音楽用語がイタリア語になったわけ、それは3つのウェーブ
前回、クープランが偉大なるイタリア音楽の巨匠、コレッリを讃えて作曲した『コレッリ賛』を取り上げましたが、そこにはフランス人のイタリア文化に対する、コンプレックスに近い畏敬の念が込められていました。
今でも、音楽用語はイタリア語がほとんど世界共通語になっています。
ピアノ、フォルテ、アレグロ、アンダンテ、アダージョ、ヴィブラート、クレッシェンド、カンタービレ、ソナタ、コンチェルト…
その理由は、歴史にあります。
音楽の波が、3回にわたってイタリアから発してヨーロッパに広がっていったのです。
第1波:教会音楽
中世初期、6世紀のローマ教皇グレゴリウス1世が整えたと伝説的にいわれている「グレゴリオ聖歌」。
この単旋律(ひとつのメロディだけで、和音がないもの)の讃美歌が、西洋音楽のスタートラインと言われています。
その後、いくつかのメロディを組み合わせて、和音が生まれ、楽器が加わり、より複雑で色彩豊かな音楽に発展していきますが、舞台は教会でした。
イタリアのローマ教皇を頂点とするカトリック教会が、ヨーロッパ諸国に広がっていたので、イタリアが中心というわけです。
楽譜も教会で生まれ、発展していき、今の五線譜が定着したのも17世紀のイタリアといわれています。
第2波:オペラ
長い暗黒の中世が終わり、古代の人間らしい文化を復興しようという運動、ルネサンスは、イタリアで始まりました。
古代ギリシャで盛んだったといわれる、歌の入った演劇を復活させようということで、17世紀初めにイタリアでオペラが生まれました。
物語と歌と演技と華やかな舞台装置で、神話や古代の英雄たちの世界を再現したオペラは、まさに総合芸術であり、教養あふれた最高の娯楽であり、イタリアはその本場となりました。
フランスにも〝輸出〟され、フランス人はこれにダンスを取り入れて、リュリによって独自の〝フランスオペラ〟を作りましたが、今後も見ていくように、常にフランスにあっても賛否両論が続きました。
第3波:器楽
ソナタやコンチェルトといった形式で、楽器のみの独奏、合奏の素晴らしい曲がイタリアで生み出され、世界を魅了しました。
その代表がコレッリで、ヴィヴァルディがこれに続きます。
この3つのウェーブがヨーロッパを席捲した結果、音楽用語はイタリア語になったのです。
フランスの意地!
そんなわけで、ヨーロッパを席捲したイタリア音楽でしたが、イタリアは小国に分かれ、強い国は無かったので、政治的には攻められる一方。
まさに諸国係争の地でした。
これに対しフランスは、太陽王ルイ14世のもと、政治的に絶対主義を確立し、ヨーロッパの強国となったので、文化面でもナンバーワンを目指しました。
ヴェルサイユで華麗なる宮廷文化を花開かせ、音楽の分野では王から全権を託されたリュリが、フランス音楽を確立したわけです。
フランスはイタリア様式に従うのを潔しとせず、楽譜の記譜法などもフランス独自のものにこだわりました。
クープランは、フランス音楽を作り上げた先輩リュリも尊敬しつつ、フランス、イタリア両方の音楽の融合を目指しました。
その流れで、前回の『コレッリ賛』に続き、今回取り上げる『リュリ賛』を作曲しました。
ただし、曲のストーリーとしては、フランス側は劣勢気味で、その中でなんとかフランスの面目を保って仲直り、というような結論になっているのが、実に面白い!
