オペラ『フィガロの結婚』の大ヒットにより、プラハから招待を受けたモーツァルトは、新作のシンフォニーを携えていき、到着早々、1月19日のコンサートで初演しました。
それが、この〝プラハのシンフォニー 二長調〟です。
この曲はプラハから招待を受ける前から作曲を始めており、自筆譜の研究では、第3楽章は旧作の〝パリ・シンフォニー〟の差し替え版として作られた可能性があるようです。
そうなると、このシンフォニーが、メヌエットなしの3楽章構成であることの理由にもなるかもしれません。〝パリ〟も3楽章ですので。
そして、第3楽章を作ったあと、せっかくなので、冬シーズンのコンサートのために、第1、2楽章を新しく作ったと考えられます。推測の域ではありますが。
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プラハでのコンサートは大成功だったと、聴衆のひとりが書き残しています。プラハの人々は熱狂し、後々までこの曲を愛奏したといいます。まさに〝プラハ〟と名付けるにふさわしいシンフォニーです。
プラハのオーケストラは20名ちょっとの少人数でしたが、とても優秀で、モーツァルトを満足させたといいます。このオケは、前項のように後に『ドン・ジョヴァンニ』序曲を初見で演奏させられるわけですが、その腕前に甘えて、モーツァルトもギリギリでも大丈夫、と思ったのかもしれません。
初演が終わっても、拍手は鳴りやまず、『〝フィガロ〟から何か1曲を!』とアンコールの声がかかりました。モーツァルトはピアノの前に座り、『もう飛ぶまいぞ、この蝶々』をもとに、即興で12の変奏を行ったといいます。その曲は譜面に残されることはなかったので、その場にいた人たちだけが享受し、私たちはもう聴くことはできません。
モーツァルトのシンフォニーは、通番がついているものだけで41曲ありますが、〝プラハ〟は第38番ですから、終わりから4曲目ということになります。
この後は、有名な三大シンフォニー(第39番変ホ長調、第40番ト短調、第41番〝ジュピター〟)になりますので、かなり後期の作品ですが、これまでのどの曲とも、この後の三大シンフォニーとも違う、強烈な個性を放っています。
まさに、手に汗握る緊張感の連続で、楽器の縦横無尽な動きに、興奮のるつぼに引き込まれてしまうのです。
新妻はバッハ、ヘンデルがお好き?
それは、ウィーンにおけるバッハ、ヘンデル研究の成果、と言われています。モーツァルトは、バッハやヘンデルのフーガをよく調べ、その高度な対位法を身につけようと努力した形跡があるのです。
それまで、モーツァルトはフーガをほとんど作曲しなかったのですが、新妻コンスタンツェがフーガを気に入り、〝音楽の中で一番素晴らしいものをなぜ作らないの!?〟 とモーツァルトをなじった、ということです。
姉あての、モーツァルトの手紙を引用します。
このフーガが生まれた原因は、実はぼくの愛するコンスタンツェなのです。
ぼくが毎日曜日に行っているファン・スヴィーテン男爵が、ヘンデルとセバスチャン・バッハの全作品を(ぼくがそれをひと通り男爵に弾いて聴かせた後で)ぼくにうちへ持って帰らせました。
コンスタンツェがそのフーガを聴くと、すっかりそれの虜になってしまい、もうフーガより他には、特に(この種のものでは)ヘンデルとバッハより他には、何も聴こうとしません。
そこでぼくが時々、即興でフーガを弾いて聴かせたので、まだそんなのを書いたことがないのかと、尋ねました。
その通りだ、と答えると、音楽の中でもいちばん技巧的な、いちばん美しいものを書こうと思わなかったのかと、さんざん悪口を言うのです。
そして、フーガを一つ作ってやるまで、せがんでやまないのです。
そんな風にして、これが出来ました。*1
このエピソードには、もともと結婚に反対で、新妻にいい感情を持っていなかった父と姉に、コンスタンツェが音楽通であることをアピールするために話を盛ったという説と、最初にモーツァルトが求婚して失恋した、歌手である姉アロイジアに、夫がアリアを作っているのに嫉妬し、私にはフーガを作ってよ!とコンスタンツェが対抗心でせがんだ、という説もあります。
いずれにせよ、モーツァルトはバッハやヘンデルのフーガを学んで、数曲フーガを作ってみるのですが、なぜか多くが未完に終わっています。
しかし、その研究は無駄ではなく、バッハやヘンデルの真似ではなしに、モーツァルトの血肉として、このシンフォニーと、最後のシンフォニー〝ジュピター〟に結実しているのです。
バッハやヘンデルの高度な対位法が、モーツァルトの天翔けるような推進力で疾走するのですから、手に汗握ることになります。
この曲は、私がモーツァルトのシンフォニーの中で一番好きな曲です。
