孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

妻と政治の板挟み!いつも気の毒なルイ16世。マリア・テレジアとヨーゼフ2世母子の葛藤物語16。ハイドン『交響曲 第66番 変ロ長調』

ルイ16世

鍵を握るフランスの動向

1778年7月、皇帝ヨーゼフ2世が強引にバイエルンを併合しようとし、オーストリアが大国になってしまうのを牽制すべく、オーストリアボヘミアに攻め込んだプロイセン王フリードリヒ2世(大王)

このバイエルン継承戦争は、ヨーゼフ2世の共同統治者であった女帝マリア・テレジアが拒否権を発動し、恥を忍んでフリードリヒ大王と和平交渉を始めたため、戦闘らしい戦闘が行われないまま、実質的に休戦状態になりました。

ボヘミアで、無為に滞陣を余儀なくされた両軍40万は、糧食不足で畑のじゃがいもを掘って食いつなぎ、〝ポテト戦争〟と揶揄されました。

もともと、本格的な戦争を望んでいなかったフリードリヒ大王は、宿敵マリア・テレジアが頭を下げてきたのをよいことに、できる限り自分に有利な講和条約を結ぶべく、無理な条件を突き付け、交渉を長引かせました。

息子ヨーゼフ2世の短慮な野望から始まった戦争は、母帝が再三止めたように、〝失うだけで得るものが何もない戦争〟になってしまったのです。

フリードリヒ大王は、ヨーゼフ2世の危険な野心を国際的に宣伝し、国際世論を味方につけ、オーストリアを孤立させて、交渉を有利に運ぼうとしました。

そこで核心となるのは、大国フランスの動向です。

フランスは、マリア・テレジアプロイセンに対抗するべく、生涯を賭けて、永年の敵から味方に変えた国です。

フランス王家のブルボン家に娘を何人も嫁がせ、政略結婚によって同盟を強化しましたがその総仕上げに、末娘にしてヨーゼフ2世の妹、マリー・アントワネットをフランス王妃にしました。

今こそ、その成果が発揮されるべきときなのです。

妻との板挟み、あわれな国王

マリー・アントワネットは、戦争が始まる前、母帝マリア・テレジアの指示により、夫のルイ16世に、オーストリアの味方になってくれるよう頼みましたが、夫王には、〝あなたのご実家のやり方がひどすぎるのですよ〟と断られてしまったことは先述しました。

ルイ16世は、世間に言われているような愚鈍な人物ではありません。

名君とはいえず、気弱で優柔不断気味ではありましたが、心優しい、常識を持った普通の人でした。

ただ、よほどの名君でも切り抜けることが難しい局面で王様になってしまった、ということです。

マリー・アントワネットも同じで、きわめて普通の女性でしたが、この戦争の局面では、フランスが少なくとも敵側につかないよう、一生懸命努力しました。

そこは、さすが偉大なる女帝の娘、と思います。

引き続きがんばるマリー・アントワネット

マリー・アントワネット

戦争開始後の、母子の手紙のやり取りから、マリー・アントワネットの活躍を探ってみます。

まずは、戦争が始まった10日後の手紙からです。

マリー・アントワネットからマリア・テレジア(1778年7月15日)

愛するお母様

今この不幸な瞬間に私の心を占めております悲しみと不安は、とうてい言葉ではあらわせません。しかし、私が何より辛くてならないのは、愛するママのお気持ちと人一倍感じやすいお心を思わずにはいられないことです。ママのお悩みはいかばかりかと、そればかりかママのくじけることのない勇気までもが、ひたすら案じられるのです。このように思うだけでわなわなと震えております。神様、ママのところへ飛んでいけないものでしょうか!もしも行けたなら、ママのお姿を、そしてお顔をじっと拝見し、悲しみを分けていただき、ごいっしょに涙を流すでしょうに!でも。悲しみにえぐられた心からおのずと漏れ出てしまったのです。しかし、私は大いなる希望をもっております!そうです、神様があのような正義にもとる男(引用注:フリードリヒ大王)に勝利を許すはずがありません!先頭に立つ皇帝、指揮をとる二人の将軍、そして何よりもオーストリア人の心が、私に大いなる確信を抱かせてくれるのです。きょうの午前、陛下(引用注:ルイ16世)がたいそう感動的な場面を見せてくださいました。愛するママもご存じのように、私はこれまでの一連の出来事の責任を、すべて陛下のお心のせいにしようなどとは思ったことはありません。陛下のただならぬ気の弱さとご自分にたいする自身のなさを嘆いてきただけです。じつはきょう、陛下は私のところにおいでになり、私がひどく悲しみ不安がっているのをご覧になると、涙を流してご心配くださったのです。白状しますと、私はとてもうれしくなりました。それは私に対する欠けるところなき愛の証明だったからです。これでようやくご自分で決断され、誠実で立派な同盟国の指導者として振る舞ってくださるものと思っています。*1

