もうひとつの〝田園〟
ベートーヴェンのピアノソナタをさらに聴いていきます。
前回の〝月光ソナタ〟の次の作品は、第15番 ニ長調 作品28〝田園〟です。
ベートーヴェンの〝田園〟といえば、シンフォニー第6番ですが、ピアノソナタにもあるのです。
1808年に作られたシンフォニーの方は作曲者によって『シンフォニア・パストラーレ(田園交響曲)』『田舎の生活の思い出』と題されていますが、この1801年に作曲されたこのソナタには、ベートーヴェンは何も標題はつけていません。
例によってベートーヴェンの死後、1838年にハンブルクの出版社クランツが楽譜に『ソナタ・パストラーレ(田園ソナタ)』として発売したことによります。
ただし、この題には、〝月光〟と違って、作曲者の意図が全く反映されていない、というわけではありません。
ベートーヴェンが田園(パストラル)をテーマにこの曲を作曲したのは、音楽の内容から明白だからです。
田園音楽を特徴づけているのは『パストラーレ・オルゲルプンクト』と呼ばれる持続低音です。
これは、田舎で羊飼いや農民が演奏するバグパイプ(フランスではミュゼット)の、独特な同じ音が長く続く低音を模倣しています。
バロック時代にも流行り、ラモーやヘンデルの「ミュゼット」はこれまでも取り上げました。
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もともとは管楽器の持続低音ですから、ピアノで表す場合は同じ音をずっと鳴らし続けることになります。
このソナタでは、第1楽章と第4楽章にずっとこの持続低音が鳴り響き、その上に豊かな抒情が展開していきます。
第2楽章の一部でも使われ、この時期のベートーヴェンが目指していた〝全楽章の統一感を出す〟という取り組みに、この低音が使われているのです。
第12番以降、第1楽章にソナタ形式を取らないなど、実験的、前衛的な曲が続いてきたので、4楽章制で端正に整ったこの曲は、外見的には古典的なスタイルに戻ったような印象もありますが、内実は、伝統の手法を斬新に利用した新しい芸術作品だといえます。
この曲は、〝月光〟の次の作品ですが、スケッチ帳などから作曲は同時並行で行われたことが分かっています。
ちょうど、シンフォニー第5番〝運命〟と第6番〝田園〟がほぼ同時に作曲されたように、激しい作品と穏やかな作品をセットで創作するのは、ベートーヴェンによくみられることです。
まるで、精神的なバランスを取っているかのようです。
激しい情念に魂が揺さぶられるような〝月光〟のあとで、この〝田園〟にはどこまでも穏やかで癒されます。
安心して身を委ねられる心地がして、ベートーヴェンのソナタの中では私の一番のお気に入りです。
この曲のもつ感情は、間違いなく〝田園交響楽〟につながっていくのです。
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Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.15 in D major, Op.28 "Pastorale"
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
ニ音の持続低音から始まり、その優しい響きの上に、心癒される平和な調べが奏でられます。美しい夏の田園風景が目の前に広がるようです。第2主題は川のせせらぎのように流麗で、第1主題と絡みながら抒情的に進んでいきます。音楽のクライマックスも抑制的です。提示部の最後は野原を軽くスキップするような感じで、続く展開部は第1主題の念入りな加工がなされて、対位法的な工夫が曲に深みを出しています。展開部の終わりには悲劇的な感情の高ぶりもありますが、度を越したものではありません。再現部では定石通り第2主題もニ長調で戻って来て、どこまでもなごやかな雰囲気の中で曲は閉じます。聴くほどに優しい気持ちになれる音楽です。
第2楽章 アンダンテ
哀愁を帯びたセレナードで、弟子のカール・チェルニーはこの楽章を「素朴な物語 - 過ぎし時のバラード」と評しましたが、まさに言い得て妙です。3部形式の第1部はスタッカートの訥々としたテーマですが、途中でイ音のオルゲルプンクトが出てきます。中間部となる第2部は複雑な和音の上に、素朴で軽やかな高音が踊ります。第3部は、第1部の変奏になっていて、単なる繰り返しではなく、物語がさらに進んでいく感がします。チェルニーの言うように、夢の中にいるような第1楽章から、過去への追憶の世界に入ったのでしょうか。最後の余韻は何ともいえず胸に迫ります。
ベートーヴェンのユーモアがたっぷり詰め込まれた楽章です。1オクターブずつ駆け下りてくる冒頭のテーマは、当時の人には乱暴でふざけているかのように聞こえたでしょう。しかし、曲が進むにつれ、その大胆な響きに魅了されてしまいます。トリオはロ短調で、民俗的な素朴さが垣間見えます。田園シンフォニー第3楽章の先取りかもしれません。後半は、前の楽節と後の楽節を入れ替えるなど、お茶目な工夫も施されています。
第4楽章 ロンド:アレグロ・マ・ノン・トロッポ
冒頭のロンド主題は、第1楽章と同じオルゲルプンクトで始まり、より〝田園感〟が増しています。再びのどやかな田舎の風景が広がりますが、時折打ち鳴らされる鐘のような激しいフレーズも鳴り渡ります。古来、この楽章も多くの人々に文学的に評されてきました。『遠くから響く鐘の音、または森のささやき(ライネッケ)』、『跳ね回って遊び、騒がしいくらいに健康な田舎の子供たち(エルターライン)』、『牧童の音楽(グローヴ)』など、どれもなるほど、と思わされます。第2主題はイ長調で、カノン風に処理され、テーマの変奏も絡み、その充実した作りは、ベートーヴェンの〝終楽章をメインにする〟というコンセプト通りになっています。
コーダも充実していて、ロンドのテーマを変奏させ、こののどかな曲の最後は力強いフォルテッシモで曲は閉じられます。
動画は現代ピアノですが、ボリス・ギルトブルグの深みのある演奏です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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