孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

女帝に突然訪れた、最愛の夫君との別れ。ハイドン『交響曲 第49番 ヘ短調《ラ・パッシオーネ(受難)》』

マリア・テレジア一家。フランツ1世は『主役はあちら』とばかり左手で妻を示す

最愛の夫を亡くした女帝

1773年、ハンガリーエステルハーザ宮殿を訪れ、ハイドンの作品を絶賛した女帝マリア・テレジアでしたが、音楽を心の底から楽しめたわけではなかったと思われます。

というのは、その時から8年前の1765年に、彼女は5男11女の計16人の子をなした最愛の夫、フランツ1世シュテファンを亡くしていたからです。

彼女の悲嘆は激しく、美しい髪を短く切り、華やかな衣服はすべて親しい人々に分け与え、自分は死ぬまで喪服を脱ぐことはありませんでした。

寝室の壁は灰色の絹で覆い、カーテンも灰色に。

シェーンブルン宮殿の中には、夫を偲ぶための真っ黒な漆塗りの部屋を設けました。

夫フランツ・シュテファンは、元は小国の君主ロレーヌ公であり、男子の絶えたハプスブルク家を継ぐために入り婿となり、そのため故国も放棄せざるを得ませんでした。

引き換えに神聖ローマ皇帝になれましたが、真の皇帝は妻マリア・テレジアであって、自分は単なる女帝の配偶者、副え物に過ぎないことは十分自覚していました。

周囲も彼を軽んじ、ずっと屈辱を味わってきましたが、温厚篤実な性格で、それに怒ったり、自己主張したりすることはほとんどありませんでした。

しかし、女帝を裏方で支え、その精神的な支柱となり、彼女の偉大なる業績は彼無しでは成し得なかったことを、彼女自身が、夫を先に失って、あらためて思い知らされることになったのです。

息子の結婚式のあとに訪れた悲劇

トスカーナ大公国フィレンツェでのレオポルト2世一家

悲劇は、慶事と抱き合わせで訪れました。

1765年、次男オポルトが、スペイン王カルロス3世の王女、マリア・ルドヴィカと結婚することになりました。

マリア・テレジアが推進した、ブルボン家との同盟強化策、婚姻政策の一環でした。

オポルトは、16人の女帝の子の中で最も優れていたといわれ、模範的な青年とうたわれ、人望を集めていました。

実際、後には、継嗣の無かった兄ヨーゼフ2世の跡を継いで皇帝オポルト2世となり、両親と同じく16人の子の父となって、ハプスブルク家の19世紀の繁栄を導きました。

若きベートーヴェンが、彼の即位を祝うカンタータを作曲し、ハイドンの目にとまって世に出るきっかけとなりました。

www.classic-suganne.com

オポルトは当時、父がロレーヌ公国と引き換えに得たイタリアのトスカーナ大公国の継嗣とされ、父が存命の間はその名代として統治することになっていました。

トスカーナ大公国は、統治者のメディチ家が断絶したため、浮いていたのを、国際社会の綱引きでフランツ・シュテファンに与えられました。

神聖ローマ帝国の領域には含まれない国なので、君主はハプスブルク家出身でも、いわゆるハプスブルク君主国とは独立して統治することが求められていたのです。

花嫁はスペインのバルセロナから船に乗り、イタリアのジェノヴァに上陸してアルプスを越え、オーストリアに向かう予定でした。

しかし、新郎新婦は挙式後、またアルプスを越えてトスカーナ大公国の首都フィレンツェに向かいますので、ウィーンまで来させるのは遠いため、皇帝一家も途中まで出向くことになりました。

結婚式で賑わったアルプス山麓の街

インスブルックの街

結婚式の場所は、フランツ帝は、ウィーンからそれほど遠くないグラーツを提案しましたが、マリア・テレジアは、チロルインスブルックに決定しました。

チロルは女帝の国内改革に一番抵抗していた州ですので、そこで盛大な式典を開催することにより、実情を視察するとともに、ハプスブルグ家への畏敬を植え付けようとしたと考えられます。

