1774年にフランス王妃となったマリー・アントワネット。
王太子妃時代の窮屈な鳥かごから放たれたのみならず、一挙に絶大な権力も握ったため、遊び熱が年を追うごとにひどくなってゆきました。
仮面舞踏会、ダンス、競馬、ギャンブル…
怪しげな取り巻き連中、〝お仲間〟が、それを助長します。
年齢が20代前半ということもあり、完全に〝パリピ〟化してしまったのです。
王家の生まれで、お金が有限であることも、フランス国家財政はすでに大赤字であることも知りません。
請求書に「支払うこと(ペイエ)」とだけサインすれば済むので、散財を気に掛けることもありません。
オーストリア大使メルシー伯は、その行状を逐一母帝マリア・テレジアに報告しますが、もう筆も追い付かないほどです。
『王妃殿下は体面を完全にお忘れです。さまざまな娯楽が次から次へと息もつけぬ速さであらわれるので、緊急の問題についてお話しする時間さえ、見つけるのがやっとのありさまだからです。』
完全なすれ違い夫婦
こうした状況は、夫ルイ16世が妻に興味がなく、ほったらかしにしているのも大きな原因でした。
これは、ふたつの害がありました。
ひとつは、王妃のやりたい放題になってしまっていること。
もうひとつは、世継ぎができないこと。
国王は昼、王妃は夜に活動するので、夫婦の時間は完全にすれ違っています。
しかも、ルイ16世はその身体的理由から、子作りができませんでした。
王には、国王になりたがっている弟、プロヴァンス伯(のちのルイ18世)、さらにはアルトワ伯(のちのシャルル10世)がいますから、いざとなれば弟たちに後を継いでもらおうと考えていたかもしれません。
しかし、女帝マリア・テレジアにとっては、ふたりに、フランス、オーストリア両家の血筋を継いだ世継ぎが生まれることこそ、新興国プロイセンに対抗するための外交戦略の総仕上げですから、これは国家レベルで由々しきことでした。
国の存亡がかかっているといっても過言ではありません。
お忍びでパリに向かった兄帝
メルシー大使の危機を知らせる矢継ぎ早の報告に、マリア・テレジアと、その息子、皇帝ヨーゼフ2世は頭を抱えます。
そして、皇帝は『母上、私が行って、妹と義弟と話してきます!』と立ち上がります。
ヨーゼフ2世は、啓蒙主義の進歩的な考えの持ち主でしたが、かなり軽率で、また虚栄心から無茶な戦争を起こしたりして、母帝を苦しめてきたのは、これまでも取り上げました。
お忍び旅行ばかりしているのも、母帝の悩みの種でした。
しかし、このときばかりは、マリア・テレジアも、息子のアイデアに賭けてみたのです。
ヨーゼフ2世は、いつものように、「ファルケンシュタイン伯爵」という偽名を使い、皇帝ではなく、一貴族としてパリを訪ねることにしました。
このお忍び旅行は秘密で、皇帝は粗末な馬車で粗末な宿に泊まることを好みました。
彼に会うひとは、決して「陛下」と呼んではならず、ルイ16世であっても「ムッシュ」と呼ぶように、ということが内々に通達されました。
しかし、彼が来ることは既に口コミでは知られてしまっています。
ヨーゼフ2世は、ヴェルサイユの安宿に投宿し、初めて来たパリ見物をします。
しかし、華々しい観光はせず、聾唖者施設を訪ねたり、病院で貧民用スープを飲んでみたり、職人工房や船員宿舎、植物園や石鹸工場などを視察して回りました。
フランス国王夫妻はヴェルサイユに閉じこもり、王妃だけ夜のオペラ座にお忍びで遊びにいくくらいでしたので、市井に交じり、民衆の中で気さくに声をかけるドイツの神聖ローマ皇帝には皆びっくりしました。
そして、人々を魅了し、あちこちで熱狂的歓迎を受けたのです。
久々の兄妹再会
妹マリー・アントワネットは、兄帝にどんなお説教を喰らうかドキドキしながら迎えましたが、まずは彼は愛想良く久々の再会を喜びました。
すっかり大人の女性となった妹に対し、『また妃を迎えることなったら、お前のような魅力的な女性がいい』などとお世辞を言って喜ばせました。
しかし、しばらく宮廷に滞在し、彼女の行動を観察するうち、皇帝はすぐに問題点を発見したのです。
特に、彼女が夫に何も愛情を感じていないどころか、凡庸な男として見下しているのも察しました。
また、周囲の〝お仲間たち〟、特にポリニャック夫人の一族がどんなに質の悪い人間なもかも一瞬で見抜きました。
兄はだんだんと妹に説教するようになり、激しい口論となるケースも出てきました。
ヨーゼフ2世は2ヵ月かけてフランス全土を見てまわり、フランス国王よりもこの国の実情を把握しました。
そして、妹王妃がいかに危険にさらされているかも実感したのです。
妹に与えた苦言集
皇帝は、フランスを去るにあたり、妹に30ページもの書面を渡し、自分が去ってから読むように、と伝えました。
そこでは、質問形式で、彼女を責め、改心を求めています。
一部を抜粋します。
おまえは大人になった。
したがってもはや、子供だからという言い訳は立たない。
これ以上ぐずぐずしていれば、おまえに何が起こるか、お前はどうなるか?
