前回まで、ヴィヴァルディのコンチェルト集『四季』、ハイドンのオラトリオ『四季』と、季節の移り変わりを描いた標題音楽を聴いてきました。
そこには、大自然の素晴らしさと、その恵みと厳しさを受けながら生きる人々の暮らしが見事に描かれています。
まるで音楽で描かれた絵画のようですが、人の感情にダイレクトに作用する音楽ならではの効果があります。
最後の3曲目として、今年生誕250年を迎えた、ベートーヴェンのシンフォニー第6番『田園』を聴いてみたいと思います。
ベートーヴェンの『田園』といえば、第5番『運命』とのカップリングで、ベートーヴェンの、いやクラシックの代表曲として、ほとんど神聖なものになっています。
私も少年時代には、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーのレコードを擦り切れるほど聴きました。
巨匠の奏でるそれは、まさに究極の芸術という姿で、ベートーヴェンという神の創造物といった趣きでした。
確かにベートーヴェンは、音楽を絶対芸術としてとらえた最初の作曲家です。
モーツァルトもハイドンも美を追求しましたが、それは職人的、匠的な求道であって、ベートーヴェンの言動にみられるような、自らの魂を具現化する、といった意識はありませんでした。
ベートーヴェンの意識は近代市民社会に受け入れられ、その影響は絶大で、ロマン派以降の音楽は、芸術として存在してきました。
しかし、ベートーヴェンの音楽は、様々な革新に満ちていましたが、決して絶対的、純粋的な存在ではなく、先人たちの作品や社会の動きに密接に関わっていたのは忘れてはなりません。
むしろ、それら過去の遺産や社会変化を土台として作られているのです。
この『田園』はまさに、その好例といえます。
大自然を描写した標題音楽は、これまで聞いてきたヴィヴァルディやハイドンだけでなく、たくさん作られており、いわばひとつの流行ジャンルともいえます。
その枠組の中で、ベートーヴェンは自分なりの音楽を作ってみたのです。
『田園』が作曲されたのは、1807年暮れから1808年秋です。
初演は1808年12月22日、アン・デア・ヴィーン劇場でのベートーヴェン主催のコンサートで、『運命』と同時に演奏されました。
ハイドンが『四季』を初演した7年後ということになります。ハイドンはまだ存命でしたが、老衰で聴きに行くことはできませんでした。
『運命』の作曲作業は1807年が中心で、1808年の早い時期には完成したといわれており、スケッチは平行して行われていましたが、作曲の本作業は『運命』の完成後といわれています。
この2曲は明暗、陰陽のように対比され、ベートーヴェンの性格の二面性を示すものとされますが、『運命』の激烈さから精神的なバランスをとるために穏やかな『田園』を作曲したのだ、というような心理学的なアプローチでは、この曲の本質を見失います。
シンフォニーの可能性を革命的に変えようとした野心的な意図は、両曲に共通するものです。
オーケストラにこれまで加わらなかったトロンボーン、ピッコロが『運命』と同様に使用され、もはや一員として定着しています。
ふつうシンフォニーは4楽章か3楽章のところ、5楽章をとっているのも革新的と言われますが、多楽章の作品は他にもふつうにありますし、あえて4楽章に収斂させたハイドンの功績に挑戦したものでもありません。
革新的なのは、第3楽章から第5楽章までが切れ目なく続く、アタッカという手法です。
これを使って、ベートーヴェンはシンフォニーをひとつの物語に仕立てているのです。
では、ベートーヴェンが描こうとした物語は何なのでしょうか。
それは、旧師ハイドンが『四季』で描いた世界そのものでした。
村人たちの楽しい踊り、それをいきなり襲う嵐と雷鳴、そしてそれが去ったあとに訪れる平和な憩い。
『四季』の夏と秋の場面を合わせたようなストーリーです。
ベートーヴェンは、当時ヨーロッパ中を席巻していたハイドンのオラトリオの世界を、シンフォニーで繰り広げようとしたのです。
『運命』『田園』の初演コンサートは、歴史に残る大失敗に終わりますが、それは同じ夜に同じ市内の、より格式の高いブルク劇場でハイドンのオラトリオの演奏会があり、ウィーンの優秀な演奏家と聴衆がみんなそちらに行ってしまったからだ、とベートーヴェン自身が嘆いています。
ベートーヴェンが意識した曲は『四季』だけではありません。
ユスティン・ハインリヒ・クネヒト(1752-1817)という作曲家が1782年に作曲した『自然の音楽による描写』または『大交響曲』ト長調という作品は、5楽章から成り、その構成から曲調まで、『田園』にそっくりです。
ベートーヴェンがこの曲を参考にしたのも間違いないといわれています。
この曲は後で取り上げたいと思います。
絵画描写ではなく、感情の表出だ!
