バッハの『クリスマス・オラトリオ』全6部を、実際に演奏された教会暦にしたがって聴くシリーズの5回目です。第5部は、新年第1日曜日用ですが、1月6日までに該当する日曜がなければ、その間のどの日かで演奏されます。今年、2018年もその間に日曜日がないので、きょう聴いてみます。
第5、6部は、救世主の誕生を祝ってはるばる当方から訪ねてきた、いわゆる『東方三博士(三賢者、三王)』の物語が題材です。マタイの福音書に書いてあります。
イエスが生まれると、星の動きで救世主が生まれたことを知った博士(天文学者)たちが、当時ユダヤを治めていたヘロデ王のもとに来て尋ねます。
『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』
当然、現王であるヘロデは不安になります。祭司長や律法学者たちを集めると、『預言にはベツレヘムで生まれる、と書いてある』という答えです。
ヘロデ王は博士たちに『その子を見つけたら教えてくれ。私も拝みたいから』と伝えます。
そして三博士は、星の導きによってイエスを見つけ、黄金、乳香、没薬を捧げて礼拝します。博士の人数は聖書には書いてないのですが、この3品から、3人とされたようです。
そして、夢で『ヘロデのもとに帰るな』とお告げがあったので、そのまま帰国してしまいます。
それを知ったヘロデは怒り心頭、将来自分の地位を脅かしかねない芽は摘む、ということで、兵士を送ってベツレヘム周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいます。
史実ではないと思いますが、物語としても、東方三博士というのはずいぶん余計なことをしてくれたものです。イエス一家は天使のお告げがあってエジプトに非難し、難を逃れますが、天使はほかの男の子たちもなぜ助けてくれないの !? と、思わざるを得ないくだりです。
また、東方とはどこを意味するのか、なぜ東方なのか、いったい何者なのか、神秘的な記述の多い聖書でも大きな謎です。
それでも、東方三博士はキリスト教では尊ばれ、ケルン大聖堂には、博士たちの遺骨を納めたとされる黄金の棺があり、聖遺物として礼拝されています。
バッハ『クリスマス・オラトリオ BWV248 第5部』
新年第1日曜日用
J.S.Bach : Weihnachts-Oratorium / Christmas Oratorio BWV248
演奏:ジョン・バット指揮ダニーデン・コンソート
John Butt & Dunedin Consort
第43曲 合唱『神にみ栄えあれ』
冒頭、オーボエ・ダモーレが先導し、にぎにぎしく神を讃える合唱が始まります。中盤はフーガとなり、荘厳な雰囲気も醸し出します。
合唱が、三博士がヘロデ王に対して発した問い、〝ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか〟を歌い、レチタティーヴォが、異邦人にまで救世主誕生の知らせが伝わった奇蹟を讃える、劇的な曲です。
第47曲 アリア『照らしたまえ、わが暗き心を』
オーボエ・ダモーレのオブリガートを伴ったバスのアリアです。星の光が異邦人を照らし、導いた奇蹟から、自分の暗い心も照らしてください、という願いを切々と歌います。
ソプラノが、救世主が生まれたという報に、なぜうろたえるのか?喜ぶべきことなのに?と、ヘロデ王と人々に呼びかけます。
第51曲 三重唱『ああ時はいつ来たらん』
ヴァイオリンのオブリガートで、まずソプラノが、続いてテノールが、救世主が我々を救ってくださるのはいつ?と問いかけ、アルトが『問うのはやめなさい、もう主はすでにここにおられる!』と答えます。ヴァイオリンがまるでコンチェルトのように活躍し、人々の不安と期待を表現します。
第52曲 コラール『まことにかかる心のすみか』
ほかの部の最後の曲は派手に盛り上げるものが多いのに、第5部はしっとりとしたコラールでさりげなく終わりますが、かえって余韻が味わい深いものになっています。
次回、1月6日に一連のクリスマス・オラトリオはグランド・フィナーレを迎えます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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