孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

美しい夏の日の喜びに満ちた一幅の絵。モーツァルト:交響曲 第33番 変ロ長調

クロード・ジョゼフ・ヴェルネ『夏の夕べ、イタリアの風景』(1773年)

ハイドンモーツァルトの聴き比べ

前回は、ハイドンが1782年に作曲したシンフォニー 第77番 変ロ長調を取り上げました。

今回聴くのは、モーツァルトが1779年に作曲したシンフォニー 第33番 変ロ長調です。

二大巨匠が近い時期に作曲したシンフォニーの聴き比べです。

調性も同じ変ロ長調で、穏やかで癒される、似た雰囲気をもっています。

モーツァルトは、ハイドンがこの頃に作曲したシンフォニーをよく研究し、その影響を受けていますが、第33番を書いた頃は、まだ第77番は出来ていません。

一方、ハイドンモーツァルトのシンフォニーをほとんど知らないはずです。

モーツァルトが書いたこの頃までのシンフォニーは、度重なる演奏旅行での、滞在先でのコンサート用か、ザルツブルクでの宮仕え中に、その小さな町での用途で書かれました。

この時期には全く出版されておらず、ハイドンのように、印刷された楽譜がヨーロッパ中にあまねく出回る、ということはありませんでした。

ただ、ハンガリーの田舎宮廷から、ウィーンを除いては一歩も外に出ていないハイドンとは違い、モーツァルトは幼少期から青年期まで、ドイツ各地はもとより、イタリア、フランス、英国、オランダと広く旅し、各地での最先端の音楽に触れてきた国際人でした。

そのシンフォニーには、各地の音楽から得た刺激の影響が詰まっています。

ふたりはまったく対照的といってよいでしょう。

似て非なる、ふたりの個性

さて、この2曲を聴き比べてますと、田園的で優しい雰囲気は、驚くほど似ています。

変ロ長調という調性に求められていたものがよく分かりますし、同時代の聴衆の好みがともに反映されているのが実感できます。

一方、曲の作りからは、ふたりの個性の違いを知ることができます。

ハイドンの第77番は、第1主題と第2主題がはっきり提示され、展開部ではこのふたつが絶妙に組み合わされ、転調を繰り返しながら発展していきます。

展開部では新しい素材が持ち込まれることはなく、既存のテーマを加工し、変幻自在に表情を変えていきます。

素材の持ち味や可能性をとことん追求していくのです。

これがハイドン「主題労作」であり、非常に論理的で、統一感のある音楽になり、聴く人に深い感動を与えます。

ベートーヴェンは師匠ハイドンのこの手法をさらに徹底し、第5シンフォニー《運命》に至っては、「ダダダダーン」という単純で短いモチーフを、ストイックなまでに発展させました。

ベートーヴェンが展開部にこだわるのは、もう他に語ることが無いからだ〟と悪口を言われるくらいです。

次々に繰り出される、新しい素材

一方、モーツァルトもテーマの展開はお手の物ですが、さらに新しい素材を惜しげもなく投入します。

これまで取り上げている、皇帝ヨーゼフ2世楽家ディッタースドルフとの会話でも、次のようなくだりがありました。

皇帝:モーツァルトの作曲についてはどう思うか。

ディッタースドルフ:争う余地もなく、彼は最も偉大な独創的天才のひとりでございます。あれほど豊かな楽想をもっている作曲家を私は知りません。あんなに惜しげもなく使わなくてもよいのでは、と思うくらいです。彼は聴く者に息つく暇も与えないのです。なぜなら、ひとつの楽想についてじっくり味わおうとしても、すぐ次に別の、もっと素晴らしいのが現れて、前のを押しやってしまうからです。それがいつまでも続くものですから、せっかくの美しい楽想が、結局はひとつも頭に残らないのです。

このディッタースドルフの話は有名で、モーツァルト論ではよく引き合いに出されます。

同業者としての嫉妬も交じってか、ディッタースドルフも、皇帝の御前であることを一瞬忘れて、ムキになってしまっているようです。

今回聴くシンフォニー 第33番でも、第1楽章の展開部で、あの偉大な最後のシンフォニー、第41番のフィナーレの、〝ジュピター音型〟が新たに登場するのです。

ここはハイドンとの大きな違いです。

モーツァルトの『田園シンフォニー』

クロード・ロラン『アポロとメルクリウスのいる風景』(1645年)

シンフォニー 第33番 変ロ長調は、モーツァルトが、就活と恋愛の両方に失敗した傷心のマンハイム・パリ旅行」から戻り、しぶしぶザルツブルク大司教のもとでの宮仕えに戻り、1781年にウィーンに飛び出す前、故郷でくすぶっていた時期の作品です。

作曲は1779年7月9日の日付で、モーツァルトは23歳です。

パリで満を持して演奏した第31番《パリ・シンフォニー》の、大編成のオーケストラによる大迫力のシンフォニーから一転、小編成による繊細で精緻な作品に戻ったため、評者からオーストリアの室内交響曲の伝統への復帰』(ラールセン)と評されます。

その伝統は、ハイドンの第77番にも色濃く出ていますが、ふたりとも、これ以降の作品では再び大迫力路線に移っていきます。

洗練され、明るく素朴、また叙情的なこのシンフォニーは、ド・サン=フォアによって〝美しい夏の日の喜びに満ちた一幅の絵〟、またモーツァルトの田園シンフォニー〟と評されました。

この評は、ハイドンの第77番にも当てはまるように思います。

双方に共通した、牧歌的な雰囲気は、啓蒙思想ジャン=ジャック・ルソーの〝自然に帰れ〟という言葉に代表される、当時の流行を反映しています。

フランス王妃マリー・アントワネットも、堅苦しいヴェルサイユ宮殿での儀礼を嫌がり、隠れ家プティ・トリアノンに、鄙びた農村を再現した〝王妃の村里(アモー)〟を作り、そこで農家暮らしの真似事をしました。

