領土拡大に味をしめた皇帝
1772年、母帝マリア・テレジアの猛反対を押し切って、ポーランド分割に参加した皇帝ヨーゼフ2世。
戦わずして広い領土をせしめた彼は、偉大なる母帝も成し得なかったことを成し遂げた、と得意満面です。
マリア・テレジアが生涯かけてやったことは、力に任せた強者による領土拡大への抵抗と、無法な現状変更の企ての阻止。
彼女の戦いは、無法を許さず、ヨーロッパの秩序を保つ、という正義に基づくものでした。
しかし、息子は、英雄(マリア・テレジアに言わせれば強盗)フリードリヒ大王に感化され、領土を拡大することこそ、君主たるものの務め、と勘違いしてしまっています。
5年後、さらに晩年の女帝を悩ませる事態を、この息子は引き起こします。
跡継ぎのいなくなった隣国
1777年、隣国バイエルンの君主、マクシミリアン3世ヨーゼフが逝去します。
跡継ぎの嫡子はおらず、バイエルンを代々治めてきたヴィッテルスバッハ家の本家は断絶します。
マクシミリアン3世ヨーゼフの父は、バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトで、かつて、マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンの皇位継承を認めず、フランスの援助でハプスブルク家が代々独占してきた神聖ローマ皇帝位を奪い、皇帝カール7世となります。
しかしその後、オーストリア継承戦争でマリア・テレジアに敗け続け、首都ミュンヘンも陥落させられ、失意のうちに世を去ります。
跡を継いだ息子のマクシミリアン3世ヨーゼフは、もはや帝位は望まず、フランツ・シュテファンの即位を認め、両家は和解します。
マクシミリアン3世ヨーゼフは、ヨーゼフ2世が嫌い抜いた、可哀そうな二番目の后、マリア・ヨゼファの兄にあたります。
文化、芸術にも理解があり、若いモーツァルトも可愛がりました。
ただし、熱望してきた職を与えることはしませんでしたが。
嗣子なくして没したマクシミリアン3世ヨーゼフの領土は、遠縁にあたる、同じヴィッテルスバッハ家のプファルツ選帝侯カール・テオドールが相続することになりました。
同じヴィッテルスバッハ家といっても、バイエルン系とプファルツ系に分かれたのは13世紀のことで、かなり遠くなってしまいますが、サリカ法典に基づいた、正統な継承でした。
皇帝のムチャな要求
ヨーゼフ2世は、これにいちゃもんを付けたのです。
プファルツ選帝侯領と、バイエルン選帝侯領が合同して大国になってしまうので、バランスを取るために、同じく嫡子のいないカール・テオドールの相続を認める代わりに、自分にバイエルンの領土の2/3を割譲せよ、と要求しました。
ヨーゼフ2世は、隣国バイエルン、それも、ハプスブルク家の永遠のライバル、ヴィッテルスバッハ家の領土を得る絶好機だと考えたのです。
何より、ヴィッテルスバッハ家にさんざん苦しめられたのはマリア・テレジア。
母もこれは喜んでくれるだろう、と思ったのです。
まさに親の心、子知らず。
これを聞いたマリア・テレジアは、同じ宮殿内にいる皇帝に、厳しく咎める手紙を送ります。
『バイエルンに要求を突き付ける正当な理由など、何もないではありませんか。たとえ確実な根拠があったとしても、ほんのわずかな利益を得るだけで、それによって大火事が発生するのでは元も子もありません。』
しかし、ヨーゼフ2世は、母上、何も心配することはありませんよ、うまくいきます、と請け負います。
どうぞ、どうぞ、と相続人
というのも、なんとこの無茶で無法な要求を、カール・テオドールは飲んだのです。
プファルツ選帝侯であった彼は、文化・芸術を愛好し、特に音楽に対する造詣は深く、首都マンハイムの宮廷楽団は、世界最高という評判を取っていました。
徹底した練習と、統制の取れた指揮により、近代オーケストラの走りというべき存在でした。
「マンハイム楽派」として音楽史上に業績を残しています。
全員がソリスト級の腕前を持ち、それが一糸乱れぬ揃ったボーイングで演じる様は、〝将軍たちで構成された軍隊〟とうたわれました。
そして、ささやくようなピアノから、雷のようなフォルテッシモに駆け上がるクレッシェンドは〝マンハイム・クレッシェンド〟と讃えらました。
モーツァルトは、就活旅行の最中、マンハイムでこのオーケストラに接して大興奮。
