広がりつつある音楽葬
前回は、バッハが作ったお葬式用のカンタータを取り上げました。この世に別れを告げるにあたり、バッハの音楽で送られた人はどんなにか幸せだったことでしょう。
近年、日本のお弔いも変わってきています。
お墓も、散骨や樹木葬など、これまでの形にとらわれない形が広がりつつあります。
お葬式は、まだまだ、お坊さんを呼んでお経をあげてもらう、というのが多いですが、何年か前に〝音楽葬〟というのに参列して、感銘を受けました。
無宗教で、式の中心は、お経の代わりに一同で静かに音楽を聴いて故人を偲ぶ、というものでした。
意味の分からないお経を長々と聞くよりも、亡くなった方の思い出に思いを馳せることができ、心のうちに、お世話になったことへの感謝の気持ちがあふれたのです。
終式後、自分の葬式も音楽葬がいいな、だったらどの曲にしようか、などと、考えつつ家路につきました。
これからは、特定の宗教にこだわらず、また〝終活〟の一環として自分の葬儀を自分らしくしたい、と考える人の中で、〝音楽葬〟を選ぶ人が増えていくのではないでしょうか。
音楽葬の式次第
音楽葬の式次第は、下記のような形が一般的のようです。
【お通夜】
1.開式の辞
2.黙祷
3.献奏◆
4.弔辞・贈る言葉
5.献花◆
6.喪主挨拶
7.閉式の辞
【葬儀・告別式】
1.開式の辞
2.黙祷
3.献奏◆
4.弔辞・贈る言葉
5.献花◆
6.お花入れの儀◆
7.喪主挨拶
8.閉式の辞
9.出棺◆
音楽葬では、式次第に合わせて音楽が流れ、あるい生演奏がありますが、主に意味があるのは◆のところで流れる曲です。
読経に代わる、一番重要な「献奏」、参列者ひとりひとりが心を込めて花を手向ける「献花」、最後に故人とお別れをする「出棺」です。
ふつうのお葬式でも多少のBGMは流れますが、ここでは音楽そのものに役割があるのです。
音楽葬にふさわしい曲とは
自分の好きな曲(遺族側としては、故人の好きだった曲)を流したい、というのに限るとは思いますが、私なりに、独断と偏見で、〝音楽葬〟にふさわしいと思える曲を10曲、選んでみました。
条件としては、下記の3点を考えました。
・しめやかで、穏やかな雰囲気の長調の曲。
・曲の成り立ちに「死」が関係している曲。
・悲劇的、激情的な短調の曲は避ける。
このブログを始めた頃、「結婚式によく使われる曲」を取り上げました。
www.classic-suganne.com
『パッヘルベルのカノン』『G線上のアリア』『主よ、人の望みの喜びよ』などは、しっとりとした情感があるので、音楽葬でも取り上げられていますが、やはり結婚式でも通用する曲を、礼服のように冠婚葬祭共用にするのもどうかと思い、別の選曲をしました。
アダージョのしっとりしたクラシックはたくさんありますが、切ない恋愛感情などをイメージするような曲も避けました。
もちろん、どんなイメージを受けるかは人それぞれですので、あくまでも私の感覚です。
また、レクイエム(鎮魂ミサ曲)や葬送行進曲など、もともと葬儀用、あるいは葬儀を表わすために作られた曲もありますが、激しい表現が多く、実際の葬儀には向かないものも多いです。
モーツァルトのレクイエムや、ベートーヴェンの『英雄シンフォニー』の第2楽章などは、実際の葬儀で使ったら参列者はビックリしてしまうでしょうから、そうした曲も除外しています。
無宗教の葬儀を想定していますから、キリスト教の関連曲も避けるべきですが、やはり西洋音楽ですから、数曲入っています。
また、私の好みで、バロックと古典派に偏ってしまうのもお許しください。
それでは、自分の〝音楽葬〟を想定して構成してみたいと思います。
お通夜
参列者の参会
三々五々、弔問に来てくださった方が順次着席され、開式を待つ間に流れる曲です。多忙の中駆けつけてくださった感謝の気持ちをお届けする、癒しの音楽です。
1曲目 ラモー:音楽悲劇『レ・ボレアード』第4幕「ポリヒュミニアのアントレ」
演奏:マルク・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
以前取り上げた、ミンコフスキのラモー・アルバムからの1曲です。女神ポリュムニアをはじめとする神々が登場する場面の音楽で、特に死とは関係ありませんが、『ボレアード』はラモーの最後の作品で、その死によって上演は中止となったオペラです。ラモーが、努力と挑戦に満ちたその偉大な生涯を終える直前の境地が現れている静謐な音楽です。
献奏
仏教式で言えば僧侶の読経にあたるもので、故人を偲んで一同が静かに聴いていただく曲です。式の中核を成す音楽で、故人の一番好きな曲がふさわしいでしょう。
