孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

甘やかされた王子様の行く末。マリア・テレジアとヨーゼフ2世母子の葛藤物語1。ハイドン『交響曲 第50番 ハ長調』

ヨーゼフ2世(1741-1790)

息子とはじめた共同統治のゆくえ

1765年。

女帝マリア・テレジアは、最愛の夫、神聖ローマ皇帝フランツ1世に先立たれました。

帝位は、すでに選帝侯によってローマ王に選ばれていた長男、ヨーゼフ2世に受け継がれました。

しかし、法的に男性しかなれないのは、中世のフランク王位に起源のあるローマ王と皇帝だけであって、マリア・テレジアが正式に即いていたオーストリア大公ハンガリーボヘミア王の位は、夫が逝去したからといって退位することにはなりません。

長男が受け継いだのは、ハプスブルク家出身ではない父が名目だけ即いていた地位であって、同家当主は依然として母だったのです。

そこで、マリア・テレジアが逝去する1780年までの15年間は、母子の共同統治時代となりました。

公式文書は、ふたりの署名がなければ発効しません。

〝マスオさん〟の立場をわきまえ、政治にはほとんど口を出さなかった父と違い、ハプスブルク=ロートリンゲン家という新しい女系皇統に変わったものの、ハプスブルク家の血を受け継いだ嫡男であるヨーゼフ2世は、何も遠慮する必要はありません。

新帝は、母を立てながらも、独自路線を進んでいきました。

しかしそれは、幾多の辛酸を舐め、国家運営の修羅場を何度もくぐり抜けてきた母から見れば、危なっかしい若気の至り、軽率な行いでしかありませんでした。

15年間は、母子の葛藤の連続となったのです。

ヨーゼフ2世は、映画『アマデウスに登場しますし、モーツァルトファンには親しみのある存在です。

皇帝はモーツァルトを可愛がる一方で、冷遇もしました。

この極端な相反する扱いは、モーツァルト自身に問題がある、という見方が強いですが、ヨーゼフ2世の複雑な性格による面も大いにあります。

モーツァルトの生涯とその芸術を理解する上では、ヨーゼフ2世のこともよく知る必要があるのです。

彼の生い立ちから見ていきましょう。

生誕で国を救った王子

マリア・テレジア夫妻と長男ヨーゼフ2世

ヨーゼフ2世は、1741年3月13日に、マリア・テレジアと夫君フランツ・シュテファンの長男として生まれました。

祖父カール6世は、男子の跡継ぎがもう望めないと悟ると、諸国に長女マリア・テレジアに、男が生まれるまでのつなぎの相続を認めさせました。

そして、彼女に男子が生まれるのを待ち望みましたが、3人続けて女児となり、先行きに大いに不安を抱きながら、1740年に崩御

列国は、先帝との約束はさっそく反故にして、ハプスブルク家の広大な領土を掠め取る絶好の機会として、攻め込んできました。

最初に襲ってきたのは、プロイセン王フリードリヒ2世です。

ピンチの中、マリア・テレジアが生んだのは、待望の男子でした。

まさに、干天の慈雨。

これで、意気消沈していたオーストリア国民も、一気に勇気づけられました。

四面楚歌を打開すべく、マリア・テレジアが生まれたばかりの長男を連れて向かったのが、ハンガリーでした。

敵に回るかもしれないハンガリー議会に、赤子を抱いて乗り込み、泣いて助けを求めると、その意気に感じたハンガリー貴族たちは、剣を抜いて、母子に『我らの血と命を捧げる!!』と誓いました。

その誓いの口火を切ったのは、ハイドンが後に仕えるエステルハージ侯爵です。

幼子を抱いたマリア・テレジアの姿は、その名の通り、イエスを抱いた聖母マリアに重なりました。

この感動的な光景は、いくつもの絵に描かれ、民衆にも流布しました。

その後ずっと、ハンガリーハプスブルク家を裏切ることはなかったのです。

まさに、幼子ヨーゼフは、その出生から歴史を変えたといえます。

ハンガリー議会におけるマリア・テレジア母子

ハンガリー議会におけるマリア・テレジア母子

ハンガリー議会におけるマリア・テレジア母子

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難しい、未来の帝王教育

このように、ヨーゼフ2世は、生まれ落ちたときから帝国の希望の星であり、その未来を背負っていました。

その存在には、単なる〝お世継ぎ〟以上の政治的重みがあったのです。

当然、教育には細心の注意が払われ、若き女帝自身が細部にわたるまで方針を定め、信頼する重臣に特別な教材を作らせました。

養育の責任者選びは難航を極めました。

指名された者は、その重責に震え上がり、辞退が相次いだのです。

失敗したら、ただでは済みません。

最終的には、強敵プロイセン兵からも〝荒くれ者〟として恐れられた猛将、カール・バチャーニ侯爵が引き受けました。

一方王子には30人もの近侍がかしづきました。

彼らはご機嫌を損じては大変、と腫れ物に触るように扱いましたので、この幼児は、将軍の厳しい躾の一方で、とてつもなく甘やかされて育つことになりました。

少年になる頃には、廷臣たちをバカにするような態度や、軽蔑するような言動を取るようになったのです。

妹たちにも、常に〝上から目線〟でした。

〝啓蒙専制君主〟の自己矛盾

それは、単に性格の問題だけではなく、非常に高い教育を受けたことにもよります。

歴史、法律、人文科学、自然科学を広く勉強し、語学ではドイツ語のほか、フランス語、ラテン語、イタリア語を叩きこまれました。

音楽ではチェンバロ、ヴァイオリン、チェロを学びましたが、映画『アマデウス』ではサリエリが教える場面が出てきます。

注目すべきは、マリア・テレジアが創設した学校、テレジアヌムの教授だったベックから、自然法啓蒙思想を教えられたことです。

カトリックへの敬虔な信仰を息子に求めたマリア・テレジアが、このような、今から見れば先進的な、当時としては危険思想ともいえる教育を許したのは興味深いことです。

そのせいもあって、ヨーゼフ2世は、成長するとモンテスキューヴォルテールルソーなどの啓蒙思想家や、ケネー重農主義の著作に親しむようになり、それを為政者として実践しようとしました。

