結婚式の定番曲、3曲目はバッハです。『主よ、人の望みの喜びよ』。これは、結婚式の定番というよりクラシックの定番であり、ピアノ発表会でもよく取り上げられる曲ですね。
ふつう、オルガンやピアノ、オーケストラで奏されますが、原曲は、『カンタータ第147番〝心と口と行いと生きざまをもって〟BWV147』の第10曲、合唱曲(コラール)です。
教会のカレンダー
カンタータとは、単に〝歌うもの〟という意味で、もともとは世俗の歌でしたが、主にドイツでは教会の礼拝で使われる〝教会カンタータ〟として発展しました。
バッハは、生涯の後半はドイツ・ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(教会音楽家、すなわち教会、ひいては町の音楽監督)として活躍、そこで生涯を終えました。
バッハの一番重要な仕事は、1週間に一度の礼拝用のカンタータを作曲、演奏することでした。
教会には『教会暦』というカレンダーがあり、聖書の出来事や聖人にちなんだ祝日や記念日があります。
日本でも、クリスマス(降誕日)やイースター(復活日)はクリスチャンでなくてもポピュラーですが、教会暦にはもっとたくさんあり、バッハはそのためにカンタータを毎週のように作曲、演奏せねばならず、5年分約500曲を作曲したと言われています。(現在残っているのは4年分約400曲)
カンタータは、その日についての牧師の説教に続いて演奏され、その内容を音楽で味わい、歌い、信仰心を深めるためのものでした。
聖なる妊婦同士の出会い
このカンタータ〝心と口と行いと生きざまをもって〟は、7月2日の『聖母マリアのエリザベト訪問記念日』のために作られました。
この〝エリザベト訪問〟という出来事は、マリアが大天使ガブリエルによって衝撃の〝受胎告知〟をされたあと、親戚のエリザベトを訪ねたことを指します。
まず、受胎告知の場面を聖書、ルカによる福音書から引用しましょう。
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。
そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
そこで、天使は去っていった。
マリアはガブリエルにそう言ったものの、まだ半信半疑でエリザベトのもとを訪ねたのです。
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたところ、その胎内の子がおどった。
エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」*1
この訪問でマリアは心からこの奇蹟を確信し、神に賛辞を送ります。それが「マニフィカト」で、バッハをはじめ、たくさんの作曲家が曲をつけています。
エリザベトは祭司ザカリアの妻でしたが、なかなか子供を授からず、同じく神のお告げにより高齢にして妊娠したところでした。
お腹の中で踊って祝福した胎児は、後に洗礼者ヨハネとなり、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けることになります。
またこれにちなんで〝エリザベト〟は、英女王はじめ、多くの女性の名前につけられることになりました。
さて、このカンタータは、このルカの福音書を牧師が朗読し、それについての説教を行ったあとに奏されます。
カンタータを構成する10曲の歌詞は、処女懐胎という信じがたい話を信じる者が救われる、という主旨です。
ガーディナーによる古楽器の演奏でお聴きいただきましょう。
バッハ『カンタータ第147番〝心と口と行いと生活が〟BWV147』
J.S.Bach:Herz und Mund und Tat und Leben BWV147
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)モンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
John Eliot Gardiner & The Monteverdi Choir , The English Baroque Soloists
第1曲 『心と口と行いと生活が』
天使が吹く聖なる楽器、トランペットによって華々しく始まる合唱曲です。
心と口と行いと生活が
キリストについての証を
恐れも偽善もなしにしなくてはならぬ、
キリストこそ神であり救い主である、と。
終曲 『主よ、人の望みの喜びよ
いよいよ、有名な『主よ、人の望みの喜びよ』です。
合唱部分は「コラール」といって、プロテスタント特有の賛美歌です。
誰でも歌えるよう平易な旋律になっていて、実際、参列者は歌って参加したのです。
ですので、この部分はバッハが作曲したものではありません。
それを盛り上げていくオーケストラ部分がバッハ作なのですが、単純なコラールの旋律と、華々しい、時には神々しい伴奏との組み合わせが絶妙で、天才的なのがバッハのすごいところです。
コラールについては、またあらためて触れたいと思います。
イエスは変わらざる私の喜び、
心の慰めにして、命の糧。
イエスはすべての悩みから守ってくださる。
イエスは私の命の力、
目の喜びにして太陽、
魂の宝にして楽しみ。
だからイエスを離しません、
この心と視界から。*2
私たち日本人の多くは、初詣は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、お葬式はお寺で、というように、特定の宗教へのこだわりは薄いですね。私もそのひとりですが。
この曲も、なんだか心癒され、祝福ムードにあふれているので結婚式のBGMになっているわけですが、キリスト教の宗教曲にはそれぞれにエピソードがあり、思いが詰まっていますので、それを知ると、味わいも格別になると思うのです。
この曲は、必ずと言っていいほど結婚式で聞きますが、予期せぬ妊娠に最初はとまどったものの、結果的には幸せを確信し、祝福される、というストーリーがバックグラウンドにありますので、特に〝授かり婚〟にふさわしい曲なのではないでしょうか。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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