もちろん、これらのことが『田園』の価値を落とすことにはなりません。
しかし、ベートーヴェンは、一から新しいものを創り出すことよりも、既にある素材をアレンジし、似て非なるものに高めることが得意だったのです。
古いものがあって初めて革新、革命が成り立つのですから、当然といえば当然です。
さて、ベートーヴェンがこの曲で変えようとしたものは何か。
ベートーヴェンはこの曲に標題を与えていますが、それは、ヴィヴァルディがコンチェルトにソネットを付したのと同じくらい、異例のことです。
そこには『シンフォニア・パストレッラまたは田舎の生活の思い出。絵画描写(Malerei)というよりも感情(Empfindung)の表出(Ausdruck)』と記されています。
発表後も、ベートーヴェンはしつこく、これは自然の描写ではなく、感情を描いたものだ、と話したり手紙に書いたりしています。
ベートーヴェンは、ハイドンのオラトリオを価値あるものと認めていましたが、そこにある露骨な自然描写は低俗なものだ、と批判していた、と、弟子のリースが後に語っています。
ハイドンこそ、そのような安直な描写を嫌っていましたが、そこはプロ。スポンサーのヴァン・スヴィーテン男爵に求められてしぶしぶ作曲した経緯は、これまで見てきたとおりです。
しかし、そのような描写に聴衆は大喜び、拍手喝采したわけです。
『田園』は、それとは一線を画したつもりなのですが、鳥の声や雷鳴など、自然描写は随所に出てきます。
しかし、ベートーヴェンに言わせれば、それは芸術表現の一部であって、模写とは違う、ということなのです。
第1楽章を聴くと、そのコンセプトはよく分かります。
誰しも、田舎に到着したときには、すがすがしい気持ちになります。
目の前に広がる牧歌的な風景は何も奏でませんが、気持ちが音楽となって心の中に響くとすれば、まさにこのようなメロディーです。
しかし、第2楽章の『小川の情景』はさらさら清らかに流れる絵画そのものですし、第3楽章以降は感情というより描写といった方がよいでしょう。
それでも、ベートーヴェンが何を目指したのか分かる気もします。
「絵画」は、実物に限りなく近づけてリアルに描けば、必ず感動を与えるというものではありません。
逆にリアルそのもののはずの「写真」も、芸術的に心を打つ表現が可能です。
その点にベートーヴェンはこだわったのです。
まずは第1楽章を聴きましょう。
Ludwig Van Beethoven:Symphony no.6 in F major, Op.68 "Pastoral"
演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・ナシオン
Jordi Savall & Le Consert des Nations
第1楽章 『田舎に到着したときのほがらかな感情の目覚め』アレグロ・マ・ノン・トロッポ
ベートーヴェンのシンフォニーの第1楽章は「アレグロ・コン・ブリオ(速く、活き活きと)」が多いですが、ここでは「アレグロ・マ・ノン・トロッポ(速く、でもそれほどでもなく)」です。 のどかな雰囲気を出そうとしての指定です。この有名なメロディーは、オーストリアの農村の民謡に起源があるとされていますが、スロヴェニアやモラヴィアの農村にも伝わっているということです。東欧の農村を思い起こさせるひなびた旋律です。そのメロディーを支えるチェロとヴィオラの持続したペダル音が、これまでもパストラルと言えば登場してきた農村の楽器、ミュゼットを表現し、田舎の雰囲気を醸し出しています。バロック以来の伝統をベートーヴェンも使っているのです。
冒頭の4小節では、まず8分休符が置かれ、第4小節の半終止の2分音符にフェルマータがつけられています。これは『運命』の冒頭と同じです。〝ジャジャジャジャーン…ジャジャジャジャーン…〟この…の〝間〟がフェルマータで、要するに同じ構造なのです。『運命』と『田園』が兄弟なのはここでも分かります。
『運命』の革新的なところは、ジャジャジャジャーンという動機を徹底的に展開していくことでしたが、その理念も『田園』で使われています。第2主題は弦に出て、管楽器たちに受け継がれていきます。
管楽器たちののどかな響き、クレッシェンドとデクレッシェンドの多用が、田園気分を盛り上げていきます。
折しも、街に戻った喧噪が、また物議を醸しています。私も街を離れて田舎に逃れたい思いですが、それもままならない今、せめて田園交響楽に身を浸しています。
動画は、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの演奏です。モダン楽器使用ですが、ナチュラル・トランペットを使用するなど、オリジナルの響きも意識した柔らかい演奏です。
第1楽章
Beethoven's Symphony No. 6 "Pastoral", first movement | conducted by Paavo Järvi
次回は第2楽章を聴きます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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