孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

歴史を引っ掻きまわした遊び人、シャルル10世。~マリー・アントワネットの生涯15。モーツァルト:フルート四重奏曲 第2番 ト長調

アルトワ伯(のちのシャルル10世

もうひとりの義弟、アルトワ伯

マリー・アントワネットのふたりの義弟のうち、今回は下のアルトワ伯シャルル=フィリップ、のちのシャルル10世です。

フランス王太子ルイ・フェルディナン王太子妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスの第4子として、1757年に生まれました。

マリー・アントワネットとはふたつ年下であり、彼女も窮屈なヴェルサイユ宮殿にあって、堅苦しい夫との関係に悩んでいた頃、一番年も近く、気の置けない仲となりました。

前回取り上げた上の義弟、プロヴァンス伯は、兄ルイ16世に子供ができなかったら自分が国王になれる、と期待し、野心満々でしたが、アルトワ伯は順番からいって自分に王位が回ってくるとは考えていませんでした。

そのため、気も楽ですし、何より、彼は天性の遊び人でした。

鈍重で大食いの兄王太子と比べて、スマートなイケメンでもあり、女性によくモテました。

物事は深く考えず、ただただ娯楽と快楽を追求する性格だったのです。

マリー・アントワネットを悪の道に…

そんな彼は、籠の中の鳥だったマリー・アントワネットにとって、自分を解放してくれる手引き役となりました。

皆が寝静まった頃、アルトワ伯はマリー・アントワネットに仮面をつけて、オペラ座の仮面舞踏会に連れ出しました。

仮面をつけても王太子妃であることはバレバレでしたが、皆はそれに気づかないふりをしていたので、彼女は大いに羽を伸ばし、羽目を外すという禁断の果実を食べてしまったのです。

マリー・アントワネットの行状が全てアルトワ伯のせいというわけではありませんが、彼女に悪い遊びを教えたのは事実です。

彼女のお目付け役、メルシー伯爵は、アルトワ伯を王太子妃にとって好ましからざる人物であるとマリア・テレジアに報告し、母帝もこの〝悪友〟の存在に心を痛めています。

彼女が王妃になってからも、アルトワ伯はほとんど政治には関わらず、また関心もありませんでしたが、革命が勃発してからは、反革命派のリーダーのひとりとして活動しました。

余計な活動で兄夫婦を窮地に

バスチーユ監獄の襲撃後、ルイ16世の命で国外に出、各国を回ってフランス王室を助けてくれるよう訴えました。

それは1791年に出された、オーストリアの皇帝オポルト2世と、プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世によるピルニッツ宣言として結実しましたが、『もしルイ16世に危害を加えたら、軍隊を送ってパリを壊滅させる』といった脅迫めいた内容に革命派は激高し、団結してかえって兄国王の立場を悪くしてしまいました。

フランス革命からナポレオンの没落までは英国に亡命していましたが、兄ルイ18世が即位して王政復古が成ると帰還。

慎重に中道路線をとっていたルイ18世とは違い、フランスを革命前まで戻そうという極右の王党派、すなわち「ユルトラ」の領袖として担ぎ上げられました。

ルイ18世が跡継ぎなく没したあと、ついに王座がめぐってきて、1824年にシャルル10世として即位します。

シャルル10世として即位

シャルル10世

ランス大聖堂で挙行された戴冠式は中世の再現ともいえるもので、いくら王政復古したといっても、革命を経験したフランスにとっては時代錯誤でした。

彼の復古政策は慎重さを欠き、ただただ世の中を絶対王政時代に戻そうという軽薄なものだったので、たちまち反発を招きました。

即位の翌年には、フランス革命で財産を没収された亡命貴族(エミグレ)に、国庫から10億フランの補償を行うと発表。

その後も、宗教教育の強化など、反動政策を進めます。

1830年の代議院開会式で代議院から猛烈な抗議を受けると、ただちに議院を解散。

選挙で野党が躍進すると、議会解散、選挙権制限、再選挙、出版の自由の廃止といった、自由主義を否定し時代の流れを巻き戻すような「七月勅令」を発布しました。

七月革命勃発

七月革命の市街戦

1830年7月27日、学生、労働者を中心にしたパリの民衆は、三色旗を翻して街頭にバリケードを築き始めました。

シャルル10世は初めはタカをくくっていましたが、市街戦が始まると、国軍はジリジリと押され、テュイルリー宮殿、パリ市庁舎は市民に占拠されます。

7月29日にルーブル宮殿の時計台に三色旗がはためくと、さすがにシャルル10世は事態の深刻さに気付き、あわてて七月勅令の撤回と内閣総辞職を決めますが、時すでに遅し。

