もうひとつの〝四季〟
前回まで、ほとんど知らぬ人とてないポピュラーなヴィヴァルディの『四季』を聴きましたが、クラシックの曲目には、もうひとつの偉大な〝四季〟があります。
それは、ハイドンのオラトリオ『四季』です。
巨匠ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の最後の大作ですが、一般にはそれほど演奏の機会は少なく、あまり知られていないと思われます。
しかし、ハイドンの2大オラトリオ『天地創造』と『四季』は、クラシック音楽の金字塔といえる不朽の傑作です。
ヴィヴァルディのコンチェルトで表現された四季それぞれの自然や人々の暮らしの描写が、より具体的に、歌と合唱でつづられています。
ハイドンならではの親しみやすく、分かりやすい音楽で、物語は絵本のページをめくるかのように進みます。
ただ、ドイツ語の独唱や合唱で構成される長大さゆえ、ヴィヴァルディのコンチェルトに比べたら重たいのが、それほどポピュラーになれない理由かと思います。
しかし、じっくり聴いてみると、その抒情豊かで、ユーモアあふれる内容と音楽は、四季を愛する日本人好みなので、もっと聴かれてよい作品です。
まず、ハイドンがオラトリオを作曲したいきさつをみてみます。
ハイドンは30年にわたり、ハンガリーの大貴族エステルハージ侯爵の宮廷楽長として実直に仕え、外界から閉ざされた、しかし君主の絶大な信頼のもと、宮廷オーケストラを自由に扱える環境のもと、独創的な作品を生み出していきました。
その音楽、とくにシンフォニーと弦楽四重奏曲は、狭い宮廷を飛び出して全ヨーロッパで評判になり、侯爵の代替わりを機会にフリーとなったハイドンは、ロンドンに2回に渡って招かれ、英国人に熱狂的に迎えられました。
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ハイドンは、産業革命によりいちはやく市民による音楽の大消費地を形成していたロンドンで大人気を博しましたが、自身もこの地で芸術的に大きな刺激を受けました。
それは、ヘンデルのオラトリオとの出会いです。
オラトリオは〝聖譚曲〟と訳され、聖書の物語やイエスの生涯など、宗教的な内容を歌と合唱でつづっていき、聴衆を教化することが目的の楽曲です。
しかし、娯楽性を求める聴衆の好みに従って、独唱や合唱はだんだんとオペラ化してゆき、形式的には〝演技のないコンサート形式のオペラ〟になってゆきました。
それを確立したのがヘンデルです。
テーマとしては依然として宗教的なものですが、それが逆に根がまじめな英国人に受けたのです。
ヘンデルは、最初はイタリア語のオペラをロンドンで上演して喝采を博したのですが、市民階級の台頭で貴族趣味のオペラはだんだんと受けなくなり、2度もヘンデルの劇場は破綻するに至り、市民に分かりやすい英語のオラトリオに転向しました。
ヘンデルはオラトリオを教会ではなく劇場で、娯楽作品として上演しました。
その代表作が『ハレルヤコーラス』で有名な『メサイア』です。
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華麗な独唱と壮大な合唱でつづられる聖書の物語に、英国国民は、神に選ばれた民族ユダヤ人と、大英帝国として勃興していく自分たちを重ね合わせ、熱狂したのです。
ハイドンは、このヘンデルのオラトリオに感銘を受け、ぜひ自分で作曲してみたいと思うようになりました。
そして、『天地創造』と題されたオラトリオの台本をロンドンで手に入れました。
これは、17世紀の英国詩人ミルトンが、聖書の『創世記』をもとに書いた叙事詩『失楽園』を、 リドレーという詩人がヘンデルのためにオラトリオの台本として翻案したものでした。
しかし、ヘンデルが作曲しないまま死去してしまい、宙に浮いてしまったのです。
ハイドンはこの台本にぜひ曲をつけたい!と思いましたが、なにぶん英語であり、4時間もかかる長大なものだったので、これをウィーンに持ち帰り、帝室司書官のヴァン・スヴィーテン男爵(1733-1803)に、ドイツ語訳とアレンジを依頼したのです。
ヴァン・スヴィーテン男爵は音楽愛好家の外交官で、自分もシンフォニーやオペラを作曲をするほどでした。
1769年にロンドンに赴任し、ヘンデルの音楽に接して大ファンになりました。