不幸な妻となり、不幸な王妃となるだろう。
おまえは王がおまえに示す感情に応えているか?
王と話をしているとき、冷淡に気を散らしていないか?
ときどき退屈そうにしたり、嫌な感じを与えていないか?
おまえがそういう態度を見せれば、もともと冷たいところのある夫はおまえに近づいてきたり、心から愛したりすることはないのではないか?
王にとってほんとうに必要な人間になるにはどうしたらいいか、おまえはわかっているのか?
おまえほど王を愛している者はなく、おまえほど王の名声と幸せを心から願っている者はないと、王に確信させているか?
王に支払いをさせて着飾りたい、などという欲求を、これまで抑えたことがあるのか?
王の負担でおまえが儲けたと世間に思われないため、王がなおざりにした仕事をおまえが引き受けたことがあるのか?
王の犠牲になる気はあるか?
王の失敗や弱点について、おまえは完黙し通せるか?
そしてそれについて弁護できるか?
誰かがそれをほのめかしたとき、おまえはその者にすぐ沈黙を命じられるか?
おまえの社交仲間、友人たちが、必ずしもあらゆる点でほめられた人間たちだとは言えない以上、世論に悪影響を及ぼす可能性や必然性があるということを、おまえはこれまで一度でも考えたか?
そうした世論によって、おまえが悪徳を承認しているだの、おまえ自身、悪徳にかかわっているとさえ疑われてしまうかもしれないと、気づいているのか?
賭博が悪い仲間を通してもちこむ恐るべき帰結や、その後に続く影響について考えたことはあるか?
まずはおまえの目の前で起こったことを思い出してみなさい。
王自身は賭博をしないし、王族中、いわばおまえひとりがこの悪習を支援しているとしたら、その影響たるやどれほどかということを考えてみなさい。
同じように、仮面舞踏会にまつわる不快な話、おまえ自身がわたしに話してくれた邪悪な冒険についても、ちょっとでいいいから考えてみること。
黙ってはいられないので言うが、あらゆる遊びのうちで、これがもっとも王妃にふさわしくないことだし、とりわけあの舞踏会へ行く方法がそうで、おまえは義弟がお供してくれているというが、そんなことは言い訳にならない。
あんな場所で素性を知られないまま、仮面をかぶって他人のふりをするのにどんな意味があるのか?
仮面をつけていてもおまえだとは知られているし、みんなはおまえを楽しませるため、おまえが聞くにふさわしくない多くのことをわざと言い、しかも無邪気に言っているだけだとおまえに信じ込ませているのがわからないのか?
場所も非常に悪評高い。
いったいそんな場所でおまえは何を求めているのだ?
仮面はきちんとした会話の邪魔だし、そういう場所では踊ることもできないのだから、冒険だの王妃にふさわしくない行為だのは、いったい何のためだ?
何のために、野放図な若者や下層階級の娘や見も知らぬ連中と混じって猥褻な話を聞いたり、彼らに似合いの行動を取るのか?
