いよいよ、パリ・シンフォニーをお聴きいただきましょう。
日本語の曲名は下記になります。
交響曲第31番 二長調 K.297(300a)『パリ』
K.はモーツァルト作品の通し番号で、ケッヘルと呼び、19世紀にケッヘルという人がモーツァルトの全作品目録を作った際に、作曲順でつけましたが、その後の研究で並べ替えがあったものは( )に新しい番号が記されています。
この番号で、だいたい何歳の時の作品が分かります。(番号を25で割って10を足すとだいたいの年齢になるといわれています)
交響曲第31番 二長調 K.297(300a)『パリ』
Symphony No.31 in D Major,“Paris”K297(300a)
演奏:ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ指揮 フライブルク・バロックオーケストラ
Freiburger Barockorchester & Gottfried von der Goltz
このCDは、まさにモーツァルトが今回のパリ滞在で1778年に作曲した3曲のカップリングです。
パリ・シンフォニーの他の曲も、次回、次々回で聴いていただきたいと思います。
さて、パリ・シンフォニーですが、曲番号のついているシンフォニー(交響曲)の中でも異色の存在です。
優雅で軽い感じがモーツァルトのイメージとすれば、特に第1楽章はゴツい印象で、モーツァルトらしくない曲、といわれます。
そのわけは、これまでご紹介した作曲事情にあります。
マンハイムで、近代的な大オーケストラに触れたモーツァルトは、ぜひ自分でもそのようなオケのためのシンフォニーを書いてみたい、と思っていました。
そこで初めて得たチャンスが、パリでの公開演奏会、『コンセール・スピリチュエル』でした。ここのオーケストラは、マンハイムのものよりレベルはかなり低かったようですが、編成は大きく、完全なる二管編成(フルート、クラリネットが2本ずつある)だったのです。
そこで、マンハイムでの経験を活かし、月並みなものを嫌い、新しいものが好きなパリ人たちのウケを取るべく書いた渾身の作がこの曲です。
冒頭、力強い主音が鳴ったあと、すぐオクターブの上昇があり、ど肝を抜かされます。大編成の息の揃った迫力を狙っています。
そしてその後は、ピアノとフォルテの激しい交代で、メロディの美しさよりインパクト重視なのが、モーツァルトらしからぬ、といわれるゆえんでしょうか。
再度モーツァルトの手紙を引用します。
最初のアレグロのまん中に、これはきっと受けると思っていたパッサージュが一つあったのですが、はたして聴衆は一斉に熱狂してしまいました。そして拍手喝采です。
*1
この「パッサージュ」がどの部分を指すのかは、何度か聴いていただくと分かると思います。単純な、子供向けのようなフレーズですが、これを大オーケストラでやるとそれは素晴らしい効果を生みます。
モーツァルトは、もう一度終わり近くで、マンハイム・クレッシェンドで盛り上げた後に繰り返すというサービスもしています。
第2楽章 アンダンテ
実は2ヴァージョンあります。最初に書いたものは、コンセール・スピリチュエルの支配人、ル・グロに、長いとか、転調が多いとかケチをつけられたので、全く別のものに書き直しています。
ベートーヴェンだったら確実にブチ切れていたでしょうが、モーツァルトはこうした依頼に従うのはプロとして当然、と思っていたようです。現代の脚本家が監督や俳優の要請で書き直しに応じるのと同じ感覚でしょうか。
このCDでは、初稿(オリジナル)と、作り直したヴァージョンの両方聴くことができますが、ふつうのCDでは、二稿の方を第2楽章にしている例が多いです。
私も聴き慣れたのはこちらの二稿ですが、これはこれで、素朴でほっとする曲です。
メヌエット楽章は無く、これがフィナーレ(終楽章)です。
これについてのモーツァルトの手紙も再度引用します。
この土地では最後のアレグロはみな、最初のアレグロと同じく、全楽器同時に、しかも大抵ユニゾンで始まると聞いていましたので、ぼくはそれをヴァイオリン二本だけでピアノで始めました。それも八小節だけです。その後にすぐフォルテが来ます。すると(ぼくが期待していたとおり)聴衆は、ピアノの時はシーッシーッと言っていましたが、それからすぐフォルテが来たのです。フォルテが聞こえるのと拍手が沸き起こるのと同時でした――嬉しさのあまり、ぼくはシンフォニーが終わるとすぐにパレ・ロワイヤルへ行って、上等のアイスクリームを食べ、願をかけていたロザリオにお祈りをしてから、家へ帰りました。
*2
本当に、そのフォルテからの盛り上がりは、何度聴いてもワクワクします。走り出したメロディは、次にフガートで追いかけっこを始め、はしゃぎ回るのです。
この演奏は、曲の迫力を余すところなく伝えた会心のパフォーマンスです。
私としては、特にこの曲に求めるのはティンパニの活躍なのですが、この演奏でも時におどろおどろしく響かせてくれています。
1778年、パリ。
激動のフランス革命にはもう10年を切っていました。
パリの人たちは、溜まりつつある鬱憤や閉塞感のはけ口を音楽に求め、モーツァルトはそれに応えて曲を書いた…というのは考えすぎかもしれないので、とりあえず聴きながらハーゲンダッツのアイスクリームでも食べることにします。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村