これまで、マリー・アントワネットは、フランスがオーストリアの味方になってくれるよう、夫に頼み続けました。

しかし、ルイ16世は首を立てに振ってくれません。

それを王妃は夫の気弱と自信のなさからきている、と思っているのですが、それはヨーゼフ2世のやり方があまりにも大義がなく、フランスの国益に反しているからです。

とはいえ、優しいルイ16世は、王妃の苦しい立場も理解し、涙した、というエピソードです。

マリア・テレジアからマリー・アントワネット(1778年8月3日)

わが国の状況をお知らせするために、使いの者を早くあなたのところへ行かせなくてはと、私ほど気が急いている者はいないでしょう。しかし、不幸なことに問題は長引き、そのうえ状況は、皇帝とほかの息子たちを現在の恐ろしい状況から一刻も早く連れ戻すという、私の待ち望んでいた結末を迎えるためには、いまだにとても有利とは申せません。というより、3万におよぶザクセン軍が敵方についたためにいっそう悪化してしまいました。そのためにプロイセン軍は味方を4万も上回る兵力をもつことになり、わが軍に防戦を強いています。(中略)

あなたが国王陛下となさった話し合いのご報告、ありがたくてつい涙がこぼれました。でも、あなたがたいそう嘆き悲しんで貴い涙を流されたというメルシーからの知らせには、さらにいっそう心を打たれました。それを聞いたとき、これこそまさに愛する私のアントワネットのお心だと、改めて思い知ったのです!

プロイセンは、ザクセンも味方につけてしまい、情勢は悪くなる一方でした。

これまで、大国の王妃としての娘の至らなさを手紙で叱ることが多かった母帝は、初めて娘の涙に癒されたのです。

マリア・テレジアからマリー・アントワネット(1778年8月6日)

君主としても母親としても、私が現在いかに恐ろしい状況にあるか、あなたに話すようメルシーに頼んでおきました。わが領邦を途方もなく恐ろしい荒廃から救いたいと思いますので、何としてもこの戦争から身を引く道を見つけねばなりません。また母としては、三人の息子が最大の危険にさらされているだけでなく、途方もない辛労から倒れる寸前であることも承知しています。息子たちはかような生活には慣れていないためです。私が今の段階で講和を結べば、とんでもない臆病者というそしりを免れないばかりか、プロイセン王をますます強大にすることになります。そのうえわが国にたいする救いの手は、今すぐ差し伸べられなければ間に合いません。正直なところ、頭は混乱し、心はとうに消え入らんばかりです。(中略)

私は国王陛下(引用注:ルイ16世)にたいして、この不幸な戦争に引き込むことになるようなお願いはいっさいしないつもりです。しかし、示威行動をお願いしたいのです。ハノーヴァー軍が敵方についた場合を考えて、援軍として駆けつけてくれる連隊と将軍たちを任命し、あるいは部隊を編成してくださるだけでいいのです。わが国が敵に征服されることはフランスの国益に反します。フランスはわが国ほど誠実な同盟国を持つことはありません。しかしわが国は外見では、つまりお世辞やお追従を振りまくことにかけては、正直に申して、いつも劣っています。

今のウクライナ戦争もそうですが、戦争は一度始めてしまうと、引くに引けない状況になってしまうのは歴史の常です。

女帝マリア・テレジアも、早く戦争は終わらせたいものの、譲歩し過ぎることもできず、とてつもない葛藤にさいなまれている精神状態が赤裸々に伝わってきます。

そのような中、フランスが味方になって参戦してくれるのは無理と分かっていますが、せめて、プロイセンにこれ以上味方が増えないよう、牽制を娘を通じてフランス王にお願いしています。