山間の小都市インスブルックは、突如としてたくさんの人々で溢れかえることとなりました。

女帝はあらかじめ、宮廷滞在中の食料品の値上げ禁止を布告するなど、現地経済を壊さないよう周到に準備をしていました。

8月5日、新郎新婦は無事に地元の教会で式を挙げ、祝宴の行事は何週間も続きました。

たまたまこの夏はことに暑く、山あいの街インスブルックは、盆地であるだけに大変な蒸し暑さに見舞われていました。

芝居見物のあとに

8月18日の夜、皇帝夫妻は長男でローマ王のヨーゼフ2世とともに、芝居見物に出かけました。

出し物はゴルドーが脚本を書いた喜劇とバレエでしたが、女帝は面白くないと言って、先に帰るわ、と途中で出ていってしまいました。

フランツ帝とヨーゼフ2世は律儀に最後まで観たのですが、劇場を出たところで、皇帝は突如心臓発作を起こし、ヨーゼフの腕の中で、そのまま息を引き取ってしまったのです。

穏和で誰からも好かれ、芸術と学問を愛した入り婿皇帝は、何の苦痛もなく、眠るように生涯を閉じました。

知らせを受けた女帝は、その場に崩れ落ちました。

夫の遺骸にすがりつき、涙とともに、後悔に暮れました。

自分が劇場を先に出たばっかりに、最愛の夫の臨終に立ち会えなかった…

そもそも、場所をインスブルックではなく、夫の提案のグラーツにしていれば、彼は死なずに済んだ…

彼女は、葬儀が済んだあと、祈祷書に次のように書き記しました。

私の幸福な結婚生活は、29年6ヵ月6日間だった。彼と結ばれた同じ時間に、同じ日曜日に、突然、彼は私の手から奪い取られてしまった

また、初めてひとりで過ごすことになった結婚記念日に、彼女は友人に次のように書き送りました。

私はこの記念すべき日を、ひとりで過ごしました。私の部屋に閉じこもってね。私たちの愛する偉大な方のいくつもの肖像画に囲まれて…。そうしながらずっと、過ぎ去った幸せを思い浮かべているの。その幸せをあまりにも大切にしなかったと、今さらながら後悔したりもしているけれど。きょうの結婚記念日に、私の持っていた衣装をすべて、人々にあげてしまいました。まだ私に残っていて、早くこないかと待ち望んでいるもの、それは私の棺と死に装束だけだわ。*1

インスブルックの街には、息子レオポルトの結婚を記念した凱旋門を築かせ、新郎新婦を讃えるレリーフが飾られていましたが、マリア・テレジアはその裏側に、夫シュテファンの死を悼むレリーフを取り付けました。

その結果、表面は慶事を、裏面は弔事を表した、人生を象徴するような門となりました。

インスブルック凱旋門(表)

インスブルック凱旋門(裏のフランツ1世を悼む彫刻)

夫の死によって、長男ヨーゼフ2世が、すでにローマ王としての選定手続きと戴冠を済ませていたため、自動的に神聖ローマ皇帝となり、女帝の共同統治者となりました。

しかし、ヨーゼフ2世は、母とは思想信条が異なり、また軽率な行いが多く、女帝の晩年を苦しめたのです。

マリア・テレジアの前半生は、戦争に次ぐ戦争で、大変苦しいものでしたが、よき伴侶を得て、乗り越えてこられました。

でも、寡婦となった今、その後半生は、さらに苦しいものになってしまったのです。

 

それでは、ハイドンのシンフォニーの中でも、異色の悲しみをまとった曲を聴きます。

喪服のマリア・テレジア

ハイドン交響曲 第49番 ヘ短調《ラ・パッシオーネ(受難)》

Joseph Haydn:Symphony no.49 in F minor, Hob.I:49 

演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 ジャルディーノ・アルモニコ

第1楽章 アダージョ

前曲のド派手な第48番『マリア・テレジア』とは正反対の、シリアスなシンフォニーです。

自筆譜が残っていて、作曲は1768年で確定しています。愛称の『ラ・パッシオーネ』は、イエスの受難を意味しますが、自筆譜には書いておらず、ハイドン命名ではありません。ただ、楽章構成が通常のシンフォニーと異なり、緩-急-メヌエット-急という、バロック時代の教会ソナタに近いこと、厳粛な曲調から、当時、聖金曜日に演奏されていた「受難交響曲」であると推察とされています。

しかし、第26番『ラメンタツィオーネ』のようなグレゴリオ聖歌の引用はなく、18世紀のいくつかの史料では『ユーモアのあるクエーカー(友会徒)』という、まるで違った愛称で呼ばれていることから、受難交響曲であるということも確実ではありません。クエーカーは当時の演劇のテーマとしてよく取り上げられていたので、この曲が舞台劇の付随音楽であった可能性もあります。でも、この曲の深みは、受難にまつわると考えた方がマッチします。

4つの楽章が、メヌエットのトリオを除いて、全てヘ短調で統一されていることも、バロックの教会音楽的な深刻さを生み出しています。

第1楽章は、通常第2楽章になる緩徐楽章よりもゆっくりとしています。重い足取りの伴奏に、ヴァイオリンの哀切極まりない旋律が流れるさまは、十字架の道行きを思わせます。第2主題は平行長調変イ長調になり、明るさも差しますが、それはかえって悲しみをつのらせます。失った人の懐かしい思い出がしばし胸に浮かぶかのようです。

第2楽章 アレグロ・ディ・モルト

一転、激しく劇的な音楽となります。理不尽に対する怒りが吹きすさぶようです。するごく切り込むような第1主題は二重対位法を用いて、幅広い跳躍を見せながら展開していきます。第2主題は平行長調の同音連打にはじまり、活発な動きの中にシンコペーション・リズムが織り込まれ、聴く人を引き込んでいきます。

第3楽章 メヌエット&トリオ

メヌエットも二重対位法で書かれ、素っ気なく、人を突き放すような哀感を醸し出しています。聴くほどに悲しみが募っていきます。一転、トリオは管楽器の独奏で、ヘ長調となり、このシンフォニー唯一の明るさを示します。しかし、それもつかの間の思い出のように消え去り、再び、悲しみのメヌエットに戻っていきます。

第4楽章 フィナーレ:プレスト

第2楽章以上に、ただならぬ激しさを増した嵐のような楽章です。第1主題は同じ音型を3回積み重ねて切迫感を募らせます。第2主題はヴァイオリンが8分音符で動き回りますが、まるで蒸気機関車が暴走するかのようです。(当時はSLはまだありませんが)オーボエが第1主題の音型を繰り返すのは、まるで何かに警鐘を鳴らしているかのようです。

ハイドンの明るいイメージを覆す、激しさと悲しみを込めた、深いシンフォニーといえるでしょう。

 

動画は同じく、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。(このサイトでは再生できないので、YouTubeでご覧ください)


www.youtube.com

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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