
ミレー『種まく人』
自分のヒット曲で〝つかみはOK〟
ハイドンのオラトリオ『四季』の2回目です。
いよいよ春がやってきて、畑から雪が消えます。
農夫のシモンは、さあ、1年の仕事始めだ、とばかり、張り切って農具を担いで畑に出ていき、鋤で土を起こし、畝を作って、麦の種をまきはじめます。
このオラトリオで初めてのアリアは、農夫が種をまきつつ、口笛を吹きながら歌うのです。
ハイドンは、この楽しい歌に自分の曲、『びっくりシンフォニー(交響曲第94番〝驚愕〟)』の有名な第2楽章アンダンテの旋律を持ってきました。
みんなが知ってる自分の人気曲を、この長大なオラトリオの冒頭にもってきて、聴衆を沸かせて〝つかみ〟にしようとしたのです。
これは、かつてモーツァルトがオペラ『ドン・ジョヴァンニ』でやって、大ウケしたやり方でした。
第2幕フィナーレの冒頭、晩餐会のBGMとして、他の作曲家のヒット曲を2曲奏でたあと、最後に自分のヒット曲、オペラ『フィガロの結婚』のアリア『もう飛ぶまいぞ、この蝶々』を出して、登場人物レポレロに『こいつはあまりにも有名だ!』と言わせ、聴衆を大いに笑わせたのです。
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ハイドンがこのオラトリオを書いている頃は、モーツァルトが世を去って10年が経とうとしていましたが、その人気と名声は高まるばかりでした。
ハイドンはこの畏敬する後輩のヒット曲に匹敵する自分の曲は?と考えて思いついたのが、『びっくりシンフォニー』だったわけです。
このシンフォニーは、ロンドンで上演して大喝采を浴びました。
穏やかな旋律で始まり、突然のティンパニを伴ったフォルテッシモの打撃音で人を驚かす仕掛けです。
〝コンサートで居眠りをする貴婦人の目を覚ませるため〟という俗説が広まりましたが、これを聞いたハイドンは『私のシンフォニーで居眠りをする客などいなかった!』とムッとしています。
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しかし、このアイデアにいちゃもんをつけたのが、台本担当のヴァン・スヴィーテン男爵でした。
『ここは他の作曲家の人気オペラか、どうしてもハイドンのもので、と言うのならオペラのアリアから取るべきだ』と、意見したのです。
男爵も、『ドン・ジョヴァンニ』を意識して、ここはシンフォニーではなくオペラが妥当だろう、という考えだったと思われます。
これに対し、ハイドンは怒りに体を震わせて反論します。
『私は何も変更するつもりはありません!私のアンダンテはよくできたものですし、よく知られたオペラの中の歌と同じくらい、有名なのですから!』
しかし、この男爵の失礼な発言は、別にハイドンを侮辱しようとしたものではありません。
ポピュラーな曲を借用してツカミを取ろう、という発想はもともと男爵のもので、最初からオペラを想定していたのです。
当時、人口に膾炙するメインの曲種といえば、やはりオペラであり、シンフォニーは前座の序曲、という認識はまだ広く残っていました。
そんなシンフォニーをコンサートの主役に高めたのは、他でもないハイドンです。
〝交響曲の父〟としては、ここにシンフォニーの旋律を持ってくるのは、まさに矜持そのものだったのです。
そこには〝オペラのモーツァルト〟に対する対抗心もあったかもしれません。
ざっくりとですが、18世紀はオペラの時代、19世紀はシンフォニーの時代、ともいえます。
シンフォニーを利用したオペラ・アリア。
19世紀に入ったばかりの時期に、この歌を作ったのは象徴的です。
そして、ハイドンによって切り開かれた新しい時代は、その弟子、ベートーヴェンが確固たるものにしていくのです。
ハイドン:オラトリオ『四季』第1部『春』
Joseph Haydn:Die Jahreszaiten Hob.XXI:3
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
ソプラノ(ハンネ):バーバラ・ボニー Barbara Bonney
テノール(ルーカス):アントニー・ロルフ=ジョンソン Anthony Rolfe Johnson
バス(シモン):アンドレアス・シュミット Andreas schmidt