オーストリアは、巧妙な策略や外交ロビー活動、根回しができるような器用な国ではないけれど、誠実なのです、と涙ぐましいアピールをしています。

マリー・アントワネットからマリア・テレジア(1778年8月14日)

昨日、私は陛下に仲介の労を取っていただこうと決心しました。(中略)

こうして今回の問題についての協議が始まり、陛下がとてもご機嫌うるわしそうに思われたそのとき、男爵からの至急文書が届いたのです。文書は私のいるところで読み上げられました。愛するママに隠さず申し上げますが、男爵からのその文書に関して、モールパ殿は何度か異議を唱えました、方伯領の件について新たな状況が生まれたことに、誰もが唖然としていました。(中略)

もしも愛するママの提案にもかかわらずプロイセン国王が講和に反対するなら、その責任はすべてプロイセン国王にあること、この二点については全員が納得しております。

マリー・アントワネットのリードで、フランスが講和の仲介を取ることになったのです。

すごい政治力と言わねばなりません。

そんな講和交渉の中で、フリードリヒ大王は、唖然とするような提案を出してきたのです。

これにはフランスも賛同できず、当初は非難されていたオーストリアの野望よりも、プロイセンの横暴ぶりが諸国の反感を買うような流れになってきたわけです。

外交戦はさらに続きますが、戦場にはまもなく厳しい冬が訪れます。

 

それでは、同時代のハイドンのシンフォニーを聴いていきます。バイエルン継承戦争の終結直後に出版された曲です。

ハイドン交響曲 第66番 変ロ長調

Joseph Haydn:Symphony no.66 in B flat major, Hob.I:66

演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 バーゼル室内管弦楽団古楽器使用)

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

このシンフォニーの作曲年代は特定されていませんが、第67番、第68番と一緒に1779年に「作品15」として出版されているので、それ以前の作、ということになります。だいたい、1775年から1776年あたりではないか、とされています。

この曲あたりから、ハイドンのシンフォニーは円熟の域に入っていきます。楽譜も広く出版されるようになり、エステルハージ侯爵家宮廷楽長の範疇を超えて、名声がヨーロッパに広がりつつある時期です。

冒頭、ジャン!と和音を鳴らしたあと、弦が走り出します。最初は控えめですが、だんだんと元気になっていきます。第2主題は短いものですが、推進力を秘めていて、展開部では縦横無尽の動きとなります。

展開部では短調に揺らぎ、立ち止まりそうになりますが、やがて再現部で元気を取り戻し、その輝かしさに胸がいっぱいになります。元気がもらえるシンフォニーです。

第2楽章 アダージョ

弱音器をつけた弦による、優しいため息のような短いテーマが、光と陰の間をうつろいます。提示部の終わりに、第1ヴァイオリンのG線開放弦によるピチカートが1音だけ入るのが、なんだか神秘的です。展開部は悲劇的な雰囲気をはらみ、フォルテッシモのドラマチックな音楽になります。ほどなく嵐は去り、再び穏やかな光に包まれます。

第3楽章 メヌエット&トリオ

付点つき音符がスキップするような、ご機嫌なメヌエットです。メインテーマが繰り返すときちょっと先走る、ハイドンならではのユーモアを効かせた仕掛けもあります。トリオはしっとりと落ち着いて、メヌエットとのコントラストが絶妙です。

第4楽章 フィナーレ:スケルツァンド・エ・プレスト

ロンドによるフィナーレですが、後年のロンドン・セットを先取りするような円熟味ああります。テーマはハイドン学者トーヴィーが「子猫がじゃれ合うよう」と評しました。5小節のテーマが、連続して絡み合うさまは、まさにそんな感じです。中間部では対位法が使われ、スケールが広がっていきます。テーマの回帰は単純ではなく、突然フェルマータで音楽の流れをよどませるなど、様々な趣向が凝らされ、聴く人を引き込んでいきます。最後には管楽器たちがカデンツァ風に名人芸を披露し、実に見事に幕を閉じます。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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*1:パウル・クリストフ編・藤川芳朗訳『マリーアントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』岩波書店