孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

美しい夏の一日の物語。ベートーヴェン:交響曲 第6番『田園』より第3~5楽章

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クロード・ロラン『渡渉』(1644年)

ベートーヴェンが目指したもの

ベートーヴェン交響曲 第6番 ヘ長調『田園』作品68、今回は最後の第3楽章から第5楽章までを聴きます。

この最後の3つの楽章は、途切れることなく、連続して演奏される「アタッカ」という手法で、ひとつの物語となっています。

バロック時代にオペラの序曲として誕生し、古典期にはコンサートのはじまりの〝ガヤ鎮め〟として発展した、器楽だけで演奏されるシンフォニーは、ハイドンによってコンサートの主役になり得るジャンルに高められました。

俳句の五七五のように洗練された形式は、抽象的、絶対的な芸術表現の受け皿として整えられ、ベートーヴェンはその基礎のもとにさらなる深化と可能性の追求に突き進んでいました。

この曲でベートーヴェンが試したのは、テーマをもったストーリー性をシンフォニーに持ち込むという、一見逆行しているかのような試みです。

それは、続くロマン派の、ベルリオーズの『幻想交響曲や、リストの交響詩リヒャルト・シュトラウウスの『英雄の生涯といった標題音楽に影響を与えた、というのが一般的な評価ですが、それはベートーヴェンが目指した方向ではありません。

ベートーヴェンがこだわったのは、純粋な音楽です。

自然の単なる模写ではなく、文学(詩)の力を借りた作品でもなく、純然たる音楽によって心の中にストーリーを紡ぎ出す、ということなのです。

そんなことは、古今東西ベートーヴェンにしかできず、ベートーヴェンもこの作品でしか成しえなかった、と言っても過言ではないように思います。

それが、この〝田園交響楽〟の価値ではないでしょうか。

ベートーヴェンは後年、実際の戦闘を模写したウェリントンの勝利またはヴィトリアの戦い(戦争交響曲)』を作曲していますが、これこそ標題音楽のキワモノであって、ベートーヴェン自身も〝世間受けと金のために仕方なく作ったが、こんなにウケるとはしてやったりだ〟と自嘲しています。

美しい夏の一日の物語

まず第3楽章『農民たちの陽気な集い』で、普通のシンフォニーの第3楽章に配置されるメヌエットにあたります。

『田園』は季節的には、ベートーヴェンが田舎で過ごした夏の一日が舞台ですが、この楽章はハイドンの『四季・秋』のワイン祭りを思わせます。

おそらく村の夏祭りといったところでしょうか。

農民たちが愉快に集い、踊っているところが目に浮かぶようで、酔っ払っているかのようなフレーズもあります。

腕を後ろに組んで、微笑ましく眺めているベートーヴェンの姿が目に浮かびます。

その楽しみを暗雲が遮ります。

遠雷が聞こえ、不吉なほど冷たい風が吹いてきます。

第4楽章『雷鳴、嵐』の始まりです。

夏の描写の定番、嵐の到来で、ここからはハイドンの『四季・夏』、またクネヒトのシンフォニーとそっくりそのままの展開です。

しかし、ベートーヴェンともなると迫力が違います。

突然、ザアーッとバケツをひっくり返した雨に、暴風。

閃く稲妻。

それまで祭りに興じていた村人たちはあわてて逃げまどい、四散します。

そして、容赦なくあたりに落ちる雷。

音楽で命の危険を感じるのは、この曲くらいでしょう。

私は子供の頃、レコードを大音量でかけて、この場面で怖い~と言いながら布団にもぐり込む〝田園ごっこ〟を妹とやっていました。(笑)

恐ろしい雷雨はやがて遠ざかり、雲が切れて、午後の太陽が顔を出します。

〝合唱つき〟の田園!?

第5楽章『牧歌~嵐が去った後の喜ばしく感謝に満ちた気持ち』に移ります。

嵐が去って、まだ日没までは時間があり、万物を濡らした露が輝きます。

大気はマイナスイオンいっぱいのさわやかさ。

羊飼いたちは牧笛を吹き鳴らし、村人は家々から出てきて、ふたたび戻ってきた平和を謳歌します。

ここもハイドンの『四季・夏』のフィナーレを器楽だけの音楽にした形です。

実は、ベートーヴェンは最初のスケッチでは、第5楽章に合唱を導入しようという構想を持っていました。

後年、『第九』で実現する構想が早くもここで出ているのです。

実際、この『田園』と『運命』を初演したコンサートでは、最後のプログラムに『合唱幻想曲』という、独奏ピアノと管弦楽に独唱と合唱を加えた曲を急遽加えました。

これも『第九』につながる試みですが、当時の聴衆が、コンサートの最後には大規模な合唱曲を求めていたことが直接の動機です。

最終的には『田園』は、詩の力は借りない純然器楽、というコンセプトに落ち着きましたが、当初は、壮大な合唱をもつハイドンのオラトリオを意識していたのです。

旧師と同じテーマで作られた合唱付きの第5楽章はどんなものになったのか、それはそれで聴いてみたかったですね。

ベートーヴェン交響曲 第6番 ヘ長調 Op.68『田園』

Ludwig Van Beethoven:Symphony no.6 in F major, Op.68 "Pastoral"

演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・ナシオン
Jordi Savall & Le Consert des Nations 

第3楽章 『農民たちの陽気な集い』アレグロ

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クロード・ロラン『村祭り』(1639年)

前述のように、通常のシンフォニーであればメヌエットベートーヴェンにあってはスケルツォにあたる楽章で、テーマもまさに農民たちの踊りです。ここはシンフォニーの伝統に従っているといってよいでしょう。

