
古楽器ナチュラル・ホルン
陰謀
『1778年パリ』CDの3曲目です。
『シンフォニア・コンチェルタンテ』はイタリア語で、フランス語では『サンフォニー・コンセルタント』となり、日本語では『協奏交響曲』と訳されます。
協奏曲と交響曲の合体なんて、なんとも贅沢ですが、当時のパリで大いに流行っていた曲種でした。
好まれた編成は、独奏楽器がフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットの4つが登場するもので、モーツァルトも例のコンセール・スピリチュエルの支配人、ル・グロから依頼されて大急ぎで作曲し、彼に自筆譜を売り渡しました。
独奏者たちも、この曲を大いに気に入っていたということですが、なぜか当日のコンサートでは、別な作曲家の曲に差し替えられてしまいました。
当然、モーツァルトはル・グロに抗議しますが、彼は言を左右にしてごまかします。
おそらく、モーツァルトに成功してもらいたくない者の陰謀があったのでしょう。少なくとも本人はそう思っていました。
のみならず、ル・グロは楽譜そのものまでモーツァルトに返そうとしません。それほどの傑作だったということなのかもしれません。
モーツァルトは、“ル・グロはあの曲を自分のものにしたと思っているが、どっこい、僕の頭の中には全部残っている”と言っていますが、いったんこの曲は歴史から消失してしまいます。
再発見
ところが、19世紀半ばに、あるモーツァルト研究家の遺品の中から、この曲とおぼしき譜面(自筆ではない写し)が出てきたのです。
それがこの曲ではないか、と言われていますが、編成がフルートの代わりにクラリネットになっており、オーケストラパートにもモーツァルトらしからぬフレーズがあったりするので、偽作…?とも言われていました。
今では、管楽器のパートはモーツァルト本人の作で、伴奏のオーケストラ部分は誰かが付け加えて補ったのではないか、という説が有力です。
曲の美しさはモーツァルト作以外のなにものでもないので、管楽器部分だけ、モーツァルトが思い出して書き起こし、オーケストラは後で付け加えよう…と思っているうちにお蔵入りになってしまった、というのが真相のような気がします。
いずれにしても、この曲が今に残っているのは奇跡といえます。
この曲は、全体がなんともいえない優しさにつつまれています。
Symphonie concertante in E-Flat Major K297b
演奏:Freiburger Barockorchester & Gottfried von der Goltz
ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(指揮)
フライブルク・バロックオーケストラ
メインテーマは、一度聴いただけで好きになってしまうと思います。4つの独奏楽器の掛け合いは、時にはユーモラスに絡み合い、素敵な時間を醸し出します。
時々不安ものぞかせつつ、癒しと慰めに満ちていて、落ち込んだ自分に、4つの楽器が交代で静かに語りかけてくれるような思いになります。
第3楽章 アンダンティーノ・コン・ヴァリアツィオーニ
基本テーマを次々に展開していく変奏曲スタイルです。まるで、4つの管楽器が楽しくおしゃべりをしているようで、癒されます。
実は、失われたオリジナルの曲を再現しよう、と試みた演奏もあります。
コンピューターの分析によって失われたフルートパートや、“モーツァルトならこうしたはず”というオーケストラパートを復元したのです。
これは現代楽器での演奏になりますが、クラリネットがフルートに変わると、また違う雰囲気が味わえ、最初にパリで響くはずだったのはこんな感じだったのかなぁと想像しながら聴くのも一興です。
Sinfonia Concertante in E-Flat Major K297b
演奏:Academy of St.Mertin-in-the-Fields & Sir Neville Marriner
サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団
以上、パリで作曲された大きな作品を聴いてきましたが、パリ滞在中、お母さんが病気で亡くなってしまいます。
就活も結局うまくいかず、しぶしぶザルツブルクに戻るのですが、帰りに寄ったマンハイムでアロイジアに失恋までしてしまいます。
マンハイム・パリ旅行は、青年モーツァルトの、かわいそうなくらいの失意と試練の旅でしたが、音楽的には相当に成長したのはこれ以降の作品が証明しています。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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