2曲目 モーツァルト:オペラ『魔笛』K.620 第2幕 僧侶たちの合唱『おお、イシスよ、オシリスよ』
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
モーツァルトの最後のオペラ『魔笛』の中の1曲です。『魔笛』は、娯楽的なお芝居ですが、モーツァルトはそこにフリーメイソンの教義や密儀を盛り込み、〝秘教オペラ〟ともいわれています。キリスト教はもちろん、特定の宗教に基づいたオペラではありませんが、ここではエジプトの古い夫婦神、イシスとオシリスが讃えられています。しかし、神殿の主はザラストロ、すなわちペルシャ起源であるゾロアスター教教祖の名を持っており、要するにオリエンタルな神秘さが出ればそれでよかったのです。
『魔笛』は、フリーメイソンの影響で〝死の恐怖を乗り超えた者が真理にたどりつける〟というテーマを持っており、死の恐怖を音楽の力で克服するという結末になっています。
この合唱は、第2幕中盤で、僧侶たちが死に立ち向かう主人公のカップルの勝利を予言して歌う神秘的な音楽です。暗闇の中で、間もなく訪れるであろう夜明けを待つ希望に満ちていて、死を乗り越えて、魂が新しい世界へと向かうにふさわしい曲と思います。
僧侶たちの合唱
おお、イシスよ、オシリスよ
何という喜び!
太陽の輝きが陰鬱な夜を追いやり
やがて高貴な若者は新しい生命を受け
我らとともに仕える身となる
彼の心は勇気に燃え
彼の情は清らかである
やがて、彼も我らと等しい身となる
親族の献花
参列者に先立ち、喪主や親族が献花をするときの音楽です。
3曲目 ラモー:音楽悲劇『カストールとポリュクス』第2幕「葬儀の場」
演奏:マルク・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
再び、ミンコフスキのラモー・アルバムからの1曲です。ラモーの人気オペラ『カストールとポリュクス』の「葬儀の場」の音楽です。戦死したカストールを、その棺のそばでスパルタ人たちと恋人テライールが嘆く場面です。故人に身近な人が弔うにふさわしい、しめやかな曲です。ラモーの葬儀でも使用されたということです。
参列者の献花
親族に続き、参列者がひとりひとり順番に霊前に献花をするときの音楽です。
4曲目 モーツァルト:オペラ『魔笛』K.620 第2幕 僧侶たちの行進曲
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
ふたたびモーツァルトの『魔笛』からです。第2幕の冒頭、大祭司のもと、僧侶たちが粛々と会合に集まってくる厳粛な場面の行進曲です。第1幕の愉快なおとぎ話が一転、真面目で荘厳な場面となって観衆の意表を突きます。参列者が順番に一輪の花を手向けるのにふさわしい音楽です。献花が終わるまで繰り返すことになるでしょう。
お通夜の音楽は以上です。終式後、参列者が退場するまで、冒頭のラモーを流します。
葬儀・告別式
参列者の参会
通夜同様、参列者がそろうまでのBGMです。
演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート
これも以前の記事で取り上げた、ハイドンのシンフォニー第44番『悲しみ(哀悼)』の第3楽章です。ハイドンもこの曲を気に入っており、自分の葬儀で演奏して欲しい、と遺言していました。しかし、実際に本葬で演奏されたのはモーツァルトの『レクイエム』で、この曲はベルリンにおけるハイドンの追悼式で演奏されました。しっとりと落ち着き、また万感胸に迫る音楽です。
献奏
6曲目 モーツァルト:モテット『アヴェ・ヴェルム・コルプス』K.618
ゲルハルト・シュミット=ガーデン指揮 ヨーロッパ・バロック・ソロイスツ、テルツ少年合唱団
これはキリスト教の典礼音楽ですが、宗教を超えて心に響く名曲です。モーツァルトが死の半年前に作曲した、 わずか46小節、3分程度の短い曲ですが、古来、その清澄で心に沁みわたる旋律は〝神品〟といわれています。混声4部、オーケストラとオルガンを伴ったモテットです。その深みと崇高さはモーツァルト晩年特有の澄みきった境地です。
合唱
祝福あれ、乙女マリアより生まれ
人のため十字架にて犠牲になられたまことのお体よ
脇腹は刺し貫かれ
水と血を流された
願わくば、死の審判にあたり
われらにあなたのお体を受けさせてください
チャイコフスキーは、この曲をモーツァルトへのオマージュとして組曲に編曲しています。キリスト教色を薄めたい場合はこちらを使うのもいいでしょう。