Mozart : Symphony no.38 in D major, K.504 “Prague”
演奏:ルネ・ヤーコプス(指揮)フライブルク・バロックオーケストラ
Freiburger Barockorchester & Rene Jacobs
いきなり、大迫力の序奏で始まります。『ドン・ジョヴァンニ』より前の作品なのですが、あの恐ろしい亡霊の石像が、扉を叩く音型にそっくりです。この頃から着想があったのでしょうか。のっし、のっしと石像が歩くかのようなフレーズが続いたかと思うと、悲鳴のような金属的なフレーズが走り、そして静まっていきます。調性も、ニ長調で始まり、ニ短調→変ロ長調→ト短調→イ短調→ニ短調と複雑に転調を繰り返します。このような長和音と短和音の間を揺らめかせる手法はモーツァルトの名人芸ですが、ここでも驚くべき色彩効果を生み出しています。序奏の大家ともいうべきハイドンにも、モーツァルトのこれまでの作品にも見られない、緊張感に満ちた、類例のない序奏です。まさに、ドン・ジョヴァンニの世界を予告しているといえます。
続くアレグロの提示部は、第1テーマが弱音で、弦のシンコペーションに乗って始まりますが、すぐに駆け出し、目くるめく世界に引き込んでいきます。ここからは、まさに『フィガロ』の世界で、〝もう飛ぶまいぞ、この蝶々〟や、スザンナのアリア〝さあ膝まづいて〟を思わせるテーマですが、後年のモーツァルトを知っている私たちとしては、『魔笛』の序曲の予告にも感じます。
展開部はさらに驚くべきものとなります。すべての楽器が対位法によって独立した動きで走り、それが全体で一体となる奇跡。コントラバス、チェロのような低弦楽器から、フルート、オーボエまで、どれも脇役、引き立て役ではなく、主役になっているのです。こんなシンフォニーはこれまでのモーツァルトにも、ハイドンにもありませんでした。特定の楽器の動きに注目して聴いたりして、本当に何度聴いても飽きない、立体的な音楽です。
展開部は古い演奏では繰り返されることはなかったのですが、楽譜にダ・カーポ(繰り返し)と書いてあるため、現在の演奏の多くは、作曲者の指示に従って繰り返しています。そうすると、第1楽章だけでも異例の15分超えとなり、ベートーヴェン級の長大さになります。でも、このダ・カーポが芸術的な理由とは限りません。当時のゆったりした時間の流れや、聴衆の集中力を考えて、複雑な曲は繰り返し聴かさないと理解してもらえない、と考えた可能性もあるのです。
第2楽章 アンダンテ
同時期に書かれたピアノ・コンチェルト第25番の第2楽章と同じ、穏やかな、ボヘミアの田舎風景を思わせるような抒情に満ちた楽章ですが、時々激しさや哀しさも顔を出します。実はここでも、穏やかに見えて、複雑な対位法を駆使しているのです。その技巧を全く感じさせないのも、モーツァルトの名人芸といえるでしょう。聴く方は、理屈を考えず、ただ身をまかせれば、至高の世界に連れて行ってくれるのです。
第3楽章 フィナーレ:プレスト
『フィガロ』と同時期に書かれたこの楽章は、第2幕で、伯爵に追い詰められ絶対絶命のケルビーノが、スザンナとどうやって逃げよう、と焦るあの二重唱からテーマをとられています。ふたりの焦りが、スピード感あふれる対位法によって、まさに手に汗握るドラマチックな音楽になっているのです。
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カウンター・テナー歌手だったルネ・ヤーコプスの古楽器演奏は、迫力に満ち、この曲の立体的な魅力を余すところなく伝えた名演と思います。
一方、この曲と出会った頃の私が繰り返し聴いた演奏もご紹介させてください。
マッケラスはモダン楽器の巨匠ですが、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを左右に対向配置したり、チェンバロを加えたりするなど、モーツァルトの時代の音響効果の再現に心を配ったマエストロです。演奏も、まさにプラハのオーケストラですので、この曲には格別な思いがあるはずです。この演奏も、私にとってかけがえのないものです。
演奏:サー・チャールズ・マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団
Sir Charles Mackerras & Prague Chanber Orchestra
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 フィナーレ:プレスト
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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