大王の強欲な要求
バイエルン継承戦争を終結すべく、女帝マリア・テレジアは、この戦争の火種をまいた息子、皇帝ヨーゼフ2世の頭越しに、宿敵プロイセン王、フリードリヒ2世(大王)と和平交渉を始めました。
そのため、戦闘は中止のまま冬を迎えます。
しかし、外交交渉は、諸国の王たちのメンツと思惑によって、熱戦となっていました。
フリードリヒ大王は、撤兵して和平に応じる条件として、まったく別問題と思われる要求をしてきました。
ドイツ内にある「アンスバッハ辺境伯領」と、「バイロイト辺境伯領」を将来的にプロイセンに併合することを認めろ、というのです。
このふたつの国は中世以来、プロイセン王と同じホーエンツォレルン家の君主が治めていました。
傍系ですので、フリードリヒ大王からは遠い親戚、ということになります。
縁と言えばそれだけなのですが、中央ドイツに勢力を伸ばしたい大王としては、かねて両国の併合を狙っていました。
しかし、同族という理由だけで併合するなど、国際社会は認めません。
大王は、この機会に、それを認めろ、と横車を押したのです。
しかも、今もれっきとした君主がいるので、「将来的に」というへんな条件つきで。
ヨーゼフ2世の野心を責めて戦争を起こしておきながら、和平の見返りに全然別の領土を要求するとは、まさにマリア・テレジアが「盗賊」と罵っただけのことはあります。
背後で糸を引くロシア
マリア・テレジアはこれを拒否しますが、その見返りとして、ヨーゼフ2世がせっかく進駐したバイエルンを手放してもよい、と提案しました。
プロイセンは、オーストリアのバイエルン獲得に反対して戦争を起こしたわけですから、これは断れないはずなのですが、なんとフリードリヒ大王は、それなら両辺境伯領をザクセンに譲渡したい、その対価は払う、と言い出したのです。
これには、交渉当事者はもちろんのこと、フランスのマリー・アントワネットの夫ルイ16世まで呆れてしまいました。
9月になって、ボヘミアの山々は雪がつもり、悪天候となってプロイセン軍を苦しめました。
糧食不足に疫病まで発生したので、やむなくフリードリヒ大王は退却しましたが、いったん軍を立て直すと、10月には再びハプスブルク領シュレージエンに進軍し、占領したのです。
プロイセンの背後にはロシアがついていました。
ロシアはプロイセンの勃興にも警戒していましたが、目下トルコとの戦争中でした。
ヨーゼフ2世はトルコにも領土的野心がありましたので、ロシアの対トルコ戦も妨害しており、ロシアを怒らせていたのです。
恋愛結婚を認めていれば…
また、ドイツ国内でも、ハプスブルク家の味方は増えません。
マリア・テレジアからマリー・アントワネットへの手紙を引用します。
マリア・テレジアからマリー・アントワネットへ(1778年11月2日)
プロイセン国王のこの2週間の動きは、大きな狙いを秘めていることを示しています。いったんは冬の宿営地に引っ込んだのですが、その後あらためて部隊を集結させ、全兵力でシュレージエンにあるわが国の領土に襲いかかったのです。こちらの領土は何の防備も施されておらず、誰でも好きなように奪い取ることができるのです。敵はいつものとおり徹底的に略奪し、モラヴィアに攻め込む気配を窺わせました。これは、季節からいっても、すべての道路が寸断されていることからしても、私はあり得ないと見ています。私にはむしろ、これはロシア軍と呼応した動きではないかと思われます。ポーランドからの報告によれば、ロシア軍はトルコと戦闘中にもかかわらす、移動を始めたというのです。もしもこれが事実なら、事態は最悪です。とにかく、現在はどんなことでも覚悟していなければなりません。というのも、何よりもまずわが国には同盟国の支援がまったくないのですから。同盟国はプファルツ伯やツヴァイブリュッケン公にすら働きかけてはくれないのです。
このようなお話をお聞かせしなければならないのは残念です。しかし、もはやどんなにお話ししてもし過ぎることがないという状態になってしまいました。手遅れにならないうちに平和を回復しようとしても、問題が広がりすぎてしまったのです。ところで、フランスの安寧と名誉のためにはもっと男らしい積極的な姿勢が必要であろうと思われます。正直なところ、フランスにとって重大なあなたのご懐妊という時期に、私たち両国にとって重要な問題をそちらの国がおろそかにしていたことは、私にはきわめて遺憾です。これでは将来に何を期待できるでしょうか。どんな大国であれ、同盟国がいなければ国家として存続することはできません。*1
この手紙でマリア・テレジアはマリー・アントワネットに対し、フランスがツヴァイブリュッケン公にさえ働きかけてくれない、と愚痴をこぼしていますが、実はこれはマリア・テレジアが自分でまいた種でした。
彼女は、第六皇女マリア・アマーリアに恋人との恋愛結婚を許さず、フランス・ブルボン家との同盟強化策の一環として、パルマ公と政略結婚させました。
マリア・アマーリアは、恋愛結婚を認められた母のお気に入りの姉マリア・クリスティーナを引き合いに出して泣いて抵抗しましたが、マリア・テレジアは、相手が格下で身分不釣り合いだとして認めず、パルマ公との結婚を強要しました。
その、無理矢理引き裂かれた元恋人が、プファルツ=ツヴァイブリュッケン公子、カール・アウグスト・クリスティアンで、後にプファルツ=ツヴァイブリュッケン公になったのです。
マリア・アマーリアも、母への当てつけで、愚鈍な夫は相手にせず、浮気をしまくって抵抗しました。
元恋人も、自分との結婚を許してくれなかったマリア・テレジアを恨み、ハプスブルク家への仕返しを目論んでいました。