反政府派のリーダー、銀行家のラフィットは、アメリカ独立戦争フランス革命の英雄で、人権宣言の起草に携わったラ・ファイエット将軍を、既に老齢ながら担ぎ出しました。

そして彼の支持のもと、代々自由主義で有名な王族、オルレアン公家ルイ・フィリップを国王に推戴。

王制廃止までは求めていなかった民衆は歓呼の声でルイ・フィリップを迎え、彼も国王就任を受諾しました。

もはやシャルル10世には、兄と同じギロチン台への道しかありません。

8月2日、彼は退位し、8月16日にシェルブールの港から船に乗って英国に亡命しました。

これがフランス史の「七月革命」です。

お気楽な遊び人が国王になった結果

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

この革命では、王政から共和政に変わったわけではなく、単にシャルル10世があまりに時勢に疎く、自由主義を理解せず、時代をマリー・アントワネットと遊んでいた頃に無邪気なまでに戻そうとしたゆえに勃発したものです。

教科書で有名なドラクロワの名画『民衆を導く自由の女神は、ルイ16世マリー・アントワネットが殺されたフランス革命ではなく、この七月革命を描いたものです。

市民の前で胸を露にした自由の女神が倒そうとしているのは、シャルル10世なのです。

亡命したシャルル10世は、特に失意というわけでなく、英国領の宮殿や保養地を巡り歩き、最後は1836年にイタリアにある英領保養地ゲルツ、現在のイタリア領ゴリツィアで79歳で亡くなりました。

マリー・アントワネットを享楽の道に引き込み、その破滅の一因を作り、また国王となっても時代を読めない振る舞いをした彼は、最後まで自分本位の、その場しのぎのお気楽な人生だったといえます。

歴代フランス王で唯一国外に墓のある国王となっています。

七月王政で新たに王となったルイ・フィリップも、ブルジョア、すなわち金持ち主体の政治を行って、労働者階級の支持を失い、1848年の二月革命で王位を失います。

その後のフランスは政体が目まぐるしく変わり、ナポレオン3世による帝政復活までありましたが、現在は第五共和制に落ち着いています。

しかし時々、フランスでの暴動のニュースを聞くにつけ、かの国が革命の国であることを思い起こします。

モーツァルト:フルート四重奏曲 第2番 ト長調 K.285a

Wolfgang Amadeus Mozart:Flute Quartet no.2 in G major, K285a

演奏:バルトルド・クイケンフラウト・トラヴェルソ/アウグスト・グレンサー~ルドルフ・トゥッツによるコピー)、シギスヴァルト・クイケン(ヴァイオリン/ジョヴァンニ・グランシーノ:1700年ミラノ製)、ルシー・ヴァン・ダール(ヴィオラ/サムエル・トンプソン:1771年製)、ヴィーラント・クイケン(チェロ/アンドレア・アマティ:1570年製)【1982年録音】

第1楽章 アンダンテ

モーツァルトは、ド・ジャン氏からの注文のために、まず前回の第1番 ニ長調を作曲したと考えられます。しかし、その後の筆は遅々として進みませんでした。この曲は、ド・ジャン氏がマンハイムを出立する直前に書かれたと考えられます。

しかし、2楽章しかないというのは完成形とは思われず、古来、論議を呼んでいます。自筆譜が残っていないので、偽作説までありますが、音楽は紛れもなくモーツァルトのものです。前回触れたように、モーツァルトの没後、1792年にアルタリア社から初めて出版された際、第1番 二長調 K.285の第1楽章のあと、本来の第2、第3楽章として本作が差し替えられていました。調性が不統一なのに、なぜそんなことになったのかも謎ですが、第1番の第1楽章、第2楽章に比べて、優雅で軽いため、商業的にこの方がウケる、と出版社が考えた可能性があります。確かにこのふたつの楽章は、1770年代にパリで流行したギャラント様式で作られています。

まず、フルートが第1主題を優しく歌いはじめ、弦がユニゾンで支えます。問わず語りのように、味わい深い音色です。やがてチェロが短いフレーズを奏でると、ヴァイオリン、そしてフルートがそれをなぞります。実に美しい箇所です。第2主題はヴァイオリンとフルートが呼び交わしながら提示されます。ふと、短調の影も差しますが、ほんの一瞬の翳りです。展開部では、ヴァイオリンが、第1主題に基づく新しいテーマを奏で、フルートがこれを受け継いでいきます。半音階の多用、ほどよい強弱、偽終止など、マンハイム楽派の技法が援用されています。再現部は、通常とは逆に第2主題から始まり、第1主題の回想で優雅に楽章を閉じます。

第2楽章 テンポ・ディ・メヌエット

指示通り、メヌエットのテンポですが、二部形式でトリオはありません。テーマの3連符が曲全体を通貫しており、テンポにただただ身を委ねるだけで天国にいるかのように優雅な気分になります。フランスのサロン趣味が、本場よりも洗練されたのがマンハイムの音楽といえます。モーツァルトは初めて本気で恋をしながら、この曲に取り組んだのです。

 

動画は台湾での古楽器演奏です。しっとりとして良い演奏です。(第1楽章のみ)


www.youtube.com

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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