この〝ロハスな暮らし〟も、自分専用のテーマパークを作ったようなものですから、批判を浴び、王妃の破滅につながっていきますが、贅沢に飽きた当時の貴族には、「質素に暮らす」という〝田園趣味〟があったのです。

それも実は、大変な費用のかかる贅沢という矛盾に満ちたものなのですが。

ともあれ、このふたつの変ロ長調のシンフォニーのもつ素朴な雰囲気は、派手でないところが、当時の人々に愛されたのです。

プティ・トリアノンの「王妃の村里」

あとから追加したメヌエット

このモーツァルトの第33番は、当初はメヌエットの無い3楽章スタイルでした。

それは、イタリアの影響の濃いザルツブルクの慣習に従ったものです。

しかし、翌々年、ウィーンでフリーのミュージシャンとしてデビューし、コンサートを盛んに開いたモーツァルトは、前座のシンフォニーが足りず、この旧作を持ち出して来て、新たにメヌエットを追加しました。

ハイドンが第77番を作曲した1782年のことです。

ウィーンではメヌエットのついた4楽章スタイルが主流だったのです。

でも、その後付けのメヌエットも、全体の雰囲気にしっかり馴染んでいます。

この曲はウィーンでも人気が出たようで、1785年には、ハイドン作品を主に出版していたアルタリア社から出版されました。

モーツァルトのシンフォニーで最初に出版されたものになります。

小さい宮廷楽団でも演奏できるので、1785年にドナウエッシェンゲンの貴族フュルステンベルク侯爵から求められ、既に出版済であるにも関わらず、他の作品と一緒に献呈する、と述べた記録があります。

モーツァルト自身も気に入っていた作品なのです。

それでは聴いていきましょう。

モーツァルト交響曲 第33番 変ロ長調 K.319(K.319)

Wolfgang Amadeus Mozart:Symphony no.33 in B flat major, K.319(K.319)

演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(古楽器使用)

第1楽章 アレグロ・アッサイ

フルート、トランペット、ティンパニを省いた小編成ですが、ヴィオラが2部に分かれ、内声を充実させています。このあたりもモーツァルトのこだわりです。第1主題は、主和音をフォルテで響かせ、低音弦とファゴットがリズムを刻み、ヴァイオリンとヴィオラがピアノのスタッカートで応えます。何かをためらうようなフレーズのあと、それを踏み台にするかのように、走り出します。畳みかけるように盛り上がったあと、木管がそれをなだめるかのように優しく応じます。第2主題は、爽やかな夏の風のようにヴァイオリンが吹きおろし、オーボエファゴットが受け取り、第1ヴァイオリンが、スキップするように愛らしく踊ります。そしてさりげなく、展開部の「ジュピター音型」が予告されます。

展開部では、主和音の分散形に、新しいジュピター音型が登場し、幽玄に転調しながらポリフォニックに重なっていきます。

再現部では、第2主題が主調に戻るほか、定石通りに展開していきますが、コーダは実に大規模で、畳みかけるように終わりに向かっていき、夏の日の輝きを回想するかのように曲を閉じます。

第2楽章 アンダンテ・モデラー

夏の木陰に憩うような、田園的で伸びやかな第1主題が弦を中心に奏でられます。ゆったりとして癒されます。短い楽章ですが、強弱記号が入念に書かれていて、モーツァルトは細やかな表情にこだわっています。何かを訴えるかのような第2主題は、パイジエッロの旋律に基づくという説をアーベルトが唱えていますが、明確な根拠はありません。モーツァルトはこの旋律をクラリネット三重奏曲 K.498でも使っていますので、特に誰かの引用ということははっきりとは言えないでしょう。展開部では変ロ長調の3声のカノンが変ホ長調に転調し、再現部に流れていきます。管の切ない歌も心に沁みます。

第3楽章 メヌエット&トリオ

前述のように、後からウィーンで作曲して加えたメヌエットです。メヌエットは力強く、広い音域をもっています。メヌエットの後楽節はトリオを予告し、トリオは実に魅力的で、オーボエが牧歌的に歌います。

第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ

跳躍する3連音をベースとして、変化に富んだフレーズが、まさに惜しげもなく次から次へと登場します。まさに、ディッタースドルフがヨーゼフ2世に語った、『次から次へと新しい楽想が出てきて、前のを駆逐してしまい、結局何も頭に残らない』という評があてはまる音楽です。アーベルトはこの楽章を、「喜びにわく村の祭り」にたとえています。ベートーヴェンも「第8シンフォニー」のフィナーレのモデルにしたといわれます。オーボエファゴットの3度重ねのおどけたフレーズは、「田舎楽師の楽隊」と評され、村祭りのピエロのよう。展開部は対位法のように感じますが、実は2声だけのシンプルなもので、モチーフの模倣が大きな効果を上げています。やがて、お祭りの幻想は、余韻を残しながら消えてゆきます。まさに、美しい夏の日の終わりのようです。

www.classic-suganne.com

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動画は、ジャネット・ソレル指揮、アポロズファイア・バロック・オーケストラ(古楽器使用)です。(第1楽章のみ)


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こちらは、古楽器指揮者の第一人者マルク・ミンコフスキが、東京藝術大学からの派遣学生も受け入れている、ベルリン・フィルカラヤン・アカデミーを指揮した演奏です。


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こちらは、往年の大指揮者カルロス・クライバーバイエルン国立管弦楽団を振った流麗なる演奏です。さすが、名曲、名演が目白押しです。


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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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