歌手アロイジア・ウェーバーへの恋もあって、長居をして父レオポルトに怒られます。
マンハイムはドイツの中でもフランスに近かったので、お互いに高い文化レベルの交流がありました。
パリでも「マンハイム楽派」の影響が濃く、モーツァルトは『パリ・シンフォニー』をマンハイムのスタイルで作曲、初演して大成功しました。
このあたりのことは、5年前、このブログを始めたころの最初の記事にしました。
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後にハイドンの6曲のシンフォニー『パリ・セット』も、大規模なオーケストラ好きのパリ市民に大当たりを取ります。
いずれも、カール・テオドールの音楽投資の賜物でした。
彼は、政治にはあまり関心はなく、パリに近いマンハイムで芸術振興に没頭していましたし、これからもそうしたかったのです。
遥か離れた〝蛮地〟バイエルンになど行きたくありませんでした。
遠い親戚の国が他の国に併合されようがどうでもよいことでしたし、そんなお荷物の領土の統治を皇帝が引き受けてくれるというのであれば、願ったり叶ったりでした。
ヨーゼフ2世は、そんなカール・テオドールの内意を得て、この要求に踏み切ったのです。
まさに、棚からぼたもち、とばかり。
しかし、百戦錬磨の大政治家マリア・テレジアからすれば、国際政治はそんな甘いものではありません。
彼女が予想、危惧した〝大火事〟は起こってしまい、ヨーゼフ2世も大火傷を負うことになってしまうのです。
大人気だった〝うっかり者〟シンフォニー
それでは、ハイドンのシンフォニーを聴いていきましょう。
今回は、変わった名前の変わった曲、《うかつ者》です。
6楽章もあるこの曲は、『うかつ者』という喜劇につけられた付随音楽をシンフォニーに仕立て直したものです。
この劇は、流しのヴァール一座が1774年夏にエステルハーザ宮殿を訪れ、上演しました。
ハイドンはこれに序曲と幕間音楽をつけたのです。
『うかつ者』は、「レアンドル」という、ピエロのように、よくいろんな劇に登場するキャラクターでした。
パジャマのまま外出してしまったり、人の家を自分の家と勘違いしてくつろいでしまったりして、笑わせます。
極め付きは、自分の結婚式を忘れてしまう、という一幕でした。
日本でいえば〝サザエさん〟のようなキャラで親しまれたのです。
『迂闊者』という訳は少し古くて堅苦しい気もしますので、〝うっかり者〟の方がイメージに近いかもしれません。
ハイドンは、これらの滑稽な場面をダイジェストで追っかけるような音楽を作曲しました。
このシンフォニーは、当時から大ウケし、エステルハーザのあと、プレスブルク(ブラチスラヴァ)での上演も大ヒットで、1776年にはザルツブルクで上演。
ヨーロッパ各地で演奏されました。
作曲から30年近くたった1803年に、ヨーゼフ2世の甥にあたる時の皇帝フランツ2世の皇后、マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン(ナポリ=シチリア)が、ハイドンにこの曲を聴きたいから楽譜を欲しい、と求めてきました。
この皇后は、女帝マリア・テレジアの娘でナポリ王に嫁いだマリア・カロリーナの長女にあたり、音楽好きで、ハイドンのオラトリオ『天地創造』の初演ではソプラノを歌いました。
(マリア・テレジアの子供たちは、母帝に敬意を表して、長女には必ず「マリア・テレジア」と名付けました。)
ベートーヴェンも、七重奏曲 作品20を献呈しています。
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ハイドンは、こんな旧作を求められたことに当惑し、出版社に『皇后陛下が古いシュマーンをご所望だ…』と書いています。
「シュマーン」は、オーストリアのパンケーキですが、つまらないもの、という意味もあります。
ハイドンとしては、もう偉大な『ロンドン・セット』を書いたあとですから、あんな若い頃のふざけた曲をなんでいまさら…という思いだったのでしょう。
しかし、初演のときの新聞には『この曲にはハイドン氏のユーモア、よき精神、理性があふれている』と高く評価され、長くハイドンの人気作品だったのです。