続いて1771年には、プロイセンの駐オーストリア大使となり、音楽好きのフリードリッヒ大王(2世)の宮廷で、大バッハと、大王に仕えていた次男カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの音楽に触れ、またまたその大ファンになりました。
男爵は帰任後、毎週日曜日、自邸で私的コンサートを開きましたが、ウィーンに来たばかりのモーツァルトは毎週通いつめ、そこでバッハとヘンデルの音楽に触れ、自身の創作に大いに影響を受けたのは有名なエピソードです。
モーツァルトの後期作品の深みには、男爵ははかり知れない功績があるのです。
男爵はモーツァルトを大変評価し、ヘンデルのいくつかのオラトリオをウィーンで上演するにあたり、現代的なオーケストレーションへの編曲を彼に依頼しています。
ハイドンから『天地創造』の台本を渡されたスヴィーテン男爵は、大いに張り切って、ドイツ語に翻訳し、演奏に適した長さに編集するとともに、貴族たちに広く呼びかけ、上演のスポンサーを集めました。
大人数を要するオラトリオの上演は、王侯貴族からの依頼ではなく、ハイドン個人の思いつきですから、資金集めも重要です。
この点でも、男爵が音楽史に果たした功績の大きさは計り知れません。
こうしてウィーンで初演された『天地創造』は、センセーショナルな反響を巻き起こし、全ヨーロッパで上演、大評判となりました。
そして、この大成功に味をしめたスヴィーテン男爵は、第2弾のオラトリオ制作をハイドンに持ちかけたのです。
大ヒット映画が〝Ⅱ〟を出すようなものですね。
それがこの『四季』なのです。
楽園を失った人類の暮らしを描く
男爵は、スコットランドの詩人ジェイムス・トマソンの長詩『四季』を元に、かなり翻案して自分で作詞し、ハイドンに渡しました。
ハイドンはこの台本に不満で、男爵と何度も衝突しながら、かなり苦しんで作曲し、3年ほどかかって、1801年に完成させました。
ハイドンの第2弾ということで、曲はもちろん歓迎されましたが、評判は、『天地創造』と同じレベル、と言う人もいれば、『天地創造』の方がよかった、とする人もいました。〝Ⅱ〟の宿命ですね。
しかし当時から、『四季』にマイナス点があるとすれば、それは音楽ではなく、台本やテーマにあるとされていました。
『天地創造』の登場人物は、ガブリエル、ウリエル、ラファエルといった大天使たちと、アダムとイブ(エヴァ)で、神の御業を讃えて歌うのに対し、『四季』の物語は、小作人シモン、その娘ハンネ、若い農夫ルーカスが、農村の日常をつづるものです。
テーマは、かたや神の奇跡と、かたや人間の日常。登場人物は、かたや天使、かたや農民、ということで、もともとスケールに差があるのはやむを得ません。
また、『四季』の台本は、熱烈な愛好家とはいえ、詩人ではない素人の男爵が作ったものですから、どうしても芸術的に劣る部分があります。構成には素晴らしい発想もあるのですが。
しかし『四季』は、『天地創造』のあと、楽園を追放された人類の暮らしを、四季の移り変わりを追いながら描いており、ストーリーとしては〝Ⅰ〟から一貫しているのです。
俗界には、何の憂いもないエデンの園とは打って変わって、暑さや寒さ、また労働といった数々のつらさがありますが、必ずしも苦しみだけというわけではなく、それなりの楽しみもあるわけで、『四季』はそれを、酸いも甘いも織り交ぜて、自然と人間の営みとして歌いあげています。
『天地創造』のような崇高さはありませんが、逆に私は『四季』のそんな身近さが好きです。常に自分の日常生活とともにある〝座右の音楽〟です。
このブログで取り上げるのは『天地創造』より先になりますが、ヴィヴァルディの『四季』と比較しつつ、四季の移り変わりを味わいながら、順に聴いていきたいと思います。
ハイドン:オラトリオ『四季』第1部『春』
Joseph Haydn:Die Jahreszaiten Hob.XXI:3
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
ソプラノ(ハンネ):バーバラ・ボニー Barbara Bonney
テノール(ルーカス):アントニー・ロルフ=ジョンソン Anthony Rolfe Johnson
バス(シモン):アンドレアス・シュミット Andreas schmidt
第1曲 序奏『冬から春への移り変わり』、レツィタティーフ
レツィタティーフ
シモン(バス)
見よ、厳しい冬が
遠いかなたへと去ってゆく!