まさに、フランス様式とイタリア様式がせめぎあっている時代の様子が、音楽を通してよく分かるのです。
それでは聴いてみましょう。
『リュリ賛』は、正式には『礼賛という題をもつ器楽合奏曲、比類なきリュリ氏の不滅の思い出として作曲』という長ったらしいタイトルで、『コレッリ賛』と同じく、各曲にストーリーが記されています。
1725年の作曲で、全体としては3部構成になっています。
クープラン:リュリ賛(礼賛という題をもつ器楽コンセール、比類なきリュリ氏の不滅の思い出として作曲)
Concert en forme d'apothéose à la mémoire de l'incomparable Monsieur de Lully
演奏:アマンディーヌ・ベイエ(ヴァイオリンと指揮)アンサンブル・リ・インコーニティ
Amandine Beyer & Gli Incogniti
第1部
第1楽章 エリゼの野にいるリュリ、オペラの霊たちと合奏する(重々しく)
〝エリゼの野〟は、フランス語で〝シャンゼリゼ〟で、パリの目抜き通りの名前になっていますが、これはギリシャ神話の〝エリュシオンの野〟を指します。
仏教でいうところ極楽浄土にあたり、神に愛された英雄たちの魂が集う死後の楽園です。
リュリは死後、極楽往生し、エリゼの野で、オペラの霊たちと合奏している、という光景を表わしているのです。
音楽は、まさにリュリが確立した、フランスオペラの幕開けを告げる重々しいグランド・リトゥルネルです。
第2楽章 リュリとオペラの霊たちのためのエール(優雅に)
オペラの幕が開き、優雅なバレエが始まります。
エリゼの野にメルキュールが飛んできて、アポロンが降りてくることを知らせる(きわめて速く)
そこに神々の使者、メルキュールが空を飛んできて、アポロン様のお出まし~と告げます。
まさに天から舞い降りてくるような、軽快でそれっぽい音楽です。
第3楽章 アポロンが降りてきて、ヴァイオリンとパルナッソス山の席をリュリに贈る(気高く)
まさに気高い音楽で、太陽神にして芸術の神アポロンが降臨してきます。
オペラで常用された、機械仕掛けによって舞台の上から神が降りてくる場面を再現しています。
アポロンは、コレッリ同様に、パルナッソス山への入山をリュリに許します。
いわば、芸術家としての〝殿堂入り〟です。
第4楽章 リュリの同時代の作曲家たちが起こした、地下のざわめき(速く)
リュリを特別に贔屓し、音楽界の絶大な権力を与えたルイ14世は、みずから太陽神アポロンに扮してバレエを演じたことから、太陽王と呼ばれました。
まさに、現世で王に特別な寵愛を得たリュリに対する、ライバル音楽家たちの嫉妬が、歯ぎしりのような音楽で表現されています。不協和音がユーモラスな、茶目っ気あふれる曲です。
第5楽章 リュリの同時代の作曲家たちの嘆き。フルートもしくは最弱音のヴァイオリンで(速く)
フランス音楽界に君臨したリュリは、シャルパンティエのように、自分のライバルになりそうな音楽家たちを、宮廷やオペラ劇場から、あらゆる権力や陰謀を駆使して締め出しました。
これは、そんな干された作曲家たちの嘆きです。
クープランは、リュリを讃えるだけでなく、その横暴ぶりもちゃんと思い出として曲に残しているわけです。
最弱音でなんともあわれ…
クープランは、同じ時代に生まれなくてよかった、と言わんばかりです。
カブってたら、とても讃える気にはならなかったでしょう。
第6楽章 リュリが、パルナッソス山へ連れていかれる(きわめて軽快に)
性格的にはどうかと思うリュリですが、生み出す芸術は人間性とは関係なく評価され、バチが当たるどころか、殿堂入りです。
足取りも軽く、芸術の聖地パルナッソス山に向かいます。
第7楽章 コレッリとイタリアのミューズたちがリュリに対して示した、優しさと軽侮の念が入りまじった歓迎(ラルゴ)
パルナッソス山には、『コレッリ賛』で描かれたように、既にイタリア音楽の巨匠コレッリが先客として鎮座していました。
亡くなったのはリュリの方が先だったのですが、殿堂入りはコレッリの方が早かったというわけです。
コレッリは穏やかな人柄だったので、リュリを歓迎しますが、どこか軽く見てる、という微妙な設定。
表面的には和やかですが、ふたりの間に流れる冷たーい空気を表した音楽です。
以前もご紹介したエピソードですが、若きヘンデルがイタリアに乗り込んで、新作オラトリオ『復活』を上演したとき、オケのコンサートマスターがコレッリでした。