最初に弦楽器のスタッカートのユニゾンが刻まれ、それに続いてレガートの管楽器も加わったテーマが対照的に置かれています。このコントラストが農民たちが思い思いのスタイルで踊る姿を彷彿とさせてくれます。整然とした宮廷舞踏会のステップとはあえて違うところを表現しているのです。

テーマは3回繰り返され、最後にはファゴットとホルンが強く吹き鳴らされて主部のクライマックスとなります。

弦のリズムが弱奏に退くと、その上にオーボエ・ソロが愛嬌たっぷりのメロディを奏で、それがクラリネットからホルンへと受け継がれ、農民同士の和気あいあいとした丁々発止が目に浮かびます。

それが終わると中間部がやってきて、テンポがイン・テンポ・ダレグロに変わり、武骨で力強い踊りとなります。祭り全体の盛り上がりを見渡すかのようです。

ここまでのくだりはダ・カーポされますが、最後に突然、一同ハッとするような感じで動きが止まり、第4楽章にそのまま途切れることなく続きます。

第4楽章 『雷鳴、嵐』アレグロ

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クロード・ロラン『聖アントニウスの誘惑のある風景』(1628年)

楽しい踊りが中断され、一同が不吉な予感にとらわれて固まっている中、チェロとコントラバスの弱奏トレモロが、嵐の予兆である風と遠雷、ヴァイオリンがポツリ、ポツリ、と降り出した雨を表します。

まさに、風雲急を告げる、といった雰囲気です。

予感は的中し、トゥッティの強奏で、スコールのような大雨が突然襲来します。チェロとコントラバスのオスティナート音型が緊張感を高め、人々が逃げまどう様子がありありと目に浮かびます。

雷が落ちる様は、ティンパニを伴った強打音の連打で表現され、落雷の間は、不協和音と計算しつくされた絶妙の転調で、恐怖感をこれでもか、というほどに煽ります。

『運命』とともに初めてオーケストラに導入されたピッコロが、目もくらむような鋭い閃光を表現します。

時々弱まるかに見せて、さらにおっかぶせてくる暴風雨は、まさに自然界のものそのままです。この部分は〝感情の表出〟ではなく、次の楽章での感慨を深くするため、リアルな描写に徹している、といえます。

音楽の構成も、提示、展開、再現といった定石を外し、自然現象の推移をリアルタイムに表しています。

やがて、コントラバスの雷音型が弱くなってゆき、雷が遠ざかっていきます。

ティンパニの雷鳴もだんだん遠くなり、オーボエ長調の歌を歌い、フルートが上行音階を奏でて、雲が途切れて日の光が差し込み、最終楽章への移行句となります。 

第5楽章 『牧歌~嵐が去った後の、喜ばしく感謝に満ちた気持ち』アレグレット

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クロード・ロラン『踊るサテュロスとニンフのいる風景』(1646年)

嵐が去った野山に、クラリネットが素朴で愛らしい牧歌を奏で、それをホルンがさらに高らかに吹き鳴らします。これはナチュラルホルンが最も美しく響く「ホルン5度」の音型なので、どこまでも清らかで自然に聞こえ、心の中に沁みとおります。このテーマは第1ヴァイオリンがさらに洗練させ、ヴィオラ、チェロに受け渡し、〝牧歌〟として広がっていきます。

主旋律は自然な形で光の陰影のように絶妙な変奏と転調を繰り返し、無窮動的な繰り返しの中で、寄せては返すようにさざめき、聴く人のこころを平安と癒しで満たしていきます。

そのうねりの中で、クラリネットファゴットオーボエ、フルート、ホルンが小鳥のさえずりのような音型を次々と受け渡し、こだましていきます。

やがて弦が、沈みゆく夕陽の最後の輝きのようなクライマックスを形作り、日が遠い山に落ちて、森も野も村も静寂の夜を迎えます。

フィナーレには、『英雄(エロイカ)』や『運命』のような華やかさはありませんが、しみじみと心に忘れがたい余韻を残して曲を閉じます。

 

ベートーヴェンの〝自然の描写ではなく、自然を前にしたときの人間の感情を表現〟という意図は、まさに成功しているといえるでしょう。

 

例えば、〝温泉〟を音楽で表すとします。

こんこんと源泉が湧き出る音、天井から落ちる水滴の音、または温泉街のカラン、コロンという下駄の響きを音楽で表現しただけでは足りません。

疲れた体を湯に沈めた時の〝ふぅ~っ〟〝あぁ~っ〟という気持ちを、ベートーヴェンは音楽にしようとしたのです。

都会での忙しい日常に疲れたとき、田舎に行きたい、大自然の中に溶け込みたい、と誰もが思います。 

ベートーヴェンは、音楽で田園に連れて行ってくれるというわけです。

 

啓蒙思想ジャン=ジャック・ルソーは、〝自然に帰れ〟と唱え、田園生活を理想としましたが、ベートーヴェンは毎夏それを実践しました。

この曲は、ベートーヴェンが過ごした夏の一日の抒情詩であり、美しい夏の果実なのです。

 

動画は、前回の続きでパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメンの演奏です。

第3楽章


Beethoven's Symphony No. 6 "Pastoral", 3rd movement | conducted by Paavo Järvi

第4楽章


Beethoven's Symphony No. 6 "Pastoral", 4th movement | conducted by Paavo Järvi

第5楽章


Beethoven's Symphony No. 6 "Pastoral", 5th movement | conducted by Paavo Järvi

ヴィヴァルディ、ハイドンベートーヴェンと、四季、自然をテーマにした標題音楽を聴いてきました。 

それぞれに、現代人に必要な〝癒し〟を与えてくれると思うのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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