孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ラモー VS ルソーの仁義なき闘い「ブフォン論争」と、童謡〝むすんでひらいて〟の原曲とは。『ルソー:村の占い師』~ベルばら音楽(40)

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ジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)

論争の世紀

数々の大作曲家を輩出した18世紀ヨーロッパは、啓蒙思想の時代と呼ばれます。

迷信や、いわれのない権威や神秘、なんでも〝神様のおぼしめし〟で片付けてしまう妄信などを排し、「理性」による思考で物事を解明していこうという思想です。

啓蒙とは、「自然の光」で暗闇を照らし出す、という意味です。

それは今でいう「科学」の考え方で、今でも〝UFOや幽霊は存在する〟と主張する人に対して、学者が科学的にありえない、と論駁する光景がTVなどでよく見られますが、そのハシリといっていいでしょう。

これまで触れてきましたが、ラモーは音楽の不思議を科学的に解明しようとしました。

しかし、そのためには、多くの学者、知識人たちと多くの論争を戦わなくてはならず、ラモーは生涯、その闘争から身を退くことはありませんでした。

特に、18世紀後半のフランスは〝論争〟の大舞台で、啓蒙主義者たち同士が自説を主張し、新聞やリーフレット、著作で意見を戦わせていたのです。

音楽の分野で歴史に残る論争は、1750年代の「ブフォン論争」と1770年代のグルックピッチンニ論争」です。

そのうち「ブフォン論争」は、まさにラモーが当事者となりました。

この論争をご紹介して、フレンチバロックを取り上げた〝ベルばら音楽〟シリーズのしめくくりにしたいと思います。

元祖エンサイクロペディア

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ドゥニ・ディドロ(1713-1784)

ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717-1783)

フランス啓蒙主義のリーダーとなったのは、世界初の百科事典といわれる「百科全書 L'Encyclopédie」を企画、出版した「百科全書派」と呼ばれる人たちで、ディドロ(1713-1784)、ダランベール(1717-1783)らがその中心人物です。

特にダランベールはラモーの熱烈な崇拝者で、百科全書の「音楽」の項目の執筆をラモーに頼んだのですが、ラモーはどういうわけかそれを断ってしまったようです。

そこで代わりにその項目を執筆することになったのが、「社会契約論」「人間不平等起源論」などの著作で、後のアメリカ独立革命フランス革命の理論的支柱となったジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)です。

楽家になりたかったルソー

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ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)

世界史の代表的思想家のひとりといっていいルソーですが、最初から思想家をめざしていたのではなく、実は音楽家、作曲家になりたかったのです。

ルソーはジュネーヴの時計職人の家に生まれ、専門的な音楽教育を受けたのは17歳のときにアヌシー聖歌隊養成所に半年入っただけでした。

その後は貧窮の中で放浪を続けますが、音楽は独学で勉強し、30歳でパリに出てきたときには写譜家として生計を立てていました。

そんなルソーにとって、「和声論」で音楽理論を展開していたラモーは憧れの存在でした。

ルソーは1742年に新しい記譜法を「王立音楽アカデミー」に提案し、アカデミーはラモーに意見を求めると、ラモーはその長所は認めつつも、実際の演奏のスピードにはついていけない、とダメ出しをしました。

ルソーはごもっとも、と納得し、今度は自作をラモーに見てもらおうと持ち込みました。

しかしラモーは、作品の出来にばらつきがある、と指摘し、一部はパクりなのでは?と冷淡に応じました。

ラモーは、ルソーがあちこちで自分の弟子であるかのようにふるまっているのを不快に思っていたのです。

ラモーとルソーの関係は破綻し、ルソーは逆にラモー批判の急先鋒になっていきます。

イタリア・オペラのフランス上陸

折しも1752年、イタリアのバンビーニ劇団パリ・オペラ座で、若くして亡くなったイタリアの作曲家ペルゴレージオペラ・ブッファ『奥様女中(まんまと奥方になったメイド)を上演し、大ヒットとなりました。

このオペラは正式なオペラ・セリア(正歌劇)の幕間に余興として上演された幕間劇(インテルメッツォ)ですが、これだけが大人気となり、この作品があまりに面白いために、オペラ・ブッファはオペラ・セリアと並ぶジャンルに成長するのです。

音楽的にもちょうとバロックから古典派に移る橋渡しとなったスタイルで、まさに歴史的、画期的な作品とされています。

モーツァルトの『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』はまさにこの系譜で出来た作品です。

あらすじは、メイドがご主人様を手玉に取って、まんまと奥方の座におさまるというコメディで、現実にありそうなドタバタ劇に観衆は大笑いしたのです。

そして、リュリからラモーに至るフランスオペラは、天から神様が降りてきたり、魔物や妖怪が登場したりと、非現実的でおおげさであり、人間的でない、不自然だ、と批判されるようになったのです。

ラモーはそのやり玉に挙げられ、その攻撃の先に立ったのがルソーでした。

「ブフォン論争」勃発

ルソーはイタリアに旅行して、その音楽の自然さ、シンプルさにすっかり傾倒していました。

ルソーの思想を表わすとされる言葉〝自然に帰れ〟を体現しているのがイタリア音楽であり、王の権威を示すのが目的のフランス音楽は、全くこれに反している、というわけです。