チャイコフスキー:組曲 第4番 ト長調 作品61〝モーツァルティアーナ〟第3楽章「祈り」
ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮 ダラス交響楽団
親族の献花
7曲目 バッハ:カンタータ 第106番 哀悼行事『神の時こそいと良き時』BWV106 第1楽章 ソナティーナ
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
前回取り上げた、バッハの葬儀用カンタータの導入曲です。 リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバの親密な音色は、血縁者の献花にふさわしいのではないでしょうか。
参列者の献花
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
お通夜の時と同じく、モーツァルトのオペラからマーチを取り上げました。『イドメネオ』は、ギリシャ悲劇を元にしたオペラで、モーツァルト20歳のときの若い作品です。この行進曲は、海の神ネプチューンに生贄を捧げる祭儀に際して、王や祭司たちが祭壇の前に集うときの音楽です。 実は、生贄は王の息子、という悲劇的な場面なのですが、ここではどこまでも静謐な音楽となっています。秘められた思いが胸に交錯するかのようです。
お花入れの儀
葬儀・告別式では、故人と最後のお別れをすることになります。親しい人たちが、棺に花や思い出の品々などを収め、棺の蓋が閉じられます。
9曲目 バッハ:モテット 『おお、イエス・キリスト、わが生命の光』BWV118b
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
万感の思いを込めて奏するのは、バッハの葬儀用モテットです。4声の合唱と器楽アンサンブルのための単一楽章の曲です。ふたつの楽譜が伝わっており、第1稿は器楽は金管楽器のみで、葬送の行進か埋葬の際に奏されたと考えられています。第2稿で、2本のトランペットと弦合奏、通奏低音に置き換えられており、バッハの自筆譜には3本のオーボエとファゴットを任意で加えても良い、と書かれています。おそらく教会内での典礼に用いられたのでしょう。この演奏はその任意の木管も加えた形です。歌詞は、いまわの際に天のイエスを仰ぎ見る、という感動的な内容です。
合唱
おお、イエス・キリスト
わが生命の光
わが盾、わが慰め、わが望みよ
地上での私は仮住まいに過ぎず
罪の重みに私は押しつぶされそうだった
別れに際して、主よ、私は願います
故郷への最後の旅に出るとき
天国の扉を開いて私を待っていてください
私が人生の歩みを終えるそのときに
《マルチン・ベーム 1610年作》
出棺
一連の儀を滞りなく終え、いよいよ、棺は親しい人に担がれて式場を出ていきます。この世への永訣のときです。
10曲目 ヘンデル:オラトリオ『サウル』HWV53 第3幕 葬送行進曲
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
ヘンデルのオラトリオ『サウル』の中にある葬送行進曲です。イスラエルの王、サウルが、自分より人望のある若者ダヴィデに嫉妬し、殺そうとして、かえって身を滅ぼしてしまう旧約聖書の物語です。これは、ペリシテ人との戦いで亡くなったサウルと、その息子で、ダヴィデの親友でもあるヨナタン(英語でジョナサン)の葬儀の場面です。ダヴィデはサウルに代わって、人々に推されイスラエルの王となります。淡々とした調子の行進曲ですが、実際の葬儀で使われることもあります。
私も20年前、クラシック好きだった祖父の死に際し、テープにそれらしい曲を詰め込んで、その枕辺でずっとクラシックを流していたのですが、葬儀社が遺骸を迎えにきて、マンションから葬儀場に運ばれていくときに、ちょうどこの曲が流れたのがとても印象に残っています。
以上、私が選んだ〝音楽葬〟の曲のご紹介でした。
日本人は、平時に葬式のことなんか話すのは縁起でもない、とタブー視する意識が強いですし、葬儀に音楽なんて不謹慎、と考える人も多いでしょう。
ただ、西洋の精神文化では、死はもっと身近であり、それを芸術として表現した音楽がこれだけあるのです。
クラシックはそれに触れることができる貴重なツールであるとも思うのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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