ヘンデルのオルガン・コンチェルトで一番有名なのは、通番では第13番になるヘ長調〝カッコウとナイチンゲール〟です。
第2楽章で、オルガンが、カッコウとナイチンゲールの鳴き交わすさまを描写しているので、このような愛称がつき、広く親しまれています。
この曲は1739年、ロンドンでオラトリオ『エジプトのイスラエル人』の幕間で初演されました。
このオラトリオは、旧約聖書のモーセの物語がテーマで、エジプトを襲った神の祟り『十の災い』のくだりでは、音楽でカエルやアブ、イナゴの大発生がリアルに描写されていますので、幕間でも、ヘンデルは生き物を音楽で表現して聴衆を楽しませたのでしょう。
さっそく聴いてみましょう。
Handel : Organ Concerto no.13 in F major, HWV295 “The Cuckoo & The Nightingale”
演奏:サイモン・プレストン(オルガン)
トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート
Simon Preston(Organ), Trevor Pinnock & The English Concert
第1楽章 ラルゲット
ユーモラスな第2楽章への導入としては、さりげなく、それでいて深い、素晴らしい序章です。心の底に沁み通るような、優しさと慰めに満ちた音楽で、ヘンデルの中でも特に好きな、感動的な楽章です。
ここにカッコウとナイチンゲールが出てきます。ピエロのようにおどけた感じで始まり、中間部でオルガンの高音部と低音部が、遠くと近くで鳴き交わすカッコウとナイチンゲールを表現しています。カッコウの声はそのまんまですが、ナイチンゲールはトリルで玉を転がすように鳴いてます。感動を与えるというより、聴衆を楽しませる音楽です。
第3楽章 ラルゲット
一転、シリアスな音楽になります。シチリアーノのリズムで、哀愁に満ち、鳥の声も止んだ深夜の静かな森のようです。
元気いっぱいの、屈託のない晴れやかなフガートです。
カッコウは、特徴ある鳴き声ですので、音楽での描写もしやすいでしょう。
有名なのは、ベートーヴェンの交響曲第8番『田園』の第2楽章『小川の情景』の終わり近くに出てくるカッコウですね。
ブルーノ・ヴァイル指揮 ターフェルムジーク・オーケストラ
第2楽章 アンダンテ・モルト・モート『小川の情景』
森が多く、高緯度のヨーロッパでは比較的平地でもカッコウを聞くことができるのかもしれませんが、日本では、関東以西では深山に行かないとなかなか聞けません。
私も子どもの頃、山に行って聞いたことがあるような、ないような・・・。記憶があいまいです。
〝鳩時計〟は、実際は〝カッコウ時計〟ではないか、というツッコミがありますが、カッコウの和名のひとつが〝閑古鳥〟なので、〝閑古鳥が鳴く〟は不景気で縁起が悪い、ということで、あえて〝鳩〟にされたようです。私も〝孤独〟と銘打ってはいるものの、ブログに閑古鳥が鳴くと寂しいです。笑
もともと鳩時計はドイツの森林地帯、シュヴァルツヴァルト(黒い森)地方で生まれたといわれていますから、まさしくそのあたりではカッコウが親しまれていたのでしょう。
カッコウの声から由来した和名は〝郭公〟ですが、こちらはホトトギスと読まれる方が多いです。
ホトトギスはカッコウの近縁種で、姿も似ており、あの悪名高い〝托卵〟をやりますので、混同されたようです。
こと夏はいかが鳴きけむほととぎす この宵ばかりあやしきぞなき 紀貫之
目に青葉 山ほととぎす 初鰹 山口素堂
古来このように、日本ではカッコウよりホトトギスの方が親しまれていました。
和名はさらに、杜鵑、不如帰、時鳥、子規、蜀魂など、たくさんつけられていることからもうかがえます。
鳴くときに血を吐く、という俗信もあり、正岡子規は結核を病んだ自分をなぞらえて〝子規〟と号しました。
信長、秀吉、家康の三英傑の性格を詠み分けた江戸時代の川柳も有名ですね。口語訳がポピュラーですが、原文はこうです。
なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公 大権現様
東京郊外の私の家でも、毎年5月になると、夜、近くの林からホトトギスが聞こえ、初夏だなぁ、と実感し、鰹のタタキが食べたくなります。毎年来てくれることを待ち望んでいます。
聞きなしは、『テッペンカケタカ』『東京特許許可局』がありますが、個人的には『許、許、許可局』かなと。
では、ナイチンゲールは、というと、これは日本にはいないので、声を聞いたことはありません。
まずは偉人伝の常連、〝クリミアの天使〟のほうを思い浮かべますが、こんな鳥だそうです。
ナイチンゲール/Nightingale
和名ではサヨナキドリ(小夜啼鳥)、夜うぐいすなどと呼ばれています。その名の通り、日没後や夜明け前にきれいな声で鳴くそうで、ヨーロッパ人には愛されていて、音楽でも取り上げられています。
フランス古典音楽の大家で、バッハやヘンデルの少し先輩にあたる、フランソワ・クープラン(1668-1733)に『恋の夜うぐいす』という美しいクラヴサン(チェンバロ)曲があるのでご紹介します。