それは、母の仇敵、フリードリヒ大王にも通じるものがあり、実際、長ずるにつれ彼は大王に心酔するようになってしまい、晩年の母帝を大いに悩ませたのです。

フィガロの結婚』の黒幕?

ヨーゼフ2世は、大王とともに、「啓蒙専制君主の代表として教科書に出てきますが、「啓蒙」と「専制」というのは矛盾した概念です。

彼は、24歳のときに、『すべての人は生まれながらに平等である。われわれは両親から、生き物としての生命を受け継いでいるにすぎない。したがって、王、伯爵、市民、農民の間にはまったくなんの違いもありえない。』というメモを母帝に渡しています。

これは、後に、フランス革命の引き金を引いたとされる、フランスのボーマルシェの戯曲フィガロの結婚のせりふにそっくりです。

モーツァルトが、反体制的なこの危険な芝居をオペラ化するのを、ヨーゼフ2世が許したのもうなずけます。

もしかすると、許した、というより、逆にモーツァルトにひそかに命じたのではないか、とまで勘ぐられます。

ヨーゼフ2世は、このように先進的、近代的な「自由主義」の思想と理想の持ち主で、〝上からの革命〟を進めましたが、いけなかったのは、その手法が、依然として「絶対主義」だったことです。

わがままに育てられた弊害が出まくり、人の話を聞かず、周囲を見下し、自分だけが正しいと思い込み、強引に一方的な命令でことを進めたのです。

これは、人の和を大事にし、人心掌握によって、大帝国の統治と、困難な国家改革を進めた母とは、正反対のやり方でした。

オーナー企業の二代目、三代目にありがちですね。

これが「啓蒙」で「専制」の致命的な限界ですが、この時代の学問、芸術活動は、多くが彼らの保護の遺産であることもまた、事実なのです。

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それでは、ハイドンエステルハージ家時代のシンフォニーを聴いていきましょう。

ハイドン交響曲 第50番 ハ長調

Joseph Haydn:Symphony no.50 in C major, Hob.I: 50

演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート

第1楽章 アダージョ・エ・マエストーソーアレグロ・ディ・モルト

1773年の、マリア・テレジアエステルハーザ宮殿訪問時に演奏されたのは、第48番『マリア・テレジア』ではなく、この曲だったということが、H.C.ロビンス・ランドンら有力な学者たちによって提唱されています。でも、私はそれは違うのではないか、と思う理由は前々回の記事にしました。

でも、どちらが正しくとも、この曲の第1楽章と第2楽章が、マリア・テレジアの前で演奏されたのは間違いありません。それは、この二つの楽章が、元は、御前で演じられたマリオネット・オペラ『フィレモンとバウチス』の前座劇、『神々の怒り(忠告)』の序曲だったからです。

この曲は、後になって、それに第3楽章のメヌエットと、第4楽章のフィナーレを付け加えてシンフォニーに仕立て直したものなのです。『神々の怒り』は消失してしまって現存していません。

さて、第1楽章の、付点リズムの壮大な序奏は、神々、女神たちが劇に登場する音楽です。人間が繰り広げるドラマが始まる前に、神々が出てきて色々と議論するのは、よくある常套場面です。神々たちの思惑や悪戯、いさかいが人間の運命を決めていく、というわけです。

主部に入ると、3拍子に代わり、8分音符が活発に動く中、元気に展開していきます。唐突な転調が、一瞬で暗転するドラマを表現しています。まさに、躍動の音楽といえます。

第2楽章 アンダンテ・モデラー

一般的な下属調ではなく、より華やかなト長調を選んでいるところが珍しく、オペラ起源であることを示しています。弦のポリフォニックな旋律がだんたんと収斂されていき、独奏チェロがユニゾンでなぞって強調するなど、細かい工夫が凝らされています。中間部と終結部にはオーボエが加わり、音色に変化を付けています。うっとりとするような美しさです。

第3楽章 メヌエット

第1楽章、第2楽章にはトランペットのパートはありませんでした。ティンパニのパートはあるので、演奏時には加えられた可能性があり、この演奏では加えられていますが、この楽章では最初からトランペットが活躍するようになっています。メヌエットは小さなソナタ形式で書かれており、これまでの曲より発展しているといえます。トリオは、ハイドンの全曲の中でも珍しく、リピート記号がなく、全て通作されています。トリオにメヌエットへの移行句があったり、調性上の凝った工夫があったり、〝新しいメヌエット〟への意欲がみなぎる曲です。

第4楽章 フィナーレ:プレスト

分かりやすくシンプルな単一テーマが、実に躍動的に走り回ります。強弱の連鎖がきびきびとして、実に楽しい!飛び上がるようなフレーズ、突然鳴り渡る不協和音、ウィットに富んだ展開に引き込まれていくうちに、簡潔で輝かしいコーダで曲を閉じます。あまり演奏される機会はありませんが、実にかっこよく、粋なシンフォニーです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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