しかしラモーはルソーの批判を受けて立ち、容赦なく反論し、フランスの知識階級を二分した大論争に発展します。

フランス音楽支持者は「国王方」イタリア音楽支持者は「王妃方」となって争ったのです。

ルソーは、音楽で大事なのはメロディであり、ラモーがこだわっているハーモニーは味付けに過ぎない、と攻撃します。

これに対しラモーは、ハーモニーこそ音楽の真髄で、自然の秩序そのものなのだ、と反論。

しかし、メロディとハーモニーのどっちが大事か、あるいはイタリア音楽とフランス音楽のどっちが優れているか、などという論争に結論は出ません。

また、フランスオペラが描く神々の物語を、これはおかしい、と非難することは、現代のドラマの、男女が入れ替わったり、タイムスリップしたりするストーリーを、いちいち、荒唐無稽だ!こんなことは現実にはありえない!と批判するようなものです。

結局、2年ほどでバンビーニ劇団がイタリアに引き上げると、論争は沈静化していきます。

では、ルソーはどんな音楽を理想としていたのでしょうか。

ルソーが作曲した『むすんでひらいて』

ルソーは、『奥様女中』がパリで上演される数ヵ月前、自作のオペラ『村の占い師』オペラ座で上演しました。

これは大ヒットとなり、それ以後、400回以上上演されたということです。

あらすじは素朴な牧歌劇で、村の羊飼いの恋物語です。

村娘コレットは、恋人コランが自分に冷たくなったと悩み、村の占い師に相談します。

占い師は、コランの気を引くために、少し冷たくしてみたら、とアドバイスします。

コランは、コレットが冷たくなった、と心配して、占い師に相談に来ます。

占い師は、ふたりが愛し合っているのを知っていますから、お互いに気持ちをぶつけ合うよう指示し、結果、ふたりは永遠の愛を誓いあうに至り、村人から祝福されて幕となります。

何とも牧歌的な恋物語ですが、ルソーの音楽も素朴で親しみやすく、まさにラモーの対極にあるような作品です。

これを気に入ってしまったのが、なんと国王ルイ15世で、ルソーに会いたい、そして年金を与えたい、と言い出します。

ルソーはビビッてしまい、国王と何を話していいか分からない、自分はトイレが近いので、王の前で失禁してしまうかもしれない、と言って、謁見を断ります。

せっかくの王の好意に応えず、周囲からかなり非難されますが、確かにフランス革命を引き起こす原動力となったルソーが、王に跪いている図は想像できません。

しかし、ルイ15世は、自分を讃えるラモーの壮麗な音楽より、素朴で親しみやすいルソーの音楽を好んだわけです。

手に百科全書を持った肖像画が書かれ、ラモーびいきだった愛妾ポンパドゥール夫人とは、知的レベル、関心がまるで違ったのがこのエピソードでも分かります。

それでは、そのルソーのオペラ『村の占い師』から、何曲か抜粋して聴いてみます。

その親しみやすさから、一部は日本の童謡『むすんでひらいて』の原曲になったり、ベートーヴェンが民俗曲集に編曲したりしています。

ジャン=ジャック・ルソー『村の占い師』

Jean-Jacques Rousseau:Le Devin du village

演奏:アンドレアス・ライズ指揮 カントゥス‐フィルムス・コンソート&合唱団
ガブリエラ・ビュルクナー(ソプラノ)、ミヒャエル・フェイファー(テノール)、ドミニク・ヴェーナー(バス)

Andreas Reize & Cantus Firmus Consort

序曲

タンバリンのリズムが楽しい、学芸会の演目のように素朴な序曲です。荘重なフランス式序曲ではなく、緩急緩のイタリア式序曲です。

コレットのエール『幸せをなくしてしまった』

コレット

幸せをすっかりなくしてしまった

私の大切な人を失ってしまった

コランは私を捨てたの

ああ!彼があんなに変わってしまうなんて!

もうそのことは考えたくない

なのにそのことが頭から離れない

娘の嘆きの歌ですが、同じ愛を失った歌でも、ラモーの深い感動的な音楽とは違い、どこまでも素朴な村娘の恋を表現しています。

占い師のエール『愛は不安になれば強まる』

占い師

愛は不安になれば強まり

満たされると眠り込んでしまうもの

少しは移り気な羊飼い娘の方が

羊飼いをもっとしっかりつなぎとめるものだよ

村の占い師がコレットに『男は追いかけるだけでは逃げてしまうよ、追いかけさせないと』と、恋の駆け引きを伝授する歌です。当時の占い師は村のカウンセラー役だったのでしょう。コレットがその通りにしてみる、と退場すると、今度はコランが占い師のところにやってきて、もう迷わない、コレットを愛します、と告げます。