バイエルン継承戦争は、そんな好機になりました。
彼は、ドイツ諸侯に対し、ハプスブルク家に味方をしないよう、大いに働きかけ、その結果、オーストリアはこの戦争で孤立無援になってしまったのです。
マリア・テレジアが、政略結婚するにしても、ドイツ諸侯は相手にせず、フランス系のブルボン家ばかりとの絆を深めたのは、失策といわれています。
確かにドイツ国内の小領主より、大国フランスの方が同盟国として当てになりそうですが、実際にはそうはならず、逆にドイツ国内をおろそかにしたことによって、オーストリアは次の世紀にドイツの盟主となることができなかったのです。
それどころか、このツヴァイブリュッケン公は、バイエルンの王家ヴィッテルスバッハ家の一門でしたから、彼にマリア・アマーリアを嫁がせておけば、ハプスブルク家の後ろ盾によって、今回跡継ぎの絶えたバイエルン選帝侯になる目が大いにあったのです。
まったくもって結果論でしかありませんが、もし、マリア・テレジアが娘の恋愛結婚を認めていれば、戦争などせずにバイエルンが手に入ったかもしれないのです。
バイエルンに関しては、母子ともに下手を打った、と言わざるを得ません。
マリア・アマーリアについてはこちらの記事にしました。
www.classic-suganne.com
マリー・アントワネットも、母に泣きつかれても、オーストリアのやり方は正義ではない、という考えの夫ルイ16世を説得できません。
そんなこんなで、戦争も和平交渉も膠着したまま、1778年は暮れていきました。
それでは、同時代のハイドンのシンフォニーを聴いていきます。
Joseph Haydn:Symphony no.67 in F major, Hob.I:67
演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 バーゼル室内管弦楽団(古楽器使用)
第1楽章 プレスト
前作の第66番と同様、このシンフォニーの作曲年代も特定されておらず、第66番、第68番と一緒に1779年に「作品15」として出版されています。この時期の作品としては、ハイドンの独創性が特に光っていて、人気のある作品です。
第1楽章がプレストという、ふつうはフィナーレに指定される速い指示がありますので、さぞや最初から飛ばすのか、と思いきや、なんと第1ヴァイオリンが慎ましやかに分散和音を刻むピアニッシモから始まります。伴奏にはピチカート。何とも優雅で可愛らしい…と思っていると、いきなり無骨なホルンが吠え、総奏の嵐が吹き荒れます。まるで天上から降り注ぐ光のように輝かしくもあります。ハイドンは、必ず人の意表を突かなければならない、と思い込んでいるのでしょうか。
展開部はシンプルだった第1主題や第2主題がカノン風に追いかけ合い、ただ事ではないほどに緊迫感をはらみます。
再現部は、冒頭の優雅な静謐さに、展開部の激しさの名残を加えながら、予定調和に向かっていきますが、最後の最後にまたホルンが吠えて終わります。
弱音器をつけたヴァイオリンが、何やらつぶやくように語り始めます。それに各楽器が加わり、色彩を添えてゆきます。まるでオペラのアリアのように内容が濃く感じます。ここでも途中でホルンが無骨に顔を出します。展開部になると、2つのヴァイオリン群がカノンのように追いかけ合いますが、いったい何を語っているのか、気になるような不思議な雰囲気を醸し出します。再現部では、冒頭の静かな調子に戻りますが、締めくくりに驚かされます。メインのフレーズを、弓の背で弦を叩いて奏するのです。これは「エル・レーニョ」という特殊奏法で、カチャカチャと、まるで小人が仕事をしているようです。初めて聴いたエステルハージ侯爵も面喰ったことでしょう。
短く、元気のようにメヌエットですが、主部はトリオの予告のようになっていて、トリオは2本の弱音器をつけたヴァイオリン・ソロの絡み合いです。第1ヴァイオリンがかなでる高音は民族舞踊的で、第2ヴァイオリンが受け持つ持続低音「ドローン・バス」が、さらに田園的な雰囲気を醸し出します。この楽章はヘ長調で書かれているので、第2ヴァイオリンは持続音を弾くために、わざわざG線を1音低くFに下げて調弦しなければならないのです。この短い楽章のためにここまで奏者に手間をかけさせるのは、余興的ジョークなのか、芸術的理由なのか、分かりません。
ひとつの楽章で急-緩-急のイタリア序曲のような構造をもっています。最初の部分は、元気いっぱいの総奏ではじまり、伸び伸びと展開していきます。中間部は、前楽章メヌエットのトリオの2つのヴァイオリンによるかけあいに、チェロのソロが加わります。フィナーレにもトリオがある格好です。中間部の後半には、全オーケストラの総奏が掛け合いのように入ってきて、なんとも不思議な感じです。最後には、管楽器たちも技巧的に加わり、華やかに曲を閉じます。
さまざまな異例の「余興」が仕込まれたこのシンフォニーは、侯爵家の特別な機会のために書かれたのでしょうか。もはや、シンフォニーは劇の始まりの音楽ではなく、コンサートの主役に躍り出たのです。
動画は、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮、バーゼル室内管弦楽団の演奏です。コンミスは笠井友紀さんです。楽章と楽章の間には「余興」が仕込まれています。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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