孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

家庭を捨てた皇帝が、仕事に打ち込んだ結果とは。マリア・テレジアとヨーゼフ2世母子の葛藤物語5。ハイドン『交響曲 第54番 ト長調』

ヨーゼフ2世と弟レオポルト2世(1769年)

弟が皇嗣殿下に

神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は、愛妻に新婚わずか3年で先立たれ、国家的義務でしぶしぶ再婚した相手は嫌い抜きました。

その可哀そうな後妻もわずか結婚2年で亡くなると、もう結婚はこりごり、もう絶対に再婚はしない、と宣言し、後継には弟のトスカーナ大公オポルト(のちのオポルト2世)を指名。

弟君は英明の誉れ高く、次代皇帝にはふさわしいと見なされていました。

母帝マリア・テレジアも、不幸続きの息子にさらなる結婚は強制できないでいましたが、弟レオポルトにもまだ男子はいませんでした。

ところが、ヨーゼフ2世の後妻が亡くなった翌年、1768年にレオポルトの妃マリア・ルドヴィカがついに男児を生んだのです。

のちにナポレオンと渡り合った皇帝フランツ2世です。

この吉報を聞いたマリア・テレジアは躍り上がり、ちょうど悲劇を上演中の宮廷劇場(ブルク劇場)に駆け込んで舞台に乱入。

観衆に向けて、『うちのポルドル(レオポルトの愛称)に男の子が生まれたのよ!』と叫びました。

満場の観衆たちも、これでハプスブルク家が次代につながった、戦争にはならない!と歓喜の大喝采を上げた、といいます。

悲劇は台無しになってしまいましたが。

家庭は捨て、仕事に邁進する覚悟

ヨーゼフ2世は、もう自分の個人的幸福は永遠に来ない、と諦めの境地に至り、その分、統治者としてひたすら国家に奉仕し、国民を幸せにするのだ、と決意を新たにしました。

啓蒙専制君主の代表とされているヨーゼフ2世は、その合理的精神から、〝帝位にいる革命家〟と呼ばれるほど、急進的な改革を実施していきました。

国民を苦しめる貴族やカトリック教会の特権を制限し、帝王の権威を高めるための宮廷の無駄な虚飾を廃し、国家の冗費を削減していきました。

そして、諸民族の集合体であるハプスブルク帝国を、「ドイツ国民のためのドイツ国家」にしようとしました。

これらの取り組みは、中世的な封建国家から、近代的な国民国家へと移り変わる、歴史の流れ通りのセオリーであって、皇帝の地位にある人が、自分の地位や権力も削りかねない革命を、自分でやろうとしたのは驚くべきことです。

モーツァルトに、ドイツ語の本格的なオペラ後宮からの誘拐を作らせたり、フランス革命の引き金になったといわれる危険な芝居フィガロの結婚のオペラ化を許したりしたのも、これらの政策の一環なのです。

理想に燃え、実行力もあるけれど…

しかしながら、やり方が悪かった。

ハプスブルグ家の跡継ぎとして、わがまま放題に育てられた彼は、人の気持ちを忖度することはできませんでした。

自らが高い教養と、最先端の思想を身に着けていたこともあり、他人をバカにし、見下す態度を取りがちでした。

ただ、〝聞く力〟がないわけではなく、驚くべき頻度で、一貴族に扮してお忍びで国内や外国を旅行し、民衆の実情を探り、様々な階層の人々の話を聞きました。

でも、政治的判断については、誰にも相談することなく、独善的に行ったのです。

マリア・テレジアも、宿敵プロイセンに勝つために、オーストリア近代国家に変貌させるべく、様々な大胆な改革を行いました。

しかし、そのやり方はソフトで、改革の影響についても気を配り、特に変革の副作用が最小限に収まるよう、細やかに配慮しました。

また、改革を推進する上では、まず人心の掌握に努め、自分の協力者を多く作るとともに、反対する人にもできる限り納得してもらえるよう、丁寧にフォローしたのです。

息子ヨーゼフはそのような過程はすっ飛ばし、ただ、自分の理想の実現に向けて独走しました。

ソフト・ランディングを心掛けた母帝

マリア・テレジアと少年時代のヨーゼフ2世

父フランツ1世の死後、15年間はマリア・テレジアヨーゼフ2世の共同統治となり、公文書にはふたりの署名がないと効力がありませんでした。

家庭を捨てたヨーゼフ2世は仕事に打ち込み、どんどん自分が正しいと思うことを実行していきます。

母は、皇帝である息子を立てつつも、その危なっかしい運転にブレーキをかけることに苦心し続けたのです。

ふたりのやり方は、まるで正反対でした。

ただ、ふたりの仲は悪かったということではなく、まるで恋人同士のような手紙を毎日のように交換していました。

母は、どれほど息子を愛しているか、その身を案じているか、と書き、息子は、自分はいかに母のことを大切に思っているか、気遣っているかを繰り返し繰り返し書き連ねています。

