
スピード感あふれるコンチェルト
モーツァルトがウィーンに来て最初に作ったピアノ・コンチェルト3曲セットの最後に取り上げるのは、第12番 イ長調 K.414です。
研究では、通し番号とは一致しませんが、この曲は3曲セットの最初に作られたとされています。
モーツァルトがウィーンの聴衆にウケる曲を作ってやろう、とまず意気込んで作った意欲作です。
管楽器はオーボエ2とホルン2だけの簡素な編成ですが、逆にストレートで直截的な表現が魅力です。
第1楽章と第2楽章は、全力疾走するようなスピード感がたまりません。
個人的なことですが、私がこの曲と出会ったのは大学生の頃の冬。ちょうどさかんにスキーに行っていた頃で、第3楽章のスピード感はまさにスキーをイメージさせ、今でもこの曲を聴くと、スキー場を思い出します。今では全く行きませんので、私にとっては、雪景色を懐かしく思い出させてくれる、2月のコンチェルトなのです。
旧師を悼んで
また、第2楽章は、バッハの末息子で〝ロンドンのバッハ〟ことクリスティアン・バッハのオペラの序曲からテーマが採られています。
この曲を書いた1782年の1月1日にクリスティアン・バッハは亡くなり、それを伝え聞いたモーツァルトは、ちょうど結婚のことで父とケンカになっていた手紙の中で触れています。
ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。
ぼくは今、バッハのフーガの収集をしています。セバスティアンのものだけではなくエマヌエルやフリーデマン・バッハのも。それからヘンデルのも。(中略)イギリスのバッハが亡くなったことはご存知ですね?音楽の世界にとって惜しむべきことです!
(1782年4月10日 父宛)*1
ここに出てくる〝イギリスのバッハ〟がクリスティアンのことです。
クリスティアン・バッハは、モーツァルトが8歳のときにロンドンを訪ねた際、親しく音楽を教えてくれた旧師でした。
また、青年になってからのパリ旅行でも再会しています。
直接会ったのはクリスティアンだけでしたが、モーツァルトが大バッハとその息子たちに多大の影響を受けたことが分かります。
モーツァルトの音楽の深みは、バッハ一族由来のものといっても過言ではないのです。
バッハの息子たちのことは以前取り上げました。
www.classic-suganne.com
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モーツァルトは、このコンチェルトの第2楽章で、そのテーマはクリスティアン・バッハのオペラ『心の災い』の序曲から採られました。
亡き師を悼んでのことといわれています。
クリスティアン・バッハのその曲はこちらです。こんな参考曲までCDを買わずとも聴けるとは、クラシックファンにとってApple Music定額サービスの価値は計り知れません。
J.C.バッハ:オペラ『心の災い』序曲よりアンダンテ・グラツィオーソ
J.C.Bach : La Calamita De' Cuori W.G27 Overture Ⅱ Andante Grazioso
アンソニー・ホルステッド指揮 ザ・ハノーヴァー・バンド
Anthony Halstead & The Hanover Band
さて、コンチェルトは、こちらもオーケストラ版と、室内楽版の両方を聴き比べてみたいと思います。
オーケストラ版
モーツァルト『ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414 (385p)』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.12 in A major , K.414 (387p)
ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ
フォルテピアノ:クリスティアン・ベズイデンホウト
Gottfried von der Golts & Freiburger Barockorchester
Fortepiano : Kristian Bezuidenhout
さりげなくも伸びやかなテーマで始まり、やがてオーケストラが沸き立つように盛り上げていきます。そして、運動会で徒競走がスタートするように、テーマが追いかけっこを始めるのです。バッハの対位法が、アクセントとして粋に使われています。ピアノが登場してからは、ピアノが終始主役を務め、心に語りかけるように素敵なメロディを奏でていきます。
第2楽章 アンダンテ
クリスティアン・バッハのテーマから採られていますが、原曲よりもしっとりと、物思いにふけるような美しい曲に仕上がっています。まさに、故人の思い出にひたっているかのようです。師の素材を使って、師を懐かしむ曲を作ってしまうなんて、職人の極致といえます。ピアノの一音一音が心に響きます。
第3楽章 ロンド:アレグレット
浮きたつようなロンドです。スキーのように雪原を疾走するピアノを、オーケストラが追い風となって天空に舞い上げていきます。白く輝く雄大な峰々を眼下に、誰も止められない、自由な飛翔。フリーになったモーツァルトの、新たな挑戦への希望がそのまま音楽になっているかのようです。爽快なこのコンチェルトに、ウィーンの聴衆は熱狂したことでしょう。私にとっても、聴くと元気の出る、かけがえのない楽章です。
続いて、弦楽四重奏で家庭で演奏されたヴァージョンです。前回と同じ、シギズヴァルト・クイケン一家によるもので、ピアノはその娘、ヴェロニカ・クイケンによります。
モーツァルト『ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414 (385p)』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.12 in A major , K.414 (387p)
シギズヴァルト・クイケン(第1ヴァイオリン)&ラ・プティット・バンドのメンバー
Sigiswald Kuijken & La Petite Bande
フォルテピアノ(シュタイン製の複製):ヴェロニカ・クイケン
Fortepiano : Veronica Kuijken
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 ロンド:アレグレット
数奇な運命をたどったロンド
ブルク劇場のコンサートにて、モーツァルトは旧作のピアノ・コンチェルト 第5番 ニ長調 K.175に、新たに作ったロンド ニ長調 K.382を追加して演奏しましたが、そのような独立したコンチェルトのロンド楽章がもう1曲あるのです。
それが、ロンド イ長調 K.386です。
この曲の楽譜は数奇な運命をたどっています。
モーツァルトの曲の中には、妻コンスタンツェが夫の死後、自筆譜をバラバラにして人にあげたり、後世切り売りをされたりで、楽譜が一部だけしか残っていない、という曲も少なくありません。
この曲もそんなひとつで、コンスタンツェが1799年に売り渡したときから最終ページが欠けたまま、人手から人手にわたっていました。
1838年に英国のC.ポッターという人が、最終ページを自分で補い、ピアノ独奏用に編曲して出版しましたが、肝心のオーケストラの入った自筆譜は失われてしまいました。
その後、20世紀になって、自筆譜が数枚、相次いで発見されたので、1962年にそれらを元に復元版が作られ、出版されました。
ところが1980年になって、なんと偶然に、1799年以降行方不明になっていた最後の1枚の自筆譜が、モーツァルトの弟子で「レクイエム」を補筆したことで有名な、フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤー(1766-1803)の手稿楽譜の中から発見されたのです!
そこには、「1782年10月19日」という日付まで入っていました。
そこから推測するに、成立時期からも、イ長調という調性からも、また最終楽章のテーマの類似からも、ピアノ・コンチェルト 第12番 イ長調 K.414の最終楽章の代替か、もしくは追加であった可能性が考えられるのです。
ただ、この3曲セットのコンチェルトでは、低音楽器にはただバスの役目しか与えていないのに、この楽章だけはチェロに独立したパートが与えられているため、ちょっとそぐわない面もあり、謎は残っています。
しかし、このコンチェルトの最後に持ってくるにふさわしい内容ですので、ここで取り上げます。
偶然がなければ聴くことはできなかった奇跡の曲なので、ありがたみはひとしおです。
Mozart:Rondo for Piano and Orchestra in A major , K.386
ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ
フォルテピアノ:クリスティアン・ベズイデンホウト
次回、モーツァルトはピアノ・コンチェルトの新たなる段階に進みます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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