荒々しい冬の嵐の叫びも
恐ろしい咆哮をあげた北風も
収まってゆく
ルーカス(テノール)
ごらん、切り立った崖から
濁った雪解け水が流れはじめている!
ハンネ(ソプラノ)
ごらんなさい、南の方から
温かい風に優しく導かれて
春の使いが飛んできます!
オラトリオ『四季』は、独唱3人に混声4部合唱、オーケストラはフルート2(ピッコロへの持ち替えあり)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、トライアングル、タンバリンに弦4部という、当時としては、とてつもない大編成です。
原作はスコットランドの詩人の作ですが、舞台はハイドンの故郷、低地オーストリアの農村に移されています。
独唱は小作人シモン(バス)、その娘ハンネ(ソプラノ)、若い農夫ルーカス(テノール)です。
オラトリオには演技はありませんが、雰囲気を出すため、ハイドン生前の上演でも、独唱者たちが農民の衣装を着る演出もあったそうです。
冒頭の序奏は『冬から春への移り変わり』をテーマとしています。
ト短調のドオーンとしたラルゴの4つの和音から始まり、厳しいヴィヴァーチェに移ります。この単一和音から展開していく手法は、ベートーヴェンも大いに参考にしたと思われ、冬の厳しさと、季節の変わり目の激しい天候を表します。
ヴィヴァルディの『冬』にもあった、北風と南風の争いが繰り返され、その闘争がクライマックスに至ったとき、農民の親父シモンがやおら立ち上がって、レツィタティーフで最初の一声を上げ、『見よ、厳しい冬は去っていく!』と叫びます。
続いて若い農夫ルーカスが、雪解け水を歌い、音楽も水の流れを描写します。
そして、オーボエが優しい春風を吹くと、それを受け、可愛い村娘ハンネが、春の渡り鳥を歌います。
序奏のあとにこのようなレツィタティーフを置く導入のアイデアは、スヴィーテン男爵が提案したものです。
第2曲 村人たちの合唱
村人たち(合唱)
来い、のどかな春よ
天の恵みの春よ、来い!
自然を死の眠りから
目を覚まさせておくれ!
娘たちと農婦たち(女声合唱)
のどかな春が近づいてきます
おだやかな春の息吹きが
もう感じられます
もうすぐ、全てのものがよみがえるのです
若者たちと農夫たち(男声合唱)
けれども、まだ喜ぶのは早い!
ときに霧に身を隠した冬が
忍び足で戻ってきて
つぼみや花をすっかりかじかませてしまう
一同(合唱)
来い、のどかな春よ
天の恵みの春よ、来い!
私たちの田畑に降り立っておくれ
おお、来い、のどかな春よ
もうためらわずに、来ておくれ!
独唱者たちのレツィタティーフが終わると、村人たちの合唱が始まります。
まさに〝春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが〟の童謡そのままです。今は松任谷由実の『春よ、来い』かもしれませんが。
拍子は8分の6拍子、テンポはアレグレット、ミュゼットの保続音と素朴なメロディが田園ののどかさを表します。
一同で春を待ち望む気持ちを合唱し、続いて村の女たちが春が近づいてくるうれしい予感を歌います。
すると、それを遮るように、男たちが、いや、喜ぶのはまだ早い!寒の戻りに気をつけろ、と警告します。ちょうど今頃の、昨日は暖かったのに、きょうはひどく寒い、といった日々そのものです。
そして、もう一度一同で、春よ、もう焦らさずに来ておくれ、と切実な思いで曲をしめくくります。
今は、ウイルスよ、お願いだからもういい加減に去っておくれ、という気持ちでこの曲を聴いていますが。
次回は雪の消えた畑に農夫が出ていきます。
動画は、ベルギーのバート・ヴァイ・レイン指揮ル・コンセール・アンヴェルス、オクトパス・シンフォニー合唱団の演奏です。(第1~3曲)
Haydn The Seasons [HD] - Spring part 1: introduction & spring chorus
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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