いいや、それはおまえにふさわしくない。
これこそが要点だから言うが、おまえを愛し真面目にものを考える人がみんな一番腹を立てているのは、王が一晩中ヴェルサイユにひとり取り残されているのに、おまえはパリでごろつきどもといっしょにいるということだ!*1
そして、最後の方で、皇帝は予言的な警告を発します。
『おまえが備えておかなければ、革命は酷いものとなるだろう。』
マリー・アントワネットは、この時期にはこの警告に従い、行動を改めた形跡はありません。
やはり、たぎる若い血には逆らえなかったのでしょう。
しかし、兄が予言した「革命」が現実のものとなったとき、彼女は俄然、王を守り、しっかりした女性となります。
それは時すでに遅しだったのですが、彼女がこの警告を頭ではしっかり受け止めていたように思えます。
さて、兄帝はもうひとつの大役は、うまくこなしました。
それは、義弟ルイ16世と、子作りに関する微妙な問題を、男同士、腹を割って話すことでした。
王は、自分の体の問題と、不完全な妻との夜の営みについて、すべてを義兄に打ち明けました。
そして、皇帝の忠言をしっかり受け止め、簡単な手術を受ける決心をしたのです。
それは、良い結果につながってゆくのでした。
それでは、前回に続き、マリー・アントワネットゆかりの、グルックのオペラ『トーリードのイフィジェニー』を聴いてゆきます。
『トーリードのイフィジェニー』登場人物
※ギリシャ語表記、()内はフランス語読み
イピゲネイア(イフィジェニー):アルテミス神殿の女祭司長、ミケーネ王アガメムノンと王妃クリュタイムネストラの娘
オレステス(オレスト):イピゲネイアの弟、アルゴスとミケーネの王
ピュラデス(ピラド):オレステスの親友
トアス:タウリス(トーリード)の王
アルテミス(ディアーヌ):狩りと月の女神
グルック:オペラ『トーリードのイフィジェニー(タウリスのイピゲネイア)』(全4幕)第1幕後半
Christoph Willibald Gluck:Iphigénie en Tauride, Wq.46, Act 1
演奏:マルク・ミンコフス(指揮)ミレイユ・ドランシュア(ソプラノ:イピゲネイア)、サイモン・キーンリーサイド(オレステス:バリトン)、ヤン・ブーロン(ピュラデス:テノール)、ロラン・ナウリ(トアス:テノール)、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(オーケストラと合唱団)【1999年録音】
注)音楽はハイライトのみの抜粋です。
第8曲 エール
スキタイの王トアスが家来と一緒に現れ、女祭司たちの苦しみの声に驚いた様子を見せる。
トアス王(スキタイの王)
わしのおびえた心には、
不吉な予感、
不気味な恐怖が、
絶えずつきまとうのだ
太陽の光がわしの目を傷つけ、
曇らせているかのようだ
わしが味わっているのは、
罪人の恐怖!
足元で大地が開き、
地獄の恐ろしい深みに
わしを引きずり込むのが見える!
わしは、心の奥で、
何者かが叫ぶ声が聞こえる
〝恐れよ、お前の拷問が準備されている〟
闇はこの責め苦の恐怖をつのらせ、
復讐の神の雷が、
わしの頭上で待っているようだ!
不吉な夢と、生けにえを捧げなければならない義務に苦しむ女祭司長イピゲネイアと、女祭司たち。
そこに、当地、タウリス(現在のクリミア)のスキタイ人の王、トアスが、これまた脅えた様子で登場します。
彼は、「異邦人によって殺される」という予言を受けていたのです。
そこにちょうど、ふたりの異邦人がこの地に漂着した、という知らせが入ります。
一方、この地に迷いこんだ異邦人は、イピゲネイアによって、生けにえに捧げられるしきたりでした。
トアスは、異邦人を生けにえにするよう、イピゲネイアに要求しますが、彼女は、その義務を嫌がります。
トアスは苛立ち、自分の死の恐怖を歌います。
音楽は、震えるトアスを描写した有名なものです。死への強迫観念が、ドラマチックに表現されています。
第9曲 合唱とレシタティフ
スキタイ人たちの合唱
神々はその怒りを鎮めた
われらに犠牲を連れてくる
罪に対する正義の復讐のために
彼らの血がわれらに捧げられるように!
イフィジェニー(傍白)
何ということでしょう!
トアス王
神々よ、
われらの捧げものをお受け取りください!
期待が少ないほど、
あなたの恵みは大きくなります
スキタイ人
この岸辺に打ち上げられた、
ふたりの若いギリシャ人は、
ずっとわれらに抵抗しようとしました
しかし苦しい争いの末、
とうとう彼らは降参してきました
彼らのひとりは手の付けられないほど絶望し、
罪と後悔の言葉を、
絶えず口にして、
生きることを憎み、
死を望んでいました!