F. Couperin : Le rossignol-en-amour
マルティン・スーター(チェンバロ)Martin Souter
ナイチンゲールはフランス語ではロシニョールですが、スキー板やスノボのブランドとして有名ですね。
夜に鳴くこともあり、この曲の題名にあるように、その愛らしい声は恋と結びつけられていたようです。
中世イタリア、フィレンツェの詩人、ボッカッチョ(1313-1375)の有名な著作『デカメロン(十日物語)』にも、ナイチンゲールにちなんだ話があります。
デカメロンは、都会で流行ったペストを避けて、男女10人が郊外の別荘に避難し、退屈しのぎに一人ずつ小話を披露する、という設定なのですが、若い男女の合コンなので、いきおい話は下ネタが多くなり、〝艶書〟とされています。
しかし、神や教会に締め付けられていた中世にあって、初めて人間の性をおおらかに文学表現した、ということで、人間らしさに価値を見い出したルネサンス、ヒューマニズムのはしりとして、歴史的にも重要とされ、教科書にも載っています。ダンテの『神曲』に対して『人曲』と呼ばれて讃えられていますが、エロ話集に歴史的価値が見い出されているのもなかなか滑稽です。
ナイチンゲールが登場するのはこんな話です。第5日第4話です。
ある裕福な騎士に美しい娘がいました。一人娘ということもあり、両親から深窓で大切に育てられていました。騎士の家に出入りする若者がいて、ふたりは恋に落ちますが、両親の目があるので、一言二言言葉を交わすことしかできません。娘は一計を案じ、『夜、寝苦しいので、ベランダにベッドを出して、ナイチンゲールを聞きながら寝たい』と父親にねだります。父親は許しませんが、娘が本当に不眠気味になってきたので、母親の取りなしもあって許すことにしました。若者は千載一遇のチャンスということで、命の危険を冒してベランダによじ登り、娘のベッドに入って、ついに思いを遂げました。ふたりはあまりに楽しい時間を過ごしたので、そのまま寝込んでしまいました。朝になり、父親が娘の様子を見にやってくると、ベッドの上で娘は彼氏の一物を握ったまま寝ていました。父親は母親を呼んで、『娘はあんなにナイチンゲールを欲しがっていたが、今つかまえて手に握っているから見てごらん』と言いました。母親は『そんなことがあるものですか』と言いながら見に来て、びっくり仰天。悲鳴でふたりは目を覚まし、若者は、命ばかりはお助けください、と詫びますが、かねて若者に好意を持っていた父親は、『今回の振る舞いは感心しないが、娘と正式に結婚するなら許す』と告げます。もちろんふたりは願ってもないことなので、ベッドの上で全裸のまま指輪を取り交わし、結婚しました。そして、末永く、夜も昼も、ナイチンゲール取りにいそしんだ、ということです。めでたし、めでたし。
アンデルセン童話にも、『ナイチンゲール(小夜啼鳥)』という話があります。もちろん、こちらは童話ですから、上品です。笑
中国のさる皇帝は、豪壮な御殿と宏大な庭を持つ宮殿に住んでいました。皇帝は宮殿の素晴らしさを自慢に思っていましたが、外国の旅行者が書物に、この宮殿で一番価値があるのは庭にいるナイチンゲールの歌声だ、と書いたのを読みました。皇帝はナイチンゲールを知らなかったので、臣下に命じて御殿に呼び、歌わせます。皇帝はすっかりその歌が気に入り、ナイチンゲールに黄金の鳥かごを与えて、身近において可愛がります。そんなある日、日本の天皇から、機械仕掛けのナイチンゲールが贈られてきました。このナイチンゲールは宝石で豪華に飾られており、ネジを巻くといつでも何回でも、美しい歌声を疲れることなく聞かせてくれるので、皇帝は夢中になり、本物のナイチンゲールをかえりみなくなりました。相手にされなくなったナイチンゲールは、庭に飛び去ってしまいました。何年かたち、皇帝は重い病にかかり、危篤になりました。死神に取り憑かれ、うなされながらナイチンゲールの歌を求めましたが、機械のナイチンゲールは既に壊れていました。臣下たちは、もう皇帝は助からないと思って、次の皇帝を選び、即位の準備をしました。夜、皇帝が呼んでも誰も来ません。そこに、本物のナイチンゲールが飛んできて、歌を歌うと、死神は逃げ去ってしまいました。朝、臣下たちが葬儀をしようとやってくると、皇帝は、元気に『おはよう、皆の者』と言いました。
皇帝に機械仕掛けの鳥を贈ったのが日本の天皇、ということが微妙ですね。アンデルセンは、日本人には器用なイメージがあったのでしょうけど、無機質の工業製品ばかり作っているようで、その後の日本を予見しているのでしょうか。
美しい鳥の声には古今、人々は癒されたり、インスピレーションを与えられたりしてきましたので、音楽、文学とのかかわりに、ちょっと思いを馳せてみました。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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