しかし、同じ宮殿にいるのに、コミュニケーション手段が主に手紙、というのは、ふたりの実際の関係がどうだったのかを示唆しています。

いきなりクビにされた役人たち

現在のスペイン乗馬学校

伝統品種馬リピッツァナー

ヨーゼフの急進的改革をいくつかご紹介します。

まず、宮廷の厩舎には1200頭もの馬が飼育されていました。

これは、スペイン王になりたくて果たせなかった祖父カール6世が、スペインの流儀を持ち込んだもので、スペイン風の大袈裟な宮廷儀式に必要なものでした。

古典馬術を保存、継承し、今でもウィーン名物となっている「スペイン乗馬学校(スペイン式宮廷馬術学校)」のルーツです。

ヨーゼフ2世は、そのような儀式も馬も不必要で無駄と考え、1200頭の馬を400頭に減らすよう命令しました。

マリア・テレジアも、経費削減には賛成ではありましたが、この乱暴な施策に苦言を呈しました。

『それではいったい、これまで馬の世話をしていた係官たちはどうなったの?まさか彼らを路頭に迷わせるつもりではないでしょうね。*1

ヨーゼフ2世には、そんなことは思いも及ばなかったのです。

彼は、宮廷内の無駄な役職もどんどん廃止しました。

確かに、食事ひとつにとってしても、食卓の準備をする役人、料理を運ぶ役人、料理を切り分ける役人、飲み物をグラスに注ぐ役人、食器を下げる役人はそれぞれ別にいました。

ヨーゼフ帝は、こんなのは無駄、ぜんぶ同じ人間でできるだろう、と、たくさんの役人を首にしてしまいました。

そして、名誉的な役職や職務、会議、儀式、祝祭イベントも、最低限にとどめて廃止しました。

確かに、これで国家財政はかなり好転しましたが、やり方はいきなりです。

マリア・テレジアのもとには、職を失った人々からの嘆願や皇帝へのとりなしの依頼が殺到しました。

彼女はひとりひとり接見し、事情に耳を傾け、息子をたしなめたり、対策を講じたりしなければなりませんでした。

女帝の晩年は、息子のしでかしたことの尻ぬぐいに追われたといっても過言ではないのです。

母子の葛藤は、まだまだ続くのです。

 

それでは、ハイドンのシンフォニーを聴いていきましょう。

ハイドン交響曲 第54番 ト長調

Joseph Haydn:Symphony no.54 in G major, Hob.I:54 2nd Version

演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック

第1楽章 アダージョ・マエストーソ、プレスト

この曲は自筆譜が残っており、そこには1774年と記入されていて、この時期に作曲年が確定できる数少ない曲です。でも、そこから2回にわたってハイドン自身による改変が加えられています。初稿の第1楽章には序奏がなく、後に追加されました。また初稿はオーボエファゴット、ホルン各2本と弦楽という標準編成でしたが、その後、フルート2、トランペット2、ティンパニが加えられ、最終的には、ロンドンセット以前の作品では最大編成となったのです。それはこの曲が人気で、何度も様々な機会に演奏されたことを示唆しています。

後付けの序奏は、仰々しいほどに重々しく、何かかしこまった場で演奏する必要があったと思わせます。ティンパニの轟きがおどろおどろしく響きます。

続くプレストの主部は、序奏と対照的な明るさで、ユーモラスでさえあります。ホルンと独奏ファゴットがタッタカタッタ、タッタカタッタ、と、ファンファーレか行進曲のようなリズムを吹き鳴らします。提示部は短く、その分展開部がハイドンには珍しく長めになっています。さまざまな調に次々に転調して、実に楽しい!

終わり近くには、減七和音によるフェルマータがあり、その解決法は、〝人を欺くような〟〝驚くべき〟と評されています。

第2楽章 アダージョ・アッサイ

アダージョ・アッサイ(非常にゆるやかに)という、あまり聞かない速度指示となっています。長さも異例で、聴くほどに、浅い眠りの中に意識がたゆたうかのようです。展開部では短調の陰も差し、最後には不思議な和音がヴァイオリン2台のカデンツァを導きます。

――長き夜の 遠のねむりの皆めざめ 波乗り船の音の良きかな――

第3楽章 メヌエット:アレグレット、トリオ

眠気を覚ますかのような、粗野と言っていいほど元気のいいメヌエットです。トリオは弦とオブリガートファゴットが懐かしさを感じる旋律を優雅に奏でます。

第4楽章 フィナーレ:プレスト

ワクワクするようなシンコペーションのリズムに乗って、お祭りが始まります。第1楽章と同じプレストですが、切迫感はなく、ここでもユーモアがたっぷりです。特に第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの掛け合いはエキサイティングです。展開部では、短調に揺らぎますが、テーマがたたみかけるように重なっていき、どこまで行くの?と思ううち、トランペットまでもがこれを助長して突っ走ります。どこまでが展開部でどこからが再現部なのか、巧妙に隠されていて、よく分からないうちに曲は終わります。ハイドンが悪戯っぽくウインクするのが見えるようです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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