第3曲 レツィタティーフ(シモン)
シモン(バス)
天のおひつじ座から、いま
輝かしい太陽が地上のわれらを照らす
霜と霧はすでに去り
温かい靄があたりに立ち込めている
大地の胸は開かれ
空気はすがすがしい
小作人シモン(バス)が、冬の間閉じこもっていた家から出て、かぐわしい春の大気を胸いっぱいに吸い込んでいます。
歌詞にあるおひつじ座は、星占いの誕生月では3月21日から4月19日にあたり、春の星座です。また、ギリシア星座の元となった古代バビロニアの星座では、麦播きの繁忙期に雇われる「日雇い農夫」を表す「農夫座」でした。隣のうお座が、その耕す畑だったのです。まさに、春先に働く農夫のイメージでした。

ゴッホ『種まく人』
第4曲 種まきのアリア
アリア(シモン:バス)
農夫はいま、喜び勇んで
畑へ仕事にでかけていく
鋤をかつぎ、口笛を吹きながら
長いあぜ道を歩いていく
それから、歩幅にあわせて
農夫は種を蒔いていく
種は忠実な土壌に守られ
やがて黄金の実を
実らせる
まさに、重たい鋤を軽々と担いで、畑に意気揚々と向かうがっしりした農夫が目に浮かぶような歌です。びっくりシンフォニーの、どこかユーモラスなアンダンテが、こんなにぴったりくるとは、ハイドンのセンスの偉大さに心打たれます。男爵も実際に聴いたら、自分が押し付けようとした素人考えに恥じ入ったのではないでしょうか。途中、短調に移る部分では、農夫が几帳面に間隔を空けて丁寧に種を蒔いている様子を示します。そして、種を守り、発芽をはぐくむ、母なる大地の懐の深さも伝わってくるのです。
第5曲 レツィタティーフ(ルーカス)
ルーカス:テノール
農夫はいま、骨惜しみせず
勤勉に働いて、その仕事を終えた
自然の手から
豊かな報酬が得られるように
天に向かって祈る
若いルーカスが、勤勉なシモンの仕事ぶりを讃えます。種を蒔き終えたら、あとは自然の営みに委ねるしかありません。人事を尽くして天命を待つ。そう、柔らかな春雨を願うのです。
第6曲 祈りの歌(三重唱と合唱)
ルーカス(テノール)と合唱
慈悲深い天よ、恵みをお与えください!
胸を開いて、私たちの土地の上に
祝福を与えてください!
ルーカス
あなたの霧で
大地に湿り気を与えてください!
シモン(バス)
恵みの雨を
畑の溝に降らせてください!
ハンネ(ソプラノ)
そよ風をやさしく吹かせてください!
太陽を明るく照らせてください!
ハンネ、ルーカス、シモン
そして、豊かな実りを与えてください
あなたには感謝と称賛を捧げましょう
合唱
慈悲深い天よ、恵みをお与えください!
胸を開いて、私たちの土地の上に
祝福を与えてください!
牧歌的なホルンに導かれ、天に向かって、恵みの雨を降らせてください、と村人たちが祈る〝雨乞いの歌〟です。しかし、それは干ばつのときの切実なものではなく、大自然への信頼に満ちた、どこまでも穏やかな空気に包まれています。このモチーフは、びっくりシンフォニーと同じく、ロンドンで作られたシンフォニー第98番の第2楽章から取られています。
三重唱には、やわらかに降り注ぐ春雨のような音型が伴奏します。
やがて祈りの合唱は、ミサ曲のような荘厳な三重フーガになりますが、これはモーツァルトの『レクイエム』の、『主がかつてアブラハムに約束されたように』から取られています。ハイドンは自分の生涯最後の大作に、早世してしまったモーツァルトの思い出を刻んだのです。また、自分の力ではどうしようもない大自然の定めに対し、ただただ祈るしかない人間の思いを示すために、葬儀用の鎮魂曲から引用したのかもしれません。『レクイエム』はハイドンの葬儀でも演奏されました。
曲は近代的ともいえる静謐な響きで締めくくられます。
動画は、ベルギーのバート・ヴァイ・レイン指揮ル・コンセール・アンヴェルス、オクトパス・シンフォニー合唱団の演奏です。(第4~7曲)
Haydn The Seasons [HD] - Spring part 2: the happy peasant
次回は春爛漫の田園風景です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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