったとき、声変わりでひどい声になってしまったのを、〝カラスの鳴き声みたいね〟と酷評したのを覚えていたでしょうか。

御前演奏された曲は何か?

さて、女帝の御前で演奏されたという、新しい交響曲マリア・テレジアは、一般的には今回取り上げる、第48番 ハ長調のこととされていますが、学者の間では強い異論もあります。

それは、戦後、わりと近年になってから、スロヴァキアのツァイ・ウグロースのツァイ・フォン・ツェルメール伯爵家の蔵書より、ヨゼフ・エルスラーによるこのシンフォニーのパート譜の筆写譜が見つかり、そこに「1769年」という日付が入っていたからです。

女帝来臨の4年前、ということになります。

それで、この曲ができたのはもっと古いから、御前演奏されたものではない、と結論づけられました。

そして、この機会に演奏されたのは、同じハ長調で祝典的な第50番ではないか、と推定されました。

しかし、第50番は、マリア・テレジアの前で演じられた『フィレモンとバウチス』の、失われたプロローグ劇の序曲から、第1楽章と第2楽章が転用されたものですから、どちらにしても女帝の前で演奏されたものです。

一部流用したものを、同じ機会にわざわざ再演するというのも解せません。

雑誌『ヴィーナー・ディアリウム』の記事は、訪問の4年後のいきさつまで書かれていますから、タイムリーなものではありませんが、演奏の数年後には『マリア・テレジア』という愛称がついていたことが分かります。

この第48番が、ずっと『マリア・テレジア』と呼ばれてきたのも事実ですから、一枚の楽譜に書かれた年代だけでは覆らないのではないかと思います。

それが正しいとしても、この記事が〝新しい交響曲〟と書いた根拠も曖昧です。

旧作でも未発表だったかもしれませんし、演奏されたことがあったとしても、宮廷内のクローズドな空間での話ですから、外部から〝新しい〟と認識されても不思議ではありません。

何より、この曲の、圧倒的な賑々しさ!

まさに、偉大な女帝を迎えるにふさわしい音楽です。

私は、この曲こそ、マリア・テレジアの御前で演奏されたものと確信しています。

ハイドン交響曲 第48番 ハ長調マリア・テレジア

Joseph Haydn:Symphony no.48 in C major, Hob.I:48 

演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート

第1楽章 アレグロ

たぶん30年ほど前、初めてこの曲を聴いたとき、そのド派手さに圧倒された思いがしたのは忘れられません。さすがマリア・テレジア、とも思いましたが、タイトルから受ける女帝の威厳のような感じは微塵もせず、どこまでも明るい調子に、違和感を覚えたのも覚えています。

じゃん!と総奏が鳴ったあと、管楽器がファンファーレで王者の到着を告げます。基本はホルンですが、トランペットで補強した版もあり、そうなるとティンパニも加わります。しばし落ち着いたあと、再びファンファーレが吹き鳴らされたあとは、祝祭空間の始まりです。ただはしゃぎ回るばかりでなく、フェルマータで一呼吸置くのも絶妙です。行列が続くような箇所もあり、女帝の馬車を、侯爵家の馬車たちが護送するさまが目に浮かびます。

展開部の畳みかけるような切迫感も見事で、どんどん引き込まれていきます。再現部はまぶしいくらいの輝かしさです。

第2楽章 アダージョ

ハイドンのシンフォニーの緩徐楽章としては異例の長さです。この時期の定石通り、弱音器つきのヴァイオリンが、しめやかな旋律を奏でると、オーボエとホルンが合いの手を入れます。第2主題は、3連音に乗って歌われ、旋律は複雑に絡み合っていきます。ホルンとオーボエピアニッシモで奏される箇所は、ハイドンが特に思い入れを込めた、ロマン的ともいえる表現です。

第3楽章 メヌエット:アレグレット

闊達なメヌエットですが、必ずしも、いつものハイドンのような、農民的な通俗性は感じられません。フレーズ後半にはファンファーレが吹き鳴らされ、祝典にふさわしい音楽になっています。トリオは同主短調ハ短調で、悲劇的な趣が対比の妙を醸し出しています。

第4楽章 フィナーレ:アレグロ

上行音型が、まるで花火のように、次々と打ち上がります。この躍動感は、この時代には圧倒的な迫力があったことでしょう。空に昇ったヴァイオリンが、雲の合間を自由に飛び回るかのようです。と思うと、オーボエが半音階で不安な雰囲気も織り成し、音楽に深みを与えています。

若いうちから、諸国に戦争を仕掛けられ、絶体絶命のピンチを大胆な人材登用と改革の決断で乗り切り、オーストリアを近代国家に変貌させながらも、政略結婚に出した子供たちに一喜一憂し、生涯悩みの尽きることがなかった女帝。

ハイドンの音楽を聴いている間だけは、浮世を忘れられたのかもしれません。

 

マリア・テレジア・シンフォニーの、面白い演奏動画を見つけました。冒頭だけですが、ブーブー、ガチャガチャとしたこの曲の魅力が伝わってきます。


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こちらは室内楽による演奏です。


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女帝が楽しみ、お気に入りになったハイドンのマリオネット・オペラ『フィレモンとバウシス』の舞台風景です。人形劇オペラのイメージが沸きます。


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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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*1:大宮真琴『新版ハイドン音楽之友社