
ヘンデル『メサイア』の第3部全曲、第45曲から終曲の第53曲までを聴きます。これで、『メサイア』全曲の終幕です。
第1部では、メシア来臨の預言とイエスの降誕、第2部ではイエスの受難と復活、福音の伝道が描かれました。第3部では、救い主イエスへの信仰がつづられます。
Handel : Messiah HWV56
エマニュエル・アイム指揮ル・コンセール・ダストレ
Emmanuelle Haim & Le Concert D’Astree
第3部『信仰』
第45曲 アリア(ソプラノ)
私は知っている。
私を贖って下さった方は生きておられ、いつか必ずこの地に立たれる。
虫が私の身体を喰い破り、肉体が損なわれようとも、 私は神を見るだろう。
(ヨブ記 19:25-26)
なぜなら、キリストは死者の中からよみがえり、
眠りについた者たちの初穂となられたのだから。
(コリントの信徒への手紙一 15:20)
第2部終曲のハレルヤ・コーラスの熱狂と興奮を冷ますかのような、穏やかで癒されるソプラノのアリアです。前半は、旧約聖書で有名な、不幸や病苦にみまわれながらも忍耐強く信仰を貫いたヨブの物語から、後半は新約聖書からの引用です。私の罪を贖ってくださったイエスは亡くなったのではない、まだ生きておられる、という静かで強い確信を歌います。
第46曲 合唱
死は一人の人によって来たのだから、復活も一人の人によって来る。
つまり、アダムによって全ての人が死ぬことになったのだから、
キリストによってすべての人が生かされることになる。
(コリントの信徒への手紙一 15:21-22)
『メサイア』で唯一のアカペラ (無伴奏合唱) と、 全合奏が交互に繰り返されますが、「死」 と「生」の対比に他なりません。アダムの原罪によって人間は楽園を追放され、死ぬ定めとなりましたが、イエスがその罪を贖ったおかげで、永遠の命を得ることができた、ということです。
聞け。私はあなたがたに奥義を告げよう。
我々は皆、眠り続けるわけではない。
我々は皆、変えられるのである。
終末のラッパが鳴りわたるとともに、たちまち、瞬く間に。
(コリントの信徒への手紙一 15:51-52)
ここでバスによって重々しく告げられるのは、キリスト教の奥義です。人は死んでも、永遠に眠り続けるのではない。大天使ミカエルが吹き鳴らす、最後の審判を告げるラッパとともに、よみがえるのだ、と。
第48曲 アリア(バス)
ラッパが鳴りわたると、死者はよみがえって不朽の存在となり、
我々は変えられる。
つまり、この朽ちるべき者が朽ちない者となり、
この死ぬべき者が不死なる者に変えられる。
(コリントの信徒への手紙一 15:52-53)
伝道者パウロのによって記された復活の希望が、朗々としたトランペットとともに高らかに歌われます。『メサイア』の中でも有名な、長大なダ・カーポ・アリアです。モーツァルトの『レクイエム』の中にも、同じような、終末のラッパを描いた曲がありますが、人は死んでも終わりではない、という、キリスト教の真髄を示していて印象的です。
そして、まさにそのとき、このように書かれている預言が成就する。
『死は勝利に飲み込まれた』
(コリントの信徒への手紙一 15:54)
旧約聖書に書かれた、『神は死に勝つ』という預言が成就したことを宣言しています。
第50曲 二重唱(アルト、テノール)
おお死よ、お前のトゲはどこにあるのか。
おお墓よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死のトゲは罪であり、罪の力は律法なのだ。
(コリントの信徒への手紙一 15:55-56)
旧来のユダヤの律法では〝罪の結果は死〟でした。罪の無い人間などいないので、律法に従う限り、人間は死から逃れることはできず、律法は救いをもたらさないのです。それが、救い主イエスによって、死が克服されました。ソプラノとアルトの美しい二重唱によって、「死」に対して、お前の力は失われた、と追い払っています。
第51曲 合唱
神に感謝すべきである。
主イエス・キリストへの信仰を通して、
私たちに勝利をもたらされる神に。
(コリントの信徒への手紙一 15:57)
前曲の 二重唱と同じテーマで、 死の克服に対する神への感謝を皆で歌います。
第52曲 アリア(ソプラノ)
神が私たちの味方であるならば、誰が私たちに敵対できようか。
神に選ばれた私たちを、誰が訴えられるだろう。
人を正義としてくださるのは神なのに、誰が私たちを断罪できようか。
私たちのために死なれた方、否、よみがえられたキリストが、
神の右に座り、 私たちのためにとりなしてくださるというのに。
(ローマの信徒への手紙 8:31, 33-34)
新約聖書のパウロの言葉を、ソプラノが美しく歌い上げます。神が味方である以上、何も怖くない、イエスが神の右に座って、私たちのためにとりなしてくださるのだから、と、絶対的な安心感を表しているのです。
屠られて、その血によって私たちの罪を贖ってくださった小羊こそは、
力と、富と、知恵と、強さと、誉れと、栄光と、そして讃美とを受けるにふさわしい。
玉座に座っておられる神と、その小羊とに、賛美と誉れと栄光と権力があるように。
永遠に、とこしえに。
アーメン、アーメン。
(ヨハネの黙示録 5:12-14)
いよいよ、全曲の終曲、『アーメン・コーラス』です。
人類の罪を背負い、従順に生け贄となる子羊のように、犠牲になってくださったメシア、イエス。第2部冒頭の、〝見よ、彼こそ神の子羊〟という呼びかけの答えとなっています。神とイエスには、全ての主権があり、永遠に、その力で私たちを救ってくださいますように、と大合唱で歌い上げます。
最後は〝そうなりますように〟という意味の〝アーメン〟が、ヘンデルの対位法の粋を尽くした壮大なフーガとなり、人類の願いをはるか彼方まで届けとばかりに声を合わせます。
ヘンデルと、台本を作ったジェネンズは、この曲を娯楽作品として、劇場で演奏しました。不謹慎という批判もありましたが、半分義務のような教会での典礼ではなく、自由意志で集まった大衆が、楽しく聴けるよう工夫を尽くされたこの曲を聴いて、それぞれに感動を胸に劇場をあとにし、日々のつらい生活に希望をもって戻っていく、という姿こそ、ふたりの意図したものでした。
いよいよ、クリスマス。日本人の多くがにわかクリスチャンになってイエス生誕を祝いますが、メサイアの音楽も、異教徒の胸にまで、救いと希望を与えてくれるのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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