
フリードリヒ大王に会ったヨーゼフ2世(左)
共同統治者である、偉大なる母帝マリア・テレジアからどんどん離れて、独自路線を突き進む皇帝ヨーゼフ2世。
彼は〝上からの改革〟で国民に幸福をもたらし、国力を上げ、永遠に〝名君〟の誉れを得ようと張り切っていました。
その志や、よし。
しかし、そのやり方は独善的で、人の意見を聴かず、完全なる独裁でした。
これこそ、自己矛盾をはらんだ「啓蒙専制君主」の典型です。
それには、偉大なる先輩がいました。
プロイセン国王、フリードリヒ2世(大王)です。
彼は、マリア・テレジアの女系相続を認めず、即位と同時に侵略してきて、豊穣の地シュレージェン(シレジア)を奪った、母の仇敵です。
母にとってプロイセン王は、泥棒か悪魔でした。
父祖伝来の土地と国民を守るため、彼女は王と、オーストリア継承戦争、七年戦争と、生涯を賭けて死闘を繰り広げてきました。
ところが、あろうことか、長ずるにつれ、息子ヨーゼフ2世は、フリードリヒ大王に憧れ、尊敬の念を強くしていったのです。
ヨーゼフ2世は、軍隊が好きでした。
軍服を着用して閲兵したり、指揮をしたりするのを好みました。
将軍たちを引き連れてボヘミアの陣地を見て回り、堡塁の構築などを命じました。
ハプスブルク家の皇帝たちは、これまでこんな軍人まがいのことをしたことはありませんでした。
これはプロイセン王のやり方にほかなりません。
明治維新後、新しい国作りにあたり、明治新政府はプロイセンの国制をお手本にしました。
そのため、これまで戦争どころか政治にもかかわってこなかった天皇を、軍の総指揮者である大元帥に位置付けてしまいました。
それによって、大正、昭和と、天皇の統帥権をかさに着た軍部が独走し、無茶な戦争を始めてしまったのです。
マリア・テレジアが苦しんだのみならず、後世の日本まで焦土になってしまうほど、〝プロイセン流〟は危険なのです。
なんと、息子が悪党に会う!?

ナイセの要塞図(1741年)
そんなヨーゼフ2世をハラハラしながら見守るしかなかったマリア・テレジアですが、耳を疑う情報が入ってきました。
なんとヨーゼフ2世が、フリードリヒ大王の招きを受けて、会見に臨む、というのです。
その衝撃といったら、今の情勢でいえば、バイデン大統領が突然プーチン大統領に会いに行くようなものです。
ヨーゼフ2世としては、憧れの英雄に会えるとなって、すっかり舞い上がってしまっています。
マリア・テレジアは当然、大ショックを受け、止めにかかりました。
息子があの悪党に一対一で親しく会うなんて、考えられないことでした。
宰相のカウニッツ侯爵も反対しました。
しかし、若き皇帝は耳をかさず、「ファルケンシュタイン伯爵」という偽名を使って、一貴族に身をやつし、お忍びで会見場所へ出発してしまいました。
会見は、1769年8月25日から28日までの4日間。
しかも、プロイセン側が会見場所に選んだのは、シュレージェンのナイセでした。
マリア・テレジアが即位したとき、プロイセン軍はオーストリア軍からほとんど抵抗を受けずに侵攻してきましたが、唯一勇敢に抵抗したのがこのナイセ要塞だったのです。
プロイセンはこの要塞を奪うと、これをさらに難攻不落の城塞とし、ヨーゼフ2世に見せつけて、母が諦めたシュレージェンを取り戻すという野望を抱かせないように、という目的があったのです。
しかし、ヨーゼフ2世は、シュレージェンは既に生まれる前に奪われていて、自分の国の領土だったという意識はありません。
ここでの会見がいかに屈辱的なものかさえ、彼は理解していませんでした。
梟雄にすっかり取り込まれた皇帝

ヨーゼフ2世とフリードリヒ大王
ヨーゼフ2世とフリードリヒ大王は、かなり話がはずんだらしく、心配する母に向かって、毎日状況を手紙で報告しました。
『きょう、私たちはほとんど4時間もテーブルに座っていました。そして私たちはふたりだけで話しました。何百という事柄について。この前の戦争については、王はとても控えめに話していました。』
手紙には、プロイセン王はいかに自分に親切か、いかに自分を高く評価してくれているか、と自慢気に書き連ねましたが、それを読めば読むほど、母は経験不足で未熟な息子が、百戦錬磨の老獪な王に手玉に取られているとしか思えませんでした。
実際にヨーゼフ2世は、シュレージェンはもはやオーストリアのものではない、と公式に声明するに至りました。
七年戦争の講和条約で、マリア・テレジアはシュレージェンについては諦めていましたが、後継者についてもまんまと再確認させられたのです。
このふたりの啓蒙専制君主は、さらに意気投合して、マリア・テレジアの晩年を不幸にしていくのです。
それでは、ハイドンのシンフォニーを聴いていきましょう。
ナイセの会見の5年後、1774年の作曲です。
Joseph Haydn:Symphony no.57 in D major, Hob.I:57
演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(古楽器使用)
これまでに書かれたシンフォニーで、最長の序奏をもっています。なにやら物陰で怪しい物音がするかのような始まり方で、だんだんとそれがふくらみ、迫ってきます。何とも不思議な雰囲気です。
一転。アレグロの主部はパッと青空が広がるかのように明るく、元気です。8分音符の軽快なリズムに乗って、ハイドンの音楽は時に優しく、時に子供のように無邪気に遊びます。序奏に負けず、提示部も長大で、このシンフォニーはハイドンの作品の大規模化の過程を示しているのです。
何度聴いても飽きない、私のお気に入りの1曲です。
テーマと変奏になっていて、テーマの前段は、ピチカートの短い楽句と、呼吸のようなレガート楽句、そして歌うような旋律の3つから成っています。後段は、これらの3つの要素がハイドンの天才的な処理で展開していきます。
そのあと、4つの変奏が続きますが、第1変奏から初めて管楽器が加わり、第2変奏は3連符の重なりとなり、第3変奏ではヴァイオリンが繊細な装飾を奏でます。第4変奏では陰を増す半音階的進行が深みを増していきます。ピチカートのテーマは、最後までこの楽章を特徴づけています。
第3楽章 メヌエット(アレグレット)&トリオ
優雅な装飾的なメヌエットです。まるで後のワルツを予告しているようなリズムです。トリオの開始部が、メヌエットの最後の2小節の音型を、ニ短調で繰り返していくことに驚かされます。トリオは弦楽器だけのモノトーンの音楽です。
第4楽章 フィナーレ:プレスティッシモ
3連符の細かいテーマは、17世紀にウィーンで活躍した作曲家アレッサンドロ・モリエッティによる『おんどりとめんどりの鳴き声によるカンツォーナとカプリッチョ』というチェンバロ曲から取られているとされています。確かに、鶏たちが賑やかにやかましく鳴き交わす様子が彷彿とする、ユーモアたっぷりのフィナーレです。
動画は、ハイドンを主体に取り上げる鈴木秀美指揮、オーケストラ・リベラ・クラシカの素晴らしい演奏です。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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