すると占い師は、もう遅い、コレットの心は君から離れてしまったよ、と告げます。コランは、そんなはずはない!と反論して歌います。

コランのエール『いや、コレットは裏切らない』

コラン

いや、コレットは裏切らない

ぼくに誠意を約束したんだ

彼女がぼく以外の男を

好きになることなんかあるわけない

 彼女を信じる、というこの歌は、ベートーヴェンが1817年に各国の民謡を集めた歌集『6つの各国の歌』WoO.158c に編曲、所収していますので、それだけ〝フランス民謡〟として親しまれていたことが分かります。

ベートーヴェンの曲はこちらです。

さて、占い師の導きで、ふたりは自分の感情をぶつけ合い、一時は別れる寸前までいきますが、それが互いの思いを確かめ合う結果となります。

コランとコレットのデュエット『永久に私、コランは誓う』

二重唱

永久に私(あなた)、コランは君(私)に誓う

ぼく(彼)の心と貞節

甘美な結婚が

ぼく(私)と君(あなた)を結びつけますように

つねに一途に愛そう

愛が私たちの掟になりますように

永遠に

かくして、占い師の思惑通り、結ばれたふたりを、村人が結びつけます。

村人たちはパントマイムで寸劇を演じますが、その音楽が、形をやや変えて童謡の『むすんでひらいて』になっていきました。

このメロディは親しまれ、欧米で讃美歌などに転用されました。

明治日本に伝わってからも、様々な歌詞で、唱歌になったり軍歌になったりしたのですが、戦後、1947年に小学校1年生の教科書に載ったのが『むすんでひらいて』だということです。

どこまで原型をとどめているか、ぜひお聴きください!

パントマイム(むすんでひらいての原曲)

最後は、コレットが主唱するディヴェルティスマンで一同踊りながら大団円となります。

ドン・ジョヴァンニ』の村人の婚礼の合唱はこの曲にならったものかもしれません。

コレット『楡の木陰で』

コレット

楡の木陰で、さあ踊りましょう

元気を出して、若い娘たち

楡の木陰で、さあ踊りましょう

男たち、笛を取りなさい

たくさん歌を唄いましょう

心が陽気になるように

恋人と踊りましょう

ひとりでいてはだめよ

町の方がにぎやかだけど

馬鹿騒ぎがそんなに楽しいかしら?

いつも満足して、いつも歌って

自然な楽しみ、飾らない美しさ

町のコンサートが村のミュゼットにかなうかしら?

楡の木陰で、さあ踊りましょう

まさに、ルソーが理想とした素朴な村の幸せが描かれています。

人間の不平等は社会が生み出した、とするルソーの思想からは、町のしがらみよりも、村の素朴な生活こそが理想だったのです。

ラモーの最晩年

50歳でオペラの作曲を始め、多くの作品を作曲、上演し、その一方で、音楽理論の研究、構築に没頭し、多くの論敵から仕掛けられた論争を受けて立ったラモー。

80歳まで精力的だったその生涯は驚くばかりです。

その理論は難解ですが、生み出された音楽はストレートに人の心に響いてきます。

ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデルといった同時代のバロックの人気作曲家と比べて知名度は低く、演奏の機会も少ないですが、その価値はこれからもっと見直されていくことでしょう。

晩年のラモーの理論は、究極まで突き詰められ、音楽が他の芸術や科学を凌駕し、宇宙の全てを表わす、という極端な考えにまで達し、ルソーのような敵はもとより、ダランベールを始めとした支持者であった人たちも離れていってしまいました。

チュイルリー公園をひとり、思索にふけって散歩するラモーは幽霊のようで、老いて狂ってしまった、と噂されました。

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晩年のラモー

しかし、最後のオペラ『ボレアード』は実に力強い音楽で満ちているのです。

ラモーに関する著作も日本にはほとんどないのですが、村山則子氏が2018年に上梓した『ラモー 芸術家にして哲学者』は貴重なラモー論です。

そこに、晩年のラモーの境地が代弁されているので引用します。

ああ、もう時間が足りない。私の耳に、この身体全体に鳴り響いている音、宇宙の彼方から届く響き、全ての科学・芸術を解明する鍵、その厳然たる真実、どうしてその音が皆に聞こえないのか。自然の根源から鳴り響くこの音を証明するのに、私には言葉が足りないのか。あの皮肉屋のディドロ青二才ルソーの批判など相手にはしていない。だが、私の一番の理解者、崇拝者だったダランベール、彼までもがラモーはついに三位一体まで持ち出すようになったと言い出す始末だ。あんなにも明瞭に響いている、かくも神聖な和声、それがどうして皆には分からないのか。ああ、もう八十を超えて生命の火は今にも燃え尽きそうだ!*1

ラモーは1764年9月12日、オペラ『ボレアード』のリハーサル中に倒れ、その生涯を閉じました。

ラモーの音楽を聴くとき、その思索の宇宙に思いを馳せずにはいられないのです。

ドイツバロックに比べて軽く薄く見られがちなフレンチバロックですが、聴けば聴くほど、その深淵さに引き込まれてしまうのです。

 

ルソー『村の占い師』


Rousseau: "Le devin du village"

ラモー 芸術家にして哲学者――ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで

ラモー 芸術家にして哲学者――ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで

 

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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*1:村山則子氏『ラモー 芸術家にして哲学者』作品社