Joseph Haydn:Symphony no.60 in C major, Hob.I:60 “Il Distratto”
演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 イル・ジャルディーノ・アルモニコ(古楽器使用)
喜劇の序曲だった楽章です。ドオン、ドオンと、喜劇のはじまりにしては壮大な、まるで第50番のような迫力ある強奏のあと、ゆったりとした静けさが訪れます。それは、だんだんと消え行ってしまうかのようです。主部は、小刻みのリズムに乗って楽し気に始まり、ドラマの開幕にふさわしい、ワクワクとした感じになりますが、それでも、時々に我に返ったようにシリアスに立ち止まってしまうのです。いったいどうしたいのか、道に迷ってしまった印象も受けます。展開部に入ると、いきなり、第45番《告別》の第1楽章のテーマがなだれ込んできます。このテーマは、後の『パリ・セット』の中の、マリー・アントワネットお気に入りのシンフォニー、第85番『フランス王妃』の第1楽章でも取り上げられるので、ハイドンとしても気に入ったフレーズのようです。
第2楽章 アンダンテ
ヴァイオリンとヴィオラが優雅で静かな旋律を奏ではじめると、突拍子もなく、管楽器がチャチャを入れます。弦の旋律は、この劇の登場人物である、おしとやかな令嬢イザベッレで、管の音色は、彼女を金持ちに嫁がせようとやかましくあれこれ干渉する母親、グロニャック夫人を表しているとされます。途中から、かしこまったような、ぎこちないフランス舞曲が出てきますが、これは、イザベッレを口説いている、女にだらしない騎士(シュヴァリエ)を描写しているといわれます。
力強さの中に優雅さをまとったメヌエットは、フーガも使って壮麗な趣です。トリオはハ短調に転じますが、オーボエが奏でる歌は、ハンガリーの民族舞踊を思わせる、エキゾチックなものです。
第4楽章 プレスト
ハ短調の運命的な悲愴な感じで始まります。シンフォニー第44番《悲しみ》のが激しい第4楽章を思わせますが、やがて変ホ長調に転じ、生き生きと走り出します。まるで上記機関車が疾走するかのようです。中間部では、再びハ短調に戻り、ピアノ・コンチェルト第11番のハンガリー風のロンドのように踊り狂います。最後は、冒頭の繰り返しではなく、新しい素材で締めくくられますが、これも劇の各場面をつなぎ合わせたかのような雰囲気があります。
弦楽器群の伴奏で、ヴァイオリンが優しく歌います。うっとりとしていると、いきなりファンファーレが鳴り響き、ティンパニが轟きます。これは、劇の第5幕での使者の到着を表しています。終わりは、いかにも喜劇の一場面、といった感じで、コミカルに唐突に締めくくられます。
第6楽章 フィナーレ:プレスティッシモ
喜劇の幕が下りた後の、終わりの音楽として作曲されました。幕切れにふさわしく、ハ長調の華やかで力強い和音が鳴りますが、オーケストラはハッとして中断します。ヴァイオリンがト音を鳴らすところ、へ音を鳴らしてしまったのです。あわてて調弦し直して、やり直す、という演出が入ります。具体的には、ヴァイオリンのG線の開放弦はト音ですが、これをヘ音にして開始(スコルダトゥーラ)し、あらためてト音にする、という形です。劇では主人公が結婚式を忘れていて、ネクタイを締め直しているときに、自分が花婿だったことを思い出す、というのに合わせて、オーケストラもうっかり調弦を忘れていた、という演出なのです。中間で奏でられるひなびたメロディーは、『夜警』という当時の民謡から取られています。こんな仕掛けがふんだんにあるのも、この曲が親しまれた理由です。
この場面では、指揮者とオーケストラが珍妙なやり取りをすることになっています。天才にして悪戯好きのハイドンならではの演出です。こんなユーモラスな曲は他にありませんから、ハイドンが、若気の至りでヤンチャした黒歴史を掘り返さないでくれ、と思うほど長い間、ずっと愛されてきたのです。ハイドンの代表的な「劇場シンフォニー」です。
動画もジョヴァンニ・アントニーニ指揮 イル・ジャルディーノ・アルモニコです。第6楽章の調弦し直しも見どころです。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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