スキタイ人たちの合唱
神々はその怒りを鎮めた
(繰り返し)
イフィジェニー
神々よ!
私の心の中の真実の声を消してください!
私の義務はたとえ聖なるものであっても、
何と残酷なのでしょう!
トアス王
(イフィジェニーに)
さあ、捕虜たちがそなたについて、
祭壇にゆく
不吉な予兆で、
神々の怒りを恐れているわしがいると、
そなたの神聖な儀式に差し障りがあるかもしれん
(イフィジェニーと女祭司たち退場)
トアス王
(民衆に)
お前たちの守護神に、
戦いの歌を捧げよ!
お前たちの正義の高まりが、
天まで届くように!
スキタイ人たちの合唱
われらには、我らの罪をあがなう血が必要だ
捕虜たちは鎖につながれ、
祭壇の準備は整った!
神々は自らわれらのところに、
生けにえを連れてきてくださった
感謝の気持ちが神々に届きますように!
彼らの血が聖なる刀のもとで
ほとばしるように!
彼らの罪がこれ以上この地を汚さないように!
彼らの血を生けにえとして捧げよう、
それが神々にふさわしい供物だ!
そこに、スキタイ人の民衆が踊り込んできます。
彼らは、当地に迷い込んだ異邦人を、しきたり通り生けにえにせよ、それがわれらの繁栄につながる、と歌い踊ります。
スキタイ人は、古代の騎馬遊牧民で、紀元前7世紀頃から紀元前3世紀頃まで、主に現在のウクライナと南ロシアで活動した民族です。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが、著書『歴史』で取り上げていることでも有名です。
ギリシャから見れば、はるか黒海の果てにいる、野蛮人でした。
この物語でも、生けにえを求める野蛮な民族として描かれていますが、考古学的には、繊細な黄金製品が出土しており、高度な文化を持った民族という評価になっています。
当時のフランスでは、前回、アメリカ大使のフランクリンが野性的な人として大歓迎されたように、「野蛮人」「蛮族」を面白がる風潮がありました。
ラモーのオペラ・バレエでも、野蛮人はよく取り上げられています。
グルックは、フランスでのこうした趣味を知っていて、ぎくしゃくしたリズム、シンバル、タンバリン、トライアングル、ピッコロといった楽器で盛り上げています。
これはパリ人に大ウケしたはずです。
イピゲネイアは、やはりまた犠牲者が出るのか…と憂鬱になりますが、トアス王は義務を果たすよう詰め寄ります。
スキタイ人のひとりが、『流れ着いたギリシャ人には手こずりましたが、ついに捕らえました。しかし、ひとりは絶望しており、早く死にたいと言っております。』と王に報告します。
このギリシャ人が、実はイピゲネイアの弟、オレステスであることは、まだ誰も知りません。
第10曲 バレエ
スキタイ人たちは、生けにえの儀式に向けて、さらに〝野蛮〟な踊りを繰り広げます。パリの聴衆を楽しませる小さなインテルメッツォとなっています。
第12曲 合唱
スキタイ人たちの合唱
われらには、われらの罪をあがなう血が必要だ
捕虜たちは鎖につながれ、
祭壇の準備は整った!
神々は自らわれらのところに、
生けにえを連れてきてくださった
感謝の気持ちが神々に届きますように!
彼らの血が聖なる刀のもとで
ほとばしるように!
彼らの罪がこれ以上この地を汚さないように!
彼らの血を生けにえとして捧げよう、
それが神々にふさわしい供物だ!
(第1幕 終わり)
踊りが終わると、漂着したふたりのギリシャ人が連れてこられます。イピゲネイアの弟オレステスと、その親友ピュラデスです。特にオレステスは憔悴し切っています。トアス王はふたりに、なぜこの地に来たのだ、と尋問しますが、それは神のみが知る、と答えません。トアスはふたりに死を告げます。オレステスは、自分よりも、友ピュラデスが巻き添えになったことを悲しみます。
スキタイ人たちは、そんなふたりの思いは関係なく、再び儀式に向けて踊り狂い、第1幕は幕を下ろします。
本年も拙文をお読みくださり、ありがとうございました!
来年が皆様にとって佳い年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
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