ヘンデルの曲は前衛的で激しいものだったのですが、コレッリはヘンデルの意図と違い、あくまでも優雅で上品な演奏しかできなかったので、リハーサルで業を煮やしたヘンデルは、コレッリの手からヴァイオリンをひったくり、こう弾くんだ、とやってみせました。
全ヨーロッパに名声を轟かす大先輩に対し、若僧が大変な無礼、侮辱をはたらいたわけですが、コレッリはちっとも怒らず『でもザクセンさん、この曲はフランス風でしょ?ボクはこういうの苦手なんですよ~』と言い訳したということです。
コレッリの温厚な人柄が伝わる逸話ですが、フランス風は無理、と言っているわけで、やはりクープランが見抜いたとおり、コレッリは内心フランス音楽を軽侮していたのかもしれません。
コレッリ側を示すこの曲だけ、ご丁寧にイタリア式の音部記号や演奏法が用いられ、速度表示も「ラルゴ」で、ページをめくる指示までイタリア語で記されているのです。
第8楽章 アポロンへのリュリの感謝(優雅に)
コレッリと並ぶ栄誉を与えられたことに対し、リュリは宮廷人らしく、神に感謝を捧げます。
曲はふたたびフランス様式の装飾が用いられ、楽譜もフランス式に戻ります。
第2部 アポロンはリュリとコレッリに、フランス趣味とイタリア趣味を結びつけて音楽を完成させるべきだと説得する。
《序曲のかたちでの試み》
第9楽章 リュリとフランスのミューズたち=コレッリとイタリアのミューズたち〔第1部:優雅に、遅くなく(途中から)優しく、穏やかに。〕
アポロンは、ふたりの間に流れる微妙に緊張をはらんだ空気を感じ〝フランス音楽とイタリア音楽はそれぞれにいいところがある、融合したら完璧な音楽になるぞ〟と仲介します。
ほかならぬ神様のとりなしですから、ふたりは力を合わせて曲を作り、演奏してみます。
まずは、フランス音楽を代表する、「フランス風序曲」での試みです。
フランス風序曲は「緩ー急ー緩」ですから、前半は付点リズムの「緩」の部分です。
楽譜の第1声部はフランス式、第2声部はイタリア式で書かれているという凝りようです。
第10楽章 〔第2部:軽快に。第3部:優しく、穏やかに。〕
後半の「急ー緩」です。こちらも、声部が別々のスタイルで書かれていますが、楽譜が違っても同じ旋律を表しているのです。
第11楽章 リュリが主題を奏し、コレッリがその伴奏をする(軽快なエール)次にコレッリが主題を奏し、リュリがその伴奏をする(第2のエール)
続いて、リュリとコレッリの二重奏となります。まず、リュリがフランス風の気高いメロディを奏で、コレッリが伴奏します。
次に交替し、コレッリがサラバンド風の哀愁を帯びた旋律を奏し、リュリが伴奏します。
これを2度繰り返しますが、通奏低音は省かれ、2台のヴァイオリンで演奏されます。
現実には実現はしなかった、リュリとコレッリ2大スターの夢の協演を、後輩クープランのファンタジーが生み出したわけです。
第3部 パルナッソス山の平和
「フランスのミューズたちの忠告によって、パルナッソス山ではフランス語を話すときにバラード、セレナードと発音するのと同様、今後はソナード、カンタードと呼ぶことになる。」
トリオによるソナード
第12楽章 重々しく
フランス風序曲に続き、イタリア音楽の華というべき形式、トリオ・ソナタが奏でられます。
こちらは「緩ー急ー緩ー急」の4楽章編成です。
コレッリ風の抒情と哀愁あふれる、ゆっくりとした楽章です。
この曲でも、第1声部はフランス式、第2声部はイタリア式で記譜されています。
演奏者も大変です…
第13楽章 躍動(生き生きと)
イタリア風の元気なフーガです。イタリア式の曲ですが、イタリア語の速度表記はなくフランス語でどんな風に演奏するかが指示されています。
第14楽章 率直に
率直に、という指示も不思議ですが、ストレートに感情を示せということでしょうか。
第15楽章 生き生きと
ソナタの締めくくりのジーグ風の曲です。
文芸の女神ミューズたちにフランス人とイタリア人がいる、という設定も面白いですが、フランスの女神たちは、フランスでは「ソナタ」のことを「ソナード」と、フランス語で呼ぼう、と提唱します。
まさに、音楽用語が国際的にイタリア語になりつつあることへのささやかな抵抗です。
誇り高いフランス人の涙ぐましくも微笑ましい努力が、クープランのこの曲からうかがえるのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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